砦を去る前に
敵を始末したところで、俺の中にあふれていた憎悪が急速に鎮まっていくのを感じた。体内を駆け巡っていた力が弱まり、一気に全身から力が抜けていく。
「ふぅ、はぁあぁぁ……」
突然の脱力感はそれ以前に感じていた疲労を倍増させる結果になった。
(死の、怨念の力を利用するのは危険だな)
体内に気を巡らせてなんとか意識を保つと、革帯に付けた物入れから薬瓶を取り出し、それを口にする。
強壮薬は歯に染みるほど冷たかったが、凍りついてはいなかった。どろりとした液薬が喉を通過する感覚は気持ち悪いの一言だが、時間が経てば薬が効果を発揮し、疲労は抑えられる。
薬の効果が切れたあとの事が心配だが、なんとかなるだろう。
この砦でやるべき事はまだ残されている。
だが、この砦で生き残っているのは、あと数名だけのようだった。
「二階か……」
どうやらオルダーナは苦戦を強いられ、死霊の群れに隠れて機会を窺っている様子だ。
「戻れ」
彼女を呼び戻し、俺は疲労で重くなった足を一歩一歩、意識しながら踏み出していった。
その背後で死霊となった兵士とバルザーが動き始めた。俺は死霊たちを二階へ向かわせると、最後の生き残りである白銀の騎士団長殿を迎えに行く為に、階段を上がって行く。
それと並行して、蘇った女神官に魔法を使用させ、砦に火を放つよう仕向けた。
この砦に俺が居た痕跡を消し去る為に。
ここに居た連中の誰かが記録を残しているはずだ。それをすべて処分する。
死霊となった女神官は、血で赤く染めた体で任務を果たすべく歩き出す。
闇の中に消えて行った彼女と別れ、俺は階段に向かった。
階段を一段一段上がって行くと、その先から悲鳴と亡者の叫び声が聴こえてくる。
どうやら新たな犠牲者を死霊たちが生み出しているらしい。
死霊兵士に力を与え、部屋の奥で防戦している連中に襲いかからせる。
暗い通路を歩いて行くと、そこかしこに血痕が残されていた。
さらに通路を進んで行くと、そこには倒されてもがく死霊兵士や神官の姿があった。
「──神の威光を彷徨えるものに示し賜え! ディルナフェーダ!」
女が呪文を唱え、魔法を使うのが聴こえた。
どうやら不死者を撃退するレファルタ教の魔法らしい。
しかしその女が使った魔法は威力が弱まり、上位存在の力によって強化された不死者を消滅させる事はできなかった。
「そっ、そんな……!」
「まだだ、諦めるな!」
聞き覚えのある男の声だ。
俺は厄介な女魔法使いを始末するよう死霊共に行動させた。
手に剣や槍を持った死霊兵士が、床にへたり込んだ女に向かって一斉に飛びかかる。
体を引き裂くいくつもの攻撃を受けた女は短い悲鳴を上げて、すぐに絶命した。
「いや、もう諦めるべきだ」
俺は死霊たちが押し寄せている部屋の前まで来ると、復讐心を焚きつけようとする力を抑え込み、部屋の中に居る男に声をかけた。
死霊たちを下げ、部屋の中から廊下に出るよう指示を出すと、ぞろぞろと十体以上の死霊が出て行く。
俺は数名の死霊が立ち並んだ間を通って、部屋の中へと入って行く。
そこには返り血で汚れた鎧を身に纏う、若い騎士団長が立っていた。
「だいぶお疲れのようだな」
「貴様……!」
血に濡れた長剣を手に、男は怒りで全身を震わせた。
「やはり貴様が……!」
「やはり?」
この状況を作り出した事によって、奴は古砦の死霊術師は俺だったと考えているのだろう。だが、そんな疑いは俺にはどうでもいい事だった。
なぜなら──
「貴様が死霊術師だったのだな!」
「はっ、それを聞いてどうする? どうせお前は俺の話など信じぬだろう。それに、あの砦でなにがあったかなど、お前にはどうでもいい事だ」
「なんだと──!?」
奴は憎しみで顔を歪め、手にした剣を重そうに俺に向かって突き出した。
「分からないのか。お前はここで死ぬのだ。俺が死霊術師だろうがそうでなかろうが、お前にはどうでもいい事だろう」
俺はそう言い放つと、燻らせていた殺意の炎を燃やし、体中から殺意を滾らせて魔剣を強く握る。
騎士団長は何人もの死霊となった部下たちを倒し続けていたのだ。筋力も気力も残っているはずがなかった。
だが団長は怒りを滾らせて俺に立ち向かってきた。文字通り死力を尽くして俺を殺しにかかってくる。
それはそうだろう。預かっていた部隊を全滅させられ、さらにはその仲間の死を利用して不死者を作り出し、自分たちに襲いかからせたのだから。
「貴様は……貴様だけは、この命に代えてもここで討つ!!」
気迫を見せる騎士団長。
もはや奴の中にあるのは神への信仰などではなく、目の前に居る敵への憎悪だけだった。
「やれるものならな! 信仰だけを頼みに生き、今やその信仰すべき神に捨てられた、哀れな騎士団長! お前の最後の足掻きを見せてみろ!」
そう叫んで俺は相手を斬りつけた。
鋭い攻撃を俊敏な動きで回避した団長だが、足に力が入らないのか、後ろに下げた足に体重を乗せて反撃に移ろうとした時、その足を滑らせた。そのお陰で反撃に移る事ができなかった。
「くっ」
そのわずかな隙を狙って俺は魔剣を叩きつける勢いで振り下ろす。団長はその刃を剣で受け止めたが、やはり体力の限界を迎えつつあるようだ。受け止めきれずに肩当てに刃が食い込み、圧力に押し負けて床に膝を突いた。
「ぬぅぁッ!」
力を振り絞った奴は、足に力を込めて立ち上がる勢いを利用して剣を押し返してきた。そこからさらに連続で剣を薙ぎ払ってきたが、俺はその攻撃をなんなく躱す。
本来の実力を発揮できるならもう少し手こずるだろうが、疲弊しきった状態の騎士団長は俺の敵にはなり得ない。──たとえこちらの体力も枯渇寸前だろうとも、俺と奴では意志の力が違う。
己の精神や魂を鍛える事よりも、ただ神の御業を頼みにしてきた奴に負ける道理がない。
まして俺は魔導師だ。
魔神との駆け引きをも愉しみ、死の淵に落ちてなお、幾度となくその窮地から脱してきた。個人の力と意志を以てあらゆる困難に立ち向かってきた者が、神に縋るだけの連中に劣るはずがないのだ!
俺の気迫は疲弊した身体に死力を出させ、限界を超えさせた。
死をも恐れぬ大胆不敵な魂は、敵の反撃を物ともせずに足を大きく踏み出し、間合いを詰めたところから雷光のごとく鋭い一撃を敵に打ち込んだ。
「ぐぁあアァッ!!」
剣を手にしていた腕を斬り落とされた男は、がっくりと床に膝を突いた。自らが敗北したのを否応なく理解したのだろう。抵抗する気力もないようだ。
「か、神よ……!」
それがこの男の最期の言葉になった。
ひざまずいた奴の背後に回り込むと、俺は容赦なくその背中に魔剣を突き刺した。
鎧の薄い部分を狙って、骨をも断ち切る殺意の籠もった一撃。俺個人はこの騎士団長を憎んでいた訳ではなかったが、俺の中の怨念は、この砦に居たすべての者を死に追いやるまで消え去る事はないのだ。
最後の一人が死を迎え死霊に生まれ変わるまでの間。俺は他の数十体居る死霊たちに指示を出し、砦の周辺に残る者。ここから遠くに移動する者を適当に選んで行動させた。
こうする事でこの砦に起きた事を周囲に知らせ、さらには砦から抜け出した俺の痕跡を隠す目的もある。
足跡もそうだが、ここからアケーシュの亡骸を運び出すつもりなので、彼女の死霊だけが確認できない、といった事を悟らせない為にも、死霊となった兵士たちをばらばらに行動させる必要があった。
騎士団長の居た部屋を見回すと、テーブルの上に置かれた角灯のそばに見覚えのある瓶が置かれていた。それは俺の右目が入った硝子容器だ。
眼球の瓶詰めを手にすると、俺はそれを影の中にしまい込んだ。将来的に、光体を使った肉体の復元を手にする事もあるだろう。
もしかするとその時にえぐり取られた眼球があると、復元の可能性が高くなるかもしれない。
そう思うと右目の痛みが酷くなった気がした。
今まではレファルタ教教徒に対する憎悪を燃やして痛みを忘れていられたが、この場に居る連中を皆殺しにしてしまうと、右目をえぐられた痛みを誤魔化すものが無くなってしまった。
「ぐぅゥっ、クソ……!」
痛みと共に喪失感と怒りが込み上げてきた。
痛みは熱を発し、じゅくじゅくと頭の内側が熱くなってきて、俺は思わず死霊となって蘇った白銀の騎士団長を蹴り上げ、床に転がしてしまった。
大きな音を立てて石床に転がされた団長の死霊は、不平不満を訴える事もなく再び起き上がり、のそのそとした動きで落ちていた自分の右腕から剣だけを回収し、それを持って部屋を出て行った。
女魔法使いや兵士たちも通路に出て行くと、俺だけが薄暗い部屋に残された。
部屋の中にあった紙や本に角灯を叩きつけて火を放つと、俺は部屋を出て行った。
重い疲労を感じながら一階まで下りると、囚われていた部屋に向かって行く。アケーシュの亡骸を回収しここを出るのだ。
兵士や神官の死霊がうろうろと彷徨い歩く通路を進み、砦の入り口まで来ると、玄関の扉は開放され、通路に雪が入り込んできていた。
風はだいぶ弱まってきており、シグンとディオダルキスが守る出入り口を通って、死霊たちは外に向かって歩いて行く。
二体の幽鬼兵を回収するとその場を去って丁字路までやって来ると、通路の一方で強い明かりが見えた。女神官の死霊が火を放っているのだ。
ごぉおぉぉぅっ、ごおぉおぉぉっ────
放出される炎の音が離れた場所まで聴こえるのは、この周辺が静かになった証拠だろう。いい具合に冬の嵐が静まり、まだ外は暗いだろうが、近くの森まで行くにはちょうど良かった。
俺が囚われていた部屋に戻って来ると、そこにはアケーシュが壁に寄りかかったままの姿で待っていた。
「待たせた」
俺は声をかけ、彼女の体を抱き上げた。
命の抜けた少女の体が重く感じられた。
それは俺が疲弊していたからに過ぎなかったが、その重さは俺が彼女の命を奪った罪の重さでもある気がした。
「行こう」
俺が彼女にしてやれる最後のおこないだ。
暗い部屋を出ると、砦の玄関へと向かう。
疲れ、冷え切った体を動かして、俺は冷たい夜の中へと歩き出す。
あまりに寒い、極寒の夜だったが、風はほとんどなくなっていた。冬の嵐に囚われていた数日が嘘のように。
厚い石の壁に囲まれた部屋の中にも聴こえていた風の音。それがどこにもない。
「ざくっ、ざくっ」という、風によって固められた雪を踏む音だけが聴こえてくる。
吐き出す息が月明かりを受けて青白く光っていた。
その背後で砦が大きく燃え上がった。
二階部分から大きな火の手が上がり、夜空に向かって黒煙を噴き上げる炎が、木戸で閉じられた窓を突き破ってきたのだ。
俺は背後の砦から空に目を向けた。
雲一つない暗い星の海に、たくさんの淡い光が輝きを放っている。
星の海では死者の魂が光を放っている。──などという迷信を思い出す。
一人の少女の亡骸を抱えながら、重い足を引きずるようにして、砦から離れて行く。
街道から森のそばまで、吹雪によって運ばれてきた雪が積もっていた。
その雪の上を歩きながら、森へ向かって歩き出すと、またえぐられた右目が熱を帯びてきた。
痛みに気を取られた俺は、雪の下に隠れていた岩に足を取られ、雪の上に転んでしまった。
なんとか少女の遺体を雪の上に残し、俺はその横に転がると、冷たい雪を一掴みして、それを右目に押し当てた。
痛みと疲労を感じながら、またアケーシュの遺体を抱き上げて歩き出す。
暗く冷たい夜の終わりに向かって。




