砦を包む死の嵐
レギが冷酷な面をみせる。
夜の帳が落ち、砦の外の猛吹雪が一段と強く吹きつけていた。
冬の嵐が去り際に威力を示しているかのような勢いで、砦の奥に囚われた者の耳にも届くような風の音を、まるで巨大な獣の咆哮のごとく響かせてくる。
窓の無い部屋に居る自分には関係ないが、窓を頑丈な木戸で閉めた部屋で眠る者たちは、がたがたと木戸を叩く風の音で不安な夜を過ごしている事だろう。
俺は体力を温存する為に目を閉じ、じっと待ち続けていた。
いつでも魔術の門を開き、為すべき事を実行できるよう準備をしつつ。
それは暗闇の中で物音一つ立てずに息を殺し、標的が近づくのを待つ蛇に似ていた。
故郷のエブラハ領にも蛇は多く、川辺の岩陰などには毒を持つ小さな蛇も居れば、藪の中には大きな体長を持つ大蛇も居た。──さすがに人を襲うような巨大な物は居なかったが──
一度、落ち葉の山の中に隠れている蛇の狩りを見た事がある。
その蛇はじっと落ち葉の中に身を潜め、獲物が近くを通るのを待っていた。
大きな木の根や岩陰のある場所の近くは、鼠や兎が好んで通る道ができていた。
そこで蛇はときおり細長い舌をちろちろと出したりしながら、ひたすら待っていた。
こちらも離れた場所からじっとその様子を見守っていると、岩陰から一匹の大きな鼠が姿を現した。
鼠も周囲を警戒しながら移動しては立ち止まり、危険な敵の姿を探りつつ、どこか目的の場所にでも向かうように歩いて行った。
その鼠が落ち葉の山に近づいた瞬間。落ち葉の陰から青黒い蛇が飛び出し、鼠の足に噛みついた。
危険を察知した鼠が飛び跳ねるようにして蛇の攻撃を躱そうとしたのだが、足を噛まれてしまったのだ。
足を捕らえた蛇は素早く胴体をくねらせ、鼠に長い胴体を巻きつけた。
ガサガサと周囲に木の葉を撒き散らしながら、二匹の生き物が生存をかけ必死に戦い、地面を転がり回った。
だが結局、鼠は蛇に絞め殺されてしまった。
敗北した鼠を丸呑みにした蛇は、ゆっくりとその場を去って行く。
鼠を捕らえようとした時の、あの一瞬の素早い動きとは違い、悠然と森の奥へと帰ってゆくその姿は、森の狩人を思わせた。
──俺は蛇だ。
自らが求めるものを手に入れる為に牙を隠し、一瞬の隙を突いて襲いかかる。
囚われ、ろくに身動きもできない状態だが、俺にはまだ力と意志がある。
絶望的な状態にあるとしても最後まで抗い、戦い抜くだけの強い意志が。
吹雪が強まったり弱まったりするのを感じながら、俺は暗い部屋の中で待ち続けた。
しばらくするとドアの外から会話が聴こえてきた。
見張りと話す少女の声。
「なんだか目が冴えちゃって、しばらく見張りを交代しますよ。仮眠をとってきてください」
「しかし……」
「大丈夫。この事は誰にも言いませんから」
見張りに立たされていた兵士も限界だったようだ。少女の甘言によって男の意識は睡魔に敗北したらしい。具足を履いた男の足音が遠ざかってゆく。
完全に男の足音が聴こえなくなると、廊下側の壁に架けられた鍵を取り、ドアの錠前を外す音がした。
少女は角灯を手に部屋の中に入って来た。
なにやら覚悟を決めたような顔をして。
邪神の配下の疑いをかけられた相手に洗礼を施す行為は、他の団員の叱責を受けると考えているのかもしれない。
「お待たせしました」
「いや、来てくれてありがとう」
俺はできるだけ優しい声で語りかけた。──実のところ喉に張り付いた血液が不快で、思うように声が出せずにいた。
「見張りの人が戻って来る前に、洗礼を始めましょう」
「そう焦らずとも、そんなに早く戻って来るとは思えないが」
俺が軽く笑い声を出すと、彼女もほっとした様子で「それもそうですね」と顔をほころばせた。
アケーシュは近くまで椅子を持って来ると、背もたれの突起に角灯を架け、二人の間に明かりがくるようにしてくれた。
明かりに照らし出された顔は、まだ幼さの残る少女の顔だ。
信心深く、他者への思いやりを持つ優しい少女。その少女が俺の前に立って目を閉じると、聞き取れないほどの小声で神への祈りを口にしていた。
「さあ、目を閉じてください」
少女はすぐにでも洗礼を始めたいようだった。──こちらも心の準備はできている──
俺は素直に目を閉じ、壁に背をぴったりとつけて、彼女が近寄るのを待った。
「天上に居ます神は、人の子に法を与えられました。我らは神の法の光に照らされ、遍く命の法によりて平等。絶え間なく続く時と間(空間)の中に限りあるものとして……」
少女はそう祝詞を口ずさみながら首から下げていた聖霊の印を取り外し、それを俺の額に当てようと腕を伸ばした──
俺はそれを待っていた。
素早く顔を前に突き出し、彼女の指先にある銀製の飾りに噛みつくと、首を振って細い鎖ごとむりやり奪い取った。
「な、なにを──!?」
少女は驚いた顔をしていた。
怒りや恐怖といった表情ではなく、ただただ純粋に驚いた様子で。
彼女から奪い取った聖印を口に含んだ瞬間、結界の影響から解き放たれたのが分かった。
俺の意識は無意識がこちらを把握するよりも早く魔術の領域と結びつき、その力をすべて取り戻したのを確認する。
そして聖印を通じて、この砦に張られた結界の根源に魔術的な侵蝕をおこない、その力を書き換えた。それは思ったよりも早く達成できた。──現実的な時間としては、瞬きほどの一瞬だったろう。
それと並行して俺は、無意識の領域から精神世界への繋がりを手繰り寄せ、予てより俺に憎悪を送り込んできていたものと接触を図った。
それは魔人ディオダルキスの怨念を持つものに違いなかったが、単純にディオダルキスそのものではなかった。
だが──それでも構わないと俺は思った。
それが何者であれ、俺の手によって死の解放を与えられてなお存在するそれを、俺は受け入れる事にした。
レファルタ教への復讐心を滾らせるその力の根源はすぐに俺の導きに応え、俺の無意識領域の一部と繋がった。
「ありがとうアケーシュ」
俺は俺の意識の陰で結びついた力強い憎悪の炎を感じながら、少女への礼を口にした。俺の中で燃え上がる殺意を押し殺しながら。
「優しき少女よ。これからここで起こる事は君の所為ではない。それは俺が自らの意志で招く結果なのだ」
「な、なにを──、あなたはなにを言って……!」
「君は俺を許さなくていい、憎んでくれて構わない。──さようなら、優しいアケーシュ」
俺の足下から影が伸び、少女の影と重なった。
その影は少女の背後まで伸びると、そこから人影が現れた。
────どすっ
少女の胸元から鋭く尖った黒い物が突き出した。
それは影でできた刃のようだった。
漆黒の刃に心臓を貫かれた少女は、がっくりとうなだれた。全身から力が抜け、胸から突き出た刃が少女の体を支えている。
その胸の傷口から鮮血が吹き出し、俺の顔と胸元に飛び散った。
頬を伝う温かい血は、アケーシュの口から最後の息が吐き出されるくらいの一瞬で温もりを失った。その感覚が俺に、少女の命を奪ったのを実感させた。
少女の背後に立っているのは暗殺者のオルダーナ。目隠しを付け、革の包帯を体中に巻きつけた彼女の体からは、黒い極光気が揺らめいていた。
その黒い煙のごとき極光気は、上位存在となったディオダルキスの力を注がれて強化された事を意味していた。
俺の腕を拘束していた手枷を、影から突き出させた死王の魔剣で破壊した。そうして自由になった俺は死亡したアケーシュの体を抱き抱え、壁にもたれかからせると、死の力の影響を受けないように結界で守ってやった。
この砦はすでに幽世の中にあり、通常の魔法や聖別の効果は弱まってしまうのだ。しかもこの幽鬼の領域は俺が支配している領域なので、死亡した者を死霊に変え、俺の命じるままに行動させる事ができるのである。
ざわざわと砦の壁が揺れ動いたような感覚が広がり、やがて眠っていた兵士たちも不穏な気配を感じて起き出してくるだろう。
(連中に死を!)
俺と結びついているディオダルキスだったものは、強烈な憎悪を幽鬼兵にも注ぎ込んでいるのだった。
呪われた力を纏ったオルダーナは俺(ディオダルキス)が指示を出せば、この砦に居るレファルタ教徒たちに向かって攻撃を始めるだろう。
俺は今、自分自身と、俺と繋がったディオダルキスの思念の狭間で考え、行動しているのだ。
復讐の怨霊と一体となったような感じだが、俺の意識もしっかりと存在している。
要は、復讐心に駆られた思念が俺に力を与え、俺の体と魔力を使って彼が復讐を果たすのだ。
もちろん俺自身の復讐心もあるが、俺と彼は今や一心同体の関係にあった。
少女の亡骸を壁際に安置すると、俺は死王の魔剣を手に通路へ出て行く。
殺す──────。
殺す
殺す
殺す
殺す
殺す
殺す 殺す
殺す 殺す コロス……
歪んだ思考の波が押し寄せ、俺の中で渦巻くのを感じる。
殺意の衝動が体を突き動かす。
理性も慈悲もない、純粋な衝動。
怒りや憎しみといった単純なものではない。
もはや存在のすべてが、目に見える生命体への異常な復讐心に染まってしまったかのようだ 俺はその冷酷無比な怨念と繋がりつつ、精神汚染への守りを固めた意識領域の中で自我を保っていた。
さながら巨大な渦潮に巻き込まれた木の葉のごとく、渦を巻く水面に浮かんで、くるくると渦の表面を回転するように。
破滅を齎す危険な上位存在が俺の体を利用して、自らの望むものを手中に収めようとしているのを痛いほど感じる。
(神の従僕を名乗る愚か者共に死を!)
俺の自我の一部もその衝動に賛同し、レファルタ教教徒を殲滅しようと名乗りを上げた。
「一人たりとも生かして帰すものか」
俺の口から出た言葉は俺の意思だったのか、それともディオダルキスの怨念の言葉だったのだろうか。
その境界はもはやなく、俺と復讐心の怨霊は、影の中からさらなる幽鬼兵を喚び出した。
それは俺が意図して喚び出したものではなかった。
影の中から現れた二体の幽鬼兵は、死の面貌をこちらに向け、感情もなにもない死んだ瞳でこちらを見ていた。
その二体はディオダルキスと──シグンだった。
虚ろな目をした幽鬼兵たちは、やはり黒い極光気を纏い、革鎧や金属の肩当てなどを身に着けた姿で現れたのだ。
「ゆけ」
俺の口から指示が出されると、ディオダルキスの姿をした幽鬼兵は腰から下げられた長剣を手に取り、シグンの幽鬼兵は背負った大剣を両手で握り締めると、通路をどっしりとした足取りで進み始めた。




