少女との約束
神官の男は得意げに、そしてどこか誇らしげにレファルタ教アドン派の教理について語り出した。
その内容は俺が知るレファルタ教の教理に類似していたが、この男が語る現実世界への教理の働きは暴力的で、排他的な色を過分に含んでいた。
間違いなくこの男か、その上にある思想教育の解釈がそうさせているのだ。
教義が同じでも、その受け取り手が勝手な解釈によって内容を曲解し、歪んだ思想を形成してゆく。
本来は清廉なものを目指して描かれた内容であっても、受け取る者の手が汚れていれば、その手に触れられた絵がたちまち汚れてしまうように、その内容もまた汚濁にまみれるのであろう。
そうして歪んだものは、多くの歪んだ精神の持ち主たちによって強化される。
己を省みない弱者──知性や理性の貧弱なる匹夫──の集団が形成されるのは、弱い動物の本能的な活動の表れなのではないか。
人間的精神(理性)の発達が弱い彼らにとって、自分に都合のいいものだけが正しいものとして受け入れられる。
だからこそ彼らは、未熟な己を認識しないで済むものだけをありがたがる。
天上の神が人を苦難から解放するなどと謳い、しまいには死後の幸福を約束するのだ。──現世で得られなかったものが死んだあとで手に入れられるなど、どこの愚か者なら信じるというのだろうか。少なくともそれは、俺の理性には受け入れがたい戯言でしかなかった。
「くだらないな」
「なんだと!?」
「お前たちは神にすべてを委ねると言いながら、神を利用しているに過ぎない。お前たちは神にすべての理由を押しつけ、自分の都合のいいように神を解釈し、それを他人に強要しているだけだ。
神を理由にして、すべての残虐な行為が許されると思い込んでいる。そんなものは悪漢となにも変わらない」
「邪神に魂を売り渡した者は皆、同じような詭弁を口にする」
「その通り。真実を詭弁とし、自らの咎を神の名の下に正義とする。それがお前たちのやっている事だ。
自らの神が絶対的に正しい。
その神の名の下に活動している自分は神のように正しい。
神の意思に従わぬ者は咎人であり、罰して構わない。
……いったいその考え方のどこに正しさがあるというのだ? そんなものは邪神を信奉するような連中となにも変わるまい。
いい加減理解したらどうだ。
お前は自分自身を正しいものとしたいが為に宗教を利用し、異なる考えを持つ者に悪の汚名を着せ、排撃しているだけだという事実を。
お前たちは他者を理解しようとせず、己の価値観を他者に強要しているだけの、独善的な集団に過ぎない。
自分の信じる神を盾に、他者に自分の考えや価値観を押しつけ、従属を強要する。他の国や民族にも異なる宗教があるという事実を認めようとせず、排除しようとする。──それはお前らの支配欲を満たす為の行為でしかない。
お前たちは信仰を道具として利用しているだけだ。自らの悪行を正当化し、歪んだ欲望や欺瞞に満ちた正義を振り翳す為の、便利な道具としてな!」
そうまくし立てると、神官が青ざめたり顔を真っ赤にして憤激していた。その様子を目撃した俺は声を上げて嘲笑った。
「きっ、きっ、きさまァぁ……!!」
神官は慣れない怒声を口からこぼしながら、腰に手を伸ばした。
その手の先には鉄の鎚矛の柄があった。
「いけません! セヴァン様、どうか冷静に!」
少女は神官の動きをいち早く察知して、俺の前に立ち塞がった。
魔物を打つべき聖別された武器で人間を殴るなど、彼女にとっても許しがたい行為なのだろう。
「その男は神を、我々の信仰を侮辱した! そんな者を庇護しようというのか!」
俺は嘲笑うのを止めて、努めて落ち着き払った声で言った。
「神官セヴァン。その怒りはいったいなぜだ? 俺の言葉が詭弁だとあんたは言った。なのになぜ、お前は憤怒に駆られて鉄の鎚矛を手にしようとしている? それが神の指示だとでも言うつもりか?」
詭弁と言い放った相手の言葉に動揺し、理性よりも感情による衝動に従おうと、怒りや憎しみに駆られて行動しようとしていたことを理解した男は、わなわなと身体を震わせ、同時に顔を青ざめさせた。
自らの潔癖さや信仰が、現実的な思考をする俺の問いを前にして、いとも簡単に崩れ去ったのだ。
自らの言葉も信仰も、すべて偽りのものだったのだと。──もちろんこの男がそれを理解したとしても、その事実を素直に受け入れて改心するとは限らない。
だが神官セヴァンは憔悴しきった様子で、すごすごと部屋を出て行ってしまった。
「あの方は本来、この秩序団には居ない人だったのです」と、少女は突然語り出した。
俺は疲労をごまかす意味もあって、セヴァンについての話を聞こうと考えた。
「確かにあの男の様相は、旅に慣れた者の体とは言えないな」
「そうですね。もともとあの方は枢機院で活動されていた、枢機卿候補の神官だったそうです。
ところが半年ほど前に秩序団に加わるよう命ぜられたようなのです。団員の間では、彼は枢機院での派閥争いに巻き込まれ、失脚されたと噂されていました」
「なるほどな。それであいつは自分の信仰と教会の人間関係の軋轢で悩み、神への信仰に対しても疑念を抱き始めていたのかもしれないな。教会の中でおこなわれる権謀術数と神への信仰。そうした正反対の活動が教会の枢機機関で展開されるのを見て、教会への不審が生まれていた訳だ」
俺の言葉に少女は肯定とも否定とも取れる頷き方をして、溜め息を一つこぼした。
「枢機院の高位神官の方々は、信徒たちの事をどのように思われているのか……」
「それは知らない方がいい。君らは教会が隠している物事があるのを知らぬだろう。彼らの中には清廉潔白とは言いがたい連中も居るという事実をな」
皮肉を込めて口にすると、彼女はじろりと俺を睨んだ。
「あなたは邪神の配下などではないと思いますが、悪趣味な魔術師には違いなさそうです」
「そう言うな。──そうだな、君は奴らと違って話せそうだから、一つお願いを聞いてくれるか」
「なんでしょう」
彼女は少しばかり警戒しつつ、こちらの言葉に興味を持ったようだった。
「そろそろ皆は寝る頃だろう。この部屋の前に見張りを立ててな。そこで君は見張りを遠ざけ、この部屋に来てくれないか」
「なぜ見張りを……」
「洗礼の邪魔をされたくないからな。君は洗礼もできるのだろう? 俺にレファルタ教の洗礼を与えてくれないか?」
「それは……! もちろん、もちろんできますが──。いえ、私は正式な神官ではないのですが、洗礼の形式は知っています」
「それで構わないよ。最後に俺の我が儘を聞いてくれたら嬉しい」
少女は俺の殊勝な態度に光明を見出したようだった。
もしかすると、洗礼を受け入れた俺を秩序団は殺さないかもしれないと、そんな期待をしているのかもしれない。
むやみに人を傷つけたくないと、彼女はそんな風に考えているのだ。
「……わかりました。それでは半時ほどしたらこちらに来ます」
俺は頷き、少女の真剣な眼差しを正面から受け止めた。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったね」
「あ、そうですね。私はアケーシュと言います。よろしくお願いしますね。レギスヴァーティさん」
「ああ」
壁に拘束された俺を見上げる少女と俺の間に交わされた、小さな約束。
彼女の優しさが俺を救ってくれる。
しかし俺が彼女に与える返礼は、彼女が予期しないものとなるだろう。
俺はあえてセヴァンやアケーシュに言わなかった事がいくつかある。
レファルタ教の上層部に居る者が邪神の卵を使い、魔女を怪物へと変えた事。
過去にディオダルキスという敬虔な信徒が居て、彼を含めた何十人という信徒が殺害された事など。
俺の中で膨れ上がる憎悪はそうした事を話してやれとけしかけてきていたが、俺は理性でそれを封殺した。
話して聞かせたところで彼らが信じるとは思えなかったのもあるが、問題はそこではない。
俺には明確に決意した事がある。
ファーレーフが秩序団の足止めをしている間に、ここから脱出するという決意だ。
俺はその為にあらゆる力と意志を使って、この窮地を切り抜けるつもりでいた。その時に力を発揮できるように、俺の中に残っているディオダルキスの怨念すらも利用しようと考えていた。
たとえどんな罪を背負おうとも、必ずやり遂げる覚悟を密かに燃やして、砦が夜半の静けさに包まれるまで待つのであった。
かなり曖昧な書き方をしたので分かりづらい部分もあるかもしれませんが、わざとです。




