凶乱の邪眼
かなり暴力的な表現があるので苦手な方はスルー推奨です。
俺はどうやら気を失っていたらしい。
寒さに凍えた体は、周囲の温度と同化するかのごとく冷え切り、それでいてなお生命としての温もりを内部に保ち続けていた。
全身に気を巡らせ、なんとか肉体を維持していたのは、無意識下に植え込まれた生命循環の定理を根源とした、死や病から俺を遠ざける力の賜だった。
──どうやら朝を迎えたようだ。
分厚い石の壁の向こうでは、まだファーレーフが続いている様子だ。閉ざされたドアの隙間からたまに冷たい風が吹き込んできて俺を凍えさせてくる。
手枷に繋がれたまま立ち尽くしていた俺を、暴力的な気配を漂わせた巨漢が訪ねて来た。──その顔を見れば、昨夜の失態についての恨みを抱いているのは一目瞭然だった。
「よお、よく眠れたか?」
俺が軽口を叩くと奴は案の定、その拳で俺を殴りつけてきた。
……なぜ昨日は奴が手渡された木の棒を使って俺を打っていたか。それは奴らの教理の中に「手本」があるからだ。
レファルタ教の古い司教曰く、「罪人を暴力で痛めつけてはならない」そうだ。「罰を与えるべきは人ではなく神の定めた法であり、罪人を裁く時も罰を与える時も、それを人の手でおこなってはならない」とかなんとか。
まあそんなものは、ただの「言い分」でしかない。「こうあるべき」なんていうものは、大抵は意味のあるようで無い、上っ面の理想論でしかないものだ。
まして宗教家の語る物事など、机上の空論を通り越した、天上の空論でしかないのだから。
「まっ、たく! 減らず口を! よく! 叩ける! ものだな!!」
大男の繰り出す殴打は、棒で殴りつけるよりも遥かに効果的だった。
顎を殴られた俺は口の中を切り、唇から赤い血が流れた。
俺はそれを舌の裏側に残しておき、自らの血液を利用した魔術の行使はできないかと、──殴られる苦痛に耐えながら──識閾下への介入を試みた。
そんな事を俺が企んでいるとは露知らず、男は俺を怒りに任せて殴り続けた。
数人の男女が音を聞きつけて部屋の中に入って来た。朝からいきり立っている仲間を見ても、彼らは傍観しているだけで止めようともしない。
拘束された男を殴る行為を止める事もなく、彼ら怒りに任せて殴っている男と殴られている俺を、冷たい目で見つめていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
しばらくすると大男は息を切らせて動きを止めた。
拳には俺の血が付いている。
俺は顔も二度ほど殴られたが、多くは腹を打たれ、肋骨にもヒビが入っただろう。痛みで体のあちこちが熱を発し、吐き気もしてきた。
痛みに耐えている俺の中から、憎悪が沸き上がるのを感じる。だがそれは、俺の個人的無意識から沸き起こる感情(生命の危機に対して起こる敵意)ではなかった。俺の個人的な感情の多くは、俺の意識が抑え込んでいるのだ。
それでは心を支配しようとしているこの憎悪の念は、いったいなんだ?
心の奥深くにある闇から、それは呼びかけているようだった。
言葉よりも直接的で支配的な、衝動に訴えかける力。──それはまさしく"力"だった。
俺はその衝動を意志の力で、痛みに耐える力に変えるよう努めた。
苦痛に対してそれは、薬にも似た役割を果たしてくれる。
憤怒が齎す激情は苦痛を忘れさせ、敵に対する復讐心を燃やし、俺の意識を強くさせる要因となっていた。
俺に対する暴力が激化し始めた頃、ドアを開けて入って来た男たちによって、大男は俺から引き剥がされた。
「これ以上やったら死んでしまいます!」
「それがどうした! こんな異教徒など……!」
「この男は神殿に送られる手はずになっているんです! 死んでいたらまずい事になりますよ!」
二人がかりで部屋の隅にまで引きずられていくのが見えた。
俺は筋力でなんとか打撃を防ごうとしていたが、折れた肋がずれるのをなんとかしのいだくらいで、これ以上の攻撃を喰らえば死んでいただろう。
敵の殺意が鎮まっていくのを感じながら、俺は内なる憎悪に火を注ぎ、その火を絶やさぬようにしていた。絶望的な状況を打開する、意志の篝火を燃やす為に。
──しかしその内なる憎悪はしだいに威力を増し、俺の想像を超えて力を発揮しつつあった──
「バルザーさん!」
遅れてドアを開けて入って来た人影の中に居た少女が、俺の様子を見たあと、壁際で息を切らしている大男に向かって声を荒げた。
「うるさい……、そいつを回復しろ」
鋭い目を向けられ、思わず尻込みする少女。
治癒師の少女が俺に近づこうとした時、はっきりと声が聴こえた。
耳にではなく、心の奥深くから響く──怨念のようなものが。
『ころせ……、奴らを、殺せぇ……!』
それは並々ならぬ悪意を秘めて呼びかけていた。
俺はその衝動を抑え込もうとしたが、その呼びかけに応えたものがあった。──俺の右目に注がれた邪神の力だ。
凶暴な念は急速に力を増し、右目の邪眼に力が集中すると、部屋の壁に青紫色の光を投射するほどの力を放ち始めた。
「はなれ……ろッ」
近づこうとしていた少女に言うと、俺の右目から閃光が放たれた。
それは砦に張られた結界で威力を限りなく落とされたが、邪神の力の発現そのもので、落雷に似た音を響かせながら周囲に闇の威力を迸らせた。
邪眼から撃ち出されたのは紫色の光の筋。
それは空を翔る雷の様でもあり、壁を這い登る蔦の様でもあった。
バルザーと呼ばれた男に向かって撃ち出された力の放出が、大男とそのそばに居た若い戦士を打ち据えた。
「ぎゃぁっ」
「ぐわぁっ!?」
だが、やはり力を封じられた状態だったのだろう。その威力は大したものにはならなかった。
攻撃を放った邪眼は急激に力を失い、暗い室内を照らし出すほどの力を見せたそれは、すぐに休眠とでもいう状態になってしまう。
強力な力に抑えられた邪眼は、俺の肉体に大きな反動を与えてきた。
まるで眼球が凍りつき、そこに繋がる神経までもが凍結したかのように感じられた。
「ぅぐぁあぁ……っ!」
右目から出血し、俺はぼたぼたと床に血を流した。
「なんだッ……! ──貴様!」
ドアを蹴破る勢いで入って来た騎士たち。
俺の顔を見るなり青ざめ、鋭い殺気を放ちながら剣を抜く。
「やはり邪神の手の者だったか!」
俺の右目の邪眼は力を失いかけていたが、抵抗を示すかのように再び青紫色の光を放ち始めた。
「ふんっ!」
女の力を込めた息吹が聴こえると、俺の右目が急速に力を萎ませていった。砦に張られた結界の力を部分的に強化させ、右目の力を封じ込めたのだ。
神官らしき女は、邪悪な獣を見るような目で俺を睨みつけると、若い騎士の男にそっと耳打ちする。
「……そうだな、それがいいだろう」
そう言いながら団長と呼ばれた男は剣を鞘に収めた。
その動きを見て周りに居た戦士らもそれぞれの武器を収めると、邪眼の雷に打たれた二人を抱えて部屋を出て行った。
しばらくすると団長の男と数名の男女が部屋に戻って来て、治癒師の少女はその様子を遠巻きに見守っていた。彼女にもなにが起ころうとしているのか、知る由もなかったのだ。
「邪悪で危険な目を持つ者よ。これからおまえの目を摘出する」
騎士の男は吐き捨てるように言った。
用途不明な銀色の器具を手にした女神官と、二人の男が左右から近づいて来る。
「なんだとッ、……やめろ!」
さすがに目をえぐられると聞いて俺は抵抗しようとしたが、腹部に力も入らず、両腕をがっちりと二人の男に押さえつけられると、身動きする事もできなくなってしまった。
さらに男たちに頭を押さえ込まれ、首を動かす事もできなくなると、俺の前に立った女神官が手にした器具を近づけてきた。
それは匙が二つ付いたような器具で、刃物のように鋭い先端を持つ二枚の金属で挟む事を目的に作られた物だった。
女はそれを俺の右目に近づけると、むりやり瞼を指で開かせ、冷酷な器具を俺の右目に押し当てた。
「ぐっ……」
女が俺の眼窩に器具を差し込むと、開いた器具の口が眼球の外側に潜り込み、ぶちぶちと肉を削ぎ落とすように侵入してきて、奥深くまで届いたところで器具が眼球をくわえ込むようにして、それをえぐり出した。
「ぐあぁあぁぁっ!!」
神経の繋がった眼球がえぐられると同時に、邪眼と繋がった魔力体との接点がぶちんと切断される。邪眼との接続は深い所まで達していなかったので大きな被害にはならなかったが、魔力体の一部が引きちぎられる感覚が苦痛を増大させた。
危険な作業を終えて、女は慎重に眼球を摘出すると、それを用意された瓶の中に入れた。硝子容器の中には液体が入っており、その中に沈んだ邪眼は抵抗するかのように紫色の光を放ったが、その光は一瞬で消え、瓶に蓋がされるとそれは完全に封印されてしまったのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
目をえぐらえる痛みよりも、魔力体に負わされた傷口を抑えるのに集中しなければならなくなり、俺は結界の力によって覚束なくなっている魔力との感覚を取り戻そうとしたが、傷口を修復するだけで、魔力との接点を取り戻す事はできなかった。
俺は右目に負った熱い痛みを感じながら、強烈な復讐心が腹の底から膨れ上がるのを感じていた。
その一部は自分自身の感情に違いないが、それよりも深い所から烈火のごとく燃え上がる復讐心があるのを感じるのだ。
それがなんなのか、やっと理解できた。
このレファルタ教徒に対する憎しみを煽っているのは、「復讐者の神」と名乗っていた魔神ファギウべテスの力(結晶)から発せられていたのだ。──しかし、どうもおかしい。
あの魔神はレファルタ教だけを憎んでいる訳ではない。むしろあの宗教と神を憎んでいるのは、あの魔神の配下であった魔人ディオダルオスのはずだ。
そして彼はもう存在しない。
彼を殺害し、今生の惑いの中から解放してやったはずだ。死導者の霊核を通じ、彼の人間としての魂は死の中へと還されたのだ。
にもかかわらず、彼の強烈な意思を思わせる復讐心が、俺の中に取り込んだ力の中に残されているように感じる。──結界がなければ確実な事が判るのだが──
失われた目の痛みに耐えながら、俺はいくつもの不可思議な感情の波の中で揺れていた。
苦痛と憎悪の中でなんとか冷静さを取り戻そうと、魔神の力が発生する部分に蓋をしようと取り組んだ。
魔術の領域に入れない状況でそれをするのは骨が折れ、詳しい分析をする間もなく、なんとか力の流出を制御する事には成功した。
そのファギウべテスの力の中に、ディオダルキスの息吹を確かに感じながら、俺は沸騰する怒りと苦痛の中で、徐々に意識が遠のいていった……




