盲信と暴力
魔法を使用する事のできない俺は首への殴打を、気を巡らせて硬化させた筋肉で受け止めるしかなかった。
幸い、攻撃が飛んでくる角度などは目を閉じていても分かるくらいに相手は、はっきりと殺意に似たものを交えて棒で殴りつけてきていた。
「さあ、あの古い砦の裏手でなにがあったか、話してみろ!」
そう叫びながら、男は棒で俺をめった打ちにする。
一撃一撃に対し、部分的に硬化させて被害を減らす事に集中していたが、同じ箇所を何度も殴打されると痣ができ、痛みは蓄積されていった。
並の男なら苦痛に耐えかねて声を上げているだろうが、俺はぐっと痛みを堪え、気の扱いに神経を集中して折檻に耐えた。
血の巡りの悪い男でも、相手の頑丈さに違和感を覚えたらしい。
小声で「こいつ、痛みを感じないのか?」などと口にしていた。
足は拘束されていないので、棒を振り上げた瞬間に股間を蹴り上げてやろうかとも思ったが、それは止めておいた。
一時的な愉悦の為に相手の反撃を誘うような真似はしない方が賢明だ。
「おい、こいつの上着を脱がせろ」
大男の言葉に、離れた場所で見守っていた若い兵士(従兵)の男が俺に近づくと、冷たい表情のまま俺の革の上着をはだけさせ、胸元を開かせると、布の肌着を引き裂いた。
「早く真実を話した方が身のためだぜ」
若い男はそう言って離れて行った。
(真実など、盲信しかしないお前らにとって一番縁遠いものだろうが)
俺はそう考え、口元を歪ませた。
その様子が気に入らなかったのだろう、男が手にした棒で俺の胸部を思い切り殴りつけた。
棒のささくれた部分が俺の皮膚を裂き、小さな傷から血が流れ出る。
冷たい部屋の中だが、背中の石壁から熱を感じる。
どうやら壁を隔てた向こう側には暖炉があり、そこから伝わる熱がこちらの石壁を温めているようだった。
(それがなければいくら俺でも、この寒い部屋の中では凍死しかねないぞ)
上着をはだけた為に、凍りつくような空気が心臓を締め上げる。肺に流れ込んでくる冷たい空気がじわじわと俺の体力を奪っていくかのようだ。
忌々しい連中による暴力は半時(一時間)ほど続いた。
大男が別の者に棒切れを渡し、それを受け取った者は男であれ女であれ、俺を殴打するのに躊躇う者は居なかった。
ただ一人、まだ秩序団に入って間もなさそうな少女だけは俺を殴る前に、俺にだけ聴こえるようなか細い声で「ごめんなさい」と告げてから、大して力を込める事もせずに俺を棒で叩いた。
「おい、なんだそれは、しっかり痛めつけろ」
大男は寒さに苛立った様子で言う。
この部屋は別に拷問室という訳ではなく、元々は物置のような役割を持った部屋だったのだろう。
手枷が付けられている器具を見ると、それは棚を据え付ける為の金具に加工が施された跡があった。つまり砦の以前の所有者からレファルタ教に譲られた事で、この部屋の役割が変化したという事を意味していた。
優しい殴打を受けながら、俺は部屋の状況や、隣の部屋から聴こえてくる物音などに注意を向けていた。
身動きが取れないなりに、情報を集めているのだ。──いつこの状況を脱却できる瞬間がきてもいいように、敵の数や武器などについて探りを入れ、反撃の機会を待っていた。
「そんなんでどうする! おまえは秩序団としての誇りはないのか! 邪悪な者共を打ちのめすのが我らの役目だぞ!」
屈強な男が大きな声で喚きながら立ち上がった。
寒さを耐える為だろう、数人の男たちが小さなテーブルを囲んで酒を飲んでいる。
ふらついた足で少女から棒を取り上げると、いきなり俺の頭を思い切り殴打した。
加減を知らないその一撃で棒は折れ、頭から出血した。
頭部から流れた血が額から流れ、顎から床に落ちていった。
「血が……!」
少女が俺に駆け寄ろうとし、それを大男が止めた。どうやら少女はこの団の治癒師らしく、俺に回復魔法を掛けようとしているらしい。
「ばかものめ! そんな奴に情けをかけるな!」
呂律が回っていない。相当に強い酒を呷ったのが窺えた。
小さな背を伸ばして俺の額に手を翳そうとした時、酔った男が少女を突き飛ばした。少女の体を強い力で押し退けた為に、彼女は壁に叩きつけられるようにして肩を激しく石壁に打ちつけ、その場に倒れ込んでしまう。
「いい加減にしろよ」
俺が一言声をかけると、大男は「ああ?」と血走った目を向けてくる。その瞬間、俺は背中を石壁に押しつけ、全身の力を込めて奴の鳩尾に足を、踵を叩き込んだ。
その一撃をまともに喰らった男は小さな木のテーブルまで吹き飛び、派手な音を立てて石床に転がった。
壊れたテーブルの上で男は、白目を剥いた無様な格好で伸びていた。
「何事だ!」
騎士たちが物音を聴きつけて部屋に駆け込んで来た。
それぞれ腰から提げた剣に手をかけていたが、部屋の状況を見て、剣を抜く必要はないと判断したようだ。
部屋の中に居た連中は、大男を蹴り飛ばすだけの余力を持っていた俺を恐れ始め、迂闊に近づいてこようとはしなかった。
一人の女が起きた出来事について説明を始めた。騎士は気を失った大柄の男を連れ出すよう促し、部屋に居る者たちに声をかけ、それぞれ休むよう言った。
「団長──、彼の怪我を」
と、少女が立ち上がりながら言った。
「ああ、回復してやれ」
そう言いながら若い騎士は俺を用心深く見つめていた。
治癒師の少女が俺に回復魔法を使った。
頭に開いた傷口だけでなく、体のあちこちに付いた痣を消すように、痛みを取り除いているようだった。
「もういい、君も休め」
騎士の男は少女に言い、部屋の外に出て行くまで見守ると、誰も居なくなった部屋に残された俺を青い目でじろりと一睨みし、なにも言わずに部屋を出てドアを閉めた。
誰も居なくなった暗い部屋の中で、俺は溜め息を一つもらした。
頭にきて、思わず本気で蹴りを打ってしまった。──というのも、俺の中にあるなにかがさっきから、暴力的な衝動を俺の中に膨れ上がらせているのを感じるのだ。
その不明瞭ななにかはたぶん、精神領域にある獣性なのだと思われるが、それは魔術(根源意思)によって制御、統制されているはずだった。
この建物の中に居る事で、精神的な領域の制御ができなくなっているのだろうか。
俺の内部から沸き上がる衝動は、肉体的痛手を負うごとに、どんどん膨れ上がっているのを感じていた。
まるでそれは意思を持っているかのごとく、怒りに似た衝動を呼び起こしていた。
「それにしても──」
そう口にした時に、ドアの外に居る者の気配を感じた。外には見張りが立っているのだろう。
俺は黙って内観する事にした。
(お陰で収穫があった)
この領域でも魔法が使用可能なのだ。
それをあの治癒師の少女が示してくれた。
おそらくそれは、あの少女だけが可能という訳ではない。秩序団の者は、この建物に掛けられた結界の中でも自由に魔法が使えるのだ。
神殺しの魔剣に解析魔法を掛けた者も居るだろう。
ここに掛けられている魔術使用禁止の力は強力な反面、どこかに抜け道が用意されているのだ。
当然だ、彼ら秩序団の人間も魔法を使えなくなっては意味がない。
ならばどうやってそれを為しているかだ。
……それについては考えられる事がある。だがそれを手に入れるには、手が拘束された状態では難しい。
(だが──ここから脱出するには、それを手に入れるしかない)
そして、ここから脱出するという事は……
俺は自分の中に沸き上がる衝動を消そうとせずに、その力を原動力に変えようと考えた。囚われの身となった今の状況を乗り越えるには強靭な精神力が必要だが、それは怒りや憎しみといった否定的な感情を利用する事でも可能だった。
心折れる事なく、脱出する為に精神力を維持し続けるには、この衝動が助けになる。
しかし──、その衝動の根源が不明なのが気になるが……
なんとか自身の魔術領域に接続する手立てを探ろうと、目を閉じて意識を集中する。精神領域を防護する蜘蛛の守護者はどうしているのだろうか。
下手をすると現在の俺が精神領域に戻れたとしても、あの蜘蛛は俺を外敵だと認識するかもしれない。
それほどまでに今の俺は、自らの精神領域との隔絶を感じていた。
この砦に掛けられた結界を調整した者は、かなりの実力者だろう。魔導師級の力を持った者であるのは間違いない。
そしてその力の根源は、レファルタ教が"異端"とする力であるだろう。
奴らが謳う"神の秩序"など、到底信頼するに値しない。
他宗教の魔術師や魔法使いから奪った知識や技能を、奴らは自分たちのものとして、形(型式)を変えて利用しているのだ。
ここに張られた力も、そうして得られた技術に違いない。
否定し、排除し、貶めてきたものの断片から形成された連中の法など、他人の死体を縫い合わせて作らせた人皮紙の上に書いた、人道を約束する約定のようなものだ。胡散臭いなんてものじゃない。
人道に悖る行為そのものだ。
(恥知らずの狂人共め……!)
俺の中に渦巻く怒りは夜の熾火のごとく、光の届かぬ闇の中で静かに燃えていた。
それは俺の内部でくすぶる業火であり、レファルタ教教徒に対する異様な熱量を持つ殺意として感じられた。
(妙だ……、なぜこんなにも俺の中で奴らに対する憎悪が生まれるのだろう)
元来の俯瞰的思考が働き、感情の起点となるものを求めて自身の心の動きを探っていたが、それは深い場所から立ち上る煙のように不明瞭で、その根源を突き止める事はできなかった。
この場に張られた結界の所為だろうが、どうにも腑に落ちない。
感情の制御はできるのに、精神の奥深くにある闇から根深い憎悪が湧いてきて、俺に憎しみを植えつけてくるかのようだ。
それでも今までなら、その闇から立ち現れるものを排除し、遮断する事もできた。
精神の奥底に存在する古代的な深淵は、人間が到達可能な知性や想像力を以てしても、そのすべてを明らかにする事は不可能だと思えた。
なぜならそこに近づくと、人間の意識は深淵に呑み込まれ、帰る事ができなくなるからだ。
なぜ精神の深奥には、自らを否定しかねない深淵が存在するのか。
あの暗い淵は、人間が死を経験した時に発生する暗い情念であったり、あるいは個人的な人生というものを超越した運命に対する情動によって、人類という存在そのものに対する根源的な否定を生み出しているような気がした。
人間はあまりに様々な主体性を獲得したので、そこから生まれる世界(他人)との軋轢により、または直接的な敵対意識によって、あらゆる不幸を積み重ねてきたとも言える。
その人類の負の歴史を、暗い淵の中に閉じ込めているのが深淵なのではないか。
そして今の俺が感じている事が、正にそれなのだ。
人間の悪意を前にして、これを生み出した存在に対する憎しみ。
それは個々の人間に対してであると同時に、まったく異なる世界にある存在に対する憎しみ。
人間を創り出すに至ったという創造主への──そんなものが居ようと居まいと──憤激なのだ。
「精神の奥底に存在する古代的な深淵」この辺りの情報はかなり難易度が高く、心理学の中でも無意識についての複雑な内容を含みます。そこにレギという人類に対する想像力が入るので、かなり空想的な飛躍を含んでいるのであまり真に受けないように。
彼の言わんとするところは、「人間が人間にしてきた行為によって、無意識領域には人類を否定する根源的な自己否定(人類というものへの怨嗟)が存在する」といった事です。これは人間にとって不合理な、自殺や他殺の原因になりうる衝動が生まれるところだとも言えます。




