圧倒する邪神の力
女神官の背後から、大剣を携えたフィンジがゆっくりと歩いて来た。血をあふれさせたシズラスの死体と、変わり果てた兄の亡骸を冷たい表情で見下ろしていた。
「なんでこんな事に……」
大柄な弟が、ぶすぶすと煙を上げている兄の亡骸を前に呟いた。自身も怪我を負ったものの、クァンルシカの回復魔法を受け、なんとか立ち上がれるくらいの回復していたが、まだ万全な状態ではなさそうだ。
「邪神の力は恐るべき毒だけでなく、対象を不死者として操る力も持っていたようです」
と女神官は告げながら、懐から取り出した小瓶の中身をシズラスの遺骸に振りかけ、清廉な塩の結晶で清めていた。
「邪神はどうなりましたか?」
悲痛な面持ちで彼女は尋ねてきた。
「すまない、地下に逃がしてしまった。ここには地下に通路があり、かなり広大な地下空間があるようだ。そこに乗り込むのは危険だろう。撤退した方が賢明だ」
「ここまでやられて──撤退だと? ふざけるな!」
「ではどうする、地下に逃げ込んだ邪神を追うか? 狭い通路で毒を使われたら、どこに逃げる?」
怒りに顔を真っ赤に染めた大男は俺の言葉に反抗を示そうとしていたが、それを女神官は手で制した。
「言い争いをしていても、犠牲になった人は生き返りません。私もレギさんの意見に賛成です。今は引きましょう。ここに邪神が存在している事を、ギルドに報告しなければ」
その時だった。
広間の石床が振動を始め、敷き詰められた床板がガタガタと音を立てだしたのだ。
「なんだ!?」
周囲を見回していると、広間の中央にあった赤黒い色をした血痕が、まるで鮮血のように鮮やかな赤い色に変わっていき、それが線を描くように広がっていく。
シズラスが流した血液もそこに交わり、床に鮮血の円陣が広がっていった。
「まさか……!」
俺とクァンルシカが同時に呟いた。
がたがたと震えていた床板が静かになると、床の上に血の魔法陣が描かれた。奇妙な図形と呪文が赤い血の絵の具で描かれたそれは一瞬、濃い青色の火を発すると、石床に黒く焦げた跡を残し、血液は消え去ってしまった。
「これはまずいかもしれん」
「なにがだ?」
フィンジが俺の発言の真意を尋ねようとした時だった。建物の裏手から大きな咆哮らしきものが聴こえてきた。それは地の底深くから響く絶叫。
死の谷底から反響する亡者の叫び声。
それは周囲の岩壁に反響し、耳を塞ぎたくなるような音を響かせた。その音は聴く者の心を蝕む呪いの木霊であり、フィンジとクァンルシカに影響し、二人の力を萎えさせてしまう。
「ぐぁっ……なんだ、これは!」
大男はなんとか踏ん張ったらしい。仲間を失い、自らは怪我を負いながらも闘志を胸に燃やし、呪いの効力を断ち切っていた。
女神官は自らの心に集中する為に聖霊を称える祝詞を唱え、呪いを撥ね除けたようだった。
「裏口だ」
俺はおぞましい咆哮をあげた主を確認しようと、裏手に向かい外に出た。寺院の裏手にある林は木々がまばらで、開けた場所が多くある。
そして地面に空いた裂け目もすぐに確認できた。
「あれは……地面に穴が?」
クァンルシカが呟くと、その穴から細長い物がしゅるしゅると伸び、地面に先端を突き刺した。
それは木の根に見えた。
なにが起きているのかと俺たちが見守っていると、穴の中から数本の根っこが伸びてきて、それが次々に地面に突き刺さると、大きな影が穴の中から姿を現した。
「な、なんなんだ、あれは……!」
地面の裂け目から現れたのは、奇怪な樹木の様な物だった。
ただしそれは幹の部分が女性の胴体の形をしており、伸ばした枝はうねうねと蠢く大蛇──いや、足の無い百足に似た物になっていて、先端部に大きな牙と、無数の小さな牙が生えそろった芋虫の口のような物を持っていた。
根っこの部分には獣や人間の頭蓋骨が埋め込まれており、それはまるで地下茎に栄養を蓄えている植物のようだった。
一見すると樹木に見えるそれは、どちらかと言うと草花や蔓草に似た特徴を持ち、幹に見えていた女性の胴体を思わせる部分は、昆虫の甲殻に似た硬そうな物で覆われている。
女性の胴体の、首から上にある物は頭部ではなく、花の蕾だった。蕾の下部には茨を付けた蔦が絡みつき、こんもりとした瘤を形成していた。
暗い色合いをした赤や紫の花弁はどこか異様な雰囲気を醸し出し、肩から腕に当たる部分からは百足を思わせる太い触手が伸びている。
硬い甲殻を持つ触手の一本が近くにある木の幹に大きな牙で噛みつくと、その一撃で幹が切断され、樹木が音を立てて地面に倒された。
「これが邪神の本体……!」
「どうやら地下に封印されていたものをさっきの魔法陣で封印を破り、出てきたらしいな」
女神官は自身と俺たちに防御魔法を掛けると、大きく深呼吸する音が背後から聴こえた。
彼女の掛けた防御魔法は毒気を退ける効果も持っているようだ。
「邪神だろうがなんだろうが、ぶった斬ってやるだけだ」
フィンジが殺気立って大剣を構える。
昆虫と植物の特徴を持つ邪神は、両腕に当たる触手を蠢かせると、胴体の上にある蕾をゆっくりと花開かせた。外側の暗い色と違い、花弁の内側は鮮やかな朱色や蒼色となっていて、それが逆に毒々しさを感じさせた。
花弁の中心には黒く丸い金属があった。人間の頭部ほどの大きさがあるそれは、邪神の本体と繋がる光体の一部なのだと思われた。
金属質の表面に赤く光る奇怪な紋様が浮かび上がり、魔力の淀みが生まれていた。
黒い塊はこの邪神にとっての武器であるようだ。
この邪神が封印されたのがいつの事かも分からないが、どういう偶然か俺たちが駆けつけて来た事によって、奴は封印を解くだけの生け贄を獲得してしまった訳だ。
俺は魔眼を使って密かに邪神の根源的な力の解析を試みた。邪神の力は地上では、自然物の要素を強化したものとして現れるようだ。
それは植物であり、昆虫であり、有毒の生態的特徴を兼ね備えていた。
そうした特徴に対して不自然な具合に"死"に関係する力が結び付けられていた。
それは本来この邪神の性質に当てはまる事のない、不死者を生み出す力を与えられているようだった。
明らかに何者かがこの邪神の復活をもくろみ、さらには死に関わる力をも与えたのだ。
(明星の燭台──いや、この邪神からは、魔術師の集団ではない、なにかもっと危険な存在の力が潜んでいそうだ)
直感的にそう感じ取った俺は死王の魔剣を構えながら、この困難な相手に立ち向かう覚悟をした。
硬い花弁に包まれた黒い塊が青紫色の光を集め始めた。魔素と魔力を集中させているのだ。
邪神の両腕に当たる触手が蠢き、離れた場所からこちらを威嚇してくる。こすり合わせた牙から音を立て、ギイギイと耳障りな鳴き声を上げている。
攻撃する為にフィンジが大剣を肩に担ぎ、邪神の横へと回り込む。
俺は反対側に移動しながら、用心深く邪神の動きに注視した。
「……暗愚なる破壊者を討伐す武器を与え給え、光輝の支配者よ、破邪の力を示し、霊験なる啓示を知らしめよ『神光の聖杖』!」
神官はすでに呪文の詠唱を始めており、またしても俺の知らない魔法を繰り出した。
彼女の実力は相当なもので、複数の高度な神聖魔法を習得していた。──レファルタ教の信徒のみに授けられる高等魔法の多くは秘匿され、開示される事がないのだ──
彼女が魔法で現出させたのは大きな白い杖だった。
それは淡い光を放ち、彼女の手の中でかすかに聴こえる共鳴音を発している。
その杖を高く掲げると杖の先端にある装飾から、銀色の光が迸った。
鋭い音を立てて放たれた光が、胴体を守ろうとした邪神の触手に当たると、その触手が引きちぎられ、胴体にも大きな損害を与えた。
「「グゥァアァゥォオォオォ……」」
太い光線を浴びた邪神にフィンジが迫り、百足の腕を斬りつけたが、その攻撃は躱されてしまい、根っこを切断しただけだった。
百足が身を引っ込めてから反撃に移り、激しい勢いで体当りすると、大男の体は宙を舞い、後方にあった木に激突した。
「「ギギギィイィィ……」」
花弁の内側に魔力を集中させた邪神が、大きく花弁を開いた。
黒い金属質の球体に緋色の呪文らしきものが浮かび上がり、空気を震わせる音が辺りに鳴り響いてきた。
「「ブォぉオおぉォオオぉォン────」」
ちょうどクァンルシカが二発目の光線を杖から撃ち出した時、邪神は花の形をした頭部からなにかを放った。
異様な重低音を響かせながら。
「────!?」
白銀の光が花の前で押し戻されるのが見えた。
ゆっくり、ゆっくりと光の束が解体され、周囲に細切れになって散ってゆく。
その光の筋がどんどん邪神から離れ、女神官に迫っていくようだった。
「避けろ! クァンルシカ!」
横に回り込んでいた俺からは、はっきりと見えた。
邪神が見えないなにかを飛ばし、それが光線を屈折させて周囲に散らしているところを。
クァンルシカの反応は速かった。
俺の言葉を聞いて考える間もなく一瞬で判断し、横に駆け出したのだ。
だが──、
「ぐしゃっ」
聴き慣れない音を立て、突然彼女の上半身が反った。
あり得ない角度で。
背中の真ん中あたりから、ぽっきりと折れ曲がった彼女の体。
その背中から真っ赤な筋と、朱色の肉片が奇妙な模様を描いて空中に散布された。
折れ曲がった彼女の背中から地上に向かって赤い翼を広げたようだった。
そのまま彼女は膝から崩れ落ち、上空を見上げたまま墜落した。
すでに彼女の目に生気はなく、だらりと両腕を下げて大地に手を添えた。消え去った背中から血を流し、後頭部を地面に沈ませて。
クァンルシカは尻を地面につけ、背中を折り曲げる格好で後ろに倒れ込み、後頭部を地面に乗せるような奇妙な格好で絶命していた。
邪神が放ったのは、空間を歪ませる衝撃波のようなものだったのだろう。それは空間にねじれを生み、そこに女神官の肉体が巻き込まれ、背中が円形に引き裂かれてしまったのだ。
えぐれた背中の傷は体の横を貫通し、背中を削っていったのだ。
それゆえに彼女の体は、ぽっきりと折れた枝のごとく、不自然な格好で地面に倒れ込んでしまったのだった。




