邪神の呪い
邪神を挟んで向こう側に倒れ込んでいるフィンジはぴくりとも動かない。
木に叩きつけられただけで気を失うような柔な奴ではないと思うが、元からあの男を頼りにするつもりもない俺は、すぐに死王の魔剣を影にしまい、代わりに神殺しの魔剣を取り出した。
大振りの黒い剣を手にすると両手で柄を握りしめ、左腕を失った邪神と向き合う。
花に似た頭部がゆらゆらと揺れ、中心部にある黒い金属がこちらを捉える。
「フンッ!」
黒い金属を狙って攻魔斬を放った。
同時に黒い金属の塊から見えない空間の歪みが放たれ、攻魔斬の斬撃を砕いて消滅させてしまう。
花から放たれた力がこちらに届く前に横へ跳んだ。
見えざる攻撃に対して解析を掛け、邪神の攻撃手段を見極めようとした。
「あぶっ」
突如地面から突き出てきた根っこに貫かれそうになる。
くるっと回転してその攻撃を回避しながら大剣を薙ぎ払う。
根っこを斬り裂きながら、邪神の周囲を駆け回り、初級攻撃魔法をいくつか浴びせた。
火も風も、光も闇の攻撃魔法も試したが、それらのほとんどが光体防壁に防がれてしまう。
──だがそれは、初めから理解している事だ。
この邪神に接近戦はできないと踏んだ。
近づこうにも一対一では根っこや百足の腕に反撃をされ、さらには頭部の花から放たれる「空間歪曲」の攻撃を至近距離で受けかねない。
離れて攻撃するのが安全だ。
「奴の光体防壁を破る攻撃魔法で損害を与え、隙が生まれたところに、神殺しの魔剣で一撃を加える」
その為に様々な攻撃魔法で牽制したのだ、邪神の光体防壁を解析する為に。
邪神の展開する光体防壁は、その本体となる光体──それは高次元にある──から力を注がれており、本体の根源的な力によって物質界での効力も上下する事が判っている。
そういう意味では邪神の力は、魔神よりはいくらか与しやすい部類に入ると言えた。
俺が放てる高火力の攻撃魔法を使えば、対光体防壁の力を組み込まなくとも、その威力だけでも損害を与えられる程度の防壁しか備えていないのだ。
──とはいえ、全力で魔法を行使するには呪文への集中が必要になり、たった独りでそれを成し遂げるのは難しい。
幽鬼兵などの力を借りる事も考えたが、フィンジが目覚めたら面倒な事になるだろう。もちろん高度な術者ならば召喚魔法を使う事はウーリアの示したとおりだが、幽鬼兵の存在は死霊術師の業だと誤解されかねない。
この場は強力な魔法を行使する呪文への集中よりも、対光体防壁の力を組み込んだ対抗魔法を連続で使う事で邪神の防壁を貫き、損害を与えていく方が賢明だ。
現に奴は、いまだ破壊された左腕を回復できていない。封印から解放されたばかりの邪神に余力が無いのは明らかだった。
「一気に叩き潰す!」
俺が魔法への集中をしながら奴の周囲を移動し始めたのを悟って、邪神は百足の口から毒霧を吐き出したり、地面から岩の槍を撃ち出す魔法などを駆使して、俺を殺そうとしてきた。
「『十字破光』!」
邪神がさらなる攻撃を繰り出そうとしているところに、対光体防壁の力をのせた十字破光を浴びせる。防御障壁を砕いた光の力が邪神を焼いた。
闇を打ち砕く光の力が邪神の体に傷を負わせると、頭部の花が右に左にと苦しげに振るわれ、金切り声に似た叫び声を上げながら、周囲に毒気を乗せた衝撃波を撃ち出して暴れ回る。
「おわっ」
衝撃波を防御障壁で防ぎつつ奴の死角に移動し、さらに攻撃魔法への集中をしようとしたところへ、根っこの攻撃が地中から繰り出された。その攻撃はやみくもにおこなわれた攻撃で、地面に突き刺した根が全方位に向かって突き出された。
どうやら光の攻撃を受けて感覚器官を破壊されたらしく、こちらの位置を認識できていないようだ。
(好機!)
反射的に手にした黒い魔剣で根っこを薙ぎ払うと、邪神の上体がぐるりとこちらを振り向いた。
斬られた根っこの方を振り向いてくるのは予想していた。奴が攻撃を仕掛けてくる前に、疾駆で邪神の懐に飛び込んだ。
遅れて根っこの槍が、俺が立っていた場所に向けて突き出された。
樹木を思わせる邪神のそばに来た俺は黒い刃を薙ぎ払い、人間の女の胴体を形作る部分に刃を食い込ませた。
「「ギキイァアァァッ!」」
胴体の上に咲く奇怪な花から悲鳴のようなものがもれた。
百足の腕が伸びてきたが、俺は邪神の足にあたる根っこを飛び越え、背面に回り込んだ。
「止めだ!」
邪神の背面には灰色の樹皮に似た部分があり、俺はその背中に向かって両手で握った魔剣を突き刺し、人間の胴体を形作った物を貫通させた。
「「ゴァヴァぁあアァッ!」」
悶絶する邪神の体が左右に振られる。切断された腕の傷口から毒を含んだ青い血液が飛び散った。
「ハアァァッ!!」
柄を握りなおし、渾身の力で大剣を縦に振り抜く。邪神に背を向ける格好で、肩に担いだ大剣を力業で強引に振り抜いた。
大剣の黒い刃が冷酷に斬り裂きながら、攻魔斬の斬撃が邪神の上半身を真っ二つに引き裂いた。
大きな硝子の塊が砕けたような音がして、花の中心にあった黒い金属質の物体も半分に断ち切られると、邪神の体は崩壊を始めた。
風化した枯れ木のごとく脆くなった体がぼろぼろと砕け、地面に落下していった。
((ぉおォオおぉぉ……、ゆるすまじ……ゆる──すぅ、マぁ……))
崩れさる邪神の体から怨嗟の言霊が聴こえた気がした。
百足を思わせる腕も灰色に変色し、地面に落下すると乾いた音を立てて崩れ去った。樹木に似た邪神の体はあっと言う間に崩れ去り、灰となった物が蒼い火を噴いて、瞬く間に無くなっていく。崩れ去る邪神から離れると、黒い魔剣を魔神龍の鞘にしまい、きょろよろと薄暗くなってきた森の中を見回す。
大きめの木に寄りかかったままのフィンジを見つけた。
(気を失っているのか?)
俺は彼に近づこうと足を踏み出そうとした。
ところが俺は、その一歩を踏み出す事ができなかった。
「な、なんだ……っ!?」
足がなにかに掴まれたように、動かす事ができなかったのだ。
しかも立ち眩みのようなものを感じ、視界がぼやけてくる。足下を見ると、足になにかが纏わりついていた。
それは樹皮だった。
俺の足が木に変わっていたのだ。
「なっ……!」
両足を掴んでいる樹皮がしだいに大きくなり、ずるずると足を上がってくる。急速に成長しているそれは、俺の体を這い上がってきていた。
足が木に変化している訳ではなかった。
それは俺の足を飲み込みながら呪いの力を注ぎ込み、肉体の力を、意識を、弱めているようだった。
(な、……やばい──!)
それは強烈な眠気として現れた。
しかしそれがただの眠気でない事は理解できた。
これは邪神の呪いなのだ。
この樹木化の力は魔術の型式によく似たものだったが、人間の使う魔術よりも強力で、物質的な肉体だけでなく魔力体や精神体にも影響し、生命活動を樹木のように緩やかにする特徴を持っていた。
こうした呪術は魔術の型式を解読し、その力の源を分解すればいいのだが、この樹木化の力の根源は邪神の呪いであり、生半な魔術の知識では対抗できないものだった。
しかもその魔術を振るおうにも、意識が闇に呑み込まれるようにして、どんどん意識が遠のいていくのだ。
意識に重しを付けられ、水底に沈んでいくかのごとく、俺は無意識よりも深い、精神の深淵の中に誘われていった。
そこでこの呪いの力の源が、俺の精神と繋がる深淵の中に隠れ潜んでいたのを知った。
(ば、ばかな……!?)
その呪いの力は、この邪神が植え付けたものではないのは明らかだった。それはまるで俺の中に予め用意されていたように、精神領域の深い場所にある深淵の中から、俺の個人的な精神領域に触手を伸ばしていたのだ。
樹木の邪神がいつ俺との繋がりを得ていたのか探りたいところだが、今はそんな事をしている余裕はない。
(こ、このままでは……!)
なんとか意識を保とうと、呪いの解読に集中していたが、すでに樹木は腹部にまで達していた。
血流の流れが遅くなりでもしたように感じられる。体から体温が引いていき、血液の代わりに水が流れているかのようだ。
俺の体は樹木に取り込まれながら、その樹木の一部として呑み込まれようとしていた。
(そ、そうは……させる、か……!)
深淵から注がれる呪いの力を解読し、そこからあふれ出す力を堰き止める事に注力し、その呪いの力を解呪する事に成功したが、胸元までせり上がってきた樹木化を停止させただけで、俺の精神領域の大半が呪いの汚染を受けてしまった。
「く、くソぉ……」
右手に神殺しの魔剣を握り締めたまま、俺の意識は樹木と同化しかけていた。
それはただ生存の為に大地と融合し、無垢なる自然の一部として、この場で朽ちるまで生き続ける事を意味していた……
* * * * *
「おや、レギの奴……まさか邪神ごときに屈したのではあるまいな?」
暗闇の中に浮かぶ大地。そこにある黒い居城の中で、巨大な影が眼を見開いた。
それは馬に似た頭部に青い炎の鬣を持つ、奇怪な上位存在だった。
通常の馬と違い、頭の正面に三つの眼を持つその怪物は、魔神ベルニエゥロだ。
「ほんの冗談のつもりであやつに、邪神の配下である魔法使いを殺させはしたが、あの魔法使いの魂に結び付けられた呪いの息吹に感づけなかったか。
まあ、あの魔法使いが邪神と繋がりを持っているというのを隠蔽したのは、儂なんだが」
そう言うと巨大な馬の怪物は自分の発言に、げらげらと下品な笑い声を周囲に響かせた。
手にした黒い水晶球の中に映し出した影像を見て、魔神は首を傾げた。
「さてさてどうしたものか。このままあやつが死ぬのを見届けるのはつまらんな。それに今ならラウヴァレアシュの目も届かぬだろう。レギの強靭な魂と力が儂のものになるとすれば、それは愉快な事だがなァ」
そう呟きながら下顎を細長い指で撫でる。
魔神はなにか考えていたが、あまり真剣な様子ではない。
悪巧みをするでもなく、ただレギの行く末を見つめるように、黒い水晶を眺めていた。
「む……? これはこれは、どうやらレギは強運の持ち主であるようだなぁ」
再び下品な笑い声を響かせる魔神。
黒い水晶の球を掲げながら、食い入るようにそこに映し出された影像を見ている。
「だが──悪運とも言える。あやつが無事であるよう祈ろうか。まあ、儂の所為でこうなったとも言えるんだがなァ」
暗闇の居城に魔神の笑い声が響き渡った。
次話から新章突入! 今回の話で邪神の呪いに囚われ、意識を樹木のように身動きが取れない状態にされてしまったレギはどうなったか。最後の魔神ベルニエゥロの言葉や、今までの描写から推測できる人も居るはず。かなり厳しい状況に立たされたレギの非情な一面が見られる次章にご期待ください。
「精神領域の深い場所にある深淵」集合的無意識のさらに深い場所にある、生と死に関連する境界と考えられる虚無の領域。この断絶の中に落ちた精神は消滅すると考えられる。
魔神ベルニエゥロの言う魔法使いに関連する話はep223にあります。




