死霊術師の正体
浄化の魔法に精通した女神官が前に進み出た。
「アゥェス、ティェアルーダ、ディグリファス、死の帳の影にある、秘密の理を知らしめよ、死よ、死よ、死よ、汝は偉大なる秘儀の鍵、我が敵に死界の理を刻め、欺瞞に満ちた魂に終焉を与え給え『死門回帰』!」
クァンルシカが謎の魔法を使った。
彼女の内部に集中された魔力から、相当に高度な魔法を行使したのが判る。
死霊術師に向かって手を突き出し、魔法を解き放つと、老人の周囲に黒い柱が三本出現した。
その三角の中に炎とも霧とも見える渦巻く闇が立ち上り、中心に居た死霊術師を呑み込んだ。
闇は赤や青や紫に輝く光をときおり発し、雷鳴や地鳴りに似た音を響かせた。
どうやら強制的に冥府の力を現世に引き込み、対象を冥府の力で打ち砕く魔法のようだ。
神官の業とも思えない魔法だったが、彼女はその場に膝を突いて苦しそうな喘ぎ声を出している。
闇が消え去ると同時に三本の柱も地面に沈み込むようにして、跡形もなく消失した。
だが、その中心にはまだ不明瞭ななにかが残されていた。
「まさか……!」
クァンルシカが恐怖の喘ぎを漏らす。
石床の上にあった物は、黒い肉塊。
それが青く、冷たい光を放っている。その光は火の様に揺らめいていた。
よく見ると石床の上にも青い火が広がり、その中心で肉塊は蠢いている。
じゅぶじゅぶ、
ごぼごぼっ、
ぶじゅるるる、
異音を立てながらその肉塊が膨れ上がった。その塊から赤い光を滲ませる触手が何本も生え出てきて、肉塊の周囲をぐるぐると巻きつくように回転を始めた。
それは丸い塊からゆっくりと細長い形状に変形していった。そして二本の足で立ち上がると不気味な人型の化け物の姿となり、体の前で腕を交差させ、その腕を大きく広げた。
「「ぐはぁアぁァあぁァ……」」
触手はしだいに縮んでいき、髪の毛のように垂れ下がって顔を隠した。鼻も無く表情も無い白い顔だったが、女性的な口元をしていた。しかしそいつが口を開くと、あり得ないほど大きく広がった口の中に、無数の鋭利な牙が剥き出しになった。
「ひっ……!」
クァンルシカが恐れるのも無理はない。
彼女が放った魔法は、生命体には致命的な攻撃手段となったはずだが、上位存在にとっては大した損害を与えるものではなかったのだ。
彼女にとって切り札だった魔法は、死霊術師の肉体は滅ぼせても、その中に居たものの本体には通用しなかった。
「そんな──、まさか!」
よろよろと立ち上がり、ふらついて後ろに二歩、三歩と後退する。
「邪神!」
女神官は相手の存在を看破して言った、悲鳴のような声で。
その陰で、壁に叩きつけられたフィンジがよろつきながらも立ち上がるのが見えた。
アギムとシズラスはクァンルシカとウーリアを守るように前に出てくる。
「フィンジの手当を!」
弟の傷を治すよう指示を出すと、アギムは俺の横にやって来て、そのあとを追ってシズラスが、恐怖を顔に貼りつけて剣と小盾を構える。
逃げ出さずにいるだけで立派だと称えるべきだろうか。少年の戦歴では、明らかに格の違う存在が相手だ。
それを感覚的に悟っているだけ、少年は戦闘感覚が優れているのだろう。その事がなまじ、少年の成長を妨げている可能性もあるが。
俺はどうするか迷っていた。
いまさら死王の魔剣から神殺しの魔剣に交換する訳にもいかなかった。影の倉庫から取り出せば、俺がただの冒険者ではないと勘ぐられる可能性がある。──特に、レファルタ教の神官であるクァンルシカには知られたくない。
「クソッ……」
嫌な予感はしていたが、まさか邪神がしゃしゃり出てくるとは。
体長は高身長の人間と変わらない大きさだが、内包する魔力は人間のそれとは比較にならない密度を感じる。
ウーリアもそれを感じており、手にした角灯がカタカタと音を立てるほど震えていた。
「「肉の、からダの、イタみィ、──こレが苦痛かァ……!」」
黒い人型の邪神はそう言うと、げらげらと下品な笑い声を響かせた。男とも女とも聴こえる声で。
そいつはまだしゃべり慣れていない様子で、むぐむぐと口元を動かしている。
体表の多くは黒い鱗状の物で覆われ、胸元や腹部は青白い皮膚が剥き出しになっていた。肩から硬質化した花弁を思わせる暗紫色の甲殻が広がり、それが礼装用婦人服に似た雰囲気を醸し出す。
悪質な模倣に満ちたその存在は、恐怖の具現化された姿として、人の容姿に似せているのだと思われた。
「「肉ヲ……、新たナ肉を、わレに、与えよォ」」
頭部から垂れ下がる触手をうねうねと蠢かしながら、奇怪な邪神が言葉を発する。
隠れ潜んでいた死霊術師の体を失い、新たな宿主を求めているといったところか?
「化け物……焼き尽くしてやる! 前衛! 時間を稼いで!」
ウーリアが怒気に任せた感じで指示をする。
神官のクァンルシカがフィンジに駆け寄り、ふらついている男に回復魔法を掛けていた。
三人の前衛は魔法使いを守る為に行動し、シズラスが魔法使いの防御に、俺とアギムは邪神に突っ込んで行く。
いくらか無謀に思える突進だが、敵の攻撃を待つ方が危険だと判断した。いざとなれば魔晶盾で自分の身くらいは守れると踏んでいたが。
速攻で死王の魔剣を邪神の右側に回り込んで薙ぎ払うと、その攻撃を腕で防御された。腕の硬い黒鱗が刃を受け止めたが、刃がわずかに腕に食い込み、敵の腕から青紫色の血液が噴出した。
「「グぁアァ!」」
邪神が叫んだのは腕への攻撃の痛みではなかった。俺の背後から素早く接近したアギムが邪神の腹部に刃を叩きつけ、深々と青白い腹を斬り裂いたのだ。
──だが、腹部に刃が沈み込むと、その腹から青紫色の煙が噴き出された。
「毒か!?」
反射的に邪神から飛び退いたが、幅広剣を押し込んでいたアギムがもろに煙を浴び、慌てて後退したが、広場の真ん中あたりで倒れ込んでしまう。
「アギムさん!」
シズラスが悲痛な叫びを上げる。
「ちっ」
毒煙がかすった腕に痺れが広がるのを感じたが、その感覚もすぐに消え去った。生命循環の定理による毒素の分解が、邪神の作り出した毒にも効果を発揮したのだ。
この邪神の毒は皮膚から入り込んで血管の中を巡り、たちまち生命活動に影響を与えるものだった。
わずかな毒を喰らっただけなら解毒魔法で中和する事は可能なようだが、あまり多量に毒を浴びてしまえば、生命は奪われてしまう。
それにこの毒煙には、邪神の呪いとも言える力が込められているようだ。
──だが、この毒煙は炎に弱い。
「煙は炎で消せる! ウーリア、頼む!」
そう言いつつ、俺は魔剣に火炎魔法を宿し、燃え盛る刃で邪神の右腕を切断した。
「「ヌぐぁァッ!」」
連続で火の力を乗せた攻魔斬で切りつけ、奴の動きを一時的に止める事に成功した。
「離れなさい! レギ!!」
角灯を掲げ、火炎の鎖蛇を前に行かせると、彼女から魔力の流れが大蛇の中に向かって流れ込む。
「『紅蓮の業焔』!」
蛇の腹が膨らみ、喉を通った力が口から解放された。
灼熱の焔が空飛ぶ大蛇の口から邪神に向けて吐き出され、ごうごうと唸りを上げて邪神の体を焼き焦がす。
強烈な熱風が寺院内の広間に充満し、バチバチと邪神の肉体が音を立てて破壊されていくのが見えた。
「「ぅぐぉォオオオォぉォオッ!!」」
邪神は堪らず奥の部屋に逃げ込み、戸口を焦がしながら移動して行く。
「逃さないで!」
「アギムの死体に注意しろ!」
俺はそう声をかけてから、邪神を追って奥の部屋に突入した。
奴が燃え盛る体を振り回すと、頭部や体から生えた触手がぶんぶんと振り回され、周囲に火の粉を散らす。
奥の部屋は左右に別の小さな部屋があるようだった。
邪神はその小さな部屋に向かって通路を逃げ去って行く。
その姿はしだいに小さくなっていき、やがて人型ではなく、巨大な幼虫に似た姿へと変わっていった。
「くそっ」
俺は火炎弾を撃ち出し、変形した邪神の体に当てたが、その攻撃魔法は光体防壁によって効果が弱められてしまう。
「「ギュピィイィィイィッ!」」
邪神が金切り声を上げながら部屋の奥に消えた瞬間、背後から女の叫び声が聴こえた。
「なにっ!?」
続けて獣じみた咆哮が聴こえた。
嫌な予感が的中してしまったらしい。
(だから死体に注意しろと……!)
俺は戻るか進むかの選択を迫られたが、今は邪神に止めを刺す方を優先するのを選んだ。
小さな部屋に入ると、邪神の姿はなくなっていた。天井や壁際にある木箱の陰に隠れたのではない。
石床の一部の床板が外され、そこから地下へと続く石の階段があったのだ。邪神は地下の闇に逃げ込み、炎を消し去ったようだ。
「……追うのは危険か」
地下空間は明らかに人為的に造られた物だった。それもかなり大がかりな通路が用意されるほどの、広大な地下空間が存在しているらしい。
階段の先から漂ってくる冷たい空気の中に、かすかに土や水の匂いが感じられる。
むやみにそこに飛び込む気にはなれなかった。
邪神を野放しにするつもりはないが、今は一旦引くべきだと判断し、悲鳴の聴こえた広間に急いで戻った。
広間に戻ると、そこは新たな死地となっていた。
毒に侵されて死亡したアギムが、死霊となって復活していたのだ。
それも邪神の呪いによって強化された、凶悪な死霊──あるいは死鬼とでも言うべき恐ろしい怪物に、アギムは変わり果てていた。
「うぉぁァアぁあぁぁあぁ……」
奴は口の周りを真っ赤に染めていた。
その理由は、床に倒れているシズラスを見れば明らかだった。
首を喰いちぎられた少年の体が痙攣を起こし、首の動脈から鮮血をあふれさせていた。
「ゴゥウウウッ」と、ウーリアの召喚した大蛇型の精霊が、炎の息吹をアギムだったものに吐きかけた。
炎に包まれた怪物は、腕を振り回してもがき苦しんでいる。
ところがそいつは往生際が悪く、燃え上がった体のままウーリアに襲いかかると彼女の腕に噛みつき、そのまま床に彼女を叩きつけた。石床に激しく打ちつけられた魔法使いは、その一撃で絶命してしまった。
「『光罰の鉄鎚』!」
火を振り払ったアギムが床に引きずり倒した女魔法使いの死骸に覆い被さり、その血肉を喰らおうとしたところに、クァンルシカの魔法が炸裂した。
金色の雷が発生し、女魔法使いの体もろとも邪悪な死霊を打ち据え、その一撃でアギムだったものを滅したのである。
クァンルシカが「死」に関係するような魔法を使うのに違和感を抱くかもしれませんが、レファルタ教の神官の中には「執行者」といった死刑執行人のような手合いも居るので、驚くには値しないかもしれません。
彼女が死に関係する高度な魔法を扱えるのにも理由があるとお考えください。




