表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
75/120

代理返却印は、本人未読の私の名を返却済みにできません

貸出簿の追記欄に押された王宮代理返却印は、紙の上では細く、きれいだった。


けれど、その横に書かれた一文だけが、リディアの名を勝手に畳んでいた。


旧台所係リディア、本人読了済みとして返却処理。


リディアは指を置かず、まず空白を見た。


本人読了欄。


そこには、何も書かれていない。


「読了済みなら、読んだ者の名と、読んだ生活影響が要ります」


彼女は青い保留札を、代理返却印の上ではなく、空白の読了欄の横へ置いた。


「印を消すためではありません。この空白を、勝手に埋めさせないためです」


王宮保管室の係官が、顔色を変える。


「代理返却印は、返却者が確かに印箱を戻した証です。保管室としては、棚に戻った時点で処理済みになります」


「棚に戻ったのは、印箱だけです」


リディアは、貸出簿の下に三枚の札を並べた。


リーナの手荒れ薬袋。

カイルの西三つ角灯油札。

エダの未受領賃金袋。


「この印で動いた薬、帰り道、賃金、同意欄は、まだ誰の手にも戻っていません。そこへ、私が読んだことにする一文を添えるなら、私がどこまで責任を読んだのかを示してください」


伯爵家の使いが笑った。


「旧台所係の名がある。お前の仕事の範囲だろう」


「いいえ」


リディアは、静かに首を振った。


「旧台所係という名は、何でも閉じる鍵ではありません。夜薬の火加減を読んだのか。西三つ角の帰宅灯を消してよい条件を読んだのか。エダさんの賃金袋を本人が受け取ったかを読んだのか。同意欄の本文を本人が読めたかを読んだのか。範囲を分けなければ、私の名で誰かの生活を返却済みにできます」


小机の端で、ノラが湯温札を押さえていた。


昨日から何度も濡れたその札には、北門施療院の小竈の熱がまだ薄く残っている。


「名前が一つで済むなら楽です。でも、その名前で閉じたあと、熱い湯を持つ手も、暗い角を帰る足も、賃金を受け取る声も、別々に残ります」


リディアは、湯温札を貸出簿の横へ置いた。


「だから、私の名を使うなら、私がどの手と足と声を読んだのかを分けてください。分けられないものは、読了済みではありません」


リーナが、薬袋を胸に抱き直した。


「リディアさんが読んでいないなら、わたしの薬も、読了済みじゃないんですね」


「はい」


リディアは、リーナの薬袋の札に一行を足した。


本人未読欄を代理返却印で補完しない。

今夜分の加温薪は、患者別確認まで支給待ちとして残す。


王宮書記官が息を呑んだ。


「保留ではなく、支給待ち……」


「止めるための空白ではありません。届くまで守るための空白です」


次に、カイルの灯油札へ書く。


代理返却印は、本人帰着確認の代わりにならない。

西三つ角の灯油は、鍵箱返却と次番引継ぎまで点灯継続。


最後に、エダの賃金袋へ青札を重ねた。


返却処理済みの文言では、本人未受領賃金を相殺しない。

本人名で受領または未受領を読めるまで、支払い待ち。


赤い相殺線の上に、青い線が一本のった。


それだけで、エダの賃金袋は、警備費不足分の紙から外れた。


セレスティアが、貸出簿を自分の前へ引き寄せる。


「王宮代理返却印の効力を限定します」


彼女は新しい紙に、硬い字で書いた。


王宮代理返却印は、物品が返却棚へ戻った所在確認に限る。

本人読了済み、旧台所係確認済み、生活影響承認済みへの転用を認めない。

読了欄の空白は、記入漏れではなく、本人未到達の保護欄として扱う。


伯爵家の使いが、唇を歪めた。


「そんな空白を残せば、王宮の処理が遅れる」


「遅れるのではありません」


リディアは、空白の読了欄を見た。


そこに、自分の名をまだ書かない。


「私が読んでいないものを、私の名で早く閉じないだけです」


胸の奥で、少しだけ息が戻った。


母の料理帳から外された名。

台所の鍵と一緒に返したはずの名。

誰かの薬や帰り道や賃金を閉じるために使われかけた名。


それは、まだリディア自身の読める場所に残っていた。


「私の名前は、返却済みの印では戻りません。私が、誰の生活を読む責任なのかを読んでからでなければ」


王宮書記官が、代理返却印の横にある小さな番号へ気づいた。


「監督官殿。この一文、保管室の手書きではありません。返却文言番号がついています」


セレスティアの目が、代理印ではなく、その番号へ移った。


返却文言登録、王宮書記局返却処理係、定型句二十七。


旧台所係本人読了済みとして返却処理。


リディアは、貸出簿を閉じなかった。


代理の印では、棚の箱は戻せても、読んでいない名までは返却済みにできない。


次に読むべきものは、印ではなかった。


誰かが用意した、本人読了済みという言葉そのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ