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外井戸夜番の油皿は、主火場補充済みでは帰ってきません

外井戸は、北門施療院の裏手からさらに細い石畳を下りた先にあった。


昼なら洗い場の声が届く場所だ。けれど夜の番に立つ者には、王宮厨房の火も、晩餐会の音も届かない。届くのは、井戸綱が軋む音と、濡れた石に置いた油皿の小さな火だけだった。


リディアは欠番鍵の棚から出した青い布を抱え、ノラとエダ、カイルとともに井戸端へ向かった。


「水番さん、という札だけでは足りません」


ノラが小さく頷く。


「昨日の夜番は、たぶんミレイさんです。洗い場の年長の人で、薬粥室へ朝水を運んでくれる人です」


「たぶん、では帰着印を押せません」


リディアは責めるのではなく、手順を直す声で言った。


井戸端には、濡れた桶が二つ残っていた。一つは空。もう一つには、半分だけ水が残っている。横の板には、夜番交代表が掛かっていたが、そこには『外井戸水番 一名 主火場補充済み』とだけ書かれている。


人の名がない。


カイルが眉をひそめた。


「補充済み、というのは油皿のことか」


「油皿だけなら、皿が主火場に入った時刻を書くはずです」


リディアは交代表の端を指でなぞった。乾いた煤が、指先に黒くつく。


「ここでは、水を汲んだ人の帰り道まで、補充済みにされています」


そのとき、井戸小屋の影から咳が聞こえた。


エダが駆け寄る。古い外套を被った女性が、腰掛け石にもたれていた。手には、油皿の持ち手だけが残っている。皿の部分はない。


「ミレイさん!」


ノラの声で、女性はようやく顔を上げた。


「……朝の水、半分しか運べなかったの。ごめんね。主火場へ火皿を持って行けって言われて、代わりの皿を待っていたら、灯りが消えて」


「謝るところではありません」


リディアは膝を折り、まず女性の名を確認した。


「お名前を、自分の声で言えますか」


「ミレイ・ハルト。外井戸の夜番。洗い場と薬粥室の朝水を担当しています」


「帰った時刻は」


「帰っていません。ここで夜を明かしました」


リディアは青い布を石の上へ広げた。欠番棚の七枚の油皿と、ミレイの手に残った持ち手を並べる。


「では、この記録はこう直します。油皿一枚、主火場補充済みではなく、外井戸夜番ミレイ・ハルト帰着未完了。朝水半分、薬粥室未達。本人確認済み」


伯爵家の使いが、息を切らして追いついてきた。


「勝手に変えるな! 主火場は晩餐会の予備火を集めている。外井戸の皿一枚で、王宮全体を止める気か」


「王宮全体、という言葉を水の桶まで下ろします」


リディアは半分の桶を指した。


「この半分の水で、薬粥は二人分減ります。洗い場の包帯は三枚しか濯げません。ミレイさんは帰れていないので、今日の賃金と交代の食事も未完了です。晩餐会の予備火に回すなら、その生活影響明細を書いてください」


使いは口を閉じた。


セレスティア監督官が遅れて到着し、無言で板を見た。彼女は自分の筆で、新しい欄を足す。


本人名。

帰着時刻。

朝水到達。

賃金。

次番同意。


「外井戸夜番は、皿が戻っただけでは完了しない」


監督官の声は硬かったが、確かだった。


「本人が名前で帰り、朝水が届き、賃金と次番が読めるまで未完了とする」


エダがミレイの肩へ布をかける。ノラは半分の水を薬粥室へ運ぶため、小さな札に自分の名前を書いた。


「私が運びます。運んだ後、帰ってきて札を戻します」


「戻すまでが仕事です」


リディアが言うと、ノラは少しだけ笑った。


ミレイは震える手で、未完了欄に自分の名を書いた。文字は歪んでいたが、誰かの代筆ではなかった。


その瞬間、井戸小屋の内側から乾いた紙束が落ちた。


古い水番名簿だった。だが、名前の欄だけが黒く塗られ、横に同じ印が押されている。


――主火場補充済み。


一人分ではない。


十七人分の夜番が、同じ言葉で帰ったことにされていた。


リディアは名簿を閉じず、青い保留印を押した。


「今日の報酬は、ミレイさんが名前で帰れることです」


そして、黒く塗られた十七の欄を見つめた。


「次に読むのは、帰ったことにされた水番たちの、本当の帰り道です」

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