返っていない油皿の数を、欠番鍵の棚で読み直します
欠番の鍵は、鍵箱のいちばん下にあった。
王宮厨房の標準整理番号なら、柄の根元に大きく数字が彫られる。けれどその鍵には、数字が半分だけ削られ、代わりに小さな点が三つ打たれていた。
セレスティア監督官が、鍵を布の上へ置く。
「主火場下段、旧油皿棚。現行台帳では用途廃止、残数確認済みです」
「残数確認済みなら、開けても問題ないでしょう」
伯爵家の男がすぐに言った。リディアは首を振る。
「確認済み、という言葉が何を数えたのかを先に見ます」
彼女は母の料理帳の余白に、三つの欄を書いた。
油皿の数。
持って出た人。
帰り道を照らした相手。
若い書記官が眉を寄せた。
「油皿は道具です。人の欄まで要りますか」
「道具だけなら、棚に戻ったかどうかで終わります」
リディアは、昨日の紙片をそっと横へ置いた。
――灯りを消す前に、返っていない油皿の数を読め。
「けれどこの一文は、棚のために数えていません。帰れなかった人を、油皿の枚数で見失わないために数えています」
欠番鍵が回る音は、小さかった。
開いた棚の中には、油皿が七枚並んでいた。銅の皿が五枚、縁の欠けた鉄皿が一枚、そして青い煤のついた小皿が一枚。
棚札には、八枚、と書かれている。
「一枚足りませんね」
カイルが言うと、伯爵家の男は笑った。
「破損か紛失だ。廃止棚の一枚など、主火場帳へ移す価値もない」
「一枚を廃止棚の余りにすると、その皿が照らした帰り道も余りになります」
リディアは七枚を動かさず、棚の前で膝を折った。皿の底には、それぞれ薄い引っかき傷がある。数字ではない。名前の頭文字でもない。
帰り道の場所だ。
北門。
洗い場。
薬粥室。
灰冷まし場。
外井戸。
五つまでは、今も北門の人たちが使う場所だった。鉄皿の底には、エダが昨日包帯を巻いていた足首の高さと同じ擦り傷が残っている。
リディアは青い小皿だけを指さした。
「これは、棚へ戻っています。でも、帰り道はまだ戻っていません」
「戻っている皿まで未完了にするのですか」
「皿が戻ることと、人が帰ることは同じではありません」
彼女は台帳の『残数確認済み』の横に、青い保留印を押した。
「七枚保管、では足りません。七枚のうち、誰の道を最後に照らしたか。足りない一枚は、誰が持って、どの灯りまで行ったか。そこまで読めるまで、この棚は閉じません」
ノラが、北門から持ってきた小さな木札を差し出した。
「外井戸の水番さんが、昨夜、油皿を一枚借りたと言っていました。帰ったら返す、と」
「名前は」
「札にはありません。水番、とだけ」
リディアはその木札を、欠番鍵の横へ置いた。
「では、今日の報酬は一つだけです。水番さんを『水番』で終わらせない。外井戸へ行って、本人の名と帰った時刻を聞くまで、足りない一枚は紛失ではなく帰着未確認にします」
伯爵家の男が舌打ちした。
「そんなことをしていたら、王宮晩餐会の火皿補充が遅れる」
「晩餐会の火皿より先に、帰れない人の皿です」
リディアの声は静かだった。けれど、棚の前にいた書記官が、初めて自分の筆で新しい欄を書いた。
油皿八枚。うち一枚、外井戸水番本人確認待ち。
エダが小さく笑った。
「私も、名前で聞かれたら、帰ったと言えます」
「だから、名前で聞きます」
リディアは七枚の皿を棚に戻さなかった。青い布の上へ一枚ずつ並べ、場所の傷が見えるようにした。
棚の奥から、さらに薄い紙が落ちた。
そこには、古い王宮厨房の印と、伯爵家の紋が重なるように押されている。
――外井戸夜番油皿、主火場補充へ振替済み。
カイルの顔色が変わる。
「帰るための皿を、晩餐会の補充に回したのか」
リディアは紙を閉じなかった。
「まだ、そう決めません。ただ一つだけ分かります」
欠番鍵の棚は、道具の棚ではなかった。
帰っていない人の数を、余り物にされないための棚だった。
そして足りない一枚の油皿には、外井戸から戻るはずだった誰かの名前が、まだ書かれていない。




