机が残っても、封印閲覧所では本人のまだを読めません
封蝋付きの札を読み終えたあと、王宮厨房の書記官は、ほっとした顔をした。
「北門小竈横の机は残ります。原札も現地保全です。王宮としては、かなり譲っています」
譲っている。
その言葉だけ聞けば、机は守られたように思えた。
けれど封蝋の下には、細かい条件が三つ並んでいた。
閲覧は王宮厨房本帳係の立会時に限る。
閲覧者は、王宮が認めた確認者または代読者とする。
閲覧中の発声、追記、保留札の追加は、封印管理者の許可なく行えない。
リディアは、最後の一行に指を置いた。
「これは、机を残す命令ではありません」
「どういう意味ですか」
「本人より先に、開ける時刻と、読む人と、声の出し方を封じる命令です」
小机は、そこにあった。
ミラの椀も、テッサの包帯棚も、ノラの薪賃金札も、カイルの鍵箱の青い紐も、リディアの薄い未整理名札も、同じ場所にあった。
けれど、もし封印管理の札が机の前に置かれたら。
ミラが次の薬の前に喉を鳴らしても、王宮本帳係の時刻まで待たされる。
テッサが包帯の芯を折って「まだ冷たい」と言っても、代読者が乾燥待ちと読み上げるだけになる。
ノラが薪屋の名を確かめに来ても、封印管理者の許可がなければ、受け取る名を書き足せない。
カイルが夜道から帰って鍵箱を置いても、帰着札を自分の声で閉じる前に、閲覧記録だけが先に開かれる。
リディア自身の名札も同じだった。
本人が読む前に、誰かが「旧台所係リディア、料理帳保管者照会中」と読み上げてしまえば、その声はリディアのものではない。
「封印された机は、残った机ではありません」
リディアは言った。
「本人の声より先に開く帳面です」
書記官は、困ったように本帳を抱え直した。
「ですが、封印しなければ改ざんの疑いが出ます。誰でも触れる机では、王宮は確認済みと扱えません」
「誰でも触れる机にはしません」
リディアは青い紐を一本取り、机の端へ結んだ。
「ただし、封印は外から閉じるものではなく、本人が先に読める順番を守るものにします」
「順番、ですか」
「はい」
リディアは新しい札を作った。
北門本人先読札。
その下に、三つの欄を引く。
本人が来られる時刻。
本人が自分で読んだ範囲。
本人が声に出した、まだ、違う、今は名乗らない。
書記官が眉を寄せた。
「今は名乗らない、も記録するのですか」
「記録します。ただし、それは欠落ではありません。本人が今、名を渡さないと決めた生活欄です」
リディアはミラに向き直った。
「ミラさん。次薬前の確認札を、今、自分で読めますか」
ミラは椀を置き、札の字をゆっくり追った。
「次薬前、喉の音、本人前で確認。……まだ、ここで待つ」
小さな声だった。
けれど代読ではなかった。
リディアは、その横に青字で書く。
本人先読済み。発声あり。まだは北門小机で有効。
テッサは包帯を一枚取り、折り目を開いた。
「芯、まだ冷たいです」
ノラは薪賃金札を見て、薪屋の名を指で押さえた。
「受け取る名がまだ空いています。金額だけでは閉じません」
カイルは鍵箱を机に置いた。
「帰りました。次番に渡す前に、俺の名で一度読ませてください」
それぞれの声のあとで、リディアは小さくうなずき、青い紐の内側へ札を戻した。
王宮の書記官は、しばらく黙っていた。
「これでは、王宮本帳係が来る前に、原札が動きます」
「動きます」
リディアは答えた。
「生活は、本帳係の時刻まで止まってくれません。だから、動いたことを消さずに残します」
彼女は本帳の写し欄へ、次の文を書いた。
現地封印管理ではなく、本人先読保全。
封印前に本人が読める一回を置く。
本人の「まだ」「違う」「今は名乗らない」は、王宮確認前でも北門生活到着欄として有効。
書記官は、本帳の空欄を見つめた。
「……同日分に限り、封印前本人先読を認める、と書けば、厨房へ持ち帰れます」
「同日分では足りません」
「ですが、今ここで全部は変えられません」
リディアは机の上を見た。
ミラは椀を両手で包み、テッサは包帯を棚へ戻し、ノラは薪賃金札の空欄を指で押さえ、カイルは鍵箱の青い紐を結び直している。
完全ではない。
けれど、今日の「まだ」が、封印より先に声になった。
「では、同日分を青保留で受けます」
リディアは言った。
「ただし、これは王宮の許可ではありません。本人が先に読む権利を、王宮本帳が今日だけ追認したという記録です」
書記官は深く息を吐き、本帳にそのまま書いた。
北門本人先読札。同日分、青保留。
その時、封蝋付きの札の裏に、小さな追記があるのをカイルが見つけた。
「リディアさん。裏にも字があります」
リディアが裏返すと、そこには別の条件が書かれていた。
声出し確認を認める。ただし発声内容は王宮厨房本帳の閲覧記録へ逐語添付し、以後の本人意思確認に代えることができる。
ミラが、今度は椀を強く握った。
リディアは青い紐の端を押さえ、自分の未整理名札を見た。
「声を出したからといって、明日の声まで預けたことにはなりません」
北門の小机に、封蝋の匂いが薄く残っていた。




