最終読了者一名は、乾いていない包帯と届いていない薪を閉じられません
照会票の下端に浮いた文字を、リディアはすぐには読み上げなかった。
「北門明朝読了順を確認。では、最終読了者一名を代表確認者欄へ指定すること」
王宮の字は、今度はとても静かだった。
誰か一人を最後に置くだけでよい、と言っている。順番表を否定せず、北門の札を取り上げず、ただ最後に読む者の名を一つ書けと言っている。
リディアの指先が、紙の空欄の上で止まった。
ここに自分の名を書けば、少なくとも今朝の照会は終わるかもしれない。
王宮厨房は、代表確認者リディア・ヴェルナー、と写す。伯爵家も、晩餐会当日までの返答先を得る。北門の小竈に、次の紙が滲むまでの静けさが戻る。
けれど、その静けさの横で、テッサが包帯棚から白布を一枚つまみ上げた。
「まだ、芯が冷たいです」
白布の端は軽くなっている。だが中央だけが、指に吸いつくように湿っていた。
ノラは湯桶の前で、湯気の高さを見ていた。
「朝湯は使えます。でも、次の薬の前にもう一度、熱さを見ます」
ミラは椀を抱えたまま、小さく息を吸った。
「今は通りました。次の薬まで、まだ分かりません」
リディアは、空欄の上に置いていた指を引いた。
「最終読了者一名は、最後に残った未完了を閉じる人ではありません」
書記官が顔を上げる。
「代表確認者欄に、誰の名も入れないのですか」
「入れません。少なくとも、今は」
リディアは北門明朝読了順の紙をもう一度広げた。
細火、薬粥、湯温、包帯乾燥棚、帰着札、明朝薪の賃金到着欄。
青丸の付いた項目と、青丸のない項目が混じっている。その混じり方こそが、今朝の本当の姿だった。
「最終という言葉は、王宮では便利なのでしょう。最後に一名が読めば、表紙を閉じられる。けれど北門の最後は、ひとつではありません」
彼女は青丸のない四番へ、小さな札を差した。
包帯乾燥棚、芯湿り。巻布使用不可。テッサ本人再読待ち。
次に六番の欄へ、別の札を置く。
明朝薪賃金、未到着。晩餐会準備費へ転記不可。薪屋受領名待ち。
最後に、ミラの椀の横へ小さな紙を置いた。
次薬までの喉。むせなし一口目通過。二刻後再読。
「これらは、誰か一人が最後に読んだからといって、終わりません」
テッサが湿った包帯を両手で持った。
「もし代表の人が、確認しましたって書いたら」
「この布は乾いたことになります」
リディアは言った。
「乾いていないのに、乾いた包帯として使われる。肌に触れれば冷えるし、薬を巻けば湿気で戻る。それでも王宮の表では、最終読了済みです」
テッサは包帯を棚へ戻した。ほっとしたのではなく、自分の手で戻せたという顔をした。
「では、まだ、にしておいてください」
「はい。まだ、です」
ノラが薪の賃金到着欄を覗き込む。
「お金が届いていないのに、届いたことになると」
「明日の薪は、伯爵家の補填費へ回されます。北門は、火を使ったことにされるのに、薪屋へ払う名が残りません」
カイルが鍵箱を抱え直した。
「帰って、鍵を渡して、賃金も薪に届いて、そこまでで朝ですか」
「そこまで読まないと、朝が途中で閉じます」
リディアは、代表確認者欄の横へ新しい見出しを書いた。
最終読了者未定理由。
書記官は息をのんだ。
「未定理由を、欄に」
「代表名の代わりに、未定でなければならない生活条件を書きます」
リディアは一行ずつ、声に出しながら記した。
一、包帯乾燥棚は、テッサ本人が芯の乾きを読むまで未読了。
二、明朝薪賃金は、薪屋受領名と北門支払名が合うまで未到着。
三、ミラの次薬までの喉は、二刻後の再読まで未完了。
四、上記三項を一名代表確認者の署名で完了扱いにしない。
最後の行を書いた時、ミラが二口目を飲み終え、椀を少しだけ膝へ下ろした。
「まだ、って書いてあるなら」
彼女はかすかに笑った。
「次の薬まで、待ってもらえるんですね」
「待つことも、手順です」
リディアは母の料理帳を開いた。火加減の欄の脇には、母の細い字で、煮えた印ではなく待つ印がいくつも残っている。
弱火のまま、布巾が乾くまで。
喉が落ち着くまで、匙を急がせない。
薪代は、火の前ではなく薪屋の名で閉じる。
母の料理帳は、最後に署名するための帳面ではなかった。
まだ触ってはいけないものを、まだ、と残す帳面だった。
書記官は羽根ペンを持ち、王宮照会票の返答欄へ写した。
「代表確認者欄、現時点未定。未乾燥包帯、未到着薪賃金、次薬前の喉を完了扱いにしないため、北門明朝読了順に未定理由を添付」
王宮の紙に、その文字が乗った。
すると、包帯棚の前でテッサが肩をゆるめた。
「乾いてから巻けます」
ノラが湯桶に布を掛ける。
「熱さを、また見られます」
カイルは鍵箱の蓋を少し開け、次番の名札が入っていることを確かめた。
「帰ったことも、途中で閉じられません」
リディアは、青丸のない札を消さなかった。
まだ、という字が残ったまま、北門の朝は少しだけ先へ進んだ。
その時、返答欄の下に新しい王宮印が滲んだ。
「代表確認者名が未定の場合、北門小竈横仮窓口を晩餐会未完了品保管所へ指定する」
リディアは小竈の横の小さな机を見た。
包帯の湿りも、薪の賃金欄も、ミラの次薬までの喉も、今度はまとめて場所の名で閉じられようとしている。
「次は、ここを物置にしないための読み方です」
母の料理帳の頁は、まだ閉じなかった。




