母の料理帳保管者名は、私の代わりに晩餐会仮責任へ立てられません
夜明け前の北門施療院は、まだ黒い窓をしていた。
小竈の細い火だけが、薬粥の鍋底をゆっくり照らしている。その横へ、王宮厨房からの新しい照会票が置かれた。
「当日責任者未定につき、母の料理帳保管者名を晩餐会仮責任者欄へ照会する」
リディアは、紙の上の「保管者名」を指で押さえた。
前の通知は、自分の名を晩餐会当日責任へ立てようとしていた。今度は、自分が動かないなら、母の料理帳の名を立てればよいということらしい。
「ご本人の生活到着欄が読了中であることは、王宮厨房も承知しています」
使者の書記官は、眠気を隠すように声を整えた。
「ですが、当日責任者欄を空白にするわけにはまいりません。料理帳を保管している名であれば、手順の所在を示せます。仮責任者名として――」
「保管者名は、火の前に立ちません」
リディアは静かに言った。
書記官の羽根ペンが止まる。
「料理帳を持っている名は、鍋底の焦げを見ません。匙を持つ手でもありません。夜明けの火が細すぎる時、薪を一本足す足でもありません」
リディアは母の料理帳を開いた。
そこには豪華な晩餐の飾り書きよりも、小さな書き込みが多い。
熱のある子には匙半分。
包帯を煮た日は粥を薄く。
夜明け前の火は、消さず、強めず、喉が起きるまで細く残す。
母の字は、誰かの椀の横へ向いていた。
「母の料理帳は、晩餐会の空欄を埋めるための名簿ではありません」
リディアは白札を七枚、机へ並べた。
母の匙。
北門の細火。
ミラの夜明け薬粥。
ノラの湯温札。
テッサの包帯乾燥棚。
カイルの帰着札。
明朝薪の賃金到着欄。
「料理帳保管者名を仮責任者欄へ移すと、この七つが一度に『王宮厨房が預かった手順』になります」
ノラが湯温札を両手で持ち上げた。
「でも、湯の熱さはここで見ています。王宮の欄に移ったら、私は何度だったって書けばいいんですか」
「書けなくなります」
リディアはうなずいた。
「王宮の仮責任者欄は、晩餐会の火を探しています。でも、この湯温札は、ミラさんの喉を焼かないための札です。同じ『火』でも、向いている先が違います」
ミラはまだ眠たげな目で椀を抱え、母の匙を見た。
「その匙で測った粥は、朝、怖くありません」
「はい」
リディアは匙を、晩餐会照会票の上ではなく、ミラの薬粥札の横へ戻した。
「ですから、匙の保管者名も、ミラさんの朝へ戻ります」
テッサが白布を棚に広げる。
「包帯の乾きも、料理帳に関係するんですか」
「関係します。包帯を煮た日は粥を薄く、と母は書いています。水をどれだけ使ったか、火が何刻残るか、薬粥の濃さが変わるからです」
リディアは包帯乾燥棚の札へ青い線を引いた。
「母の料理帳保管者名を晩餐会へ立てるなら、この包帯の水も晩餐会手順へ入ったことになります。乾いていない布まで、晩餐会の火の責任で閉じられてしまう」
カイルが鍵箱を抱え直した。
「俺の帰着札もですか」
「はい。夜番が帰って、鍵を次番へ渡せるまで、北門の火は閉じられません。料理帳の火加減は、食べる人だけではなく、火の前に帰ってくる人のためにもあります」
リディアは七枚の白札を、照会票の端に一枚ずつ添えた。
「保管者名とは、何を保管している名なのか。紙の所在だけなら王宮厨房監督官セレスティア様の預かりです。けれど、母の料理帳が保管しているのは、母の名前ではありません。誰かが朝を越すための手順です」
書記官は困った顔で、照会票の空欄を見た。
「では、当日責任者欄はどう返答すれば」
「空白のまま、ではありません」
リディアは新しい青札を切った。
「こう返します」
青札に、丁寧に書く。
母の料理帳保管者名。
晩餐会仮責任者欄への転記不可。
北門施療院、薬粥手順、湯温、包帯乾燥、帰着確認、明朝薪購入欄の読了者名として保全。
書き終えると、ノラが小さく息をついた。
「これなら、湯温札はここに残りますか」
「残ります」
「包帯棚も」
テッサが尋ねる。
「明朝、乾いたと自分で読めるまで」
カイルが鍵箱の札を見た。
「帰着札も、晩餐会搬送補助にされませんか」
「帰って、鍵を渡したとあなたが読めるまで、ここに残ります」
ミラは匙を見つめたまま、椀を口に運んだ。薄い粥を一口、むせずに飲み込む。
「朝、来ました」
その小さな声で、リディアはようやく笑った。
「はい。料理帳は、ここへ届いています」
書記官は青札を写し取り、照会票の「保管者名」の横へ貼った。
「王宮へ、このまま返します。ですが……おそらく、次の照会が来ます」
リディアはうなずいた。
王宮が空欄を諦めるとは思っていない。
朝の一番鐘が遠くで鳴った時、返答控えの余白に、すでに小さな追記欄が浮き上がっていた。
「料理帳保管者名の転記不可を確認。では、手順管理者名を代理責任者欄へ照会する」
リディアは母の匙を、ミラの札の横から離さなかった。
「次は、手順という言葉を読みましょう」
小竈の火は細いまま、けれど消えずに朝へ残っていた。




