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晩餐会用大釜は、北門の冬火を三晩奪います

大釜、という字は重かった。


紙の裏に薄く残った母の筆跡を、王宮書記がもう一度読み上げる。


「晩餐会用大釜一基。北門の冬火、三晩分を奪う」


北門施療院の夜番室で、その言葉だけが、湯気より冷たく残った。


トマが薪棚を振り返る。


「大釜って、料理をたくさん作る鍋ですよね。どうして、うちの火を奪うんですか」


「鍋そのものではありません」


私は母の写しを、青い札の上へ置いた。


「大釜を動かすための火です。洗う湯です。空にしたあと、錆びないように乾かす熱です。そこへ付く人の夜番です」


晩餐会用、と呼ばれた瞬間、誰もその火の行き先を見なくなる。


けれど母は見ていた。


伯爵家の厨房で、銀の皿が磨かれる前に、北門の薪箱から何本の薪が消えるかを。


私は新しい紙を出した。


生活影響明細、と上に書く。


一、晩餐会用大釜一基を移送・加熱・洗浄する場合。


二、北門施療院の冬火三晩分と照合すること。


三、代替未確認のまま動かした場合、以下の生活手順を閉じられない。


王宮書記が筆を構えた。


院長先生が夜番表を開く。


「一晩目は、ミラの夜薬です。明け方に咳が出るので、二度温めます」


寝台の奥で、ミラが毛布から少し顔を出した。


「冷たい薬でも、飲めます」


「飲ませません」


私はすぐに言った。


怒ったつもりはなかったのに、声が硬くなった。


ミラが驚いた顔をする。私は息を整えて、紙に書き直した。


――一晩目。夜薬二度温め。対象、ミラ。到達条件、明け方に温かいまま喉へ届くこと。


「冷たい薬を飲ませるかどうかではありません。温かい薬として処方されたものを、誰の晩餐会が冷たくしてよいのかを書かなければいけません」


ミラは少し黙って、それから小さくうなずいた。


「じゃあ、私の名前を書いてください」


「書きます」


私はミラの名を、晩餐会の大釜の下ではなく、冬火一晩目の欄へ書いた。


レナードが、薪棚の本数を数えていた。


「二晩目は、明朝粥か」


「はい」


院長先生が答える。


「夜明け前に戻ってくる荷運び人がいます。雨で腹を冷やした者も、薬だけでは持ちません。粥の湯が必要です」


トマが、木の椀を三つ抱えてきた。


「二晩目は、粥鍋を洗う湯もいります。冷たい水だけだと、脂が残って次の薬湯が苦くなります」


私はトマを見た。


「それも二晩目へ入れましょう」


「手伝いの仕事でも、入りますか」


「入ります」


私は紙を少しトマの方へ寄せた。


「あなたが洗う湯がなければ、次の人の薬が苦くなります。手伝いではなく、薬が届く条件です」


トマの耳が赤くなった。


彼は急いで、薬匙を拭く布を畳み直した。


――二晩目。明朝粥用の湯、粥椀洗浄、薬匙洗浄。対象、夜明け帰院者三名、薬棚使用者全員。到達条件、粥が温かく、次の薬に前の匂いが残らないこと。


王宮書記の筆が止まった。


「リディア様。三晩目は」


私は薪棚を見た。


一番下の段に、まだ割っていない太い薪が二本ある。真冬なら、それだけで安心できる量ではない。


「薬棚です」


トマがすぐにうなずく。


「棚板を温めて拭かないと、湿気で粉薬が固まります」


院長先生が補う。


「包帯を煮る湯も三晩目に入ります。切り傷の患者が続くと、そこを削れません」


私は書いた。


――三晩目。薬棚乾燥、包帯煮沸、夜番の手洗い湯。対象、名前未定の急患を含む。到達条件、棚が乾き、包帯が清潔で、夜番が冷えた手で処置しないこと。


名前未定、と書いたところで、王宮書記が顔を上げた。


「まだ来ていない患者の分も、明細に入れるのですか」


「入れます」


私は母の写しを指さした。


「冬火は、今いる人だけのものではありません。まだ咳をしていない人、まだ怪我をしていない人、明け方まで自分がここへ来ると知らない人の分も、残しておく火です」


未使用ではない。


予約分だ。


そう言うと、ミラが毛布の中で、前にも聞いた言葉だという顔で笑った。


「夜明けまで閉じない火、ですね」


「はい」


私は青い札をもう一枚出した。


――晩餐会用大釜一基。北門冬火三晩分の代替未確認につき、移送保留。


レナードが低く息を吐いた。


「伯爵家は、この大釜を晩餐会成功の証として扱うだろう。君が保留すれば、また『名誉を邪魔した』と言う」


「名誉を邪魔したのではありません」


私は大釜、という二文字の横へ、三晩分の名を書き足した。


ミラ。


夜明け帰院者三名。


薬棚使用者全員。


名前未定の急患。


「誰の火を消して持っていくのか、まだ書かれていないのです」


そのとき、入口の戸が叩かれた。


夜番の看護人が、封の付いた小さな包みを持っている。


「王宮厨房監督官セレスティア様からです。至急、リディア様へと」


封を開くと、短い文と、王宮厨房の備品控えの写しが入っていた。


セレスティア様の字は、母の字とは違って硬い。けれど、余白の使い方だけは似ていた。


――ヴェルナー伯爵家より申請の晩餐会用大釜一基、王宮厨房備品としての再登録を保留。


――理由。北門施療院冬火三晩分の生活影響明細未添付。


王宮書記が、思わず肩の力を抜いた。


「監督官が、先に保留を」


「違います」


私は首を振った。


「先に母が書いていました。セレスティア様は、それを備品控えに戻してくださっただけです」


包みの底に、もう一枚、細い紙が残っていた。


王宮厨房の配送控えらしい。


そこには、父エルンストの印があった。


日付は、母が倒れる三日前。


品名欄には、晩餐会用大釜一基。


受領先欄には、伯爵家厨房ではなく、別の名が書かれている。


――北門臨時倉庫、処理済み。


私は、青い札を持つ手を止めた。


処理済み。


そのきれいな言葉の下で、三晩分の火は、誰の喉にも、誰の粥にも、誰の薬棚にも届いていなかったのかもしれない。


「次は」


私は配送控えを、生活影響明細の最後へ重ねた。


「この処理済みが、どこで冬火の到達を止めたのか確認します」

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