第28話 山腹
「オウム嘴」――チカ町の東側にそびえるこの小山は、高さこそ百メートルにも満たず、ロニクス南部の連なる山々の中に置けば、ほとんど目立たない“小粒”にすぎない。
それでも地元の人々が、この山だけに固有の名前を与えているのは理由がある。頭をもたげて立つオウムにそっくりな山の形と、その腹を縫うように伸びる石畳の山道が、双流城へと通じているからだ。
今、その“オウム”の腹にあたる中腹には、七、八人ほどの冒険者で構成された小隊が、密林を抜けて山道へ姿を現し、その場に足を止めていた。
レシオは首を反らし、水筒に残っていた最後の一口を一気に飲み干すと、空になったそれを無造作に隣の太った冒険者へ放り投げた。
受け取った男は、体を少し横に向けた拍子にひそかに口を尖らせたが、すぐさまそれを腰に提げ直し、振り返る頃には、もう顔いっぱいに媚びた笑みを浮かべている。
「旦那、ここまで来れば、もう安全ってことでしょうか?」
「どうした? 俺の判断が信用できねえのか?」
「いえいえ、とんでもない!」
太った冒険者は慌てて両手を振り、その作り笑いをさらに深くした。
しばし隊の中に沈黙が落ちたあと、若い方の冒険者がようやく我慢できなくなったように口を開いた。
「旦那……さっきの、あんなやり方で……あの住民たちは、どうなるんですか?」
レシオは鼻で笑った。
「なんだ、お前。今さら良心でも痛み出したのか?」
若い冒険者は口を開きかけたものの、最後まで言葉にはできなかった。だが、その顔を見れば、図星であることは誰にでも分かった。
「戻りたいなら今からでも戻ればいい。もしかしたら間に合うかもしれねえぞ。ゴブリンどもが人をどうやって食うのか、じっくり見物できるかもな」
レシオは顎で山下の方角をしゃくった。小隊の面々はその言葉を聞いたあと、誰も何も言わなかった。
何人かはうつむき、何人かは拳を握りしめ、また別の誰かは顔をそむける。
そのうちの一人が、くぐもった声でぽつりとこぼした。
「……あの中には、町で商売してる知り合いもいたんだ。飯を食わせてもらったこともある」
それを聞いたレシオは、露骨にうんざりした顔で彼らを見渡した。
「この世は結局、人が人を食って生きてるんだよ。まだそんなことも分かってねえのか? 飯を食わせてもらった? じゃあ、お前は金を払わず食ったのか? そんなわけねえだろ。結局は全部取引だ。それが分かってねえと、冒険者なんて商売じゃ長生きできねえぞ」
誰も答えなかった。
レシオも別に気にしていない。
彼はそのまま山の麓へと視線を向けた。重なり合う木々の枝葉が視界を遮ってはいるが、その下でどれほど凄惨な光景が広がっているか、想像するのは難しくなかった。
そして、その時ふと、ギルドで自分とすれ違ったあの若者のことを思い出した。片手で大剣を持ち上げ、自分に恥をかかせた黒髪の若造だ。自然と口元に冷たい笑みが浮かぶ。
少しばかり腕が立つからといって、あの人数を抱えたままゴブリンを食い止められると思ったのか。
甘い。
ああいう手合いは、所詮、愚かで可愛らしい英雄気取りにすぎない。
どうせ、そのうち限界を思い知るはずだ。
そうなれば最後には、自分と同じ選択をする。足手まといを切り捨て、自分だけが生き延びようとする。冒険者なんて、結局は皆そうだ。
そして、そいつもいずれこの山道へ上がってくる。
そう思った瞬間、レシオは急に、この場をすぐ離れるのが惜しくなった。
待ってみよう。
あの若者が、この道の先へたどり着いた時の顔を見たい。
信じていたものが砕け、勇気も尽き果てたあとに残る、怯えと怒りと、どうしようもない無力感に満ちた顔を。
その時になれば、心ゆくまで笑ってやれる。
俺より強い? あの剣を持ち上げられる? だから何だ。
最後は結局、俺と同じだろうが。みっともなく命惜しさに逃げ延びる、野良犬みたいな有様にな。
そう思えば思うほど、胸の奥が妙にすっとした。
口元の笑みは、ほとんど耳元まで裂けそうなほどに歪んでいく。
その時だった。
尻の下の地面が、かすかに震えた。
「馬の足音か?」
レシオははっと立ち上がり、山道の先を見た。
まさか双流城の援軍か。
白い影が一つ、山道の曲がり角から勢いよく飛び出してきた。
レシオは目を細めて相手を見極める。
その皮鎧の意匠は、どう見ても双流城の兵ではなく、チカ町巡回隊のものだった。
しかも、たった一騎。
奇妙なことに、その騎手は、こちらに人がいると分かっていながら速度を落とさない。むしろ馬の尻をさらに二、三度強く叩き、いっそう加速して一直線にこちらへ突っ込んできた。
この山道は広くない。
あれは明らかに、わざとだ。
レシオは反射的に道の端へ飛び退いた。
別に恐れたわけではない。巡回隊に危害を加えれば大罪になるくらいの理性はある。
だが何より――
自分に、あの突進を真正面から受け止められる自信がなかった。
たとえ“鉄”級の戦士でも、全力で駆ける軍馬の突進力を人間の体で受け止めるのは無理だ。
彼は半ば本能的に脇へ飛んだ。
馬は彼の脇を風のように駆け抜け、跳ね上がった小石が脛に当たって鋭く痛んだ。
その一瞬、彼は馬上の騎手の顔をはっきり見た。
少女だった。
灰白色の長い髪が風を切ってなびき、白い皮鎧がその凛とした姿を際立たせている。
彼女はレシオの横を通り過ぎる瞬間、わずかに顔を向けた。
その目に宿っていたのは、値踏みするような冷たさと、はっきりした怒り。
そして、ほんの少しの――哀れみだった。
馬蹄の音はあっという間に遠ざかり、白い影はそのまま山道の向こうへと消えていった。
レシオはしばらくその場で固まり、それから地面に向かって乱暴に唾を吐いた。
「戻れ、さっさと戻れ。あのガキと一緒に、そこでくたばっちまえ。英雄様同士、仲良くな」
低く吐き捨てたその声には、もう先ほどまでの愉快さはどこにも残っていなかった。
彼が振り返ると、隊の数人が呆然とした顔でこちらを見ていた。
その視線には、うまく言葉にできない色が混じっている。
「何見てやがる!」
レシオは苛立ちを隠しもせず怒鳴った。
「さっき言った通りだ。俺がここまで連れてきてやったんだから、一人あたり銀貨五十枚だ」
一団は黙ったまま立ち上がる。
誰も何も言わず、それぞれが重い手つきで財布に手を伸ばした。
レシオは一人ずつの前を回り、半ばひったくるように銀貨を受け取っていく。
だが一人分の金を受け取り、次の相手へ向かうたびに、背中に突き刺さるような視線を感じた。
それはまるで、赤く焼けた鉄を押し当てられているように、じりじりと肌を焼くような不快感だった。




