堪りに堪った
年が明けた事で、国中で新年を祝う宴が至る所で開かれていた。
揚州丹陽郡宛陵県。
その県は丹陽郡の郡治を行う県であった。
郡を治める太守である孫翊も宴に招かれていた。
郡内に暮らす富豪や名士達に呼ばれては、断る事は出来なかった。
孫翊としては気持ち良く酒が飲めないので、行きたくないと思うのだが、兄が目付けとして付けた朱治が参加する様にと強く言われているので、適当な理由をつけて逃げる事が出来なかった。
新年を迎えて、酒を飲んでいるのに全く楽しいという思いがしない孫翊。
逆に不満が溜まっていったが、そんな時に家臣の辺洪から家臣一同集めて新年を祝うのはどうでしょうかと声を掛けられた。
家臣達が居る場であれば、どんなに酒を飲んで醜態を晒しても問題にはならないと思った孫翊。
だが、直ぐにその場に朱治も居るのではと思ったが、辺洪は首を振った。
「先程、朱治殿は呉郡にいる代官達から宴に参加して欲しいという文が届いたので呉郡に向かうと聞きました。ですので、暫くは戻らないでしょう」
孫翊が丹陽郡の太守になる二年前に朱治は呉郡太守になっていたが、孫権が弟の孫翊の後見をして欲しかった為、呉郡には代官が派遣されて統治されていた。
「おおっ、そうか。それならばよいか」
口うるさい目付が居ない事が分かった孫翊は、これで酒を存分に飲めると喜んでいた。
そんな孫翊を見た辺洪は暗い笑みを浮かべていたが、誰も気づかなかった。
数日後。
宴が開かれる日となった。
孫翊は気分が良いのか、笑みを浮かべていた。
其処に妻の徐氏が来た。
「旦那様。今日もお出かけですか?」
「うむ。家臣達と共に酒を飲もうと思ってな」
孫翊がそう述べるのを聞いた徐氏は顔色を変えた。
「・・・宴ですか? その席には朱君理様も参加するのですか?」
「いや、あやつは呉郡で開かれている宴に参加する為、少し前に発ったから居ないぞ」
「旦那様。今日は参加するのは止めた方が良いと思います」
「何故だ?」
「先程、占いで良くない卦が出ましたので、今日は出席を見合わせた方が良いと思います」
徐氏は参加しない様に引き留めたが、孫翊は聞き入れなかった。
「家臣達とより親しくなる為の席だぞ。わたしが参加しなければ、意味がなかろう」
「そうかもしれません。ですが、今日ばかりは止めましょう」
「ははは、お前の占いが良く当たる事は知っているが、だからと言って主人と部下との交流を妨げるべきではないだろう」
「その通りではありますが・・・」
「なに、わたしも一端の武将。どんなに酔っていても自分の身ぐらい守る事は出来る」
徐氏がどれだけ言っても聞かない孫翊は宴が行われる場所へと向かった。
孫翊は宴が行われる場所に着いたが、居たのは辺洪と嬀覧と戴員の三人しかいなかった。
「他の者達はどうした?」
「まだ来ておりません。皆、年を明けたという事で、酒を飲みすぎて酔いが取れていないかも知れません」
「ふん。困ったものだ。先に始めても構わんな?」
「はい。酒はたっぷりと用意しましたので」
「そうか」
話す事を終えた孫翊はそのまま宴が行われる部屋へと向かった。
孫翊を見送ると、残った辺洪達は話し合った。
「如何に孫翊と言えど、酔い潰れるまで飲まして、後から襲えば間違いなく首を取れるだろう」
「最早計画はなったも同然だな」
「うむ。それで、あの話は本当なのであろうな?」
辺洪は確認する様に嬀覧達に訊ねた。
「無論だ。お主が孫翊を討った後は、何処かの山に隠れてほとぼりが冷めた頃に、わたし達が迎えに行き、劉表様に仕える様に取り図ろう」
「この策も劉表様が立てた策だ。それを実行したお主を切り捨てるような事はせんよ」
「そ、そうか。それならば良い」
二人の話を聞いた辺洪は安堵して、孫翊が居る部屋へと向かった。
「・・・・・・愚かな奴だ。自分が利用されているとも知らずに」
「日頃から鬱憤が溜まっていたからか、我らの話に直ぐに乗って来たな」
「孫翊も哀れな事よ。自分の家臣に裏切られるとは」
「まぁ、日頃から部下の扱いが悪かったから、こうなったとも言えるがな」
「違いないな」
嬀覧達は話を終えると、孫翊達が居る部屋へと向かった。
数刻後。
一向に他の家臣達が来ないのだが、酔いが回っている孫翊は全く気にしていなかった。
側に立て掛けている剣も辺洪が奪っていた。
「殿。少し酔い過ぎです、少々風に当たり、酔いを醒ました方が良いのでは?」
「そうです。他の方々もまだ来ていないのですから」
「なぁに~、あやつらは、まだきておらんのか、けしからんな~」
顔を赤くしながら息を吐く孫翊。
「まぁ、そう怒らずに。皆が来る前に酔い潰れては楽しみが半減します。殿、庭に出て風に当たりましょう。わたしがお供しますので」
「お~、そうか、では、たのむ・・・」
孫翊は辺洪と共に庭に出る為に、部屋を後にした。
部屋を出て廊下を少し歩く孫翊。その後ろには辺洪が一人だけ控えていた。
辺洪は周りに誰も居ない事を確認すると、孫翊から奪った剣を抜いて、背中に向けて振り下ろした。
「ぐあああっ、き、きさまっ」
背中に痛みを感じたので肩越しに振り返った孫翊の目には、血塗られた剣を持つ辺洪が映っていた。
「ははは、良いざまだな。孫翊。日頃の恨み、今ここで晴らしてくれるっ」
「ぎゃああああっっっ」
辺洪は剣を振りかぶり、孫翊の背中に切り裂いた。
余程恨みがあったのか、何度も執拗に振り下ろし続け、辺りを血で染めていた。
辺洪の気が済んだ頃には、自分の身体を真っ赤に染め床には血の池を作っていた。
池の中心にいる孫翊は事切れているのか、ピクリとも動かなかった。
孫翊が死んだ事を確認すると、辺洪は何処かに逃亡した。
その後、
嬀覧達が孫翊の遺体を発見した。
他の家臣達に報告すると共に、姿が見えなくなった辺洪を探したが見つからなかった。
孫翊が殺された事と、辺洪が姿を消した事から、孫翊を殺したのは辺洪だと断定された。
報告を受けた妻の徐氏は義理の兄である孫権に報告をし、葬儀の準備をする中、夫を殺した下手人である辺洪に賞金を掛けた。




