信用に罅が入る
劉表に呼び出された劉備は護衛の兵だけ連れて、襄陽に向かった。
襄陽に着き劉表の下に着くと、三男の劉脩を許昌に送る事になったので、豫洲の領地に入るまでの警備を頼んだ。
劉備はその頼みを了承した。
それで話が終わると、劉表は劉備に酒の相手をしてくれと頼んだ。
お酌をする侍女もおらず、宅に酒が入った瓶が置かれ劉備と劉表が差し向かいで交互に盃に注いで飲んでいた。
酒を飲みながら雑談を興じていた。暗くなるまで飲んでいた為、劉備は新野に帰らず客舎に泊まる事にした。
夕方の食事を終えて、腹がくちくなった劉備。
この後どうしようかと考えている所に、使用人が部屋に入って来た。
「申し上げます。伊籍様が果物をお届けに参りました」
「伊籍殿が?」
夕食を食べ終えた所なので、丁度良い所に果物が来たと喜んでいた。
使用人が果物が入った籠を卓に置き一礼して部屋を出て行くと、劉備は果物に手を伸ばした。
「うむ。流石は荊州。果物一つでもこれだけ美味いとは・・・むっ」
手に取った果物に齧りつき味わっていると、劉備は籠の底に封された文が入っている事に気付いた。
劉備はその封を破き中に入っている文を広げて一読すると、顔色を変えた。
そして、密かに護衛の兵と共に客舎を後にした。
劉備が客舎を後にした数刻後。
蔡瑁が率いた兵で客舎を囲んだ。
「将軍。客舎を取り囲みました」
「良し。掛かれ」
蔡瑁の号令に従い、兵達は客舎に侵入した。
出来るだけ声を挙げずに客舎に殺到する兵達。
だが、その部屋を探しても劉備の影も形も無かった。
「申し上げます。劉皇叔の姿は何処にもありません」
「なに? 逃げられたか」
勘が良い奴と思いながら蔡瑁はならばとばかりに客舎の中に入って行った。
そして、劉備が使っていた部屋に向かった。
部屋に入ると、兵に筆と墨を用意する様に命じた。
少しすると、兵が硯と筆を持って来た。
蔡瑁は筆を取り、壁に何かを書いて行った。
書き終えると、兵達に引き上げを命じた。
蔡瑁が兵と共に客舎を出て行くのを、物陰から伊籍は見ていた。
劉備の姿も無い事から、安堵の息を漏らしその場を後にした。
蔡瑁が客舎で何をしているのか確かめる事はしなかった。
翌日。
劉表は劉備が何時になっても帰る挨拶に来ない事を不審に思っていた。
何か有ったのかと思っている所に、蔡瑁が部屋に駆け込んで来た。
「殿っ、御話ししたい事があります」
「うん? 何事じゃ?」
劉表は何か有ったのかと訊ねたが、蔡瑁は答えなかった。
周りをチラリと見た後「詳しい御話は客舎で致します」と述べた。
この場で答えず、客舎で話すと言われて劉表は不審が拭えなかったが、此処では話せないと分かったので客舎へと向かう事にした。
馬車を出して客舎へと向かった。
少し走らせると、馬車が客舎の前に着いたので、劉表は降りると蔡瑁の案内で客舎に入って行った。
そして、劉備が使っていた部屋に入ると、蔡瑁が壁を指差した。
「ご覧ください。この詩を」
蔡瑁がそう言って指差された所に見る劉表。
数年 いたずらに困を守り
空しく対す 旧き山川
蛟竜はこれ池中の物ならんや
臥して風雷を聴き雷に乗り 天に上らんと欲す
壁にそう書かれているのを見て劉表は顔を蒼白にしていた。
「何時まで経っても劉皇叔が挨拶に来ませんでしたので、気になり客舎に来た所、皇叔はおりませんでした。この客舎を管理している主人の話では明け方になると何処かに行ったそうです。わたしは何故居なくなったのか気になり、部屋に入ってみた所、壁にこの様な詩が書かれておりました。この詩はあまりに穏やかとは言えない内容でしたので、殿を此処までお呼びした次第です」
蔡瑁が此処まで案内した理由を述べた。
それを聞いた劉表は無言で全身を震わせていた。
劉表の様子を見て、これは怒っていると思った蔡瑁は訊ねた。
「どうなさいますか?」
「・・・・・・詩など戯れに書く事もある。これは劉備が本心で書いたかどうか分からん」
劉表は蔡瑁が新野に兵を進めようとしているのを察して、様子を見ようとした。
だが、蔡瑁は更に言葉を続けた。
「殿。何を躊躇っているのです。こんな詩を書いている時点で劉備の腹の内は読めます。この荊州を手に入れようしているのですぞ」
「そうかも知れんが。これは本当に皇叔が書いた物なのか?」
劉表の疑問に、蔡瑁は頷きそしてこう述べた。
「この部屋を使っていたのは劉備です。ですので、劉備が書いたに違いありません。それに劉備は前にこう漏らしたのを聞いております」
「何? それは本当か?」
「はい。あれは、去年の襄陽で宴を開いた日の事です。劉備が厠から出た後、護衛で義理の弟の張飛に『戦場に居た頃は、常に馬の鞍から離れずにいたが、太腿の肉は引き締まっていたが、いまはあまり乗ることがない為か、太腿の裏にぜい肉がついていたぞ。月日は流れていくかのように、私は老いているのに、何の功績も上げられず、食客のままだ。もし、わたしに治める土地が狭く、貧しくとも国があれば、相応する兵があれば、曹操どころか天下に数多いる梟雄を蹴散らす事が出来るものを』と申しておりました。あの時は酒を飲んでいたので、酔っ払いの繰り言だと思い聞き流しておりましたが、この詩を読んでわたしは劉備の腹の内が分かりました。あいつはこの荊州を奪う心算なのです」
「ぬうう・・・・・・」
壁に書かれている詩を読み蔡瑁の話を聞いた為か、劉表は劉備に対して疑念を抱きはじめた。
だが、その場で決める事はせず「もう少し様子を見よう」と述べた劉表は壁に書かれている詩を腰に佩いている剣でけずりその場を後にした。
その後、去年の襄陽で宴を開いた日で劉備が厠に立った時に、蔡瑁が話した事を聞いた者が居るのかどうか調べた。
結果、何人かの重臣が酔った劉備が「貧しくとも国があれば、相応する兵力があれば、誰であろうと負けはしない」と呟いているのを聞いたと述べた。
皆酔った上での繰り言だと思い真剣に受け取る者は居なかった。
その話を聞いて、劉表は更に劉備に対して強く疑念を抱き始めた。
劉表が劉備に対して警戒しだしたと蔡夫人から聞いた蔡瑁はほくそ笑んだ。
実は酔った劉備が繰り言を述べたというのは嘘であった。
他の重臣達にも、劉備が宴の席でこう述べていたと言うようにと根回していたのだ。
重臣達は蔡瑁と争いたくないからか、その願いを聞き入れた。
(これで、殿の中で劉備に対する信頼は消えたであろうな)
これも曹操が届けた文に書かれている通りにした甲斐があったと思う蔡瑁。
後は徐々に劉備を陥れるかだなと思いつつ、次はどうするか考えていた。




