此処はお任せを
孫権は見張り台の上から、陣の外から見える旗を凝視した。
どれだけ見ても、見間違いなどではなかった。
曹。楽。薛。
その三つの旗が、鼠一匹すら逃がす事が出来ない程に陣営を取り囲んでいた。
「・・・・・・完全に包囲されたな」
孫権は低く呟いた。
その声は焦りもあるが、状況を正確に受け止める冷静さも宿っていた。
其処に呂蒙が見張り台の梯子を駆けあがってくる。
「殿! 外側の包囲、すでに輪が閉じております! 数は三千から四千、恐らく楽進と薛悌の軍勢!」
「分かっている。内側は張遼の八百に、外側の包囲。見事な連携よ」
孫権は張遼達の連携の巧みさに称える事しか出来なかった。
(張遼が円陣を組んだのは、時間稼ぎであったか。その間に外側の包囲を完成させるためだったのか・・・)
孫権が歯噛みしていると、呂蒙は悔しげに拳を握りしめた。
「殿。・・・・・・張遼は、最初からこの形を狙っていたようです」
「だろうな。敵ながら見事としか言えん」
孫権は深く息を吐いた。
その間、孫権軍の兵たちはざわついていた。
陣営の外から喊声が聞こえるので、何事かと思い兵の何人かが見に行った。
「おいっ、まずいぞっ。敵軍がこの陣営を包囲してやがるっ」
「何だって!」
「じゃあ、俺達は逃げる事も出来ないのか?」
自分たちが包囲されているという恐怖が兵達に伝播していく。
兵達が怯え腰になるのを、孫権は見張り台の上から見下ろした。
(ここで対応を誤れば、我が軍が全滅する。だが、包囲を突破するには、ただの突撃では足りぬ)
孫権は呂蒙に向き直った。
「呂蒙。包囲を破る策はあるか」
問われた呂蒙は一瞬だけ目を閉じ、すぐに答えた。
「・・・・・・一つだけございます」
「どのような手だ?」
「包囲されている我らがこの状況から逃げるとすれば、包囲の一角を一点突破するしかありません。ですが、その為には全軍を集結させる必要があります。張遼がその隙を見逃すとは思えません。ですので、張遼の部隊に当たる部隊を残し、残りの軍勢で外側の包囲の一角を突き破ります」
「なるほど・・・・・・だが、それは将兵を囮にするという事だな」
「はい。そうなります」
呂蒙が答えるのを聞いて、孫権は目を細めた。
「兵と家臣の命を犠牲にして生き残れと?」」
「殿。包囲を破らねば、我が軍は壊滅します。どうか。ご決断を」
呂蒙が深く頭を下げた。
視線を呂蒙から外し、孫権は見張り台から包囲の輪を見渡した。
外側の包囲は厚いように見えるが、一点突破すれば開けられるかもしれなかった。
(ここでわたしが死ねば、孫家は滅亡する。ならば、取るべき手は一つしかないっ)
孫権は覚悟を決めると、静かに呟いた。
「・・・・・・呂蒙。すぐに此処に凌統と蒋欽を呼ぶのだ」
「はっ!」
呂蒙は返事をして、直ぐにその場を離れた。
程なく、呂蒙は凌統と蒋欽を連れてきた。
「ここに来てもらい済まぬな」
「いえ、問題ありません」
「殿。我らを此処に集めたのは何故ですか?」
凌統が尋ねると、孫権は少しだけ言葉を詰まらせた後、呼び出した訳を話した。
「済まぬが。この場に居る三人の内誰かが兵と共にこの場に残り、張遼の相手をしてくれ」
孫権は感情を消した声でそう命じた。
既に敵軍の包囲の輪が完成し、内側には張遼率いる部隊がいる。
この場に残るという事は、間違いなく死ぬ事が簡単に想像できた。
呂蒙達は暫し返事を躊躇った。
だが、直ぐに凌統が口を開いた。
「殿。此処はわたしにお任せください」
「凌統・・・・・・」
名乗り出た凌統を見た孫権はその手を取った。
「お主の忠誠心には感謝しかない。いや、お主の父である凌操も兄亡き後にわたしに良く仕えてくれた忠臣であった。その父の敵を取る機会を作れぬ不甲斐ない主を許してくれ」
「何を言うのです。孫策様と殿にお仕えする事が出来て父も喜んでいると思います。それにこの戦場を生き残って敵を討つ機会を作れば問題ありません」
「・・・・・・そうか。そうだな」
凌統が笑顔でそう言うのを聞いて孫権は頷く事しか出来なかった。
此処で涙を流せば、凌統の思いを無下にするのと同じだからだ。
「・・・・・・では、皆頼んだぞ」
「「「はっ」」」
孫権の命に呂蒙達は声を上げて応じるのであった。




