孫権が残った理由
張遼達が行動している頃。
孫権軍の陣営にある天幕の一つ。
其処に孫権の姿があった。
天幕の中には座る為の床几の他に、卓が置かれている。
卓上には合肥周辺の地図が描かれており、孫権は地図に目を落としていた。
「そろそろ、最初に出した部隊は濡須水に到達しているであろうな」
孫権は先遣隊に出した部隊が陣営を出た日数を数え、予想を立てた。
「はい。殿の申す通りだと思います」
傍に居た呂蒙が頷きながらそう答えた。
その返事を聞いて、孫権は静かに息を吐いた。
「しかし、張遼の奇襲で思わぬ被害が出るとは思いもしなかったぞ」
孫権は困った顔をしつつ言うと、呂蒙と同意とばかりに頷いていた。
先の張遼が奇襲した際、孫権は魯粛に促されたとはいえ、本陣を脱出してしまった。
多くの将兵を残して。
大将である以上、生き残らねばならない立場である以上、危機的状況になれば将兵を残して逃げるのも仕方がないと言えた。
結果的に言えば、孫権が討たれる事無く生き延びた事で軍は瓦解する事無く、合肥を包囲する事が出来た。
だが、どんなに良い事だと分かっていても、人間である以上納得する事は出来ない事もあった。
此度の孫権の行いで、部将達というよりも兵達が孫権に対して疑念を抱くようになった。
撤退の指示を出さず我先に逃げ出した事で、失望したと言っても過言ではなかった。
兵の士気も上がらないのを見て、これでは誰を殿を任せても兵達が戦う事無く逃亡するかもしれない。そうなれば、全軍の瓦解も考えられた。
其処まで考えた孫権は自分も殿として残る事に決めた。
総大将が殿として残るのであれば、兵達も先の戦で失った信望も回復すると考えられたからだ。
魯粛は大反対するのだが、孫権は聞き入れず強引に残る事にした。
そして、魯粛には先に濡須水に赴き、陣地を構築するように命じるのであった。
その命を聞いた魯粛は不承不承ながら応じて、濡須水に赴いた。
こうして、孫権が殿と共に残った。
それが功を奏したのか、兵達の士気を取り戻していった。
「殿が殿に残られた判断は正しかったと存じます。現に殿に残っている者達の士気は上がっているのですから」
「そうであればよい。後は折を見て、我らも濡須水へ向かうだけだな」
「はい。もう雨も止みましたので、我らが動けば敵は容赦なく追撃を仕掛けてくるでしょう」
「ふむ。敵将は張遼と言ったな。侮れぬ男よ」
呂蒙と話していた孫権は自軍の本陣に奇襲を仕掛けてきた武将の名を思い出し、背筋を振るわせていた。
「先の戦では、敵に良いようにやられましたが。今度はそうはいかせまんので、どうかご安心を」
「頼むぞ。呂蒙」
呂蒙が胸を叩きながら言うので、孫権はその言葉に頼る事にした。
その後、呂蒙は孫権と共に何時頃陣営を後に知るか話し合った後、天幕を後にした。
天幕を出ると、空が曇り始めている事に気づいた。
「・・・・・・また雨が降るかもしれんな。此処は警戒を強くするように命を出すか」
呂蒙がそう決めている頃、孫権達はまだ知らなかった。
合肥城の張遼達がすでに“孫権が殿にいる”という情報を掴み、動き始めていることを。




