一応用事はあったんだな
低頭平身で謝り続けた事が良かったのか、丁薔の説教は四半時ほどで終わった。
説教が終わると曹昂は用意されている部屋に入り、席に座ると天井を仰ぎ見ていた。
「・・・・・・」
曹昂は重い息を吐きながら、気持ちの整理をしていた。
そんな曹昂を見て疲れていると思ったのか、愛犬の哮天が近づいてきて身体を寄せて来た。
毛を撫でろとばかりに押し付けてくるので、曹昂はその好意に甘えて撫でる事にした。
「・・・・・・ああ、癒されるな」
哮天の毛を撫でていると、曹昂の荒れていた気持ちがスーッと無くなって行った。
これが、アニマルセラピーというやつなのだろうと思いつつ、毛を撫でていた。
「・・・・・・教えたわたしが悪いからな。誰を恨む事も出来ない」
曹洪に脱衣舞を教えた自分が悪いので、曹昂は溜息を吐くしか出来なかった。
その後、暫くの間哮天の毛を撫でてその毛並みを堪能していた。
翌日。
曹操からの使者が来て、丞相府に来るように伝えられた。
今度は何だ?と思いつつ、曹昂は護衛の趙雲達を連れて丞相府に向かった。
屋敷を出て丞相府に着くと、すんなりと中に通されそのまま曹操が居る部屋に通された。
部屋には曹操の他に誰も居なかった。部屋に通された曹昂は上座に座る曹操に一礼する。
「父上。今日は何用でお呼びに?」
曹昂は内心で、また何か面白い催しを考えろと言うのかなと思っていたが、予想とは全く違っていた。
「お前を鄴まで呼んだのは、他でもない。儂はそろそろ九錫を授かりたいと思うのだが、お前はどう思う?」
曹操の問いを聞いて、曹昂は目を剥いていた。
その反応を見た曹操も驚いているのだと分かり、顎髭を撫でた。
「・・・・・・驚きました」
「そうであろうな」
「今の話を聞くまで、てっきり、義母上の説教を受けさせる為に呼んだんだと思っていました」
「馬鹿者⁉」
曹昂が別の意味で驚いていると分かり、曹操は怒声を発した。
「失礼しました。つまり、父上は簒奪をするつもりなのですね」
曹昂が尋ねると、曹操は顔を顰めた。
「簒奪ではない。天子に禅譲をさせるつもりなだけだ」
曹操はそう言うが、曹昂は内心で大して変わらないだろうと思っていた。
曹昂からすると、どちらも君主の地位を武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要させる事に変わりないと思っている為だ。
「最早天下の殆どは父上の支配下に入っております。残る勢力も滅ぼすか従わせればいいだけです。ですので、九錫を授かっても良いと思います」
曹昂はそう言うと、曹操は満足そうに頷いていた。
この九錫とは、皇帝より臣下に下賜された、九種類の最高の恩賞の事だ。
前漢の時代の時に王莽に下賜された『九命の錫』が原型となっていると言われている。
この九錫は天子にのみ使用が許されたものであり、これらの使用を有徳の諸侯に許可することで恩賞とし、この恩典は天子である皇帝に準ずるもとされ、実質的に天子と同格の存在になるという事だ。
九錫は以下のような物を使う事が許される。
一。大輅(天子と同じ車)と戎輅(天子が戦の時に乗る車)とそれを曳く馬として黄馬《黄褐色または明るい茶色の毛色を持つ馬》を八匹。
二。天子のみが着用を許された紫衣を纏う権利。
三。天子直属の精鋭護衛兵である虎賁兵を付与される権利。
四。皇帝の行幸の様に随伴させながら、雅楽を演奏させながら移動できる権利。
五。自らの従者を介して皇帝に直接謁見できる権利。
六。朱漆で塗った大門を持つ邸宅を構える権利
七。独自の軍備を持つ権利。
八。軍の指揮権を握る権利。
九。祭祀用の香り高い酒を持つ権利。
以上の九つの下賜される。
一の権利は天子と同じ威儀を示す乗り物の使用する事が出来る。
二の権利は色彩が権威の象徴だった時代における最高の栄誉を与えられるという事となる。
三の権利は権臣に付されたものだ。
四の権利は音楽は権威の顕示だった事から、雅楽を演奏させながら移動できるのは天子のみ認められていた。
五の権利は天子に会う際には、礼儀作法に則らなければならないのだが、それを省き特別に謁見できる。
六の権利は赤い色は皇帝の色の為、使用には特別な許可が必要だが、それを省いて好きに使う事が出来る。
七の権利は正確に言えば彤弓《赤く塗った弓。天子が大功のあった諸侯に与える物などを与えられる。これは礼記』「王制」には「弓矢を与えれば戦争を遂行できる」と記され、乱を鎮圧し征伐する独自の軍事行動の権限を意味していた。
八の権利は金斧と銀斧をを与えられる。これは『礼記』「王制」に「鈇鉞を与えれば殺すことができる」と記されており、反乱鎮圧や刑罰執行の最高権限を持つ事を意味していた。
九の権利は祭祀は天子だけが祭祀用の香り高い酒を用いて行う。この権利は天子じゃなくても祭祀用の香り高い酒を用いて祭祀を行う事が出来るという事を意味している。
最初の六つの権利は儀礼的な威儀の象徴だが、七、八、九の権利が揃ったとき、受章者は政治・軍事・宗教のすべての権威を手にする事となる。
だから、九錫を授かるという簒奪の前段階という事に繋がるのであった。
「家臣の皆は何と申しているのですか?」
「今の所、反対している者はおらん。許昌の方は分からんがな」
「・・・・・・荀彧殿が反対すると思います」
曹昂がそう言うと、曹操は首を傾げた。
「何故だ? あやつは儂がもっとも信頼する腹心だぞ」
「漢王朝にも忠義を尽くしている御方ですから、それに天子の舅である伏完は友人と聞いております。荀彧殿は友人を困らせる事はしないと思います」
「ぬぅ、だが最早漢王朝は死に体ぞ。その様な王朝に仕えても意味が無かろう」
「お気持ちは分かります。まずは荀彧殿の反応を見てからでも、遅くないと思います」
曹昂がそう言うので、曹操もそれが良いと思ったのか頷くのであった。




