探偵少女と幽霊マンション(7)
夕闇の帰り道、俺と麻滝は二人並んで歩いている。危惧していたように、俺たち以外に人影はない。
嫌々ながらも、探偵倶楽部に顔を出した甲斐があったってものだ。
ずっと、俺と麻滝は黙って歩いている。
別に珍しいことじゃあない。麻滝は沈黙を埋めるような会話をしようとはしないタイプだ。
沈黙を気まずく思うタイプは、むしろ俺だ。人と距離をとっている癖に、いざ人と一緒になると、沈黙が気になって仕方がない。
「今日、調査行かなくてよかったのか?」
だから、沈黙に耐え切れず、俺から話しかける。
「もう一日待つさ」
返事はあっさりとしたものだ。
「そんな悠長なことでいいのか? その間に、木崎って奴に危害が加えられていたらどうする?」
むしろ関係ないはずの俺の方が心配になってしまっている。
何だ、この状況?
「ミイラ取りがミイラになっては意味がないからね。私としても、万全な状況で望みたい」
焦った俺とは対照的に、麻滝は冷静だ。冷静で簡潔、そして正しい。
「万全って、明日になったら、何が変わってるんだ?」
「簡単だ」
麻滝は口の右端を歪めるようにして、ニヒルな笑顔を作る。
幼い少女が背伸びして大人ぶっているような顔。
「君の彼女の怒りが冷める」
俺は行かないって言ってるのに。
黙って、俺は肩をすくめる。
「君は私を助けてくれるよ、間違いない」
麻滝は断言する。
その自信に満ちた言い方に、俺は麻滝と初めて会った時のことを思い出す。
彩文高校に入学して一ヶ月も経っていない頃のことだ。
俺は高校の廊下を歩いていた。周りに人はあまりいない。
行く先を塞ぐように、長身の女が立ちはだかった。
「やあ」
俺はその声に目だけで返礼した。なるべく関わりたくないからだ。
友達のいない俺でもその女のことは耳にしていた。有名人だ。麻滝撫子。探偵少女。
「私は君のことを知っている」
麻滝はいきなりそう言った。
俺のことを知って、興味を持って話しかけてきたんだろう。それは予想できた。
「ああ、そうか」
だから、そうとしか答えられなかった。
「噂の真偽を知りたいなら、それは本当だ。だから、俺に関わらない方がいい」
続けて、ぼそぼそと喋った。
多々良真一に女が関わると、その夜、女の亡霊に襲われる。
その噂はもう学園中に広まっていた。
最初は怖いもの見たさだったり面白半分に俺に声をかけてきていた奴らも、全員がリルカの洗礼を受けてもう顔も合わせなくなっていた。
「知っているよ。その女の幽霊というのが岡上リルカだというのも知っている」
きっと、リルカと俺の共通の友人――いや、元友人にでも訊いたんだろう。
「体験してみたくなったのか? 好奇心旺盛だな。心配しなくても、俺とこれだけ喋れば、今夜リルカがお前のところに行く」
喋るのが面倒になって、会話を断ち切ろうと少し脅すようにして言った。
「いや、別に体験したいわけじゃあない。幽霊は苦手だしね」
麻滝は一切動揺しなかった。
「――信じてないのか?」
戸惑った。
一体、目の前の少女がどんなスタンス、目的で自分に話しかけてきたのか分からなくなったからだ。
「さてね。少なくとも、誰かが人為的に噂を広めたのではないことは調べた。君自身も含めてね。もしも、故人を貶めるようなこんな噂を作った人間がいたとしたら、私の右ストレートでぶちのめすところだ」
ボクシングの構えをした麻滝には、妙な迫力があった。
喧嘩しても勝てないだろうな、とぼんやりと思った。
「――じゃあ、俺に何の用だ?」
話を切り上げるのを諦めて、俺はともかく話を進めることにした。
「君に協力して欲しいことがあるんだ――幽霊だか妖怪だか知らないが、人とは思えないような何かに悩まされていてね」
「なんだそりゃ」
思っても見なかった話の展開に俺は呆れた。そんな話をしてきたのは麻滝が初めてだった。
「事件の調査をしていて、妙なものと出会ってね。そういう超現実的なものは私の趣味ではないんだが、調査を途中で止めるのはハードボイルドではない」
「おい、勝手に話を進めるな」
つらつらとこっちの戸惑いを酌むことなく麻滝が語るので、俺は突っ込んだ。
だが止まらない。
「だから、事態に対応できそうな協力者が欲しいんだ。それもただのマニアじゃなくて『本物』の。私の知る限り、協力を頼めて、なおかつ一番『本物』の可能性が高いのは君だ」
ぴしり、と美しく長い人差し指で麻滝は俺を指した。
「俺は霊能力者じゃあない。よしてくれ」
霊能力者がいるなら、俺が頼りたいくらいなんだ。
俺は内心思った。
「失礼極まりない頼みだとは承知している。ただ、この事件は人の命がかかっている。いや」
そこで一度首を傾げてから、
「少なくとも私はそう信じている。私も手段を選んでられないんだ。事件が解決したら、私を罵ってくれていい。殴ってくれてもいい。君の要望にはできる限り答えよう。だから、頼む」
人の目もあるというのに、麻滝はその長身を折って頭を深々と下げた。
その様子は真剣そのもので、幽霊憑きと噂されている俺をからかう素振りは微塵も感じられなかった。
「どうか、力を貸してくれ」
重ねて麻滝が言った。
「分かった」
考えるより先に口から答えが出ていた。
「分かったから、頭を上げてくれ」
その言葉に麻滝は頭を上げて、目を丸くした。
しばらく黙った後、
「君は優しいな」
と、さっきまでとは違う柔らかい口調で言った。
「ん?」
「正直なところ、ここで怒鳴られ罵倒されて、下手したら殴られて、それからがスタートだと思っていた」
「ふん。人の目が気になっただけだ。それに、俺に協力を頼むかどうかはもう一日よく考えてくれ」
実際にリルカに追い詰められれば、目の前の少女の意見も変わると思っていた。
「了解した。ところでこれは、全くの親切心から言うのだけれどね」
麻滝は少し微笑んだ。
「何だよ?」
「君は女の子の頼みを断れないタイプみたいだから、それで後々困ると思うよ。間違いない」
自信ありげに麻滝は言った。
その日は会話だけ交わして別れた。
夜、俺は悪夢で飛び起きた。やはり、女の子との、それも麻滝のような美人との接触は気に入らなかったらしかった。
翌朝、校門の前に立っている麻滝と会った。
「やあ、待っていたよ」
と麻滝は言った。
二日連続で話しかけてくる人間なんて、ましてや俺を待つ人間なんて初めてだった。
麻滝の態度は昨日と変わっていなかった。
夜にリルカを見た女の子の誰もが、青白い顔をして俺を恐れるようになるのと比べて、あまりにも違いすぎた。
「昨日、女の幽霊がお前のとこに出なかったか?」
あまりにも麻滝の態度が不思議でそう訊くと、
「ああ、会ったよ。やはり、幽霊は苦手だ」
麻滝は何でもないように答えて、
「で、それはそうと、協力してくれるかい?」
その日からずっと、麻滝の俺に対するスタンスは変わっていない。
俺と麻滝はコンビニの近くの十字路で別れる。
ここをまっすぐ進めば俺の家。左に曲がってしばらく道なりに歩けば、麻滝の家がある高級住宅地に着くはずだ。はず、というのは俺が麻滝の家を見たことがないからだ。彼女から聞いた伝聞だ。
「では、また明日」
針金でも背中に入っているかのように背筋を伸ばして、麻滝は別れの挨拶をする。
「ああ。言っとくけど、明日になったからって俺は協力する気はないからな」
一応、念を押しておく。無駄だとは分かっているが。こんなことで、麻滝が諦めるわけがない。
ふと、ひょっとしたら自分に言い聞かせているんじゃあないか、という気がする。自分の気が変わらないように。
「大体、俺には探偵の真似事なんて無理だ。何の知識もテクニックもない」
ダメ押しとばかりに付け加えると、
「じゃあ、ここでひとつテクニックを教えよう」
と意外な方向に話が転がる。
「ん、何? どんなテクニックだ」
悔しいが、多少興味はある。
探偵のテクニックだ。そりゃあ、男なら興味があるのは仕方ない。
「これは、そうだな、失踪した人間を捜す時などに使えるテクニックだ」
「ほう」
それっぽい。期待が高まる。
「どこを捜しても、どこに行ったのか手がかりがない。そういう時はだな、まずはメモ帳や手帳を見つけるんだ」
「当たり前だろ」
「最後まで聞きたまえ。しかし、そのメモ帳や手帳にもやはり手がかりがない。そういう場合のテクニックだ」
「ほう」
「用意するものは鉛筆だけ」
それを聞いて、嫌な予感がする。
「……まさか、その鉛筆で手帳やらメモ帳をこするっていうんじゃないだろうな」
「素晴らしい、正解だ。そうすることによって、手帳やメモ帳の、前のページに書かれていた文字が浮かび上がるわけだ。手帳、メモ帳の重要なページが破り取られていた場合に有効なテクニックだな」
「俺が子どもの頃に読んだ『たんていのひみつ100』とかに載ってたテクニックだぞ。使ったことあるのか?」
「まだ、使うシチュエーションに出くわしていない」
だろうな。
少年探偵団の世界だ。
「ベタ中のベタなテクニックを教えてくれありがとう。何度も言うけど、協力はしないからな」
俺の言葉に麻滝はにやりと笑い、片手をひらひらと振って去っていく。
「……ふん」
さて、ここはコンビニがあるからある程度安全だ。問題はここから自宅までのおよそ百メートル。あまり人が通る道ではないし、近くに店もない。既に時刻は六時半を回っており、辺りは薄暗い。
麻滝に家までついてきてくれ、と頼んだ方がよかったかもしれないが、それはさすがに恥ずかしいし、そこまでべったりだとリルカが更に怒る可能性もある。
最悪、俺と麻滝が二人まとめて襲われるかもしれない。
コンビニの光を見ながら、大きく深呼吸する。心を落ち着ける。無理だ、落ち着かない。落ち着くまで待っているとそのうち真っ暗になってしまうので、覚悟を決める。
「よし、行くぞ」
自分を奮い立たせるように、呟く。
走る。
十字路の角を曲がると、コンビニの光が見えなくなる。とたんに、周囲の薄闇が粘度を増す。背中に風穴が空いたみたいに、寒くてたまらない。どこからか視線を感じる。
リルカが俺を見ている。俺を追い詰めようと、見張っている。
焦りながらも自宅に到着する。玄関に明かりはない。どうやら両親はまだ帰っていないようだ。
予想していたとはいえ、悪い展開だ。
玄関のドアノブを回す。開かない。
当たり前だ、両親が帰ってないんだから鍵がかかっているに決まってる。
どうやら俺は相当焦っている。
ひたり、と。
背後から足音が聞こえる。
「……真一」
か細い声で、名前が呼ばれている。振り返らない。というか振り返ることができない。
焦りながらも、背後に顔を向けないようにしながらポストを探る。
あった、鍵だ。
ひたり、と気配が近寄ってくる。
俺は鍵穴に家の鍵を突っ込もうとするが、焦っているせいか全然入っていかない。くそ。
ひたり、とまた足音。
もう、俺の背中に手の届くほど近く、すぐそこにリルカがいる。
それが分かる。分かってしまう。
「真一」
耳元で声。
鍵は入った。回す。鍵が開いた。ドアを開けて飛び込む。
と、同時に玄関の電灯を点ける。リルカの気配がほんの少しだけ少し遠ざかる。
そのまま後ろを向くことなく進み、家中にあるドアというドアを開けていく。
ここで注意すべきは中途半端に開けず必ず全開にすること。中途半端に開けて隙間を作ってしまえば、逆にそこからリルカに覗かれる可能性がある。経験上、隙間は『怖いもの』を生む。
全ての部屋の蛍光灯を点ける。とにかく明るくする。
ようやく、リルカの気配が完全に薄れていく。
「やれやれ」
少しだけ落ち着く。
俺は自分の部屋に向かう。
目当ては、そこに置いてあるMDラジカセだ。あまりも古い型で、俺が事故に遭うまでは押入れで埃をかぶっていたのをサルベージしたものだ。
そのラジカセには常時決まったMDがセットされている。
俺が小学校の頃に、色々な特撮番組やアニメの主題歌を録音したものだ。これもラジカセと一緒に押入れからサルベージした。
そのMDを大音量で再生する。
野太い声でラジカセが歌いだす。
格好いいような悪いような歌詞と妙にチープなメロディ。
俺が昔好きだった戦隊モノの特撮の主題歌だ。このラジカセに入っている曲はこの曲に限らず、どれも幽霊が出る雰囲気から遠い曲だ。だからこれを大音量で流し続ける。
これら一連の作業は、俺が退院してから1ヶ月の間で試行錯誤の末に編み出した、家で一人ですごしてもリルカに遭わない方法だ。
ちなみに両親はそんな俺の行動を見て事故のショックでおかしくなったと思っている。ある意味間違ってはいないが。
「しかし……焦った……」
呟く。
こんなにリルカのことで焦るのは久しぶりだ。
ということはつまり、女の子と話すのがそれだけ久しぶりだったってことだ。
逆に言えば、今日は多々良真一にしてみれば珍しく充実した一日だったとも言える。




