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怨霊少女と何か(4)

 403号室へ向かう。


「そう言えば、ここで暴れたら化け物に目を付けられるらしいけど、犬飼は平気みたいだったな。対策済みとか言ってたけど」


 階段を上りながら言う。


「ふむ。確かにそんなことを言っていたな。マリアならともかく、犬飼君がオカルト的な現象への対策を用意できるとは考えにくいが」


 麻滝にも心当たりはないようだ。


 階段を一階から上っているうちに、足が重くなってくる。

 初め、単に疲れてきただけかと思っていたが、いくらなんでもおかしい。まるで水中にいるようだ。体を動かすのにも周りの空気がまとわりついてきて抵抗する。

 息も苦しい。息苦しさは、極度の緊張の後遺症だと思っていたが。


「……おい、麻滝」


 それだけ言うのにも体力を使う。

 喋ること自体が、こんなに疲れるとは。


「ああ」


 麻滝の声からも疲労がにじみ出ている。


「おかしいな、何か」


「ひょっとして、なんだが……俺たち、生気食われてないか?」


「ふむ」


 認めたくないのか、麻滝は眉を寄せて、


「多分、そうだろうな。荒事には参加してないとはいえ、我々も招かざる客に違いはない。どうやら、目を付けられたらしい」


 冗談じゃあない。

 必死で階段を上る。現在3階から4階へ。

 階段の途中に、舞白組らしき男が転がっている。顔色は死んでいるのと見間違えるほど白い。

 俺たちもこうなるのか。いやいや、ふざけるな。


 一階の犬飼に対策とやらを教えてもらえばよかった、と思うがもう遅い。

 今から一階まで戻れる気がしない。体は一歩歩くごとに重くなっていく。


 四階に着く。

 階段からすぐの廊下に、壁にもたれるようにして立っている男がいる。


「……陣内」


 隣の麻滝が呻く。


 陣内はもう既に意識がないようだ。顔色は青に近い白で、目を見開いて空中を睨みつけるようにしている。

 そんな状態にも関わらず、もたれながれとはいえ立っているのが信じられない。


「行くぞ」


 陣内に構っている余裕がない。

 俺は声を絞り出して、403号室まで進む。ノブを回す。回らない。鍵がかかっている。


「鍵か……どうする、かな……こんな状態では、ピッキングも……」


 麻滝は息をつくと、壁に寄りかかる。


「参った……」


 俺も、心が折れそうになる。途端に、体がこれまでの比じゃないくらいに重くなる。


 その時。


「麻滝、兄ちゃん」


 声。かすれているが、陣内の声だ。


 驚いて陣内の方を見ると、さっきまで空中を睨んでいた目が、俺と麻滝を捉えている。青白い顔ながら、確かに俺と麻滝に意識を向けている。


「受け取れ。悪いが頼むわ」


 何かを投げてくる。


 体がうまく動かずに俺はそれを受け取り損ねる。


 それが落ちて、甲高い金属音が響く。

 

 陣内は、それをすると力尽きたように地面に座り込む。


 落ちたものを見る。鍵束だ。

 そうか、マスターキーか何かか。舞白組はこのマンションの所有者側だ。こういうものを持っていてもおかしくない。


 最後の力を振り絞るようにして鍵束を拾い、適当にそのうちの鍵の一つを鍵穴に差し込む。回す。回らない。次。鍵穴に入らない。次。

 目がかすむ。手が震えてうまく鍵穴に鍵が入らない。入った。回す。がちり。回る。

 大きく安堵の息を吐く。


 ドアを開けて、転がるようにして部屋に入る。

 もう、立っているのもきつい。

 酸素が有毒になったみたいだ。


 続けて麻滝も入ってくる。俺と同じくらいつらいだろうに、無理やりに背筋を伸ばし、ゆっくりと歩いて入室してくる。


「なんだ、これは」


 部屋に入っての麻滝の第一声はそれだった。

 気持ちは分かる。声を出すのがつらいから何も喋っていないが、俺が口を開けたなら出るのは同じような言葉だろう。


 部屋の四方にランプが置かれ、幻想的な光で部屋の内部は照らされている。


 部屋の中央に、金属製の天秤が置かれている。天秤の片方には黒い液体の入ったビーカーが置かれており、もう片方には何も置かれていない。にも関わらず、その天秤は釣り合っている。その天秤を取り囲むようにして、赤い塗料で文字なのか記号なのか分からない模様が床に描かれている。その模様を更に取り囲むようにして黒い塗料で巨大な模様が描かれている。

 こちらの模様はさすがに俺でも知っている。六芒星、あるいはヘキサグラムと言う奴だ。


 これが、便利屋の言っていた『化け物を起こした』仕掛けか。

 あの男は、自分と手下のアジト以外に、化け物を起こす用に部屋をもうひとつ用意していたってことだ。


「これは、どうすればいいのか、分からないな……マリアなら、分かるかも、しれないが……」


 途切れ途切れ、必死に麻滝は言葉をつむぐ。


「こういう方面に詳しいのがいるのか? けど意味ないな。そこの『それ』は適当もいいとこだ。真っ当な魔術師が見たら激怒するようなシロモノだよ」


 かすれた麻滝の声とは対照的なしっかりとした声がする。


 俺と麻滝は驚いたが、機敏に動く体力もなくのろのろと振り返る。


 便利屋の古川が背後に立っている。


「お前」


 俺は声を出す。

 犬飼はどうした。だが、聞くのが怖くて聞けない。それにその元気も無い。


「あの小僧、とんでもない奴だな。まともに戦ったんじゃあ間違いなく勝てない」


「お前、目が……」


 ふらふらになりながらも麻滝は眼光鋭く古川を睨みつける。


「目? ああ……」


 便利屋は笑う。


「あの小僧に地面に叩きつけられて、コンタクトが取れたか」


 俺も気付く。

 便利屋の両目は、銀色に光っている。


「銀色の、目……」


 俺は呻く。

 それは、まるで。


「ああ。自己紹介しておくか。俺は便利屋。通称は、ベルカだ」


 ベルカ。あの嘘みたいな名前。本当だったのか。ただ、こいつ自身がそのベルカだったというだけで。


「あのとっさの嘘は、自分をモデルにしていたというわけだ」


 疲れた声で麻滝が言う。


 その声に、俺はおや、と思う。何だろうか、麻滝の声に違和感を抱く。

 言い方、声……何かおかしい。


「銀色の目……その、目も……オカルト的な何かかい?」


 もう限界なのか、麻滝はふらふらと体を揺らしている。


「さあな。俺の知る限りは、ただ銀色なだけだ。目立つだけでいいことなんてありゃあしない。霊すら見えない。この目は生まれつきだ。うちの3代前の当主に関係あるらしいが……」


 絶対的に優位に立っているという余裕からだろう、ベルカは薄笑いを浮かべたままでべらべらと喋り続ける。


「ほう……てっきり、その目を使って犬飼君を……どうにか、したのかと思っていた、が……」


 喋るのもつらいのか、言いながら麻滝は顔を歪める。


 まただ。また、麻滝を見ていると違和感がある。何だ。


「俺が使ったのはこれだ」


 ベルカの背中から、半透明の犬が現れる。いや、犬と言うよりも真っ白な狼と言った方が近い。


「何だ、それ……ペットか? あんまり、かわいく、ないな」


 憎まれ口を叩く。


「犬神だ。俺は犬神使いでな」


 奇妙なことに、今喋っているのはベルカではなく犬の方だ。

 犬から、ベルカの声がする。


「俺の犬神、普段は諜報活動にか使ってないんだけどな。不意打ちには効果的だ」


 犬が喋り、犬が顔を歪めて笑う。


「喉笛噛み切ったからな、多分、今頃は失血死しているはずだ」


「てめぇ……」


 低く唸るような声。

 誰だ、と思ってから自分がその声を出したことに気付く。

 何だ、どうしてこんなに怒っているんだ。犬飼とは別にそこまで親しかったわけでもないのに。俺は怒っている。怒り狂っている。犬飼を殺した、というこいつに。


「落ち着け……犬飼君はしぶとい。そう簡単には死なない」


 そう言っている麻滝が今にも死にそうな顔をして、壁に手をついてやっとのことで立っている。


 また違和感だ。そしてようやく違和感の正体が分かる。


 俺と比べて、麻滝はあまりにも異常なくらいに生気を食われている。

 俺は、麻滝みたいに立っているのもつらい状態じゃあない。


 あれ? というか、俺、さっきと比べて楽になってないか?


 いつの間にか、喋るのもつらい状態から、その気になれば少しなら走れる程度まで回復している。


 俺だけか? と横の麻滝に目をやろうとするのと、その麻滝が一気にベルカとの距離を詰めるのがほぼ同時だ。


 フェイントか、麻滝の奴。死にかけのフリとは、えげつない。


「お」


 何か言いかけたベルカの顎に、麻滝の右フックが綺麗に入る。


「ぐ」


 ベルカはたたらを踏む。

 が、同時に半透明の犬が麻滝に襲い掛かる。


「やめろっ」


 俺は無意識のうちにその犬目掛けて突進している。

 激突。世界が回る。何がどうなったのか分からない。立ち上がる。


 俺は部屋の中央まで来ていた。


 玄関の方に、ベルカと麻滝、そして犬神が揃っている。そして、何故か全員が動きを止めて、こっちを呆然と見ている。


「え、な、何だよ」


 立ち上がって気付いたが、体を覆っていた疲労感がほとんどなくなっている。もう、十分に動ける。

 

 よし、一緒にベルカと犬神を倒そう、と麻滝を見ても、麻滝は反応せず俺を見ている。


 何だ。


 俺は恐る恐る、自分の足元を見る。


 俺の足元では天秤が倒れ、ビーカーが転がり黒い液体が床に広がっていた。


「お前、何てことを……」


 怯えたようにベルカが言ってから、弾かれたように部屋から飛び出す。


「くそっ、逃げ切れるか……?」


 呻きながら犬も一緒に出て行く。


 俺と麻滝は顔を見合わせる。


 いやあ、厄介なのが消えた、助かったぞ。なんて、気持ちにはなれない。

 あのベルカの様子を見る限り、かなりまずいことになった気がする。


「……どうしよう」


 素直に気持ちを口に出すと、


「動かない方がいいんじゃないかな。とりあえず」


 麻滝の冷静な判断。


「だよな」


 俺の靴には床に広がった黒い液体がべったりとへばりついている。動いたらとんでもないことになるかもしれない。


「待っていてくれ。私がマリアを呼んでくる。もうマンションに来ているはずだ。さっきから、体の調子が良くなってきているだろう。マリアが何か対策をしているからだと思う」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 邪気を払ったり結界を張ったりとかは、あいつの得意分野だったな。


「じゃあ、早いこと頼――」


 背筋に、太い蛇が這うように冷気が伝わる。

 突然、さっきの何倍も体が重くなる。呼吸ができない。目眩がする。周りの景色が歪んでいるように見える。


「あ」


 片膝を突いていた。

 くらくらと揺れる。揺れているのが俺なのか世界なのかが分からない。


「どうした、大丈夫か?」


 いつになく慌てた麻滝の声。


 何とか麻滝の方を見ると、こちらに駆け寄ってこようとしている。麻滝は異常がないようだ。

 ということは、俺だけか。


「来るなっ!」


 怒鳴る。


 ぴたり、と麻滝は動きを止める。

 俺が怒鳴るなんて初めてだからか、驚いている。


「こっちに来るな。ミイラ取りがミイラになる」


 気が遠くなるのを、歯を食いしばって耐えながら一気に喋る。


「マリアを呼んできてくれ」


「……分かった」


 躊躇は一瞬で終わり、次の瞬間麻滝は部屋から駆け出す。


 さてと。


 俺はよろよろと部屋の中央から移動する。とりあえず、俺も部屋から出た方がいい……出られるなら。


 部屋の中央から玄関までの、数メートル。それが、辿り着けない。


 それでも一歩ずつ足を動かす。


 一歩。


 ずちゃり。


 一歩。


 ずちゃり。


 一歩。


「……」


 一歩、足を進めるごとに、俺の背後からも足音が聞こえる。気配も感じる。

 何かが俺の背中を見ている。

 それでも歩く。ずちゃり。一歩ごとに、その何かも俺に近付いているのを感じる。

 足がどんどんと重くなる。足元の黒い液体が粘りつくようにして、俺の足が動かなくなる。

 とうとう、足が止まる。


 息ができない。深海にいるみたいだ。喘ぐが、酸素が体に入ってこない。


 びちゃり。足音。

 何かが、俺の背後、すぐ傍に立っているのが分かる。


 このまま待っていても、ただ死ぬだけだ。誰に言われるまでもなく、体がそう教えてくれる。


 もう、やるしかない。覚悟を決める。


 振り返る。


 そこには、喪服のような黒っぽい和服姿の女が立っている。

 結い上げた髪も黒い。そして、髪と服装と対照的に、肌の色は白く、唇は紅い。


 美しい女だ。その女の切れ長の目は、俺ではなく何もない空間に視線を彷徨わせている。


「ら……る……らら……」


 女の唇からは、言葉にも歌にもなっていない、音としか言い様のないものが発せられている。


 女の白い手が、俺に向かって伸びる。


「く……そっ……」


 払いのけようとするが、手が上がらない。


 女の長い指が、俺の喉に食い込む。苦しさよりも先に、その冷たさに脳が凍る。


「るるら……らら……る」


 至近距離で俺は女の顔を見る。女の目を見る。

 笑い出したくなる。

 あの僧侶はこの女を単なる悪霊ではないと言った。便利屋のベルカは化け物だと言った。

 その言葉は正しい。

 この女の顔はどんな感情も表していない。この女の目は俺なんて捉えていない。まるで機械だ。近寄ったものを自動的に駆逐していく機械。

 ベルカはこの女が生気を食っていると言った。

 多分、それは違う。

 この女は何も食ってはいない。火の近くに水を置いておたら蒸発していくように、こいつの近くにいると勝手に生気がなくなっていくだけだ。


 ベルカの話から怨霊や妖怪のようなものを想像していた。

 こいつは違う。

 これは、その場にいるだけで周りを破滅させていく、ただそれだけのものだ。


 指。女の白い指から、冷気が体に侵入してくる。

 意思とは無関係に、俺の眼球がさっきからくるくる動いて定まらない。

 ダメだ。もたない。女の目。闇みたいな瞳。麻滝はまだか。マリア、倒せるのか、こいつ。 意識が薄れる。何がいけなかった。白くて長い指。冷たい。息。俺はもう死んでいるのかもしれない。体の感覚がない。

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