怨霊少女と何か(3)
「痛っ……」
意識を取り戻して、すぐに起き上がる。起き上がれる。
あれ? てっきり縛られていると思った。ここはどこで意識を失ってから何分たった?
周囲を確認する。
すぐにどこかは判明する。マンションの一室だ。
さっきメモ帳を拾った部屋とつくりは一緒だが、違う点が三つ。
ひとつ、あたりにコンビニのレジ袋といったゴミが転がっていない。
ふたつ、床に点けっぱなしで転がされている懐中電灯に照らされているため、部屋が少しは明るい。
みっつ、チンピラファッションの男が一人、転がっている。
転がっているガラの悪い男はさっきのスーツ姿の男よりも幾分若い。しかし、状態は同じだ。あらぬ方向を見て、ぶつぶつと何事か呟き続けている。
とにかく、体が縛られていないなら好都合だ。早くこの部屋から出よう。
「よお」
俺の考えを潰すように、トイレのドアが開き、便利屋が出てくる。
どうやら今までトイレ中だったようだ。期待持たせやがって。
「起きたか、探偵」
「探偵じゃない……あの、ここは?」
「ここ? ここは、マンションの一室だよ。俺が他人の名義でちゃんと借りておいた部屋だ。使うのは初めてだがな」
自然に古川は答える。
あのカップルのアジトにした部屋以外にも、もう一部屋もっていたってことか。
「……で、どうなってる?」
俺は体を沈め、最大限に警戒する。俺程度が警戒したってたかが知れているかもしれないが。
「どうなってるって、何が?」
意外な質問をされたとでも言うように、便利屋は目を丸くする。
「大体、どうなってるっていうのはこっちのセリフだ。お前は何だ。どうしてここにいる?」
「……人探しに」
正直に答える。
「ふうん。まあ、いい。じゃあ、お前は別に俺の邪魔はしないんだな」
「邪魔って……」
俺は困って、言葉を捜す。
「何の邪魔を?」
「それだよ」
便利屋は俺の横に倒れているチンピラ風の男を顎で示す。
「今、ここで起こっていることの邪魔だ」
「いや、だから……何が起こってるのかを知りたいんだが」
薄々とだが、何が起こっているのか予想はついている。
外れていて欲しかったが、現状を見る限り当たっているようだ。
「本当に、何も知らないのか」
便利屋が驚いた顔をする。
「舞白組潰しだよ」
「……やっぱり、か」
自然と、俺の口からそんな言葉が漏れる。
「ふん、お前、予想はついていたみたいだな。そうだ、俺が依頼されたのは舞白組を潰すことだ。特に若頭の陣内だな。あいつさえ潰せばどうにでもなるらしいし」
「どうやって潰すんだよ、組ひとつ丸々なんて」
一応疑問の形はとっているが、そう言いながらも俺は薄々と答えが分かっている。
「分かってる癖に俺に訊くなよ。性格悪いな。化け物の縄張りで暴れさせて、生気を食わせてるんだよ」
「化け物……」
マリアの師匠である僧侶の言葉を思い出す。この土地で鎮められた『何か』。
「いやいや、そんな馬鹿な」
「何が馬鹿な、だ」
「だって現実離れしてる」
自分のことを棚にあげて、そう言うので精いっぱいだ。
「そりゃそうだろう。俺は、元々は呪術師だからな。現実離れしているのが仕事だ」
呪術師。もう何でもありだな。
「やっぱり、あんた、舞白組を潰すために動いてたのか」
「ああ。元々は地道に呪っていこうかと思っていたんだが、面倒になってきてな。調べているうちに舞白組がやっている仕事に妙なマンションが関わってることを知ったわけだ。ここに変なモノが――単なる幽霊ってわけじゃあないな、化け物としか言い様がない、その化け物が住み着いていることが分かってからは、それを利用する方向で動いた」
そこで言葉を切って、便利屋はこちらの反応を探るような目を向けてくる。
「その顔色からして、ここまではお前も予想済みみたいだな。教えて欲しいんだが、お前はどうやってそこまで辿り着いた? 探偵だとか名乗るから、てっきりオカルトなんて信じないタイプだと思ってたんだが……」
便利屋は首をひねる。
幽霊を信じるか、と質問されたことを思い出す。
あれはカマをかけていたんだろう。俺たちが便利屋の計画に辿り着く可能性があるかどうか。
「最初に会った時から、お前たちが一体何なのかが分からなかった。結局、他に使えそうな奴がいなかったからお前たちを計画に組み込んだけど――ミスだったか」
声が苦々しいものになっていく。
「まさか、化け物を利用して極道の組を潰すなんて、そんな馬鹿げたことを予想できるとは思わなかった」
「そうだろうな」
俺だって、リルカという怨霊と日常から接していて、なおかつマリアの師匠の話でここにやばいものがいると知っていないと、この結論には辿り着かなかっただろう。
陣内が便利屋の目的が最後まで分からなかったのも当然といえる。
「ところで」
俺はこの状況を打破する方法を思いつかず、時間稼ぎのつもりで質問する。
「利用って、一体どうやってその化け物を利用するんだ? まさか、命令通りに動かす力でもあるのか?」
「まさか。半分眠ってた化け物を、このタイミングで――舞白組が入り込んでくるタイミングで起こしてやっただけだ。この化け物は騒がしいのが嫌いみたいでな――敵意を持って縄張りで暴れる奴らの生気を優先的に食らう」
「生気を食うって」
倒れている男を見る。男はずっと呟き続けている。
「この人、食われたってこと?」
「いや、正確には、今も食われている途中だな。全部食われたら死ぬから」
死ぬ。予想していたが、聞きたくなかった言葉だ。
俺は息を呑む。
「ま、化け物に殺されたなんて公式に発表されるわけはないから、ガス中毒だとか、そういう話になるんじゃないか? まあ、後始末はどうでもいい。俺は舞白組の連中の大半が死ねばいいんだよ、仕事だからな。で、お前は邪魔するか?」
「ああ」
気付いた時には返事をしていて、自分で驚く。
でも仕方がない。俺は怒っている。くすぶっていた怒りが、赤々と燃えている。
「何だ、邪魔するのか。まあ、邪魔しないならそもそもここに来ないか……じゃあ仕方ないな」
と言って、便利屋は近づいてくる。
え、殺されるの、マジかよ。
「ちなみに」
近づきつつ便利屋が言う。
「どうして邪魔をする? こんな奴らが死んだって、組が一つ潰れたって、別に関係ないだろ」
どうしてって、どうしてだろう。
恐怖で凍り付いているのに、頭はどこか冷静だ。便利屋の言葉を自分に問いかける。それはつまり、俺の怒りの正体だ。
リルカの顔が浮かぶ。トラックが突っ込んでくる直前、はにかんでいたリルカの顔。
「ま、いいか。別にどうでも」
答えが出ずに戸惑っているうちに、便利屋は俺の目の前まで近寄る。
やばい、死ぬ。殺される。
かたかたと音が鳴っている。俺の奥歯だ。勝手に体が震えて、歯が鳴っている。
怖い。死にたくない。
「よう」
声。
便利屋は凄い勢いで振り向く。
玄関のドアがいつの間にか開いている。足音もなく忍び込んだ誰かは、便利屋の背後に立っていた。
「リベンジマッチだ」
「お前……」
便利屋が目を見開く。
土足のまま、部屋に踏み込んでいるのは犬飼だ。
私服の犬飼が、顔に狼じみた笑みを浮かべつつ俺と便利屋に向かって歩く。
「どうしてここに?」
便利屋は俺に完全に背を向け、犬飼に対峙する。犬飼のことを相当警戒している。
「あ? ああ、このマンションには――」
歩みを止めず犬飼は世間話でもするように答えようとする。
「違う、この部屋のことだ。どうしてこの部屋が分かった?」
「ぎゃはっ、部屋番号なら、廊下で見覚えのあるバカップルがうろついてたからよ、シメて吐かせたんだよ」
あの男も気の毒に。踏んだり蹴ったりだな。
「あのバカが。考えずに命令にだけ従う手足が欲しかったからバカを選んだが――バカ過ぎるのも考えものだ」
便利屋が構える。ボクサーのようなスタイル。
「さっさと帰れってマンションの外に追い出しといたぜ」
「あいつには、この件が片付いた後、部屋の片付けと匿名での通報というバカでもできる役目がある。連れ戻さないといけないな」
「いいぜ。俺を倒した後、いくらでも連れ戻せよ」
既に、便利屋と犬飼はお互いに手の届く距離まで接近している。
俺は金縛りにあったように動けず、二人の動きを見ていることしかできない。
「ああ、それと忠告だが」
「あん?」
「このマンション内で暴れたら、ここに巣食う化け物に目を付けられるぞ。そこで倒れている極道みたいになる」
それは一瞬でも犬飼の視線を動かすための発言なのかもしれない。
だが、犬飼は倒れている男には全く目をやらずに、ただ便利屋だけを見据えて、
「心配するな、対策済みだ。それに――」
まだ喋っている犬飼に向かって、赤いスニーカーが踊る。
みぞおちへの蹴り。
だが、犬飼は反応せず、真っ直ぐ犬飼を見ている。口の両端を吊り上げた、獣じみた笑みを浮かべて。
まずい、犬飼に蹴りがヒットする。また、あの時みたいに負ける。助けないと。そう思うが体が動かない。
「え」
何が起こったのか、気が付いた時には、響くような音と共に便利屋の体は床に叩きつけられていた。
犬飼が腕を極めている。
「あっと、やり過ぎた、気絶したか」
そうして俺を見て、犬飼は笑みを大きくする。
「おい、ちょっと見てみろよ、こいつだ」
ようやく動くようになった体を使ってなんとか近づくと、犬飼が「こいつ」と言っているものが目に入ってくる。
犬飼に極められた腕、その腕には、黒い警棒のようなものが握られている。
「これは、警棒、か?」
「ちげーよ。これはスタンガンだ。これで前はやられたんだ、不意打ちだな」
スタンガン……けど、便利屋は確かに蹴りを使ったはずだ。
俺の不審げな顔に気付いてか、犬飼は得意げな顔で説明を始める。
「こいつ、どうしてこんな黒一色に靴だけ真っ赤なんて格好をしてると思う? 黒一色だと闇に紛れて見えにくくなるだろ。おまけに靴が真っ赤だったら、どうしたってそこに目が行く」
「じゃあ、蹴りも視線を誘導させるためのものか!」
不意打ち、と犬飼が繰り返し言っていたことを思い出す。このことか。
「こいつの必勝パターンなんだろうな。薄暗いとこで体を闇に溶かして、真っ赤な靴で蹴りのフェイント、そして同じく黒で闇に解けているスタンガンで攻撃。ま、タネが割れたら俺の敵じゃあねえよ……どうした?」
「え、何が?」
「顔色だよ。かなり悪いぜ」
「そりゃあ、さっきまで死ぬかと思ってたからね」
「じゃあ、あれだ、俺が天使に見えるだろ」
さっきまでの狼のような笑いとは違う、にやにやとした笑いを犬飼は浮かべる。
「どちらかと言えば地獄の番犬だろうね」
声と共に、もう一人部屋に入ってくる。
季節はずれのトレンチコートに長い髪。見間違えるはずもない。
「あ、麻滝?」
驚く。どうして麻滝がここに――というか、それを言うならそもそも犬飼だってどうしてここにいるんだ。
部屋番号はあいつをシメて吐かせたと言っていたが、それ以前にどうしてこのマンションに来ている?
「疑問があるようだね――とりあえず、この部屋を出よう。犬飼君、そこの便利屋が起きて動かないように見張りつつ服か何かで縛るなりなんなりしてくれ」
「はいよ」
犬飼を残し、俺と麻滝は部屋を出る。
廊下に出て、俺はさっきまで自分がいたのが105号室だと初めて知る。
緊張していたためか息苦しい。大きく深呼吸する。
「さて」
麻滝は言う。
「どこから話したものかな」
「どこって……あ、そうそう、マリアが捜してたぞ」
「知っているよ。さっき会った」
「さっき会った?」
どういうことだ? マリアもこのマンションに来てるのか?
「君は私と同じ考えだった」
唐突に麻滝が言う。
「は?」
「今日、部室で、君も辿り着いていたのだろう? 近いうちに舞白組がこのマンションに踏み込むことも、それをあの便利屋が誘導したことも」
「そのことか。やっぱり、お前もそういう考えだったわけね」
「ああ。マンションを標的と考えず、舞白組を標的として、そしてマンションを標的を仕留める為の罠として考えれば、構図ははっきりする。もっとも、どういう罠かまでは見当がつかなかったが」
「罠の見当がついてないのに乗り込んできたのか。無謀だな」
俺と一緒で、と内心付け加える。改めて考えれば、俺は相当に無茶をしている。
「誰のせいだと思っているんだ」
麻滝はバカにしたようにため息をつく。
「もっと慎重に行くつもりだったよ。このマンションの近くに、成島君の家がある。丘の上にある一軒家だ。このマンションがよく見える」
マリアがそんなことを言っていたと思い出す。
「ひょっとして、また成島に見張りさせたとか?」
「ご名答……と言いたいけど、それは正確じゃない。私も本当はそのつもりだったが、必要がなくなってね。あの部室での会合の後、すぐに陣内から成島君へ電話がかかってきたんだ。こちらから情報を引き出すための電話だよ。そして彼は、君のアドバイス通り包み隠さず、何も分かっていないことを教えたらしい」
俺そんなアドバイスしたっけ。全然覚えてない。
「そうしたら、陣内から、もうすぐ動くことを教えられたらしい。あの男からしたらサービスのつもりだったのかもね」
「嬉しくないサービスだな。成島から教えてもらって、それでこのマンションに乗り込んできたのか?」
俺の質問に麻滝は呆れ顔で首を横に振る。
「だから、君みたいに無謀なことをするわけがないだろう。さっきまで君島君の家からずっとこのマンションを監視していたんだ。用心棒として犬飼君も連れてね。彼、あの便利屋へのリベンジに燃えていたし」
「え、じゃあ、俺がマンションに入ったのも見てたのか?」
「ああ。双眼鏡で覗きながら、無謀な男だな、と感心していたよ」
ひどい。
「そもそも、君はこの件の解決に別に乗り気じゃなかったのに、どうしてこのマンションに乗り込んだんだい?」
「お前、部室で様子おかしかったし、マリアから電話で、お前と連絡つかないって聞いたからな。悪い予感がしたんだよ」
「ん……じゃあ、ひょっとして、私を心配して乗り込んだのかい?」
「そうだよ。舞白組とトラブったのかもって思ったんだ。悪かったな、無謀で」
てっきりバカにされるかと思っていたが、意外なことに麻滝は表情を柔らかくして、
「ありがとう」
「え、あ、おう」
率直に礼を言われると、正直照れる。
「まずいな……リルカが怒る」
照れ隠しのつもりで言ってみる。
「なに、たまには彼女を嫉妬させるのもマンネリ防止にはいいさ……にしても、なるほど、マリアから君に連絡がいったわけか」
「ああ。あいつ、お前に尾行はまかれるし電話とメール無視されるって言ってたけど」
「彼女にはちょっと悪いことをしたかな。そんなつもりはなかったんだが」
「いや、いい薬だろ。そろそろあいつにも麻滝離れしてもらわないと」
息苦しさが解消されず、俺はもう一度深呼吸する。
「その意見には賛成だが……本当に他意はないよ。誰だって尾行されてたら反抗したくなるだろう。電話とメールについても、ちょうどマンションに舞白組が乗り込んだところでね。何かあったらすぐに私も突入しようと思っていたから、手が離せなかったんだ」
「で、実際にその『何か』あったわけだ」
「まあね。舞白組のマンション突入から一時間もしないうちに君がマンションに入り、出てこず、そして今度はあの便利屋がマンションに入っていった。さすがに突入しないわけにはいかないだろう?」
だろう? って言われても、突入しない奴も結構いると思うけど。
とはいえ、俺が危ないと思って突入してくれたわけだ。それは純粋にありがたい。
「犬飼君と一緒にマンションに突入して今に至るわけだが……今度はこちらから質問だ。舞白組の組員が数人倒れているのを確認した。さっき便利屋も化け物がどうのこうの言っていた。一体、どういう状況か分かるかい?」
俺はこれまでマンションで怒ったこと、便利屋から聞いたことを自分の中で整理しながら説明する。
みるみるうちに、柔らかかった麻滝の表情が険しくなっていく。理由は分かっている。今回の事件がオカルト方面に傾いたから嫌がっている。
「む。そういうことならマリアに連絡するか。電話とメールも無視したままだった」
やれやれ、と麻滝は肩をすくめつつ携帯電話をいじる。
「マリアの師匠の話を聞いた時から、嫌な予感はしていたが、当たってしまったな」
「ところで、このまま待っていていいと思うか?」
「さて――あの便利屋の言うところの『化け物』が、どのくらいで生気を食い終わるのかなんて、知るわけがない。今のうちに、打てる手は打っておいた方がいいだろうね」
「なら、次に行く場所は決まっているわけだ」
「そうだね……よし、行こう」
メールを打ち終わったらしく、麻滝が歩き出す。
そこに何があるかは分からない、が。何かがあるのは間違いない。
403号室だ。




