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怨霊少女と何か(2)

 マンションの入り口に着いて、さっきまで門番の如く立っていた目つきの悪い男が消えていることに気付く。

 安心するよりもむしろ不安になる。マンション内で何か起こっているとしか思えない。


 耳を澄ましてみると、かすかに慌しい足音や怒声が反響して聞こえてくる。

 これ、本当にやばいんじゃないか。

 恐る恐る、マンションに足を踏み入れる。この前は、マンションに足を踏み入れた際は明らかに空気が変わったが、今回はよく分からない。現実的な恐怖の方が大きすぎる。極道の抗争に巻き込まれたりしないだろうな。


 見つからないように忍び込もう、と考えてすぐに思い直す。むしろ堂々としていた方がいい。別に俺が捜されているわけじゃあないし、このマンションの住民みたいな顔をして歩いていた方が怪しまれないだろう。


 狭い廊下を進み、まずは階段まで。

 一階には特に異常はなし。誰もいない。廊下に規則的にある蛍光灯はチカチカと点滅を繰り返している。


 階段。踊り場が薄暗くて一瞬上がるのを躊躇する。

 しかし、ここで立ち止まっていても仕方がない。

 ここまで来たら、さっさとマンションを出て家に帰るか、このまま突き進むかの二択だ。

 そして俺にはこのまま引き返して帰ることはできそうにない。

 怒りだ。くすぶっているいつもの怒りが、ここで帰ることを許してくれない。あの令嬢に殺された時に自覚した怒りが。


 二階。廊下を確認する。見た感じ異常なし。耳を澄ます。特にこの階では異常はない、と思う。

 そのまま三階に上がる。そこでフリーズする。


 階段近くの廊下に、何か粗大ゴミみたいなものが捨ててある。

いや、よく見るとそれはただのゴミじゃあない。ピクピク動いている。薄暗いからよく見えないが、気持ち悪いから近づきたくない。目を凝らしてみると、その微動している塊はどうやら二つあるようだ。


「え……何?」


 俺の問いかけに答えが返ってくるわけもない。


 ゆっくり、本当にゆっくり近づいていく。あれ、これ、ガムテープか? 何かが二つ、ガムテープでぐるぐる巻きにされてる?


「あっ、バカップル」


 思わず口にする。

 そこにある、というかいるのは、かつて俺とマリア監禁したヤンキーっぽい男女だ。

 その二人が、ガムテープで口を塞がれ体を巻かれ、廊下に転がされている。そして俺のことを助けてもらいたそうに見ている。


 うわ、どうしよう。


「ははは、どうもー」


 愛想笑いをしながら通り過ぎることに決める。

 拘束解いて俺が襲われる可能性もあるし、触らぬ神にたたりなしだ。

 しかし、狭い廊下に大人が二人転がっているわけだから通りにくい。どうしようか、またぐか。リルカ、女をまたいだって怒らないよな?


「むっ、むぅぅ」


「むっ、むっ」


 二人は唸り、俺を睨みながらばたばたと体を激しく動かしている。

 抗議のつもりだろう。どうやら俺が素通りしようとしていることに気が付いたらしい。勘のいい奴らだ。


 あ、そうだ。何が起こったかだけでも聞いておくか。

 俺は近づいて男の方の口の部分のガムテープだけはがす。

 ちなみに女の方にしなかったのはリルカを刺激しないためだ。


「てめぇ、早く解け!」


 いきなり怒鳴る。


「え、解いたら、また俺を襲ったりとかするんじゃあ……」


「しねぇよ、本当だ、頼む、助けてくれ!」


 切羽詰った声が出ている。


「ちなみに、何が起こったんですか?」


「いいから助けてくれ!」


「助けるんで、何が起こったんですか?」


 ここぞとばかりに優位な立場を利用する。

 大体、こいつにはいい印象なんてゼロだ。


「分かった! ああ、俺は、話す。俺、俺たちは古川さんの言う通り、部屋にいたんだ、この階の。そしたら、あいつらがうろつきだして、見つかって、ああっ、くそっ!」


 混乱しているのかべらべら喋る割によく分からない。


「あの、部屋って……」


「だからそこの部屋だよ、この階の! 古川さんからそこに住むように言われたんだ!」


 叫ぶ男。

 あまりにも混乱している男を見ているうちに、逆にこっちは冷静になってくる。


 部屋に住む。つまり、便利屋のパシリたるこの男女は、自分達の仕事――というか嫌がらせ、その標的であるマンションに住んでいたってことか。

 盲点と言えば盲点だが、なんて大胆というか大雑把な。

 しかし、確かにこのマンションは空き部屋だらけのはずだし、もはやセキュリティや管理もほとんど機能していない状況のはず。一室を勝手にアジトにするのは可能ではあるのか。そもそも、木崎だって一室を勝手に自分のものにしようとして事件に巻き込まれたくらいだ。


「古川さんも、このマンションに住んでるんですか?」


「知らないって! どいつもこいつも同じことばっかり聞きやがって!」


 あ、やっぱり舞白組からも同じこと質問されたんだな。

 しかし、便利屋の居場所とかは知らないのか。そんな気はしていたけど。


「いいから解いてくれ!」


「嫌です」


 そう言って男をまたぐ。


 男は何やら絶叫して、女の方も体をばたばたと動かす。


 無視して奥に進む。

 さっき、男が「そこの部屋だよ!」と叫びながら睨んでいた部屋のドアノブを掴む。

 お、開く。

 ドアを開ける。部屋の中は電気が着いていないので暗い。非常に暗い。手を伸ばして玄関にある電燈のスイッチを捜す。

 あった。点ける。いや、点かない。

 あ、電気通ってないのか。そりゃそうだ。あいつら勝手に住んでたんだから。


 どうしよう。と思っていたら月明かりと廊下の電灯に照らされて、玄関の片隅に懐中電灯らしきものを発見する。

 よしよし、と懐中電灯を拾ってスイッチを入れる。点いた。

 懐中電灯の灯りで部屋を探索する。とはいっても完全に中に入るのは怖いので、ドアを開けたまま玄関に立って、懐中電灯のライトだけを頼りに部屋を観察するだけだ。

 ロクなものがない。あるのは無数のコンビニのレジ袋と、弁当やペットボトル。あと、床はいくつもの足跡が入り乱れてるが、これは多分舞白組の連中が部屋をあさった後だろう。


 と、部屋の隅にメモ帳が一枚、無造作に落ちている。

 あれは。


 怖いのを我慢して、ダッシュでメモ帳をとってダッシュで玄関まで戻り、そのまま廊下に出る。

 助かった。部屋に誰もいなかった。安堵のため息をつく。


「おい、てめぇ、早く助けろや! ぶっ飛ばすぞ!」


 男が俺の姿を見て怒鳴るが、それを無視してメモ帳を確認すると、完全な白紙だ。

 しかし、落ち着いて考えれば、そりゃそうだ。重要なものだったら舞白組がそのまま部屋に置いておくわけがない。


「おっ」


 だが、俺が持っているメモ帳を見てか、これまでの怒声とは違う、息を呑むような声が聞こえる。

 男の方を見ると、さっきまで怒鳴っていた男は何故か唐突に黙り、口をもごもごさせている。

 怪しい。ワザとじゃあないかと思うくらい怪しい。


 このメモ帳に秘密が、と思ったがどこからどう見ても普通のメモ帳だ。ということは。


 麻滝に教えてもらった使いそうになかった探偵テクニックを思い出す。

 ポケットを探る。シャーペンがズボンのポケットに入っている。

 犬飼、やっぱりペンの準備はしておいて損はないぞ。ペンは剣よりも強しだ。

 シャーペンで、メモ帳をこする。本当は鉛筆がいいんだろうが、贅沢は言えない。これで、このメモ帳の、今あるメモ用紙の一枚前に書いてあった内容が浮かび出てくる。

 男は俺が何をしているのか分からないらしく、怪訝な顔をしてメモをこする俺を見ている。


 メモに浮かび上がったのは数字だ。三桁の数字が、縦に何列も並んでいる。俺は自分で考えるのが面倒になって、直接男に聞くことにする。


「あの」


「うるせえ! 解け!」


 男は元の吼えまくるだけの状態に戻っている。


「分かりました。解きます」嘘だけど。


「解きますんで、ちょっといいですか?」


「あ? 何だよ?」


「105、402、407、501、504……この数字って何ですか?」


「はっ、あっ、な、何で? 確かに燃やし――あっ、いや」


 男の顔色が青、赤、そしてまた青、白、そして赤と、めまぐるしく変わる。


「燃やし?」


「くそっ」


 不貞腐れたように男はそっぽを向く。


「教えてくださいよ。そしたら解きますから」


「……そのメモ帳、俺たちが古川さんの指示をメモするのに使ってた奴だよ。古川さんからの指示で、メモは使い終わったり覚えたりしたやつは燃すなりなんなりして処分しろって言われてたんだ」


 開き直ったようにべらべらと喋る。


「ふうん。じゃあ、これ、この数字は?」


「部屋番号だよ……今、住んでいる奴がいる部屋だ」


 逆に言うとそれ以外は空き部屋ってことか。本当にこのマンション、スカスカだったわけだ。


「で、どうして住民のいる部屋の部屋番号が必要だったんですか?」


「……」


 黙秘。けどこれは便利屋に義理立てして、じゃないだろう。さっきまでぺらぺら喋っていたぐらいだ。

 人に言えないようなことをするために部屋番号が必要だったんだろう。立ち退かせるための嫌がらせや幽霊騒ぎをしていたってことか。

 ただ、幽霊騒ぎは、おそらくこいつらの工作によるものだけではないだろうが。


「あれ?」


 並んでいる数字から少し離れて、メモ帳の隅の方にも数字が書かれている。403。ただし、その数字の横に大きくバツが書かれている。


「この403は? バツが書かれてる部屋番号。ここも住民がいるんですか?」


「ああ、そこか。そこは、古川さんが絶対に入るなって……」


 来た。これだ。絶対にその部屋が怪しい。


「いいから、おい、ほ、ほど、解け!」


 男が怒鳴る。さっきからずっと全力で叫んでいる。


 うるさいな、まったく。


 あれ、とふと不審に思う。

 さっきからこいつ凄い怒鳴ってるんだけど、誰も来ない。さっきから断続的に聞こえていた怒号や足音も聞こえない。

 どうした?


「そういえば」


 俺はここに来た目的を思い出す。


「学生って、今日ここに来ました? ここに来て、コート着たちょっとイタイ感じの女の子が怖い人に捕まっていたりとか」


「はぁ? いねえよ、そんな奴! いいから解けって!」


 とうとう絶叫する。


 そうか。じゃあ、麻滝がここに来てトラブったっていうのは俺の考え過ぎか。


 さすがにここまで色々と質問をしておいてそのままにしておくのは気が引けるので、


「じゃあ、ちょっとだけ」


 俺は男の手の部分のガムテープだけを、両手とシャープペンシル、そして渾身の力を駆使して破っていく。

 それだけの作業でも五分以上かかり、俺は息も絶え絶えとなる。


「ふう……じゃあ、これで……」


 よろよろと立ち上がる。


「おい、ちょっと待て! ちゃんと解け!」


「いや、あとは自分でやってもらわないと。時間かかるけどできるでしょ」


「ふざ――」


 どすん、という俺の背後の物音で男の言葉は途切れる。俺も動きを止めて、男と顔を見合わせる。

 振り向くのが怖い。が、振り向くしかない。

 

 ゆっくりと振り向くと、スーツ姿の男が階段のすぐ傍に転がっている。

 階段を転げ落ちてきたのか?

 もう一度顔を戻して、男と見詰め合う。男はさっきまでうるさかったのに、一転して黙って俺の顔を見つめ返す。

 え、俺が行けっていうことか? 

 横の女の方に顔を向けるが、女も静かになって、微動だにせずに俺を見ている。

 やっぱり、俺が行かないとだめか。


 仕方なしに、俺はそのスーツ姿の男に近づく。

 やだな、死んでないよな、この人。


「……うっ」


 スーツ姿の男の様子を近くで確認して、俺は声を漏らす。


 そのスーツ姿の男は見た目からして舞白組の組員らしい。別に死んではいない。それはよかったが、様子が明らかにおかしい。

 目を見開き、あらぬ方向を見たまま、動かない。いや、正確には口だけが動いている。何か呟き続けている。ただ、声は出ていない。呻き声が繰り返されているだけだ。


 なんだこれ、薬でも使われたのか?


 と、その時、かつり、かつりと、今度は階段を上ってくる足音が聞こえる。

 あれ、今度は下から? 全くどうしろって言うんだよ。

 だんだんと、諦めの方が強くなってくる。もう、どうにでもなれ。


「ん、お前か」


 呟いて、階段から姿を現したのは便利屋の古川だった。

 前に見た時と同じ、周囲の薄闇に溶け込むような上下そして手袋まで黒一色に、足元だけ真っ赤なスニーカーというファッションをしている。


 どう返事を返していいか分からないうちに、便利屋はするすると俺に近寄ってくる。異常な状態で倒れている舞白組の組員には目もくれない。


 なんだ、やばい。何か分からないが、これはまずい。


 身構える俺の耳に、


「古川さん、助かった! 早く助けてくださいよ!」


 男の声が響く。


 反射的に俺はそっちに眼をやってしまう。

 しまった。

 目を便利屋に戻そうとするよりも早く、便利屋の赤いスニーカーが視界の端で踊るように動くのが見える。衝撃。暗転。またかよ。

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