怨霊少女と何か(1)
夜。
夕食が終わり、俺は自室で時計を見ている。
もう普段なら寝る時間だが、寝付けない。
今日はできる限り女の子に近付かなかったので、リルカは怒っていないはずだ。だから悪夢も見ないし、闇や独りを恐れることもない。
それなのに、どうして眠れないのか。
気になっているからだ、と自問自答の結論がすぐに出る。
俺の予想した古川という便利屋の目論見。
それが体内に刺さった棘のように引っかかっている。
その棘は、俺の胸の奥で自己主張を続ける。それに刺激されて、自分でも意味不明な怒りが、胸の奥で激しくくすぶっている。もう燃え上がりそうだ。
「うーん……」
おもわず、一人で唸る。
俺の予想が当たっているならば、見過ごしてたはいけない気がする。
「見るだけ、見てみるか」
自分で踏ん切りをつけるように言って、ちょっと出かけることにする。
あの事故以来、リルカを恐れてこんな夜に出歩くことは滅多にない。
部屋を抜け出し、玄関でリビングで晩酌か何かしている両親に
「コンビニ行ってくる」
と声をかける。
「こんな夜中に……早く帰ってきなさいよ」
という心配そうな母親の声を背中に受けつつ家を抜け出す。
行き先は幽霊マンション。
マンションまでの道を真っ直ぐ進む。さっさと帰るつもりなので最短コースで行く。やがて遠くに幽霊マンションの姿がぼんやりとだが見えてくる。
相変わらず、いや夜だから一層、マンションの抱えている淀んだ空気は酷く、見ているだけで気分が悪くなってくる。
くそ、帰りたいな。
それでも歩く。
マンションに近づくにつれ、肩が重くなっていく。毛という毛が逆立つような違和感。全身がこれ以上近付くなと警告している。
マンションの姿がはっきりとしてくる。
夜見ると格別に不吉な印象だ。血を吸って固まった土くれを思わせる。
マンションの様子がはっきりと分かるにつれて、さっきからの嫌な雰囲気に別な要素が混じってくる。
何だ、どうした?
これまでがホラー的な雰囲気だったとしたら、サスペンス的、バイオレンス的雰囲気が混じる。
マンションからやたら足音がするし、入り口の前には目つきの悪い男が仁王立ちしている。
ああ、あれ、絶対、舞白組だ。
納得する。
もちろん立ち止まらない。
目つきの悪い男が俺を睨んでくるが、そ知らぬふりで通り過ぎる。
ここに彼らがいるということは、俺の予想が当たっている可能性は高い。とはいえ、これからどうすればいいのか思いつかない。
「麻滝に相談するかな」
口に出して呟いて、それが一番いい選択肢のように思える。
そうと決まれば、いったんマンションから距離をとろう。この先の十字路を右に回って大通りを抜けて更に右に曲がって、と頭の中で帰路を描きつつ歩いていると、
「おい、兄ちゃん」
声をかけられる。
つい先日聞いた声が聞こえたが、きっとこれは俺に対しての声じゃないだろう。そうだ、そうに違いない。
自己暗示をかけつつ足を進めようとする。汗は出てくるし動悸が激しい。まずい。
「よお、無視するなよ」
俺だよな、やっぱり。
諦めて足を止め、愛想笑いを顔に貼り付けつつ声の方に向く。
ジャージ姿の見覚えのある男が自動販売機の横、ブロック塀にもたれて立っている。
陣内だ。
「あ、ど、どーも、陣内さん。気付きませんでした」
へへへ、と笑う。焦っているのを誤魔化そうとするが、さっきから冷や汗が止まらない。
「兄ちゃん、確か麻滝の奴の知り合いだよな」
「そうですそうです。麻滝の知り合いです、あと成島とも。ははは」
意味なく笑ってしまう。
「成島……? ああ、あの色男か」
陣内はゆっくりと歩み寄ってくる。俺の体は金縛りにあったように動かない。
「兄ちゃん。どうした、そんな緊張して。別にとって食やぁしないぞ」
嘘だ、絶対食われる、というか食い殺される。
思ってはみるが口に出せるわけもないし、ここで逃げ出す勇気もない。俺には愛想笑いを続けるのが精一杯だ。
「まあ、ちょっと話そうぜ、兄ちゃん。コーヒーでもおごるわ。夜は冷えるだろ」
陣内が顎で自動販売機を示す。
「はあ」
了承してしまう。自分の意思の弱さがつくづく恨めしい。
ブロック塀に二人並んで、缶コーヒーをすする。
「どう思う?」
さりげない風に陣内が言う。
「え、あの、何が?」
「今の、この状況だよ」
とぼけても無駄だろうな、と判断して正直に話すことにする。
「あの便利屋の手の内でしょう、多分」
「だろうな」
忌々しげに首を振って、陣内は飲み終えた缶コーヒーの缶をゴミ箱に突っ込む。
この男も、気付いていたのか。
少し見直す。
「やっぱり、今、その……組員の方がマンションを探ってるわけですよね」
「そうだよ。仕方ねぇだろ。それが向こうの思う壺だとしても、ウチとしても面子ってのがあるからよ、ここで引けねぇよ」
そうだ。それこそが、あの便利屋の狙いだったとしたら。
「……いつから、あの便利屋の狙いがそこにあるって気付いたんですか? 成島呼び出すよりも前ですよね?」
今にして思えば、学生である成島をわざわざ呼び出してこちらに情報を与えるなんて方法を通常使うわけがない。
あれは、便利屋の思惑に気付いた陣内が、何とかして組を動かさずに済まそうとダメモトで行った苦肉の策だったに違いない。
「あの倉庫を張ってたウチの組員が引っ張られた時かな。あいつのせいでウチの組員がパクられたんだ、穏便に済ますわけにはいかねぇだろ」
忌々しげに陣内は舌打ち。
「借りを返そうにも、あいつに関する情報が少なすぎる。関係ありそうな場所っつったらこのマンションと港の倉庫くらいしか分からん。結局、倉庫がダメになったらマンションを張るしかねぇよ。いや、もう張るっていうより捜索だな。ウチの組が本気だってことを見せつけなきゃならねえ。内にも外にもな。じゃねぇとこの稼業はたちいかねぇ」
「面子で商売するっていうのも大変ですね」
あまりにも嫌そうに言うんで、思わず同情してしまう。
「はっ、まあ、どうしょうもねぇわな。で、そこまで考えた時に気付いたわけだ。要するに、これがあいつのしたかったことじゃねぇかってな」
「この状況があいつの目的ってことですか」
ここまでは俺の考えと一緒だ。しかし、その先も一緒かどうかは分からない。
「でも、何の為だと思ってるんです?」
自分の予想はあるが、何も分からない振りをして訊いてみる。
「知らねぇよ、そんなもん」
陣内が吐き捨てる。
だが、その目にはこの男にしては珍しく狡猾な光が宿っているように見える。
知ってる癖に、誰が俺の口から言うかよ。
そう、その目が語っているようにも思える。
「けど、他にあの便利屋のやっていることの説明がつかねぇ。極道のうろちょろしてるマンションにちょっかいだして、わけの分からねぇこと言って学生軟禁して、警察動かして倉庫張ってたウチのモンを引っ張らせて。全部、こういう状況を作る以外に意味がねぇだろ」
ちなみに最後の警察動かしたのは間接的には便利屋なんだろうけど、直接的には俺達だ。
もちろん言わない。言えるわけない。
「じゃあ、罠と分かっていながら飛び込む……みたいなこと、ですか、この状況は」
「俺も、相手の思惑も分からねぇし不気味だから止めようとはしたんだぜ、せめて遅らせようとかな。けど、上も下ももう限界だな。押さえつけられねぇ。まあ、気持ちは分かるけどな、ここまで面子潰されたんじゃあなあ」
と、陣内は身じろぎするとジャージのポケットに手を突っ込む。
チャカ的なものを取り出すのかと身構えるが、出てきたのは携帯電話だった。
「おう、どうした……ああ、そうか。よし、俺が行く」
電話を切ると陣内はマンションの方向に歩き出す。
「じゃあ、俺はもう行くからな。兄ちゃんもコーヒー飲み終わったら帰れよ。学生は家に帰る時間だぞ」
俺は言いながら遠ざかっていく陣内の背中を眺める。
言われなくたって、あんたと会わなかったらそのまま帰るつもりだったよ。
そうして家路を急ごうと一歩踏み出して、そのタイミングで、携帯電話が鳴る。
「あ?」
誰だ? 帰りが遅いから親が心配したかな?
が、取り出して確認すれば、電話の着信表示はマリアだった。
「マリア?」
なんだ、こんな時間に?
「――もしもし、どうし」
『お前、撫子様をどこにやった!』
俺が言い終わる前にマリアが怒鳴る。
あまりのうるささに、少し携帯電話を耳から遠ざける。
「はあ、どこって何が?」
意味不明だ。
『とぼけるな! 今日、部室でお前と撫子様、アイコンタクトをとっていただろうが! 逢引するつもりか!』
話通じないなこりゃ。確かに、部室での麻滝の態度はちょっと妙だったが。
「だから何の話だよ?」
『だから! 今日! 貴様と撫子様が怪しいと思って、撫子様を下校時からずっと尾行してたんだよ。そしたら撒かれた!』
ストーカーじゃないかこいつ。
それにしてもうるさい。ずっと叫びっぱなしだ。
『電話かけても繋がらないし、お前一緒にいるんだろう!』
「違うよ」
『何っ、じゃあ撫子さ』
今度はこっちがあいつが喋っているうちに電話を切る。
すぐにかけなおしてくるが無視。しばらく携帯電話は鳴りっ放しにさせておく。
それにしてもどういうことだ。
確かに、部室での麻滝の様子はおかしかった。こちらの思惑を読み取ろうとするような麻滝の視線。連絡が繋がらない麻滝。さっきの陣内にかかってきたマンションで何かが起こったような電話。
「うう、ん」
嫌な予感がする。物凄く嫌な予感がする。
ひょっとして、マンションで麻滝がトラブルに巻き込まれてる、とか。
ため息。
「……畜生」
うんざりして、陣内の去っていった方向を向く。
女の子の頼みごとで厄介なことになる、とは麻滝の弁だが、他ならない麻滝の頼みを聞いたせいで、こんなわけの分からない状況に巻き込まれてしまった。
悪いな、リルカ。
心の中で謝り、俺は踵を返す。
墓標のような幽霊マンションが見える。
俺は残り僅かなコーヒーを一気に飲み干してマンションへ向かう。
電話は、いつの間にか鳴り止んでいる。




