極道と退魔師(6)
ふと、全て投げ出してしまおうかと考えることがある。
例えば、一文字さんがせっかく喋りかけてきてくれたのに、リルカのことが気になってロクに対応できない時。それなのに、風の噂で一文字さんがその日の夜、血まみれの少女に這い寄られる夢を見たらしいと耳にした時。人から避けられているのを分かっていながら、リルカが怖くて一人になれない時。風呂で髪を洗っている時に後ろから何かが歩いてくる音が聞こえた時。
そして例えば、悪夢で飛び起きるとリルカが天井から逆さまに立っていて、死人の目でじっと見つめられた時。
つまり、今朝のことだ。
俺は慣れているはずなのに悲鳴を上げてしまい、その悲鳴を聞いた親は「またあの事故が作り出した悪夢に襲われているのか」と同情して(ある意味間違っていない)俺は強張った笑い顔で親を安心させようと努力しながら家を出た。
そして、こうやって登校する道すがら、俺は全て投げ出したくなる。
もう社会との関わりなんて考えず生きていけたら、それは自分にとって楽になる気がする。
結局のところ、俺がリルカのことをネガティブに捉えているのは、俺が中途半端にまともであろうとしているからだ。俺がまともじゃなくなったら、俺は幸せだしリルカも、まあ幸せなんじゃないだろうか。
誰とも喋らず関わらず。いつリルカにあの世に呼ばれても構わないくらいの心持で生きていけば。
ドロップアウト。
その誘惑はあの事故以来常に付きまとってきた。あんなショッキングな事故にあったんだ。別にドロップアウトしたって普通じゃないだろうか。
そう、言いわけは用意されている。
「やあ」
考えごとをしている時の俺の顔は、いつもよりまして近寄りがたいものになるらしい。
その俺の凶相をものともせず、麻滝はいつものように話しかけてくる。
「麻滝か。お前、マリアから話は聞いたか?」
「ああ、昨日、あの僧侶と会ったんだろう? 聞いたよ。マンションのある土地に『何か』が眠っているとかいう話だね。さて……あまり私としてはそういう話を真に受けて動きたくはないんだが」
「それならそれでいい。思うようにしろよ。俺は、もう関わらない」
「分かっているよ」
麻滝は意味ありげに俺に流し目をくれる。
「君は不平不満を言おうとも、女の子が頼めば最終的には手伝ってくれる」
「いや、今回こそもう関わらない。大体、お前は女の子ってガラじゃあない」
「ふふん、失礼な男だね」
俺たちは歩きながら話す。
昨日、あれほど色々あったのに麻滝の顔には疲れが見えない。
「元気だな」
思わずそうこぼすと、
「タフなんだよ。ハードボイルドに生きるにはタフでないと。君は疲れているみたいだな」
「もう、全部投げ出したくなったよ」
何故か、ふと本音が出てしまう。
「ほう。引きこもりでもするのかい?」
「ああ。もともと、今の状況を考えるにだな、引きこもらずにまともな学生として生活しようとする方が無理をしている気がしてきた」
「面白い意見だ」
言葉とは裏腹に麻滝はにこりともしない。
「だって、俺は人と親しくなれないんだぞ。見た目で敬遠されて、人とほとんど喋れない。敬遠しない相手にも、女とは極力喋らないようにしないといけない。」
「私も女だ、一応」
自分で一応と付けるあたり、ちょっと切なくなる。
「知ってるけど、お前はリルカのこと怖がらないだろ。あとは、そういう方面に耐性のあるマリア。今のところ、マトモに喋れる女はお前等二人だけだ。あと母親くらいか」
「親しい美少女が二人いれば十分だろう」
「自分で美少女ってお前……」
俺は呆れて二の句が継げない。
嘘ではないのがちょっと腹が立つ。
「それに男なら問題ないのだろう?」
「まあな。けど、大体の男は俺のこと敬遠するしな。俺から喋りかけるにも、男とだけ積極的に喋って、女が入ってきたらいきなり喋らなくなるなんて不自然だろ。俺が男好きだと思われたらどうする?」
「どうするんだい?」
「どうもしない。ただ、今以上に敬遠されるだけだ」
「いや、一部の男は寄ってくるだろう」
「逆に困るわ! 俺はノーマルだ」
「それはそれとしても、現に君は男とだって親しく喋っているだろう。成島に犬飼」
ここ最近の話だが、それは事実だ。
あいつらとは久しぶりに普通に話せた。安らいだもの確かだ。
「結局、俺って普通に話せるのは探偵倶楽部の連中だけか……」
「そうとも。だから君も入部したまえ」
そういうやりとりをしているうちに学校に着く。
「さて、では朝のホームルーム前に、幽霊マンションの件について情報を集めるかな」
「頑張ってくれ。俺はもう知らない」
部室に向かう麻滝と別れ、俺は教室に向かう。
教室に入る。誰も目を合わせない。いつものことなので何も感じない。
そのまま何事もなく時間は過ぎて、始業時間ぎりぎりになって麻滝が入ってくる。
妙に険しい顔をしている。俺と目が合うと肩をすくめる。
やがてホームルームが始まり、担任の矢口先生が入って来る。
昨日からの疲れがとれていないこともあって、ぼーっとしてしまい机の傷を数えながら矢口先生の話を半分聞き飛ばしてしまっていたが、「肝試し」という単語が聞こえてきて顔を上げる。
「肝試しで不法侵入だとか、家の人に連絡しないで外泊だとか、とにかくそういうことは絶対しないこと。大したことはないと本人は思っても、周りの人間は心配するんだからな」
ほぼ棒読みに担任教師はそう結んで話を終え、教室を出て行く。
何だ、何の話だ?
俺はもう関わらないつもりだったのに、気になって仕方がなくなって授業までの短い間を縫うように麻滝の席へと近づく。
周りの生徒は、俺がそんな行動に出たところを見たことがないからか目を丸くして見守っている。
「なあ、おい」
「ん? 何だい?」
麻滝の寄せられた眉はそのままだ。
深刻な表情をキープしている。悩んでいるようなその姿は麻滝によく似合っている、と場違いな感想を抱く。
「何かあったのか? さっきのホームルームの話、木崎のことだろ」
どうして、学校側が木崎の話をするのか。木崎が自発的にあの倉庫にこもっている、と知っている俺たちはさておき、客観的に見れば木崎の件は立派な失踪事件だ。学校側はもっと切羽詰るだろうし、おいそれとそのことについて生徒に話せるものでもない。
それに、さっきの話は、今後問題が起きないようにするための注意喚起の話のように聞こえた。
「さっき、部室に行ったら情報が入ってきた」
ふう、と麻滝は一息つく。
「帰ってきているそうだ、行方不明になっていた例の学生が」
「木崎が? あー……ひょっとして、昨日のタイミングか?」
舞白組の組員が警察に引っ張られたタイミングで、警察が木崎を発見したというのが一番考えられる。
「ああ、警察官に保護された……さて、これをどう考えるかが問題だ」
ん、ということは例の便利屋はどうなった?
「ちなみに例の便利屋は見つかっていないそうだ。気配を感じて逃げたかな」
俺の心を読んだかのように麻滝は言う。
「なんだ、何か――どういうことだ?」
何かおかしい、気がする。
だが具体的にこの展開の何がおかしいのか分からない。
そんな俺の顔を見て、座ったまま俺に体を寄せて
「放課後、部室で会おう」
と麻滝は囁いてくる。
結局、俺は放課後に探偵倶楽部の部室のドアを開けている。
あれだけもう関わらないと決心したはずが。自らの意志の弱さに戦慄する。
部室には麻滝と犬飼の二人しかいない。麻滝は何か考え込みつつソファーに身を沈め、一方の犬飼はパイプ椅子にふんぞり返って座っている。
「よお、元気かよ」
犬飼が顔を向けてくる。その顔がところどころ赤く腫れている。
俺は不審に思う。が、喧嘩したのかと訊く気にはならない。怖いし。やっぱりこいつヤンキーだな。
「何だよ、この傷か」
俺が若干引いているのに気付いたのか、面白くなさそうに犬飼は自分の顔の傷をなぞるようにする。
「あいつだよ、木崎。あいつのことを、ほら、倉庫で俺、なんっつーの、正直な意見を伝えてやっただろ」
「かなり馬鹿にしてたな」
俺が言うと、麻滝は無言で頷いて同意する。
「あいつのためを思って俺は心を鬼にして言ってやったんだよ」
犬飼は馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。
「あいつが自分のことを賢いとか勘違いしたままだとこの先大変だろ」
「まあ、分かったよ。で、どうした?」
「知ってるかもしれねぇけど、あいつ帰ってきたんだよ、で、今日学校には来てないみたいだけど、俺は登校途中で会ってよ。同じくらい馬鹿な仲間を連れて。多分待ち伏せしてたんだな。逆恨みして文句つけてきやがって」
「逆恨みじゃないと思うけど」
訂正しておく。
「で、ちょっと、じゃれあってな。あの便利屋のこととか、聞きたいこともあったし。じゃれあいつつ話を聞きだしたわけだ。二対一なんで、ちょっと顔に傷ができたけどよ」
「乱暴な」
呆れる。
「ペンは剣よりも強しって言葉あるだろ。暴力に頼りすぎだ。ペンを持てよ」
「ぎゃはっ、襲われた時に、ペンじゃ敵を倒せねえよ」
「殴れない相手が敵だった時にペンで立ち向かうんだよ」
「効果があるかぁ? ま、いいや。そこまで言うならいざという時にペンで闘えるように準備しとくわ。そのまま武器にもなりそうだしな」
どうもこいつ意味を勘違いしているんじゃないだろうか。
しかしいちいち訂正するのも面倒なので話を進める。
「で、有益なことは訊けたのか?」
「いや、それがよ――」
「犬飼君には待ってもらっているんだ。全員揃うまでね」
そこで、俺が部室に入ってから初めて、麻滝が声を出す。
「今回の件、色々と不明点がある。三人寄れば文殊の知恵、と言うだろう」
「もう三人揃ってるけど」
一応俺は突っ込んでみる。
「私以外は半人前だから、あと半人前が二人必要なんだ」
ナチュラルに失礼だな。しかも本気なのが始末が悪い。
しかし、半人前が二人?
と思っていたらドアが開いて、意外な組み合わせの二人が入ってくる。
「失礼します、撫子様」
「どーも」
マリアと成島だ。
「珍しいコンビだな。あれか、付き合ってんのか」
いつか俺がやったのと同じようにからかう犬飼。
その言葉を受けて、マリアの目が静かに細くなる。
リルカで恐ろしい女にはある程度免疫があるはずの俺の背筋が冷たくなる。
それは犬飼も同じだったようで「冗談だぞ、冗談」と慌てたように付け足す。
「この二人には調査に行ってもらっていた」
と麻滝。
「え、ってことは今日の授業サボってってことかよ」
驚く。特に成島なんて、二日連続で学生の本分をおろそかにしたのか。
「そー言わないで。仕方ないよ。こっちは命かかってるんだしさー」
「命?」
何の話だろう。
「それも含めて」
麻滝は俺たちを見回す目す。
「これから我々の方針を決めよう」
我々、に俺を入れるなよ、迷惑な話だ。




