極道と退魔師(3)
「興味深いな」
俺の『犬の戦士ベルカ』の話を聞いた麻滝の第一声がそれだ。
俺と麻滝は放課後、例の極道の事務所への道を歩きながら話している。
俺は緊張を紛らわせるために、麻滝はおそらく単なる暇つぶしとして。
「どう思う?」
「ふむ。私も、意味があるとは思わず、ベルカという言葉をネットで検索等はしていなかった。不覚だったな」
考え込む麻滝は足を止めることなく、目を閉じる。
やめろ、危ない。
俺たちは昔ながらの商店街を抜ける。オフィスビルが立ち並び、その間に飲食店が乱立している地区を歩いている。交通量は結構あるし、自転車だって通っている。
それなのに目を閉じたまま歩いていく麻滝。
「とはいえ、もし私がベルカという言葉を調べる、あるいはたまたまそのテレビアニメを知っていたら、その時点で奴の話の信憑性は一気に下がっていたということだ」
「そう。ようするに、あいつはあの発言をした時点で戯言だと見破られても構わないって判断してたんだよな」
言いながら俺は周囲を見回す。リルカが現れていないか不安になっている。
「そうなるな」
ふむ、と目を閉じたまま麻滝は歩き続ける。俺は例の事務所の場所を知らないから麻滝に案内してもらわないとならないが、大丈夫か?
「だが、もし仮に私達の誰かがベルカのことを知っていたとして、だ」
答えが出たのか麻滝はようやく目を開く。
「あの場で追求はしない。保護というなら何故連絡させなかったのか、という疑問と同じだ。あの場で不審点を問い詰めるのは危険だった。それに、ベルカについては即、彼が嘘をついていることにはならないさ。本当にその名をアニメからとった便利屋がいる可能性はゼロではない」
「ま、限りなく嘘に近いけど、その場で嘘だと断言はできないな」
「つまり、あの男、古川にとっては嘘だとばれることは問題ではなかった。私達をあの場から一時的に遠ざけること、それのみが目的だった。木崎という学生を確保したまま、私達を一時解散させる。これが目的だとすれば納得がいく」
「一時的に俺達を追い払っといて、引っ越しでもするってことか?」
そうだとすれば、例の倉庫についての通報は意味がなくなったってことだが。
「けど、それって一時しのぎでしかないような気がするな。追い詰められている証拠みたいなもんだ」
「いや、そうでもない。あくまで可能性だが」
麻滝は言葉を切って、空を睨みつける。
「我々は完全にあの便利屋、古川の手のひらで踊っている可能性がある」
「ふうん」
こういう言い方をする時は、詳しいことを聞こうとしてもはぐらかされる。麻滝のいつのものパターンだ。
なので、その話はいったん置いておく。
「そういえば、どうして俺なんだ? 事務所への付き添い」
「ん、ああ……何人も引き連れていくのは物々しいからね。誰か一人、用心棒代わりが欲しかったんだ。君なら、顔が怖いから抑止力になるかなと思ってね。その割りに小心者だから犬飼君のように揉め事を起こす危険性もない」
不愉快ながら、意外と納得できる理由だった。
確かに、麻滝の知り合いの中ではおそらく俺は二番目に見た目が怖い。
そして一番目の犬飼は、見た目だけじゃなくて中身も悪い。すぐ喧嘩しそうだ。
「ここだ」
麻滝が立ち止まる。
それはなんてことのない三階建のビルだ。ビル全体が少々古びているのと、窓が小さく見えてなんとなく圧迫感がある以外には言及すべき特徴がない。
多分、何度その前を通り過ぎても印象には残らない、そんなビルだ。
ごくり、と意識せずに唾を飲み込んでいる自分に気付く。やっぱり、帰らない? と提案しようとして。
「さて、いくぞ」
と一切の躊躇なく朝滝がビルに入っていくので何も言えず俺も続く。
2階にあるドアの前に立ち、麻滝は軽く顎をしゃくる。
「ここの奥が事務所だ。舞白組の」
ドアはごく普通のものだった。贋造そうな分厚い鉄製だとか、厳密な防犯対策がされているということもない。
金属バットでフルスイングしたら三十分くらいあれば壊せそうな気がする。極道の事務所のドアがこれでいいのだろうか。
「それでは行くか」
麻滝は俺の返事を待たずにドアを開ける。
「失礼」
よく通る声で挨拶をしながら、麻滝はずんずんと事務所の中に入っていく。
俺もいつの間にかつられるようにして事務所に入っている。心の準備なんて全然できてないのに。
想像していたのとは違って、普通の会社の事務所のような造りだ。
ただ、そこで働いている面々の見た目が少し、いやかなり怖い人ばっかりってことだけは想像と一緒だ。残念ながら。
その事務所の中にいる数人の男達も、あまりにも突然の乱入者に誰も反応できていない。皆、ぽかんとして麻滝が進むのを見つめている。
事務所の奥、大きな水槽に魚が泳いでいる。その水槽の手前、革張りのソファーに座っているジャージ姿の男が、麻滝に顔を向けて気だるそうに口を開いた。
「とまれ、麻滝」
「やあ、若頭」
「部外者は陣内さんって呼べ。何のようだ?」
ジャージ姿の男は三十代前半だろうか、中肉中背だが、骨格はしっかりしているように見える。
短髪と幼さを残す目元のせいか、それともジャージ姿だからなのか、部活に打ち込んでいた少年がそのまま年を重ねたような印象を受ける。
陣内と名乗るその男は、突然現れた麻滝と俺の姿を見ても驚くでもなく、警戒するでもない。
「私の仲間がこちらにいると思うんだが?」
「仲間、ああ、あの学生な。あいつもお前と同じく彩文の学生だとは思ったけど、知り合いだったのか」
事も無げに陣内は言って、事務所の奥にあるドアを目で示す。
「奥にいるよ。別に乱暴とかはしてない。丁重に質問していただけだ」
「質問? 詰問か尋問の間違いだろう?」
「するかよ。一番下のモンが暴力振るったって一番上が引っ張られるご時勢だ。俺たちはあくまでもお願いして事務所に来てもらっただけだし、さっきからしてるのも単なる質問だ。俺たちはな、何度も何度も、嫌だったら帰っていいって念を押したんだ。その上であいつは自分の意志でまだ事務所に残って、こちらの質問に協力してもらってる。ただ、それだけのことだ」
「なるほど。ようするに拉致監禁と脅迫か」
麻滝は不敵な顔をして、陣内はやる気なさそうに、お互いに睨み合う。
目に見えない火花が散っているのを感じる。
「ところで、お前は誰だ? 用心棒か?」
陣内という極道は俺に顔を向ける。そして顔をしかめる。
認めたくないが、あれは俺のことを胡散臭い男だと警戒している表情だ。極道に警戒されるとは。
「付き添いです」
端的に事実だけ答える。
「なあ、おい、こいつ堅気か?」
何故か陣内は俺じゃなくて麻滝に確認する。
「正真正銘、堅気の学生だよ。私の同級生だ。見た目が裏社会の住人みたいなのは認めるが」
「勝手に認めるな」
小声で文句を言う。
「ふん、あの学生とお前が知り合いってことは、今回の件に麻滝、お前も噛んでるのか?」
「成島君、来たぞ」
陣内の言葉を完全に無視して、麻滝は奥のドアに向かって声を張る。
一瞬の間をおいて、おそるおそるといった感じでドアが開き、成島が顔を出す。
麻滝の姿を認めた途端、不安げだった成島の顔がぱっと晴れる。
「部長ー、来てくれましたか」
「うむ。何か起きたら迅速に連絡したまえ」
「いやー、それが」
と成島はちらちらと陣内の方を見る。
「ん、どうした? 俺たちは、大事にしたくないから誰かに電話したりするのはちょっと待ってくれないか、ってお願いしただけだろ。だよなあ?」
「え、ええ、まあ、そうです」
引きつった顔で成島が頷く。
「おい、戻って来い」
と、成島が顔を出しているドアの奥の方からドスの効いた声が聞こえる。
成島がうんざりした顔をする。
「陣内、確か、成島君は自分の意思でここにいるんだったな」
麻滝は陣内に向けた目を細める。
「ああ、そうだ」
陣内は舌打ちをして、
「おい、もう喋るな」
と、ドアの奥に向かって短く言う。
特に怒っている様子もなく、静かな一言に過ぎなかったが、その声にはどこかこちらの背筋をひんやりとさせるものがある。
「へい」
と、さっきと同じ声が怯えたような口調でする返事が聞こえ、それきりドアの奥からは声がしなくなる。
同時に、周囲で成り行きを見守っていた組員達も、顔を強張らせる。どうやら陣内は相当恐れられているらしい。
「で、話の続きだ。お前等はどこまで知ってる?」
何事もなかったかのように陣内は顔を戻す。
「悪いが」
明らかに見下す目をして、麻滝は冷たく言う。
「君達と話すことなどひとつもない」
「そうか」
そこまで言われても陣内は怒らない。
平気な顔をして、ソファーに座ったまま麻滝と成島、そして俺の顔を順に見比べる。
「これは、純粋に親切心からの忠告だ。神に誓って脅迫なんて意図はない」
「ほう、聞こうか」
冷然とした態度を崩さないままで麻滝は言い放つ。
「知っていることは話した方がいい。その上でうまく立ち回れば、ひょっとしたら三人とも無事で事務所から出られるかもしれない」
その言葉に、底冷えするような危険を感じる。
それは、彼の言葉が真実のものだと直感したからだ。
彼は純粋に忠告として言っているし、そして彼の言う通りにしなければ三人は無事に帰れない。それどころか、言う通りにしても無事に帰れない可能性の方が高い。それが直感的に分かる。
どうする?
リルカは女性専門だし、第一こんな状況で役に立つような奴じゃあない。俺の腕っ節は強くないし、成島だって喧嘩慣れはしてないように見える。唯一頼れるのはリルカだが、それにしたって暴力のプロ集団対素人拳闘少女じゃあ勝敗が明らか過ぎて賭けが成立しないレベルだ。
「部長、どうします?」
成島は手で髪を撫で付けながら麻滝に顔を向ける。
顔が強張っているが、それでもいちいち動作が芝居がかっている。
ちょっとむかついてくる。
「麻滝、俺は嘘をつかない」
ふと、陣内は懐かしいものを見るかのような目をする。
「知っているさ」
麻滝は相変わらずそっけない。
「まあいい」
そこで、全身の力を抜くように陣内は伸びをする。
「とにかく知ってること全部話せ。こっちも話してやる」
これまでのやり取りとは違い、その陣内の言葉には、どこか温かみがあるように感じる。
さっきまでのやり取りがまるで儀礼的なものだったかのように、砕けた印象すらある喋り方だ。
「そっちも全てを話してくれるのかい?」
それを受けてか、対する麻滝の態度も軟化したように思う。
「話せる範囲で、だ」
それじゃあ不公平だ、とも思うが、同時に事前にそれを言ってくる陣内の誠意のようなものも感じられて、俺は少し戸惑う。
「ふむ」
麻滝は俺の顔を見る。まるで許可を得るかのように。
どうして俺の許可がいるんだよ、と思いながらもとりあえず軽く頷いてみる。
「仕方ないな。こちらも情報が欲しかったところだ」
俺に頷き返してから、麻滝は陣内に目を戻して答える。
そうして、これまであった幽霊マンションに関する出来事を、できるだけかいつまんで話し出す。




