二人組と便利屋(3)
喉が渇いた。
水が飲みたい。いや、水じゃあない。ソーダがいい。冷えたソーダ。あれを喉に流し込みたい。炭酸のはじけるイメージ。
喉の渇きで意識が覚醒する。
目を開ける。
暗い部屋だ。小さな窓から、月明かりが差し込んできている。そのおかげで何とか部屋の様子が分かる。
コンクリート造りの小さな部屋だ。折りたたまれたパイプ椅子、カラーコーンが見える。備品が置いてあるようだ。部屋の隅にはごうごうと音をたてている配管。
どうやら、ここはポンプ室か。
……月明かり?
あれ、さっきまで夕方だったのに。
記憶が蘇る。謎の男女二人組み。スタンガン。
「まずい」
遅れて、ようやく危機感。
慌てて体を起こそうとして、うまく動かない。
「あっ」
手を後ろで縛られている。
この感触、じゃらじゃらという金属音。手錠だ。
足も縛られている。足はロープでだ。
しかし中途半端だな、こういうのって俺自身を排水パイプとかに手錠で繋いで固定してないといけないんじゃないか?
焦る一方、妙に冷静でもあって、そんなことを考える。
これだったら俺、這いずりながらなら移動できてしまうじゃないか。
あいつら素人だな。単なるヤンキーのカップルっぽかったし。
ただ、そんな連中がどうして俺をこんな目に合わせたのかは謎だが。
薄明かりの中見えるドアに向かって這いずり寄る。
当然外から鍵はかかっているだろうけど、どうにかしたら開くかも知れない。どうしたらいいかは知らないけど。こんなことならピッキングの方法を日頃から研究しておくべきだった。
何とかドアの前までたどり着いて、とりあえず壁に寄りかかりながら立ち上がってノブを後ろ手に掴もうと計画を立てる。
結構無理な気もするが、やるしかない。
まず立たなければ。
壁にもたれて座る形になってから、足の力で立ち上がろうとする。
「ふっ……ぐっ」
失敗。
体が少し持ち上がったところで、バランスを崩して転び、肩を強打する。
もう一度挑戦。
バランスに注意しつつ、両足を渾身の力で伸ばしていく。
「う、お」
今度は、ふらふらとだが何とか立ち上がれる。
よろよろと後ろ手にノブを握る。回す。
そして、回る。
「あ、回るのか」
思わず口をついて出る。
やっといてなんだが、意外だ。何となく、ノブが微動だにしないイメージだった。
それなら開くかも、と思って押し引きしてみる。さすがに開かない。ひょっとして、と期待したんだけど。
やっぱり駄目か、と思いながら諦めきれず何度も押し引きする。
どうも、南京錠か何かで、外からむりやり鍵をかけているようだ。ドアは押し引きで多少動きはするが、開きはしない。
押し引きを繰り返していてバランスを崩す。
「ぎゃっ」
倒れる。今度は腰を打つ。
「無理だな」
早々に諦める。
無理なものは無理だ。なるほど、両手と両足を縛ってドアに外から鍵をかければちゃんと監禁は完成するんだな。ひとつ勉強になった。
「無様ね」
部屋の隅の暗がりから声。
見てみると、俺と同じように両手両足を縛られて転がってる少女がいる。マリアだ。
「いたのか」
「いたけど。そんなことやったって開かないでしょ、さすがに」
「だな」
話をするため這いずってドアから離れてマリアに近づく。
「ちょっと、近寄ってこないでよ」
「え、いや、話をしたいだけだよ」
「あたしのスカートの中見ようとか思ってるんでしょ変態」
「いや、してないって!」
心外なので、ついむきになって反論する。
「してるだろ、床に顔すりつけやがって」
「両手両足縛られて他にどうしろっていうんだよ」
言いながら這い寄る。
「だから近寄るなって。なに、ひょっとして寂しいの?」
「違うわ! ほら、いつ、リルカが出てくるか分からないだろ。こんな状態じゃあ俺は逃げることもできない」
正直に話す。
「ああ」
そういえば、とマリアが目を丸くする。
「忘れてた。そうか、暗くて狭い部屋でとんでもない美少女と二人きり。いつ出現してもおかしくないわね」
「自分でとんでもない美少女とか言うなよ」
呆れるというレベルではなく、畏怖を覚える。
更に近寄る。
「だから近寄ってくるなって」
「お前、お守りとか持ってきてるんだろ。こういう時くらい頼らせろ」
俺はマリアの横に壁を背にして座っておこうとする。
頭が床にあったらまた文句言われるかもしれないし。
上半身を腹筋を使って起こそうとする。
失敗。
「うわっ」
「……」
俺はマリアに向かって倒れこむ。マリアを押し倒すような形になる。
その豊かな胸に顔をうずめることになって、何と言うか嬉しくないわけじゃあないがさっきからマリアが「きゃっ」とか女の子らしい悲鳴を一切あげることなく無言なのが恐ろしい。
「ごめんっ、すぐどくから――」
どこうとしても体が縛られているからうまくはいかない。結果、マリアの体に俺の体をすりつけるようなことになってしまう。
柔らかい。いい匂いがする。しかし、全く堪能できない。圧倒的に恐怖が上回る。
おそるおそるマリアの顔を伺う。
薄闇の中でも分かるくらいに赤い。首筋まで赤い。
そして体がぴくぴくと痙攣している。恐怖や羞恥によるものだったらいいが、その望みは薄い。
眼が、殺気を孕んでいる。
射殺すような眼光を俺に浴びせながら、ゆっくりとマリアは口を開く。
「――お前、いい度胸をしているわね」
地獄の底のような声。
「ちょっと待て、誤解、誤解だから!」
大いに焦る。
かちり、とドアから音がする。
ドアが開く。同時に光。
闇に慣れていた眼がくらんでから、電灯をつけられたのだと理解する。
すぐに目が慣れる。さっきまで闇だったから明るく感じたが、慣れてみると電灯をつけられた状態でもかなり薄暗い。
「おいおい、こんな状況でいちゃついてんのかよ、このガキども」
呆れたような声。
明るさに目が慣れると、例のスウェットのヤンキーカップルが出入り口に立っている。
「ねーどうすんのよ、こいつら」
舌足らずな口調で女の方が言う。
「いや、古川さんに電話したら、直接見てみるって。もうすぐ来るってよ」
男は喋りながら、俺たちの方に目をやっている、というか実際のところは俺のせいで制服が乱れているマリアをなめまわすように見ている。
俺には分かる。男だから。仕方がないことだ。
これは男だから分かることだと思ってたら、女にも分かったらしい。
マリアは不愉快な顔をしていたし、ヤンキーカップルの女の方も思い切り男を睨んでいる。
「な、何だよ」
相方の眼光にビビったのか、ヤンキー男の声が上擦る。
「別に……古川さん来るなら、入り口のトコで待ってたら? 古川さん、このポンプ室の場所知らないでしょ」
「あ、ああ……そうだな」
男はこそこそと逃げ出すようにして出て行く。
気持ちが分かるだけに悲しくなる。
ドアが閉まる。
このポンプ室には、これで俺とマリアと女だけ。
「何いちゃついてんだよてめーら」
男がいなくなると、女は俺たちに近づいてきて足で俺をマリアから引き離す。
「ぐえっ」
襟首を掴まれ、首が締まって変な音が出る。
「ったく、こんな時に抱き合うとか、頭の中花畑だな、ええ? まあ仕方ないか、こんないいカラダした彼女じゃあさあ」
嘲るように言って女はマリアをじろじろと見る。
「嫉妬は見苦しいわよ、年増」
マリアは俺が耳を疑うような暴言を吐く。
普通言うか、そんなこと?
図星を突かれたのか、女の顔が赤く染まる。
「何言ってんだクソガキ!」
叫んで、何故か俺を蹴る。
「ぎゃっ」
何故俺を、と愚痴りたい。
蹴るだけではなく、女はそのままサンダル履きの足先で俺のわき腹をぐりぐりとえぐる。
人によってはご褒美なのかもしれないが、あいにく俺はマゾではない。
痛い。猛烈に痛い。
歯を食いしばる。
「あんたらさあ、もうちょっと自分らの立場考えたら?」
確かに。
痛みに耐えながら内心同意する。
よく把握はしていないが、シチュエーション的にはこのままコンクリート詰めにされ、とある湾に沈められてもおかしくない。ちょっとさっきから緊張感に欠けている。
マリアが。
俺はさっきからちゃんと怖がっている。暴言を吐いたのはマリアだ。
「まあ、あんたたち、ロクなことにならないから」
楽しそうに女が言う。俺を踏んづけたまま。
この女、ドSだ。
突然、ポンプ室が暗闇になる。
「――きゃっ」
女が叫んで飛びのく。
助かった。
すぐに灯りは元通りになる。
「な、なに、なによ。くそっ、脅かして――」
女は電灯を見上げる。
調子が悪いのか、電灯の灯りは揺らめいている。またさっきみたいに突然電灯が消えるかもしれない、と思ったのか女は心配そうに電灯を見ている。
俺とマリアは違う。
別の意味で心配そうに顔を見合す。
これは、おそらく前兆だ。
「あ、なんだよ、ったく、これ、ボロい――」
電灯が点いたり消えたりを繰り返す。
それを見て女が文句を言う。
ポンプ室が照らされたり闇になったり。電燈は、ぶううううん、と陰気な音まで立てている。
点滅する電灯、狭いポンプ室、夜。雰囲気は抜群だ。
くるぞ、そろそろくる。
マリアの顔を見ると嫌そうな顔をしている。
俺だって嫌だ。
また、電燈が消え、ポンプ室が何度目かの闇に包まれる。
ぴちゃり、と水滴が落ちるような音。
すぐに電灯が点く。
「くそっ、うぜえな」
汚い言葉を吐きながらも不安そうにしている女の背後に、白いワンピース姿の少女が立っている。
女は気付いていない。
リルカだ。
リルカは、白いワンピースを着たまま大雨に降られたかのように、びしょびしょに全身を濡らしている。
濡れ女バーションだ。リルカの数ある登場パターンのうちの一つ。久しぶりだ、このパターンは。
ぴちゃり、とまた水音。
女は怪訝な顔になる。
何が水漏れでもしてるのかな、とか思ってるんだろう。
びちゃり、と湿った足音をたててリルカが一歩こちらに近づく。
リルカの歩いた跡が、濡れた裸足の足跡になって残っている。顔は影になっていて表情は伺えない。
「え?」
気配を感じたのか、女が後ろを振り返る。女の目前にリルカの顔。
「……あはっ」
息の抜けるような音を発して、女はそのままゆっくりとその場に座り込み、そして体を倒して横になる。
え、寝るの? とびっくりしたけど、よく考えたら気絶したに決まっている。
夢の世界に旅立った女には目も触れず、リルカはよろよろと近づいてくる。
びちゃびちゃり。
どっちだ、俺かマリアか。
「マリアでありますように」
「ぶっ飛ばすぞ」
最低な本音を祈っていたら、いつの間にか口に出していた。
すかさずマリアに睨まれる。
一歩一歩近づいてくる。恐ろしい。俺は震えている。
電灯がちらつく。近づくにつれリルカの表情が露になっていく。
リルカは元々大きな目を限界まで見開き、口を常にもごもごと動かしている。何か食べてるんだったらかわいいけど、多分あれはこっちがあまり聞きたくない内容のことをずっと呟き続けてるんだと思う。
俺の祈りが届いたのか、リルカの見開かれた目はマリアを凝視している。
やった。俺じゃない。
安心する。
あいつなら、大丈夫だ。
マリアはこれ以上ないような嫌な顔をしている。が、焦ってはいない。
「ちょっと。襲いかかってきたのはあいつの方だよ、あいつ。あんたの彼氏」
こら、俺は襲いかかってはいない。
勝手なことを言うな。
電灯の点滅が激しくなる。
リルカがじりじりとマリアに近づく。
「もう、最悪……」
諦めたようにマリアはため息と共に言葉を吐き出す。
リルカの濡れた手が、マリアの頬を撫でるようにする。
直後、ぱちぱちと火にくべられた薪が爆ぜるような音が響く。
とたん、リルカの姿がかき消えた。
すぐに電灯の点滅も収まり、ポンプ室はリルカが現れる以前の状況に戻る。
いや、違うか。例のヤンキーカップルの女の方が気絶してる点が異なる。
が、まあ、後はとりあえず元通りだ。嫌な雰囲気も消えた。
「お、終わったか」
「ふざけんな」
俺の能天気な言葉にマリアが怒る。
「ストックしといたお札、多分今ので全部焼き切れたわ。相変わらずとんでもない怨霊よ、ったく」
ぞんざいな口調で吐き捨てる。
「お前のことだから、こんな場所に来るなら大量の除霊グッズ準備してると思ったよ。信じてたぜ、マリア」
「やめろ、気色悪い。まったく、あのリルカにだけは未だに勝てる気がしないわ、忌々しい」
舌打ちしてから、
「ま、こっちに取り憑くことはない分、他の怨霊よりマシだけどね。襲ってきてもいったん撃退すればそれで終わりっていうのは、さっぱりしてていいわ」
「さっぱりしてていい、じゃないだろう。それは単にずっと俺に取り憑き続けてるだけだろうが」
俺が口を挟むと、
「一途な彼女を持てて幸せね、お前は。神に感謝するといいわよ」
どこまで本気なのか分からない言葉を返される。




