二人組と便利屋(2)
幽霊マンションの場所を俺は知らない。そのことを話すと、マリアに馬鹿にするような顔をされる。
さすがに探偵倶楽部の面々は幽霊マンションの場所くらいは下調べしているらしく、マリアの先導で道を歩く。
大体の場所を聞くと、どうやら俺の家からもそこまで離れていないようだ。
もともと俺の家の辺りは住宅街なのでそんなに人気のあるような地域ではない。
それでも、夕暮れ時は家路を急ぐ人が多いのか、それなりに人通りはある。
その中をマリアは歩く。
老若男女問わず、通行人は皆マリアをちらちらと見ている。人によってはすれ違った後、振り返ってさえいる。
見る気持ちは分かる。ハリウッドの恋愛映画にでも出てきそうな、金髪碧眼で肉感的な美少女が学生服に身を包んで歩いている。
まあ、俺だって見る。
慣れているのかマリアは無数の視線を浴びて全く動じていない。
こういう風に見られるのが毎日のことなら、マリアが日本人、特に男を敵視するのも仕方ない部分もあるかもしれない。
夕暮れの道を、二人で歩く。
無言。
会話はない。世間話をするような間柄でもないし、そっちの方が俺からしてもありがたい。リルカ怒らないし。
しばらく歩いていると、
「ここよ」
とマリアが路地に入る。
急に人気がなくなる。
どうも妙だ。
この路地、そこまで道が細かったり分かりにくかったりするわけではない。
それなのに、人がいない。
路地の両脇には、ブロック塀がある。その向こう側は更地だったり、古い外観のアパートだったり。だが、そのアパートのどれもが生気がないというか、人が住んでいる感じがしない。この路地が見える景色の全てが、色や音を失っているようだ。むろん、実際には音はするし色もついている。そんな印象を受ける、というだけの話だ。
死んだような路地だ。
ふと思い当る。
$そういえば俺の家もこの近くだというのに、この路地は通ったことがなかった。この周辺に用がある場合も、ここを通らず、わざわざ遠回りしていたような気がする。
気のせいなのかそれとも実際に何かがあるのかは別として、マリアについて進むにつれて雰囲気が、具体的に言うと空の色や風の匂いや地面の感触が、俺を憂鬱にさせるものに変わっていく。
「駄目だ、こりゃ。もうすでに駄目だ。なんというか、リルカが出てくる直前のような気配が満ちてる」
呟く俺の言葉を受けてマリアも頷く。
「多少なりとも霊感のある人間なら、ちょっと気分が悪くなる程度ならあるかも。嫌な感じね、ここ」
珍しくマリアはちゃんと俺と会話している。
「妙な話だけど――俺、結構家が近いのにこの道通ったことがないんだ。まるで、無意識に避けていたみたいだ」
さっき思い当ったことを口に出すと、
「お前も? 実は、あたしも。このすぐ近くに成島の家があるから、何度かこの辺りは通ったことがあるのに、この路地に関しては幽霊マンションの噂を聞くまでは意識もしてなかった」
マリアは下唇を少しだけ噛んで、
「ちょっと、やばいかな」
表情からマリアが緊張しているのが見てとれる。こいつは緊張や怯えという弱みを隠そうとするが、隠そうとすればするほどそれが露わになるタイプだ。
俺は緊張をほぐすという意味合いも込めて、
「成島の家、何度も行ってるって、ひょっとしてお前とあいつデキてるのか?」
「ぶっ飛ばすぞ」
振り向きもせずに言う。
しかし、そうじゃないとしたら、一体どうしてこいつが成島の家に何度も行くことになるんだろうか。
謎だ。
と、話しながら路地を進んでいるうちに、背筋にぞっとしたものがはしる。マリアの物騒な発言のせいかと思ったが、そうではないらしい。証拠に、マリアも強張った顔をしている。
体が、この辺りの空気に拒否反応を起こしているみたいだ。
顔を見合わせる。
まだ、肝心のマンションは見えてもいないが、これ以上進むのが嫌になってくる。この路地の奥に巨大な穴が開いていて、その穴がいいものを全て飲み込んでいるような気がする。
リルカが怒るだろうし建設的なことにはならないと分かっていながらも、黙っているとますます気が滅入るのと人とたくさん喋れる機会が滅多にないので、ついつい世間話を試みる。
「なあ」
「何?」
何? と聞かれると困る。話題を考えずに話しかけていた。
いや、話題としては、今この瞬間の嫌な感じを話題にすればいいだけの話だけど、どうも気が進まない。あえて無視して、気を逸らした方がいい。逃げだとは分かっているが。
「マンションを調査する準備って言ってたけど、何を持ってきたんだ?」
だから、無難な話題を出す。
「お札とか」
マリアの返答はそっけない。
「ああ、あのお前がどっかから調達してくる霊験あらたかなやつね。今回も効くと思うか?」
当たり前でしょ、という答えを予測して質問する。
「さあ……効けばいい、とは思うけど」
しかし予想外の言葉が返ってくる。
「自信ないのか?」
驚く。
マリアから自信をとってしまえば、後にはまるで別の少女が残るんじゃないか?
「自信っていうか……あたしが準備したのは伏見の流れをくむ本物のダキニの札、それは保障できる。でもさ、本物のお札だから効果があるっていうのは保障できないわよ」
「え?」
どういう意味だ。
「多々良は、幽霊とか妖怪とか――まあ、まとめて『お化け』でいいか。お化けって何だと思う?」
歩きながら、マリアも気を紛らわせたいのか、浮かない顔で目も合わさないままではあるが、問いかけてくる。
「お化けは――そうだな、科学では解明できない何かとか、そんな感じだろ」
俺もその世間話に乗ることにする。
「お前如きにしては、いいセンいってるわね。そうそう、要するにワケわかんないもの、はっきりしないものがお化けだとかオカルトよ。まあ、はっきりとしたらそれは普通に科学の領域だしね。不明確だからこそのお化けだしオカルトだし」
「ふうん」
俺はマリアを改めて知った気分になる。
てっきり筋金入りのオカルトマニアかと思っていたが、意外に冷静なやつだ。こいつは、自分のやっていることを客観視できている。
「生きた人間の悪戯も、宇宙からの襲来者も、異次元からのなぞの生物もぜーんぶ、正体がはっきりしなかったら、それ全部まとめてお化けって言えるわけでしょ。お化けに偽者も本物もないわけ。だから、どんなお化けにも効く方法なんて――」
なるほど、そんな方法あるわけがない。
「撫子様に持たせたお札が紙くずになったってことは、逆に言えばお札に反応があるってことだから今回は有効だとは思うけど――断言はできないわね」
話しているマリアの足が止まる。
「ここよ」
見上げて、マリアの顔が曇る。
マリアの視線を追うと、そこにはマンションが存在している。直方体のそのマンションは、元々は白い外装だったのだろうが、ほとんどが剥がれ落ちて灰色に染まっている。外壁には無数のひびとともに、黒い染みのようなものもところどころに浮いている。
これはひどい。まるで墓標だ。
路地を歩く際に感じた瘴気のようなものは、そのマンションから発生しているようだ。
誤解を恐れず表現するなら、巨大なリルカだ。リルカの持つ禍々しさを強大にしたものがその廃墟じみたマンションに巣食っている。
「これ、いわゆる霊感がない普通の人でも嫌になるわね。不気味だって、いくらなんでも」
「ここに真夜中、肝試しに来る連中がいるんだろ……感心するよりもかわいそうになるな。人間として必要なセンサーがいくつか壊れてるだろ」
犬飼の「木崎は頭悪い」発言が信憑性を帯びてくる。
「でしょうね……これ、入りたくないな、さすがに」
「珍しく意見が一致したな、入りたくない」
「お前と意見が一致か……悲しくなってくる」
撫子様のため、撫子様のため、とぶつぶつ呟きながらマリアはふらふらとマンションの方に歩き出す。
さすがにここでマリアを置いて一人で帰る選択肢はない。
仕方なく俺も追う。
女の幽霊がいる、そういう噂があると聞いたが。この感覚、やはりその幽霊とやらが原因だろうか。
マリアに質問してみると、一言。
「分からない」
「それだけ?」
「今の時点で考えたって仕方がないでしょ。材料がないんだから。いくらでも理由は想像できる。たとえば、マンションの住民の一人が黒魔術にハマって、悪魔を召還した影響かもしれない」
「お前、想像力豊かだな――で、どうやって調査する?」
「とりあえず、例の部屋の前に行くよ。ほら、肝試しの一団が発見した鍵のかかってない部屋」
くるくるとマリアは金色の髪を指で弄ぶ。
「ああ、そんな話もしてたな……って、それって麻滝が調査に行ってお札ダメにした部屋だろ」
確か、麻滝がそんな話をしていた。
「そうだけど」
あっけらかんと答えるマリア。
その態度に、まるで自分がとんでもない臆病者に思えてくる。
いや、事実臆病者だ。そうだろ、リルカ?
「……後回しにしない? 危ないかもしれないだろ」
通るわけがないと思いつつ提案してみる。
「ヘタレが。まずそこ調べずにどこ調べるっていうのよ」
ばっさりと反論される。それも、正論で。
「さて、じゃあ、なるべく自然な感じで入るわよ。さも、このマンションに住んでるみたいな顔で。不審者と思われて警察呼ばれたら面倒だし」
「了解……ところで、今日はお前と喋りすぎたな。リルカが怒るだろうな、今日も。何とかしてくれ」
「知るか」
俺たちはマンションの玄関をくぐる。
ロビーなんて洒落たものはないらしく、階段と廊下があるだけだ。廊下の暗がりからは何かが這い出しそうだし、階段の先は異界へと繋がっていそうだ。
正直、一秒だってこのマンションにいたくない。
マンションの住民とは出会わない。というよりも、このマンションに本当にまだ住民はいるんだろうか。
「……ん?」
階段を上がっている途中、何の気なしに階下を振り返ると、今上がってきた階段を横切る影のようなものが見える。
「どうしたの?」
マリアが足を止める。
「あ、いや……今、後ろで何かが見えた気がしたんだ」
俺は正直に言う。
専門家たるマリアにお任せだ。
「何かって?」
「影……いや」
あれは、影と言うよりも。
「黒い服を着た女、みたいだったけど」
「マンションの住民じゃない? もしくは、お前が調子に乗ってアタシと話しすぎたせいで、リルカが怒り狂ってるとか」
「マンションの住民ね」
確かに、常識的に考えればそうか。
ちなみにリルカの可能性はない。リルカはいつも、白い服を着て現れる。
3階。
マリアがメモを見ながら進む。
「ここね」
マリアは304号室のドアの前に立つ。
ドアは金属製のもので、ところどころ錆びている表札に住民の名前はない。空き家だろうから当たり前か。よく見ると、ドア自体がきちんと閉まっておらず、少し浮いている。
「なるほど、確かにちょっと見るだけで鍵がかかっていないのが分かるな」
「気分悪いし、とっとと調査済ませるわよ」
言葉は威勢がいいが、顔色が悪い。
それでもマリアはノブを回し、ドアを開ける。ドアの向こう側には暗闇。瘴気が溢れているのを感じる。ごくり、と喉を鳴らしてからマリアはドアをくぐる。
俺も続く。
玄関からすぐのところにキッチンが見える。
玄関もキッチンも住んでいる人間がいないため生活感こそないが、ごく普通のものだ。
だというのに漂っているこの陰鬱な空気は何だ。マンションに入ってから感じていた陰気さが室内に入るとより濃厚になっている。蛍光灯をつけていないので薄暗いのは当たり前のことだが、その薄暗さにも邪悪なものを感じる。
俺の神経過敏によるものも混じってるかもしれないが。
「いよっし、行くわよ」
気合を入れなおしてマリアはずかずかと進んでいく。土足で。キッチンを抜けてリビングへ。
「しかし、部屋に入って改めて思うけど、やっぱ嫌な感じね」
平静に話そうとしているその態度が、マリアの怯えを浮き彫りにする。
そもそも、本当に平静だったのなら、自分から俺に喋りかけはなしない。
「お前もそう思うか、やっぱり。別にこれといって変なとこはないけど、嫌な感じだよな」
俺もマリアに続く。
玄関で靴は一応脱いでおく。
「あたしが持ってきた札には、今のところ反応がないけど、用心してよ」
「言われなくても気が抜けないよ。何か、背後に誰かいるような気配がするというかさ――」
リビングへと進んでいた俺は実際に背筋に寒気を感じている。
根が臆病なので一応振り返ってみる。
「ん?」
ドアは開いている。
夕日が玄関に差込んでいる。
その明かりに照らされて、玄関に見知らぬ二人が立っている。
気配だけじゃなくて、本当に二人、人間が立っている。
玄関に立っていたのは二十代後半くらいに見える男女二人組みだ。
男の方はのっぺりとした顔に不釣合いなサングラスをかけて、短い髪を逆立てている。
女の方は濃いメイクに白に近いくらいに脱色された髪。
どちらもねずみ色のスウェットにサンダル履き。コンビニに買い物に行くヤンキーのカップルみたいだ。
「……誰?」
しばらく固まった後、俺の口からは間の抜けた質問が出る。
「お前等が誰だよ」
男の方が言う。同時に、男から何か突きつけられる。黒っぽい何か。
これ、テレビか何かで見たことあるな。スタンガンだ。
突然のことに動けない。
「ふざけやがって、何なんだよ」
毒づく男はサングラスをかけてはいるが、明らかに困惑しているのが見てとれる。
「え?」
背後から声。
先に行っていたマリアが異変に気付いたらしい。
おいどうする、とマリアの方を向こうとして衝撃。
「あっ、おおおおおおおお」
体の痙攣と共に勝手に口から音が出る。
しびれる。
倒れる。
驚いている、というか怯えているマリアの顔が目に入る。その背に、闇にリルカの白い顔が浮かんでいる。リルカは赤い口を三日月のようにして笑っている。
何だよ、俺が酷い目に遭うのが嬉しいのか。
文句を言おうとしたが、口が動かない。目の前が暗くなる。
そうして俺は気絶する。
気を失う寸前、視界の端に黒い服の女を見た気がする。




