二人組と便利屋(1)
「うわ、ぎ、ぎゃいいいあ!」
絶叫で意識が覚醒する。叫び声は俺のものだ。自分の叫び声で飛び起きる。
ああ、家のベッドだ。
朝日。
時計を見れば目覚まし時計が鳴る寸前の時間だ。
もう起きた方が利口だ。
気だるい身体を無理に動かし、目覚ましのセットを解除して起き上がる。
テレビには朝のニュースが流れている。
「ああ……」
体は汗でべとべとだ。動悸も激しい。喉がからからで、呼吸も荒い。眠った気がしない。
眠ってすぐに叫んでいた気がする。だが、絶叫したので眠気はない。むしろ異様なくらいに目が冴えている気がする。まるで徹夜明け、眠気が一時的に消えてしまうあの状態のようだ。
一夜明けた。もう、禊は済んだ。
朝だし、シャワーを浴びえても大丈夫だろう。手早く済ませばリルカも出てこないはずだ。さすがに、こんな状況だとシャワーを浴びずに学校に行く気にはなれない。
浴室に向かい、俺は汗で体に張り付いている不愉快な下着を脱ぎ棄てる。
さて、今日はできるだけリルカを刺激しないようにしよう、
熱いシャワーを全身に浴びて、ようやく本当の意味で目が覚めたような気分になって、俺は自分に言い聞かせる。
できるだけ、誰とも関わりなく過ごすんだ。特に、若い女性とは。
リルカの心配をせずに浴びる熱いシャワーは最高だ。今日は、朝から幸先がいい気がする。このいい気分を壊したくないから、今日こそ平穏無事に一日が済むことを切に祈る。
ちなみに、俺の祈りはよく裏切られる。
極力誰とも関わらずに過ごす、という今朝の俺の決心は放課後まで守られた。
一文字さんや麻滝が俺の方を気にしていても、完全に無視を決め込んで会話をせずに過ごした。
そして放課後。
麻滝に話しかけられるかと警戒していたが、彼女は矢口先生の終わりの挨拶が終わると同時に教室から出て行った。部活が忙しいのだろう。
いい感じだ。今日は平和に終わるかも。
俺がしばらく席について教室から人が減るのを待ちつつ、ゆっくりと荷物を片付けていると、
「あ、多々良君、また明日」
おずおずと一文字さんが挨拶してくる。
俺が話しかけて欲しくないオーラを出していることを察しながらも、せめて最後に挨拶だけはしておこうと思ったのだろう。義理堅いことだ。
「また明日、一文字さん」
俺が挨拶を返すと、それだけで一文字さんは嬉しそうに笑う。
そういう表情をすると、童顔が一層幼く見える。
まあ、いいか。これくらいのやり取りならリルカも反応しないだろう、多分。
ちなみに一文字さんの顔色は少々悪かった。
おそらく、昨夜リルカに枕元に立たれたのだろう。非常に申しわけない。
リルカ、頼むから人に迷惑かけないでくれ。俺にする分には、命に別状がないくらいなら我慢するから。彼氏からのお願い、聞いてもらえないものかな。
「……ん?」
荷物を鞄にしまい終わろうかというその時、机の中に四つ折にされた紙を発見する。
ノートから破り取ったと思われる紙だ。俺はこんなものを机に入れた覚えはない。
昼休憩、いつものように屋上に行ったから、その時に入れられたのか?
嫌な予感がするが、無視したら後々更に面倒なことになりそうな気がする。要するに、無視してもしなくても行先は面倒事なわけだ。
祈りは裏切られるが、嫌な予感は大抵的中する。
仕方なく四つ折の紙を開く。
「……ち」
舌打ち。
荷物を全て鞄に詰め込む。その鞄を持ち、俺はまた探偵倶楽部の部室に向かう。
やれやれだ。
軽くノックをしてドアを開ける。
「おい、麻滝、来てやっ――」
部室にはマリアしかいない。
「げっ」
「『げっ』はこっちのセリフだよ疫病神」
マリアはソファーに腰掛け、背もたれににだらりと全体重をあずけている。その姿勢で年下とは思えないプロポーションが強調されているが、それを嬉しく思うよりもマリアと二人きりなことへのマイナスの思いが大きい。
俺はリルカを刺激しないように、マリアと喋らないようにしようと考え――すぐにその考えを棄却した。
もう諦めた方がいいだろう。こっちが黙っても向こうから突っかかってくるに決まっている。
きっと今日もリルカは怒り狂う。俺がこの部室に来たからにはそれを覚悟するしかない。
「どうしてここに来たんだ?」
睨まれる。
「これ」
簡単な返事と共に、机の中に入っていた紙をマリアに渡す。
紙には、「放課後、部室へ。木崎はまだ戻らず。麻滝撫子」とだけ書いてある。
「これか。たったこれだけの情報でここに来たわけ? ったく、撫子様の予想が当たるとは……」
「逆に、それだけしか書いてないから、気になって来たんだよ。で、麻滝の予想ってなんのことだ?」
「さっきまで、撫子様と犬飼と成島、全員ここにいたのよ。で、賭けで盛り上がってたの」
「賭け?」
「お前が来るかどうか。ちなみに、撫子様以外は全員、お前が来ないに賭けた。昨日の様子からして、絶対にこんな紙切れで来るわけないと思ってたのに」
やかましい。
人で賭けをするな。
「悪かったな。けど、麻滝がいないなら帰るぞ」
「ああ、帰れ帰れ……と、いいたいところだけど、撫子様から、お前が来たら協力要請するように言われている」
忌々しそうなマリアの顔。
本当に忌々しいのはこっちだ。
あの探偵少女は、完全に俺という人間を見透かしているつもりだろう。
それだけでも腹立たしいが、なお問題なのは、展開を見る限り「つもり」ではなく実際に俺が見透かされている可能性があることだ。
「協力要請って、例の行方不明事件か。まだ帰ってきてないってことは、これから調査だな」
「そういうこと。麻滝様と犬飼、成島は聞き込みにいったから、あたしは幽霊マンション担当。実地調査ってわけよ。協力しろ」
相変わらずの上から目線だ。
全く、酷い話だ。そもそも、先輩だっていうのに。
「あれ? というか、それで全員なのか。探偵倶楽部って麻滝含めて四人しかいないのか? あんまり麻滝の人気も大したことないな」
「馬鹿」
殺すような目で睨まれる。
「撫子様がいるってだけで入部希望する奴が多すぎて、本当に能力のある人間しか入部させていないだけだ」
幾分か誇らしそうだ。
自分がその選ばれた能力のある人間だ、という意識が透けて見える。
しかし、それは知らなかったな。
探偵倶楽部が四人だってこともだし、マリア、成島、犬飼の雑多な三人が麻滝のチョイスした精鋭部隊だってことも。
あいつ、人を見る目はないのかもな。
「それは失礼。で、協力って、一緒に幽霊マンションに行けってことか? だったら断る」
昨日断ったのに、今日承諾するとでも思ったのか。
「あたしだってお前と一緒なんて嫌だよ! 何が悲しくて多々良と一緒に心霊スポットに乗り込まなきゃいけないんだ。お前と話した日の夜は、家に張った結界が全てぶち壊される。これで原動力が嫉妬だっていうんだからやってられない。まったく、リルカって怨霊も、お前なんかのどこが嫉妬するほど好きになったんだか」
「それはこっちも知りたいところだ。それはいいとして、お前も嫌なら、俺、もう帰ってもいいか?」
「ダメ。嫌だけど、お前と一緒に行けっていうのが撫子様のお言葉だ。というわけで一緒に行くぞ」
金髪をかきあげるマリア。胸を突き出すようにするのでボディラインが強調される。
「おい、その格好、はしたないぞ」
「さいてー。すぐそういう目で見ないでくれる? 全く、これだから日本の男は……まあ、日本の男の中でも多々良は飛び抜けて最低だけど」
冗談ではなく、本気で軽蔑した目で睨まれる。
「あのさ、俺が怒らないと思ったら間違いだ。俺だって怒る時は怒る」
「とにかく、今日はどんな感じかだけでも見に行くわよ」
「このまま直行か?」
「ええ。私服に着替えたら、またお前にいやらしい目で見られるし」
「ぶん殴るぞ。それに、俺は行くってまだ言ってないんだけど」
一応抵抗を試みるが、
「来ないなら引っ張ってでも連れてくから」
完全に本気の静かな口調で言われる。
「乱暴な」
憎まれ口を叩きつつも、俺はいつしかマリアと一緒に幽霊マンションに行くのがそこまで嫌ではなくなっている。
理由は単純で、マリアと話しているうちに楽しくなってきたからだ。
マリアは美しい女の子ではあるが、リルカへの霊的な対抗手段を持っているので、俺はある程度は気にせず喋れる。リルカの被害が、基本的には俺だけに降りかかるからだ。
俺が気兼ねなく喋ることのできる女の子はマリアだけだと言っていい。リラックスして女の子と喋るのは楽しい。
当たり前か。
ただ問題は、マリアが俺のことを毛嫌いしているということだ。
初めて会った時から今もずっと。
とある事件への協力報酬として、麻滝から校舎の屋上の鍵をもらって、すぐの頃だ。
俺は麻滝に、リルカについて解決できるかもしれない、と言われて昼休みの屋上まで呼び出された。
屋上には、既に麻滝がコートをなびかせ立っていた。麻滝は金髪の少女を連れていた。
初対面だが、その金髪の少女のことは知っていた。
マリア・ワトスン。
イギリスからの留学生だ。西洋人形のような美貌と金髪碧眼、白い肌、日本人ではあまり例を見ないほどのプロポーションと、話題になる要素の塊のような留学生だった。
留学してきた二週間前からずっと、校内は彼女の話題で持ち切りだった。ほとんど誰とも喋らない俺ですら知っているくらいに。
「彼女は、マリア・ワトスンだ。まあ、名前くらいは知っているかな? 彼女は、オカルティストらしい。私もつい最近、ある事件で関わって知ったのだがね。それで、彼女ならば君の抱えている問題を解決できるのでは、と思ってね」
オカルティストか。そう言われてみると、どことなく神秘的な雰囲気があるな。
そう思いながらマリアのことを眺めていると、
「お前、何じろじろ見てるんだ。見るな」
マリアは目を細めて、流暢な日本語で言い捨てた。
留学生の美少女は、見た目はパーフェクトだが性格がとにかくきつい。これも、校内で持ち切りになっている噂の一部だ。男に対しては特にひどいとか。
「元々、マリアはカバラ思想を勉強中に日本の密教に興味を持って留学してきたそうだ。日本における心霊現象にも興味を持っているらしいから、ちょうどいいだろう? ウィンウィンの関係だ。マリアは興味のある分野を実地で学べる。多々良君は問題が解決する」
「撫子様」
マリアは麻滝に向かって頭を下げた。
「ご配慮、痛み入ります」
「撫子と呼ばないで欲しいんだが……それで、どうだい、マリア? 麻滝君を見て、何か、感じるかい?」
じろじろと、金髪の美少女は俺の頭の上からつま先まで観察してきた。
そして、顔が訝しげなものになる。いや、それは恐怖を、理性で必死に押し隠したものかもしれない。
その顔のままマリアは手を懐に入れて、次の瞬間驚愕したように目を見開いた。それから、ゆっくりと屈辱に耐えるような表情へと変化していった。
「確かに、黒い影がべっとりと背中にへばりついています。けど――これはあたしの手に余ります」
心底悔しそうに、自分の無力さを呪い殺しそうな顔でマリアは言った。
「あたしのとっておきが――古木から削り取ったバロンのタリスマンが、近付いただけなのに拒否反応を起こしました」
懐からマリアが取り出したのは、黒い木片を紐に通してペンダントにしたものだった。その木片はよく見れば獅子の形をしており、その獅子の頭の部分にひびが入っていた。
「ふむ、残念だ」
本心らしく、麻滝は眉を寄せて俯いた。
「認めない。こんなの、あたしが無力だなんて」
低く呟いて、マリアは俺を呪うような目をした。
本気で、誰かを呪う目を初めて見た。
「いや、ちょっと落ち着いてくれよ。別に俺気にしてないから」
怖くなった俺は、フォローのつもりで言った。
だが、マリアは聞こえていない様子で、
「畜生、畜生が。いつかやってやる、いつかやってやる。消し去ってやる」
ぶつぶつと呟いていた。自分に言い聞かせるように。
その初対面の日から、マリアはずっとリルカを除霊するための力を求めている。今もずっとだ。
それでも、まだ歯が立たないらしい。
だから俺を見るたびに悔しそうな顔をして密かに歯噛みしているのを、俺は知っている。。
今なら、少しだけ理解できる。
きっと、マリアが俺を嫌っている理由には、俺と麻滝が親しく見えるという以外にも、それがある。
マリアは、自分が無力だと感じさせるもの全てを憎んでいる。
力の信奉者であり、無力の断罪者なのだ、おそらく。




