第十二話『空の彼方へ』3
火災発生直後、大ホールにいた沙耶達は逃げ惑う人々の波には乗らず、一時その場から動かない選択をした。
閑散とした劇場の中で今すぐにでも離れたい一心で立ち上がったままのトーレスを落ち着かせようする沙耶。
しかし、既に沙耶は隠しきれない異変を抱えていた。
全身から血の気が引いていくような悪寒。
爆破テロによって犠牲となった被害者と屍人化する人間達の泣き喚く悲鳴が怒涛のように沙耶の身体を蝕んでいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……トーレス、ごめんなさい。貴方だけでもこの場を離れて……私は動けそうにないわ」
「何だよ、それ……母さんを見捨てて逃げろって言うのかよ。
それだけ苦しいってことは、外でヤバいことが起きてるんじゃないのかよ」
「そう……みたいね。沢山の魂の悲鳴が聞こえるわ。悪しき者の気配はよりその強さを増している」
「だったら、助けを待った方がいいだろ。こいつもまるで母さんから離れる気はないって顔をしているし」
苦しむ沙耶に寄り添い、ピクリとも動かないエルディン。
トーレスは混乱する頭の中で必死に恐怖心を押さえつけていた。
「……どうしてこんなことを。燃えているわ……灼けるように熱いっ」
高校卒業後、守護霊となったドッペルゲンガーと同化して半人半霊の魔法使いへと覚醒を果たした沙耶は一時、精神が安定して霊が視界に入ることが気にならなくなったが、死の臭いに対する反応はより敏感になった。
霊体を身体に宿し、人の死を感知できる敏感な体質に変異した沙耶は泣き叫び苦しむ死者の声が身体を汚染し、無情にも身体を蝕むようになった。
声が聞こえなくても、視界に入らなくても、近距離であれば死の恐怖に震える声が聞こえてしまう身体。それにより激しい頭痛を伴い、心臓を掴まれるような恐怖に襲われ、身動きが取れなくなってしまう沙耶。
これは、死者の数が多ければ大きいほど沙耶の身体を蝕み、ひたすらに彼らの断末魔が耳に響き渡って来るのだった。
「母さん、早く逃げないと……どうしようもないじゃないか……」
ただ待っているだけで助けが来るとは思えない。
絶望的な状況に嫌気が差して来るトーレス。
そして、さらなら脅威が三人の前に忍び寄っていた。
隣に立つエルディンが血相を変えて沙耶の服を掴んだ。
「……今すぐここを離れて? 悪意のある気配は感じないけど。まさか、闇に紛れて気配を消しているというの?」
死者の声が聞こえる分、危険を察知する力に優れた沙耶でも気付かなかった危険な気配をエルディンは敏感に感じ取った。
エルディンは声を出せないが、テレパシーを通じてコミュニケーションをとることが出来る沙耶はその表情を見て、冗談ではないことを察した。
三人の下に迫る脅威……それは闇に紛れる紅い瞳。生者を喰らい、屍人へと変異させる吸血鬼。
舞台上に姿を現した、黒いマントを羽織る真っ白い肌をした銀髪の男。
異質な姿をしたソレを目にした瞬間、沙耶は出会ったはならない相手だとすぐに勘付いた。
「あらこれは驚きました……ショーの準備をしようと来てみたら、実に活きの良い魔力の反応がします。そうですか、貴方ですか」
中性的な口調をした男が不気味な笑みを浮かべる。
エルディンは沙耶から手を放すと、一歩前に出た。
まともにやり合って対処できる相手ではない。
エルディンの異常な反応からそう判断した沙耶はトーレスの手を掴んだ。
「行くわよ、トーレス。安全な場所に逃げることだけを考えて。振り返ってはダメよ」
真剣な沙耶の言葉にトーレスは頷き、両足に力を込めた。
エルディンにこの場を任せて無我夢中で劇場から飛び出す。
舞台上に俯瞰して立ち続ける男は追ってはこなかった。
沙耶は扉の前に立ち、”あなたも無理せず、すぐに追いついて来るのよ”と告げると、死の臭いがまだ薄い通路を走り、危機を脱した。
思わぬ形で上位種のゴーストと遭遇することになった沙耶達。
エルディンの無事を信じて逃げ惑う沙耶は既に劇場全体が屍人だらけの地獄であることを知った。
それから難を逃れた沙耶達は上位種のゴーストによって手痛い痛手を負ったエルディンと合流を果たし、安全な場所を求めてドーム内の観光施設の一つ、植物園に流れ着いた。




