第四話『歴史を紡ぐ魔女』4
「それで、お母さんは有田ミカンを食べに来たわけじゃないよね?」
「ミカンくらいはいつでも食べられるわよ。出張に行く用事が出来たのよ」
近頃は体調不良で入院することが少なくなった凛音を気遣う隆二郎と黒江。
元気そうな姿に安心した黒江は公演が無事に終わるまで香港に滞在することを告げた。
「そうなの……いい歳なんだから無理はしないでよ」
「心配性ね、分かっているわ。今回はプリミエールも連れて行くつもりだから」
「本当に? 覚醒してからまだ二年しか経ってないのに。急ぎ過ぎじゃないの?」
「そうでもないわ。厄災の時も学園長時代もプリミエールと同じような年頃からゴースト退治をしてきた子達を見てきた。経験をしていくにはいい機会よ」
焦っているように感じて心配そうに見つめる凛音に説明を行う黒江。
凛音から見て黒江の言動に迷いはなく、不安な様子も見受けられなかった。
「私が不在している間は隆二郎に任せるから、後はよろしく頼むわね」
仏頂面をした隆二郎が黒江の言葉に正座をして小さく頷く。
舞原市に聳え立つ象徴的な建造物であるクリスタタワー建設にも深く携わった過去があり、建築関係とも距離の近い水原の姓を持っていた隆二郎。
今は凛音の夫として稗田家の一員になり、黒江の代わりに会合に出ることも少なくない。黒江の跡を継ぎ、稗田家の次期当主として期待する黒江は強い信頼を寄せていた。
用事を終えて、静かに立ち上がる黒江。
周囲を結界が覆う稗田家本家の屋敷で安全に暮らす凛音。
それを支える堅物で生真面目な性格をした隆二郎。
今はアメリカで暮らす後継者の知枝と成長を続けるプリミエール。
様々な紆余曲折はあったものの、次代を担う面々は黒江の思惑通り、順調に揃いつつある。
宿敵との再戦を迎える危険性のある旅立ちの時を迎えても、悔いが残るような後悔の二文字は黒江にはなかった。
「待って、渡したいものがあるの」
凛音は慌てるように炬燵を出て立ち上がると、この場を去ろうとする黒江に制止を促した。
そうして、隣の部屋の和室に置かれた箪笥を開くと、紺色のジュエリーケースを取り出した。
黒江の前に立ち、ゆっくりと開封される、美しい紫色が特徴的な宝石。
宝石から秘められた力を感じ取った黒江は瞬時に血相を変え、驚きに染まった。
「凛音、それは……」
「私の血と涙の結晶。少しずつ、魔力を注いでいたの。いつか必要になる時のために」
半人半霊の魔法使いに覚醒している凛音だが、厄災で背負った後遺症によって何度も記憶を失っては涙を流してきた。
それでも……凛音は自分の持つ魔力から逃げることはなかった。
無理をすれば意識を失い、これまでの記憶を一度に失う恐れがある。
だが、いつか必要になる日のために、誰かの役に立ちたいという想いを込めて、ひっそり凛音は宝石に魔力を注いできたのだった。
「受け取ってくれる? 私には戦う力はないから使う日はきっと来ない。
だから、お守り代わりにママが受け取って。
必要になった時は、遠慮なく砕いてくれていいから」
感情の込められた言葉を贈り、ジュエリーケースを差し出す凛音。
こういう真剣なムードの時の凛音は頑固だ。
それをよく知る黒江は静かに息を吐き、ゆっくりと手を伸ばした。
「こんなきれいな宝石、私のような老婆には勿体ないわよ。
それでもいいの、凛音?」
「当たりの前だよ。私のママはたった一人だけ、今もずっと輝いているよ。
親孝行は出来る内にしておかなきゃだから。持っていって」
凛音の想いが込められたプレゼントを黒江は受け取った。
手にした宝石は紫水晶とも呼ばれる”アメジスト”
パープルカラーが実に似合う黒江にピッタリの宝石であった。
こうして、愛の守護石を受け取った黒江は娘の凛音を日本に置いて、プリミエールを連れて香港へと向かうことになった。
……これが愛娘と最後の会話になるとは、思いもしないままに。




