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第94話 白花の根

 礼拝堂の扉は、内側から白い光で閉ざされていた。


 聖堂用の封鎖術式。


 外敵から祈りの場を守るためのものだと、表向きには説明されるのだろう。


 だが、透の灰域(かいいき)には違うものが見えていた。


 封鎖の奥に、焦げた紙の匂い。

 声止め札の残滓。

 眠り粉。

 小さな呼吸。

 そして、地下へ落ちていく名前の気配。


 透は足を止めない。


 右腕の灰殻手甲が鳴る。

 灰が指先へ集まる。


 扉の前で、リィンの青い針が三本飛んだ。


「表は聖堂結界。裏に焼却命令」


「浮かせろ」


「了解」


 青い針が結界の表面に触れる。


 壊さない。

 祈りの場を守る外枠は残す。

 その下に隠された、地下の証拠を焼く命令だけを浮かせる。


 白い光の奥から、赤黒い線が現れた。


 透の灰糸(かいし)が絡む。


灰断(かいだん)


 命令が灰になる。


 扉そのものは残った。

 聖堂結界も壊れていない。


 ただ、地下へ燃え広がる線だけが消えた。


 シェラの右目が光る。


「聖堂結界、外枠保存。焼却命令、除去。証拠性、維持」


 バルザが背後で唸る。


「器用だな。普通なら扉ごと砕く」


「砕くなら後でいい」


 透は扉を押した。


 重い扉が開く。


 白花修道院の礼拝堂は、静かだった。


 高い天井。

 白い柱。

 祭壇の上には、白い花冠を抱いた女神像。

 窓から差し込む光は柔らかく、床には花弁の影が落ちている。


 美しい場所だった。


 だからこそ、透の目には冷たく映った。


 祭壇の下から、地下の匂いがする。


 ルカが道番の板を抱え、祭壇へ駆け寄る。


「ここ。花の下。道が隠れてる」


 シェラが祭壇を解析する。


「祭壇台座、可動式。封印鍵、三。神殿系認証、院長印、監督官印、白倉印」


 リィンが青い針を構える。


「白倉印が一番奥」


 透は灰骸刀の柄に触れた。


 抜く。


 灰の刃が、鞘の中から静かに現れる。


 礼拝堂の空気が変わった。


 後ろでエルドが叫ぶ。


「祭壇に刃を向けるなど、神への冒涜です!」


 透は振り返らない。


「地下で子どもを焼く方が冒涜だ」


 エルドの声が詰まった。


 ベリオが聖杖に手をかける。


 その前に、相良が立った。


「今は止めないでください」


「勇者様、あなたは神殿の――」


「人がいるんでしょう!」


 相良の声が礼拝堂に響いた。


 彼自身が驚くほど、強い声だった。


「子どもがいるなら、まず助けるべきです。信仰も手続きも、その後でいい」


 ベリオの顔が怒りに歪む。


 だが、相良は退かなかった。


 久世とアルマは薬師たちの前に立ち、黒瀬は礼拝堂の横扉を確認する。

 美琴は院長を支え、芽衣はミドの呼吸を見ている。


 誰も完全には揃っていない。

 それでも、それぞれが動いている。


 透は祭壇へ向き直る。


 リィンが三つの封印鍵を浮かせる。


「院長印は縛られてる。監督官印は外から。白倉印は地下へ繋がってる」


「白倉だけ斬る」


「うん」


 灰骸刀の刃が伸びる。


灰刃延(かいじんえん)


 刃先から灰が細く伸び、祭壇の台座の内側へ入り込む。

 石を割らない。

 女神像を傷つけない。


 奥に隠された白倉印の芯だけを探る。


 白い目。

 欠けた王冠。

 番号化。

 搬送。

 焼却。

 沈黙。


 吐き気がするほど冷たい命令の束。


 透の目が冷える。


灰断刃(かいだんじん)


 刃が走った。


 祭壇の石には傷一つつかない。


 だが、内部で何かが砕ける音がした。


 白倉印の命令だけが灰になり、祭壇の下から低い唸りが消えた。


 台座が静かにずれる。


 地下へ続く階段が現れた。


 白い花の香りが、一気に腐った薬の匂いへ変わる。


 ニーナが顔を青くした。


「これは……」


 ルカが階段の奥を見た。


「下に、名前がたくさんある」


 透は灰骸刀を鞘へ戻さず、階段へ踏み込んだ。


「行くぞ」


 地下へ降りる。


 白い石段は途中から灰色の粗い石へ変わった。

 壁には薬草の束が吊られている。

 だが、その奥には別の札が貼られていた。


 声止め札。

 眠り札。

 番号札。

 認識阻害札。


 リィンが針を飛ばすたび、札の危険な線が空中で止まる。

 透の灰糸が命令を喰い、シェラが外枠を記録する。


 進むほど、音が聞こえた。


 咳。

 すすり泣き。

 木箱を引きずる音。

 焦げる紙の匂い。


 階段の先は、広い地下薬庫だった。


 表向きには、薬草と聖薬瓶を保管する場所なのだろう。

 確かに棚には薬草が並んでいる。


 だが、奥には鉄格子があった。


 その中に、子どもがいた。


 一人ではない。


 六人。

 亜人の耳を持つ子。

 角のある少女。

 人族に見えるが、腕に封印耐性の印を押された少年。

 眠ったままの幼い子。


 全員の首元か胸元に、番号札がついている。


 猫血二二。

 山羊角一四。

 封耐三。

 狐血不明。

 孤児灰外。

 聖薬反応小。


 透の灰が、足元で静かに広がった。


 怒りは熱ではない。


 冷たい。


 深く沈む。


 奥では、修道服の男が二人、書類箱に火をつけようとしていた。

 さらに白い仮面の回収人が一人、子どもたちの格子へ封鎖札を貼っている。


 白倉回収人。


 その首元には、欠けた王冠の中の白い目があった。


 回収人は透たちを見ると、すぐに札を起動した。


「地下処分、開始」


 格子の内側に白い光が走る。


 眠った子どもの胸元の番号札が赤く光った。


 リィンが叫ぶ。


「内側から焼く!」


 透の姿が消えた。


 次の瞬間、回収人の右腕が曲がった。


 骨が折れる音。

 札が床へ落ちる。


 回収人が悲鳴を上げる前に、透の灰糸が喉元へ絡んだ。


「黙れ」


 声は低い。


 回収人の自害命令が動く。


 リィンの青い針が喉の横を縫い止める。

 透の灰が命令だけを喰う。


 死ぬ逃げ道を奪う。


 その間にも、番号札の赤い光は走っている。


 シェラが叫ぶ。


「番号札六、同時起動。焼却および記憶消去命令」


 ネイラが外套を脱いだ。


 黒角が露わになる。


 その瞬間、地下の空気が変わる。


 ベリオが背後で息を呑む。


「魔族――!」


 ネイラの黒炎が、床を這った。


「黙れ。燃やす相手を選んでいる」


 黒炎は子どもへ向かわない。


 番号札の表面に絡んだ焼却命令だけへ食いつく。


 リィンの青い針が、六枚の番号札の反動線を同時に止める。

 透の灰糸(かいし)が、札の芯に入り込む。


灰断(かいだん)


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 番号札の命令が灰になっていく。


 だが、四つ目で抵抗が強まった。


 白倉印が奥で連動している。


 地下全体の焼却命令が、まだ生きている。


 透は灰骸刀を抜き直した。


「バルザ、格子」


「任せろ」


 バルザが鉄格子へ踏み込む。


 ただ力任せに壊せば、内側の封鎖札が子どもたちへ反動を返す。

 だから、リィンが格子の結び目を針で浮かせる。


「右上、左下、中央」


「そこだな」


 バルザの爪が、指定された金具だけを抉った。


 格子が歪む。


 ダグラスが横から幅広剣を差し込み、てこのように押す。


 鉄格子が外れた。


 久世は後方で、修道服の男が投げた燃焼瓶を見た。


 反射的に斬れば、瓶が割れて火が広がる。


 斬るな。


 透の言葉が頭に残っていた。


 久世は踏み込み、剣の腹で瓶の軌道を下へ押した。

 アルマがすぐに布を投げ、瓶を包む。

 芽衣が薬液壺の水をかける。


 火は広がらなかった。


 久世は息を吐く。


 また、斬らなかった。


 それでも止められた。


 相良は王都騎士たちの前に立っている。


 地下にネイラの黒角が見えた瞬間、騎士たちは剣を抜きかけた。

 神殿側にとって、魔族は敵だ。


 だが、ネイラの黒炎が焼いているのは子どもではない。

 番号札の命令だ。


 相良は聖剣を抜いた。


 騎士たちへ向けてではない。


 床へ突き立てる。


 光が小さな壁になり、王都騎士たちの前を塞いだ。


「今は動くな!」


「勇者様、魔族が――」


「子どもを助けてる!」


 相良の声が地下に響く。


 騎士たちは止まった。


 エルドは顔色を変えていた。


 ネイラの存在。

 白倉印。

 地下の子ども。

 どれも、神殿側には都合が悪い。


 透はそれを灰域の端で感じながら、地下中央の白倉印へ向かった。


 床に刻まれた欠け王冠と白い目。


 荷捌き場より濃い。

 白花修道院の地下全体を動かす中枢だ。


 番号化。

 搬送。

 焼却。

 院長認識阻害。

 荷車偽装。

 孤児名簿改竄。

 聖薬配布記録偽装。


 命令が幾重にも重なっている。


 透の灰骸刀が重く鳴った。


 刃が覚えている。


 東水路。

 荷捌き場。

 白倉回収人。

 サリカの番号札。

 ミドの番号札。


 同じ味だ。


 だが、濃い。


 リィンが透の隣に立つ。


「全部斬ると、証拠が崩れる」


「どれを残す」


「白倉印、搬送記録、院長の線。焼却と記憶消しだけ斬る」


「わかった」


 短い確認。


 透は灰骸刀を構えた。


灰刃延(かいじんえん)


 灰の刃が床の印へ伸びる。


 表面ではなく、奥へ。

 印の下に絡む命令の層へ。


 白い目が赤く光る。


 回収人が床で叫ぶ。


「やめろ! それは白倉の――」


 バルザの足が回収人の背中を押さえた。


「黙ってろ」


 透は刃を沈めた。


灰断刃(かいだんじん)


 一閃。


 地下全体を揺らしていた焼却命令が切れた。


 紙箱へ伸びていた火が消える。

 番号札の赤い光が落ちる。

 天井の封鎖線が鈍る。


 だが、白倉印の外枠は残っている。

 搬送記録の線も残っている。

 院長の認識阻害線も、証拠として残された。


 シェラが記録光を全開にする。


「白花地下中枢印、焼却命令および記憶消去命令除去。白倉搬送記録、孤児名簿改竄線、院長認識阻害線、保存成功」


 セイルがいれば泣いて喜んだかもしれない。


 真由はすでに書類箱へ走っていた。


「搬送記録、こっち! 美琴、箱を押さえて!」


「うん!」


 美琴が焦げかけた書類箱を支える。


 手首の古傷が痛む。


 白倉印の近くにいるだけで、かつての監視封環に似た痛みが走るのだ。


 だが、彼女は手を離さなかった。


「この痛み、腕輪と似てる……同じ系統かもしれない!」


 シェラが記録する。


「美琴証言。白倉印と監視封環痛覚反応に類似性」


 黒瀬は棚の奥を見つけた。


「隠し棚。名前じゃなくて番号の束」


 ルカがすぐに駆け寄る。


 棚の下に、小さな骨箱が並んでいる。


 中には、番号札の予備。

 半分だけ書かれた名簿。

 そして、白花修道院から白倉へ送った子どもたちの記録。


 ルカは一枚を見て、顔をこわばらせた。


「名前、途中で切ってる」


 透が近づく。


 名簿には、こう書かれていた。


 リザ・トール。

 山羊角一四へ移行予定。

 白倉搬送、明朝。

 封印耐性中。

 地下第二房。


 ルカが顔を上げる。


「リザ、ここにいる」


 シェラが右目を光らせる。


「地下第二房、未確認。位置、東側壁奥。封鎖中」


 透は即座に向きを変えた。


「ルカ、道」


「こっち!」


 ルカが走る。


 リィンが続く。

 透、バルザ、シェラ、ネイラが続く。


 地下薬庫の東側壁。

 そこには棚が並んでいるだけに見えた。


 だが、ルカは迷わず一つの棚を指す。


「この後ろ」


 透の灰糸が棚の裏へ走る。


 隠し扉。

 開けると内部を焼く仕組み。

 白倉印の小型版。


 リィンの針が反動線を押さえた。


「中に一人。起きてる」


 透は灰骸刀を構える。


灰断刃(かいだんじん)


 小型印の焼却命令だけを斬る。


 扉が開いた。


 狭い第二房の中に、山羊角の少女がいた。


 手足を白布で縛られ、口に声止め札。

 目は開いている。

 恐怖で震えているが、意識はある。


 リザ・トール。


 ニーナが後ろから息を呑む。


「リザ……!」


 リィンがすぐに声止め札を処理する。

 透が番号札の命令を喰う。

 ネイラの黒炎が焼却線の残りを焼く。


 リザが咳き込み、声を取り戻した。


「……リザ」


 ルカが頷く。


「リザ」


 シェラが記録する。


「名前戻し、第二対象。リザ・トール。山羊角一四への番号化、未完了。本人名確認」


 リザは泣き出した。


 その泣き声が地下に響く。


 美しい礼拝堂の下に隠されていた声。


 透はそれを聞きながら、白倉回収人へ戻った。


 男はまだ床で押さえられている。


 透はしゃがみ込む。


「白倉への荷車は」


 男は口を閉ざす。


 透の灰糸が喉元へ絡む。


「次はない」


 男の顔が青ざめる。


「……明朝。聖薬荷車二台。表は薬、裏は子どもと名簿。白花から北の巡礼路へ出て、白花橋で別の御者に替わる」


「白花橋」


 シェラが記録する。


「白花橋、搬送中継点。明朝予定」


 透は男を見下ろした。


「今日で終わりだ」


 男は震えた。


 透は立ち上がる。


 地下では、子どもたちが次々に解放されていた。


 リィンが声止め札を外す。

 芽衣とニーナが薬を飲ませる。

 美琴が毛布をかける。

 相良が王都騎士を押さえ、久世とアルマが逃げようとした修道服の男を証拠ごと拘束する。

 黒瀬が隠し棚を見つけ、シェラがすべて記録する。

 バルザとダグラスが重い木箱を運び出す。


 ネイラは黒炎を小さく操り、番号札の命令だけを焼いていた。


 その姿を見ていたベリオは、言葉を失っている。


 魔族が、子どもを焼いていない。

 神殿の札を焼いている。


 その事実をどう扱えばいいのか、彼にはわからないのだろう。


 エルドは静かだった。


 だが、その目は激しく動いている。


 この地下が暴かれた。


 白花修道院の表の顔が剥がれた。


 白倉への搬送路も一本見えた。


 神殿監督官として、彼は何を守ろうとしているのか。


 透はエルドの方へ歩いた。


 エルドは一歩も動かない。


 透は血と薬と白花の匂いが混じる地下で、静かに言った。


「これでも誤解か」


 エルドは答えない。


「これでも、清廉な施設か」


 エルドの唇がわずかに動いた。


「……私は、この地下の全容を把握していません」


「そうか」


 透の声は冷たい。


「なら、覚えておけ」


 灰が地下の床へ広がる。


「知らなかったで、消えた名前は戻らない」


 エルドの顔が歪む。


 透は続けた。


「俺たちは戻す」


 地下にいる子どもたちの泣き声。

 ニーナの薬瓶の音。

 リィンの青い針。

 シェラの記録光。

 ネイラの黒炎。

 ルカが名前を呼ぶ声。


 それらを背に、透は言った。


「お前たちが消した名前を、全部」


 エルドは何も言えなかった。


 その時、灰信片が鳴った。


 シェラが顔を上げる。


「ベルディアギルドより緊急。白花修道院北側、武装集団接近。所属不明。王冠印反応あり。白花橋方面より逆流」


 バルザが牙を見せた。


「証拠を取り返しに来たか」


 透は地下の子どもたちを見た。


 守るものが多い。


 ここでは広く壊せない。


 だが、やることは決まっている。


「子どもと証拠を出す。地下を押さえる。外は俺が行く」


 リィンが頷く。


「地下は止める」


 バルザが笑う。


「外は?」


「まず俺が止める」


 透は灰骸刀を鞘へ納めた。


 まだ一人で蹂躙する日ではない。


 だが、白花の根を守るため、外から来る手を斬る必要がある。


 ルカが道番の板を握る。


「出口、二つ。安全なのは礼拝堂。北の裏道は敵」


「礼拝堂へ逃がせ」


「うん」


 透は階段へ向かった。


 背後で、リィンの青い針が地下の線を押さえる。

 シェラの記録光が証拠を写す。

 ネイラの黒炎が番号札の命令を焼く。

 相良たちが子どもを抱えて動き始める。


 灰の砦とベルディアの者たちが、地下で名前を戻している。


 なら、外から伸びる手は透が断つ。


 白い花の根から、灰が地上へ駆け上がった。


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