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第93話 白い花の門

 白花修道院は、ベルディア北の小高い丘にあった。


 街道から少し外れた場所。

 白い石垣に囲まれ、門の両側には名の通り白い花が植えられている。


 花弁は薄く、風に揺れるたび、甘い香りを広げた。

 遠目には穏やかな場所だった。


 灰色の石造りの礼拝堂。

 低い宿舎。

 薬草畑。

 井戸。

 荷車置き場。

 そして、孤児たちが遊ぶためだろう小さな中庭。


 街で聞いていた通りだ。


 救護施設。

 孤児院。

 聖薬配布所。


 どれも嘘には見えない。


 だが、透の灰域(かいいき)は、門へ近づく前から別の匂いを拾っていた。


 白い花の下。

 濡れた土の奥。

 薬草畑のさらに下。


 古い血。

 消毒薬。

 声止め札の残滓。

 そして、荷車の車輪に付着した白倉の冷たい魔力。


 透は立ち止まらない。


 隊は正面から進む。


 先頭には、依頼主である亜人街自治会のロウ老人と、薬師組合のニーナ。

 その横にダグラスとアルマ。

 中央に透、リィン、シェラ、ルカ。

 左右をバルザと灰布外套のネイラが固める。

 後方に相良たち王都組と、神殿監督官エルド、武装神官ベリオ、王都騎士四名。


 奇妙な列だった。


 誰もが同じ目的で歩いているわけではない。


 救う者。

 暴く者。

 隠したい者。

 見届ける者。

 まだ迷う者。


 それでも、白花修道院の門へ向かっている。


 門前には、白衣の修道女が三人立っていた。


 中央にいるのは、年配の女性だった。

 白い頭巾を被り、胸元に銀の花飾りを下げている。

 皺のある顔は穏やかで、目元には疲れも見える。


「ようこそ、白花修道院へ」


 修道女は静かに頭を下げた。


「私は院長のマレナと申します。聖薬配布日前の慌ただしい時ではございますが、ギルドからの照合依頼は受けております」


 声は柔らかい。


 だが、透はその背後の若い修道女たちを見た。


 片方は緊張している。

 もう片方は、透たちの後方にいるエルドへ一瞬だけ視線を送った。


 合図ではない。


 確認だ。


 エルドはいつもの穏やかな微笑を浮かべている。


「マレナ院長。急な申し出にも関わらず、対応に感謝します」


「神官監督官様のお立ち会いがあるならば、こちらも安心です」


 その言葉に、レオナがいれば鼻で笑っただろう。


 透は黙っている。


 ロウ老人が一歩前へ出た。


「南東亜人街自治会のロウだ。サリカ・ロウの件で、そちらの保護名簿と薬師記録を照合したい。ミド・カラン、リザ・トール、ほか数名の行方確認も求める」


 マレナ院長は胸に手を当てた。


「サリカさんのことは伺っております。大変な目に遭われたとか。当院に関わる者ではないと信じておりますが、行方不明の子どもたちのため、できる限り協力いたしましょう」


 ニーナが緊張した声で言う。


「薬師組合としても、聖薬配布名簿と薬草湯の受け渡し記録を照合させていただきます」


「もちろんです」


 院長は柔らかく頷いた。


「ただし、子どもたちの安全のため、地下薬庫や病室の一部には立ち入り制限がございます。薬や封印具に不用意に触れますと、危険ですので」


 エルドがそこで口を挟んだ。


「当然の措置です。ギルド側も、修道院の規則を尊重していただきたい」


 透はエルドを見た。


 エルドは穏やかな顔を崩さない。


 リィンが小さく言う。


「地下薬庫、ある」


「言ったな」


「うん。先に隠す必要がなくなった」


 シェラが記録する。


「白花修道院、地下薬庫存在を院長が明言。立入制限あり」


 院長の目が、わずかにシェラへ向いた。


「そちらの機兵は、記録をなさるのですか」


「はい」


「神殿施設内での無許可記録は、通常認められておりません」


 シェラの右目が淡く光る。


「本件はギルド正式依頼。行方不明者照合および証拠保全を含む。記録は必須」


 院長は困ったようにエルドを見る。


 エルドが静かに言った。


「機兵の記録については、後ほど精査すればよいでしょう。現場で不要な摩擦を起こすべきではありません」


 透はその言葉を聞き流した。


 後ほど精査。


 つまり、後で取り上げるつもりかもしれない。


 シェラも同じことを理解しているのだろう。

 記録板の補助光を二重にした。


 修道院の門が開く。


 中庭に入った瞬間、白い花の香りが強くなった。


 薬草畑の前では、数人の子どもたちが草を束ねている。

 修道女が優しく声をかけ、手つきを教えていた。


 一見すれば、穏やかな光景だ。


 相良は足を止めかけた。


 子どもたちは痩せているが、怯えきってはいない。

 衣服も清潔で、怪我の手当てをされている子もいる。


 美琴も小さく息を呑む。


「本当に、助けられてる子もいる……」


 真由が静かに答える。


「だから厄介なのよ」


 黒瀬が目を細める。


「表はちゃんと白い。そういう場所の方が、裏は隠しやすい」


 芽衣は薬草畑を見ていた。


「薬草の管理は本物だと思う。あの束ね方、ちゃんとしてる」


 エルドがそれを聞いて、穏やかに微笑む。


「白花修道院は、多くの者を救ってきました。疑うより先に、その事実を見ていただきたい」


 透は答えなかった。


 救っている者がいるから、奪っていないことにはならない。


 水を配りながら、名前を消すこともできる。

 薬を渡しながら、番号にすることもできる。


 その両方を見なければならない。


 マレナ院長は一行を礼拝堂横の記録室へ案内した。


 白い壁。

 木製の棚。

 薬草名簿、孤児保護名簿、病人記録。

 表向きの記録は、驚くほど整っていた。


 ニーナが薬師組合の記録を広げる。

 真由が横につき、照合を始めた。


 ロウ老人は椅子に座らず、立ったまま名簿を見ている。


「ミド・カラン」


 院長は棚から一冊の名簿を取り出した。


「三月前に一時保護。体調回復後、東の親類へ引き取られたと記録されています」


 ニーナが眉をひそめる。


「薬師組合には、その親類の届け出がありません」


「すべての届け出が薬師組合へ回るわけではありませんので」


 真由が淡々と問う。


「引き取り証人は?」


 院長は修道女へ指示し、別の紙を出させた。


 そこには署名があった。


 だが、ルカが紙を見た瞬間、首を傾げた。


「この名前、道がない」


 院長が瞬く。


「道?」


 ルカは透を見る。


「人の名前っぽいけど、戻る場所がない」


 真由がすぐに紙へ目を落とす。


「架空の親類?」


 シェラが記録光を当てる。


「署名筆跡、他書類三件と類似。別名義の可能性」


 院長の表情は崩れない。


「古い記録ですので、写しの際に筆跡が似ることも」


 黒瀬が棚の影を見て、小さく笑う。


「写したのは同じ人なんだ」


 院長の目が、黒瀬へ向く。


「何か?」


「いいえ。独り言」


 リィンは記録室の床を見ていた。


「下に線がある」


 透も感じていた。


 記録室の床板の下。

 白い封印線が一本、地下へ向かって沈んでいる。


 薬庫への道か。

 それとも別の地下室か。


 透はルカを見る。


 ルカは道番の板を抱え、こくりと頷いた。


「下。書いた名前が、下に落ちてる」


 その言い方に、ニーナの顔が強張る。


「名前が、下に……?」


 院長が少しだけ声を固くした。


「お子様には、修道院の記録管理は難しいでしょう」


 透が院長を見る。


「難しくても、見えるものは見える」


 空気が少し張る。


 エルドが穏やかに間へ入った。


「まずは表の記録照合を続けましょう。地下薬庫の確認は、その後でも遅くありません」


「遅い時もある」


 透の返事は短い。


 エルドの目が細くなる。


 その時、外から鐘の音がした。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 院長が顔を上げる。


「聖薬荷車が到着したようです」


 シェラの右目が光る。


「予定より早い到着。事前情報では明日朝」


 ニーナも驚く。


「聖薬配布は明日のはずです。今日届くのは早すぎます」


 マレナ院長は静かに微笑む。


「配布前の準備です。薬は寝かせる必要があるものもございますので」


 透は窓の外を見た。


 中庭の向こう、荷車置き場に白い布をかけた荷車が入ってくる。


 車輪に巻かれた白布。

 神殿の聖薬印。

 御者は二人。

 修道女が三人、すぐに寄っていく。


 だが、灰域が拾ったのは薬の匂いだけではなかった。


 木箱の中に、声止め札。

 薄い眠り粉。

 白倉の冷たい魔力。

 そして、小さな呼吸。


 透の灰が静かに冷えた。


「荷車の中に人がいる」


 記録室の空気が凍った。


 院長の表情が、初めて少しだけ固まる。


 エルドが即座に言う。


「確認もせずに断定するのは危険です」


 透はもう歩き出していた。


 リィンが隣につく。

 バルザが扉へ向かう。

 シェラが記録板を開き、ルカが道番の板を胸に抱える。


 ベリオが立ち塞がった。


「許可なく荷車へ近づくな」


 透は止まらない。


 ベリオの聖杖がわずかに上がる。


 次の瞬間、バルザの爪が聖杖のすぐ横に止まった。


 触れてはいない。


 だが、あと少しで折れる距離だった。


 バルザは低く言う。


「杖を上げるな。今は荷車が先だ」


 ベリオの顔が怒りに歪む。


 しかし、相良が横から前へ出た。


「俺も確認します」


 ベリオが相良を見る。


「勇者様、これは神殿施設内の――」


「人がいるなら確認すべきです」


 相良の声は震えていなかった。


「薬なら薬だと確認すればいい。違うなら、今止めるべきです」


 エルドが何か言おうとする。


 真由が先に言った。


「薬師組合の依頼内容に、荷車確認が含まれています。依頼書にも明記されています」


 ニーナも震えながら頷いた。


「はい。確認します」


 院長はしばらく沈黙した。


 そして、柔らかく微笑んだ。


「そこまでおっしゃるなら、どうぞ。ただし、薬箱を乱暴に扱わないようお願いします」


 透は返事をしなかった。


 中庭へ出る。


 白い花の香りが強い。


 荷車の周囲で、修道女たちが木箱を下ろそうとしていた。

 透たちが近づくと、その手が止まる。


 御者の一人が、わずかに腰へ手を伸ばした。


 黒瀬が後方から囁く。


「武器持ち」


 アルマと久世がすぐに薬師組合員と証拠箱の前へ位置を取る。


 久世の剣は抜かれていない。

 だが、抜ける体勢ではある。


 透は荷車の前に立つ。


 木箱は六つ。


 そのうち四つは、本当に薬草と瓶。

 一つは眠り粉。

 最後の一つ。


 人の呼吸。


 ルカが箱を指す。


「ここ。名前が閉じてる」


 リィンが青い針を一本抜く。


「声止め札。内側」


 ニーナの顔が青ざめる。


「開けます」


 修道女が慌てて止めようとする。


「その箱は、封を解く手順が――」


 透の灰糸が箱の封へ伸びた。


 封そのものは壊さない。

 開けると内側の札が燃える命令だけを喰う。


 リィンの針が声止め札の反動線を縫い止める。


 箱の蓋が、静かに開いた。


 中にいたのは、少年だった。


 猫耳。

 細い体。

 口に声止め札。

 手足に白い布の拘束。

 胸には、小さな札。


 ミド・カラン。


 ニーナが小さく悲鳴を上げた。


「ミド……!」


 ロウ老人の顔が怒りに震える。


 院長は息を呑んだ。


「これは……」


 エルドは沈黙した。


 シェラの右目が強く光る。


「荷車内より行方不明者ミド・カランと思われる少年を発見。声止め札、拘束布、胸部番号札あり。記録中」


 ミドの胸の札には、こう書かれていた。


 猫血二二。


 透の目が冷えた。


 番号。


 まただ。


 リィンが箱の中へ手を伸ばす。


「喉、浅い。サリカと同じ系統」


「外せ」


「うん」


 青い針が三本飛ぶ。


 声止め札の痛みの棘を浮かせる。

 透の灰糸が死んだ命令だけを喰う。

 札が剥がれ、ミドが咳き込んだ。


 芽衣がすぐに駆け寄る。


「呼吸、浅い。眠り粉を吸ってる。ニーナさん、薬を」


「はい!」


 二人が処置に入る。


 ミドの目が薄く開いた。


 ニーナが名前を呼ぶ。


「ミド。ミド・カラン、聞こえる?」


 少年の耳が震えた。


 掠れた声が漏れる。


「……ミド」


 ルカが小さく頷いた。


「名前、あった」


 透は胸の番号札を見た。


 猫血二二。


 灰糸が伸びる。


 壊さない。


 証拠として外す。


 リィンが反動線を止め、シェラが記録し、透が番号化命令だけを喰った。


 札は物理的に残る。

 だが、ミドに繋がる命令は切れた。


 院長は震える声で言った。


「私は……この箱の中身を知りませんでした」


 ロウ老人が振り返る。


「知らなかったで済むと?」


「本当に、私は……」


 その声には、嘘だけではない動揺があった。


 透は院長を見た。


 院長の足元に、白い封印線が伸びている。

 彼女の意思ではなく、地下から上がってきている線。


 リィンが小さく言う。


「院長の背中にも、細い線」


「操られてるか」


「全部じゃない。見ないようにする線」


 真由が息を呑む。


「認識阻害……?」


 エルドの表情がわずかに変わった。


 透は院長へ歩く。


 ベリオが動きかけるが、相良が前に立った。


「待ってください」


「勇者様」


「今は、待ってください」


 相良の聖剣が、まだ鞘の中で光った。


 透は院長の前に立つ。


「動くな」


 院長は震えながら頷いた。


 リィンが青い針を一本、院長の背後の空中へ刺す。


 何もない場所に、白い細線が浮かび上がった。


 それは院長の首の後ろから、礼拝堂の床下へ伸びている。


 透の灰糸が絡む。


 線の表面は生きた信仰魔力に似せてある。

 だが、芯は死んだ命令だ。


 見ない。

 疑わない。

 地下薬庫を確認しない。

 荷箱を開けない。


 透はその命令だけを喰った。


 院長が大きく息を吸う。


 そして、膝から崩れ落ちた。


「私は……何を……」


 修道女の一人が悲鳴を上げる。


 もう一人の若い修道女が、顔色を変えて走り出そうとした。


 黒瀬が動いた。


 影のように回り込み、修道女の前に立つ。


「どこ行くの?」


 修道女は隠し持っていた白札を取り出す。


 久世が反射的に剣へ手をかける。


 だが、アルマが短く言った。


「札です」


 久世は剣を抜く方向を変えた。


 刃ではなく、柄頭で修道女の手首を打つ。


 白札が落ちる。


 アルマが踏み込み、札を足で押さえた。


 久世は荒く息を吐いた。


 斬らなかった。


 証拠を残した。


 透は一瞬だけそちらを見た。


「今のでいい」


 久世の目がわずかに揺れた。


 たった一言。


 だが、剣を握る手に力が戻る。


 シェラが白札へ記録光を当てる。


「白札、地下通知用。起動前に確保」


 マレナ院長は地面に膝をつき、震えていた。


「地下……地下薬庫……いいえ、違う。あれは薬庫では……」


 彼女の顔が青ざめる。


「子どもたちを……私は、見て……見ないように……」


 リィンが静かに言う。


「思い出してる」


 透は問う。


「地下への入口は」


 院長は震える指で礼拝堂を指した。


「祭壇の下……白花の根……」


 その瞬間、礼拝堂の鐘が鳴った。


 警鐘ではない。


 もっと低い。

 腹の底に響くような音。


 シェラが右目を強く光らせる。


「地下より自壊術式起動。証拠焼却、搬送対象処分、地下通路封鎖の複合命令」


 白い花畑の下で、魔力が一斉に動き出す。


 ルカが叫んだ。


「下の道、燃える!」


 透は灰骸刀の柄へ手を置いた。


 白花修道院の表の顔は、もう剥がれた。


 あとは根だ。


「リィン、地下の線を止める」


「了解」


「バルザ、荷車と子どもを守れ。久世、アルマ、薬師を下げろ。相良、王都騎士を止めろ。シェラ、全部記録。ルカ、地下への道」


 全員が動く。


 エルドが声を上げる。


「待ちなさい! 地下は神殿管理区域です!」


 透は振り返らなかった。


「だから行く」


 灰が足元から沈む。


 白い花の香りの下に、焦げた名の匂いがある。


 透は礼拝堂へ向かって走った。


 白い花の根に、灰が喰らいつく。


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