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第92話 白花依頼

 白花修道院への依頼は、翌朝、ベルディア冒険者ギルドの掲示板に貼り出された。


 羊皮紙は白かった。


 神殿の聖印が入った依頼書ではない。

 王国騎士団の命令書でもない。


 依頼主の欄には、三つの名が並んでいた。


 ベルディア南東亜人街自治会。

 薬師組合南東支部。

 ベルディア冒険者ギルド証拠保全課。


 依頼内容。


 白花修道院における行方不明者照合。

 聖薬配布日に搬入出される荷車の確認。

 孤児・病人保護名簿と亜人街記録の照合。

 必要に応じた保護対象の救出。

 証拠の保全を最優先とする。


 推奨等級の欄には、通常なら一文字で済むはずのところに、赤い追記があった。


 ――C級以上複数名、封印術師または記録術師同行必須。

 ――王都神殿関係者との接触可能性あり。

 ――白倉回収人出現時、即時拘束または証拠保全を優先。


 冒険者たちは掲示板の前でざわめいていた。


「修道院の調査依頼だと?」

「白花って、孤児を預かってるところだろ」

「亜人街が依頼主に入ってるぞ」

「灰の主が受けるって噂だ」

「また神殿と揉める気かよ」

「揉めるも何も、あっちが先に白鎖を出しただろ」


 透は少し離れた場所から、それを見ていた。


 腰の灰骸刀(かいがいとう)の鞘には、サリカからもらった小さな革紐が結ばれている。

 白い骨玉が、歩くたびに微かに揺れた。


 リィンは隣に立ち、掲示板の依頼書をじっと見ている。


「表の字は綺麗」


「依頼書か」


「うん。でも、下に隠してる字は汚いと思う」


 透は頷いた。


 白花修道院。


 名前だけなら、穏やかな場所に聞こえる。

 孤児や病人を預かり、聖薬を配り、白い花を庭に植えているという。


 だが、サリカを番号にしようとした白倉回収人は言った。


 白花修道院を通す。

 聖薬荷車に紛れさせる。

 王都東倉庫区へ送る。


 白い花の根は、すでに腐っている可能性が高い。


 バルザは掲示板の横で腕を組み、冒険者たちの視線を受け流していた。


「正式依頼ってのは面倒だな。紙一枚に人が集まる」


 セイルが青い顔で書類束を抱えている。


「その紙一枚がないと、修道院へ踏み込む名目がありません。今回は表向き、行方不明者照合と聖薬荷車の確認です。救出戦になるとしても、最初から襲撃扱いにはできません」


 ネイラは灰布の外套を深く被り、ギルドの壁際に立っていた。


 角は隠している。

 黒炎皿も見えない。


 だが、彼女は不満そうだった。


「面倒だ。腐っているなら燃やせばいい」


「燃やしたら証拠も人も燃える」


 リィンが静かに言う。


「わかっている」


 ネイラはそっぽを向いた。


 ルカは掲示板を見上げ、字を読もうとしている。


「白花、名前は白」


「中身はまだわからない」


 透が言うと、ルカは真剣に頷いた。


「根を見る」


 シェラが記録板を開く。


「白花修道院調査隊、候補構成。透、リィン、バルザ、シェラ、ルカ、ネイラ。ベルディア側よりダグラス、アルマ、薬師ニーナ、記録官一。王都組より相良、真由、美琴、黒瀬、芽衣、久世、条件付き同行希望」


 セイルがさらに青ざめた。


「多いです。多すぎます。修道院調査というより小隊です」


 バルザが笑う。


「相手もそれくらい出してくるだろ」


「そういう問題ではありません」


 その時、ギルド奥の会議室の扉が開いた。


 レオナが出てくる。


 後ろには、相良たち王都組がいた。


 相良の顔は硬い。

 真由は書類を持ち、美琴は布を巻いた手首を見つめている。

 黒瀬はいつも通り軽い足取りだが、目は笑っていない。

 芽衣は薬袋を抱え、久世は無言で剣の柄に手を置いていた。


 速水、藤堂、姫野の姿はない。


 彼らは今回の同行から外された。


 理由は単純だ。


 証拠保全任務において、立ち位置が定まっていないからだ。


 レオナは掲示板の前に立ち、集まった冒険者たちへ声を張った。


「白花修道院調査依頼は、ベルディアギルドの正式依頼として扱う。ただし通常依頼ではない。神殿管轄施設への照合確認、行方不明者の生存確認、白倉回収人の出現可能性がある」


 広場が静まる。


「野次馬気分で参加したい者は帰れ。神殿に媚びたい者も帰れ。亜人街を面倒ごと扱いする者は、最初から来るな」


 誰かが息を呑んだ。


 レオナは続ける。


「この依頼で必要なのは、戦える者だけじゃない。証拠を壊さない者、子どもを担いで走れる者、薬を扱える者、嘘の道に気づける者だ」


 その言葉に、ルカが少しだけ背筋を伸ばした。


 レオナは透を見る。


「灰の主一行は、この依頼の主担当ではなく、特別協力者扱いにする」


 透は眉を動かした。


「なぜだ」


「主担当にすると、王都神殿が『灰喰いによる神殿施設襲撃』と騒ぐ。依頼の表看板は、亜人街と薬師組合の照合要請だ。ギルドはそれに護衛と証拠保全をつける。お前たちは、その中で動く」


 セイルが深く頷いた。


「建前は大事です。とても大事です」


 バルザがつまらなそうに言う。


「面倒な戦いだな」


 レオナは笑わなかった。


「面倒な戦いを避けると、後で全部まとめて押し潰される。ここは紙でも勝つ」


 真由が一歩前へ出た。


「王都組の扱いは?」


「お前たちは証言者兼同行見届け人。相良は王都騎士との衝突抑止。真由は記録照合。美琴は監視封環被害証言者として、神殿系封印具を見た時の反応を確認。黒瀬は隠し通路の確認。芽衣は薬師補助。久世は後方防衛」


 久世の眉が動く。


 だが、反論はしなかった。


 レオナはそれを見て続ける。


「久世。お前の仕事は斬ることじゃない。抜けてくるものを止めることだ。証拠箱、薬師、救出対象、ルカ。この四つへ近づくものだけを止めろ」


 久世は歯を食いしばり、頷いた。


「わかった」


 アルマが静かに横へ立つ。


「私も後方防衛に入ります」


「頼む」


 久世が短く言った。


 その言葉に、アルマは少しだけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。


 以前の久世なら、学院生の彼女に「頼む」とは言わなかっただろう。

 彼自身も、それをわかっている顔だった。


 相良は透へ近づいた。


「篠宮」


「何だ」


「白花修道院には、俺たちが王都で聞かされていた聖薬配布の名前も出ている。たぶん、神殿は善行として宣伝してた」


「だろうな」


「俺は……まだ全部を疑いきれてない。修道院に本当に救われた人もいるかもしれない」


 透は相良を見る。


 相良は逃げずに続けた。


「でも、だからこそ見たい。良い顔の下で何をしているのか。もし本当に人を救っている部分があるなら、それも見る。裏で消しているものがあるなら、それも見る」


 透は少しだけ黙った。


「都合のいい方だけ見るな」


「ああ」


「助けるべき者がいたら助ける。敵がいたら止める。証拠は壊すな」


「わかった」


 短い返事だった。


 だが、以前より軽くはない。


 美琴が透へ近づいた。


「私も、封印具を見る。腕輪と似たものがあれば、わかるかもしれない」


 リィンが美琴を見る。


「痛みが出たら言って」


「うん。……ありがとう」


 美琴は小さく頭を下げた。


 リィンは短く頷くだけだった。


 保護者のようなやり取りではない。

 任務上の確認。


 それでよかった。


 その頃、ギルド裏手では物資が積まれていた。


 薬草。

 包帯。

 灰布。

 拘束札を封じるための骨箱。

 記録板。

 子ども用の外套。

 簡易水袋。

 蜂蜜を薄めた喉薬。


 ルカは蜂蜜の瓶を見つけ、真剣な顔で確認した。


「これは、薬?」


 ニーナが笑う。


「喉の痛みを和らげます。サリカにも使いました」


「甘い薬」


「はい」


「いい薬」


 シェラが記録する。


「ルカ、蜂蜜薬を高評価。灰の砦への導入推奨」


「もう導入されているだろ」


 透が言うと、ルカは頷いた。


「もっと要る」


「後で買う」


「うん」


 ネイラは物資の横で、黒炎皿を灰布に包んでいた。


 ニーナがそれに気づき、少し緊張する。


「あの、それは……火ですか?」


 ネイラは一瞬だけ視線を向ける。


「火だ」


 ニーナの顔が引きつる。


 透が補足する。


「札の命令を焼く。人には向けない」


 ネイラが不満そうに言う。


「必要なら向ける」


「必要ならな」


 ニーナは曖昧に頷いた。


「……頼もしい、です」


 バルザが笑った。


「無理に褒めなくていいぞ」


 ネイラは黒炎皿を抱えたまま、そっぽを向いた。


 準備が進む中、ギルドの外が少し騒がしくなった。


 王都騎士が数名、入口へ近づいてきたのだ。


 先頭にいるのは、神官監督官エルドだった。

 その横には、武装神官ベリオ。

 白鎖陣を展開したラザレスの姿はない。


 エルドは掲示板の依頼書を見て、眉をひそめた。


「白花修道院への調査依頼とは、随分と思い切ったことをなさいますね」


 レオナが前に出る。


「行方不明者照合だ。依頼主は亜人街自治会と薬師組合。正式な依頼書もある」


「修道院は神殿管轄です」


「だから照合申請を出している。拒む理由があるのか?」


 エルドは微笑んだ。


「白花修道院は長年、孤児や病人を救ってきた清廉な施設です。根拠の薄い疑いで踏み込めば、街の信仰を傷つけます」


 透はその言葉を聞いていた。


 信仰。

 清廉。

 救い。


 便利な白い布だ。


 その下で、番号にされた子どもがいたとしても、表からは見えない。


 レオナは冷たく返す。


「なら、照合すれば清廉だと証明できるな」


 エルドの笑みがわずかに固まる。


 ベリオが低く言った。


「灰喰いを連れて神殿施設へ入ることは認められない」


 透が一歩前へ出た。


 灰が足元へ薄く沈む。


「誰が認めるんだ」


 ベリオの手が聖杖へ伸びかける。


 バルザの爪が微かに鳴る。

 リィンの針が袖の内側で光る。

 シェラの右目がベリオの動きを記録する。


 エルドが片手でベリオを制した。


「ここで騒ぐ必要はありません。修道院側に連絡しましょう。照合には協力すると。ただし、神殿監督官の立ち会いが条件です」


 レオナの目が細くなる。


「お前が来るのか」


「ええ」


 エルドは透を見る。


「私も同行します。誤解を避けるために」


 黒瀬が小声で呟いた。


「誤解を作るため、じゃなくて?」


 真由が肘で軽く止める。


 透はエルドを見た。


 白花修道院へ行けば、神殿側も動く。

 当然だ。


 同行を拒めば、向こうは隠す時間を得る。

 同行を認めれば、こちらの動きを見られる。


 どちらにせよ、面倒だ。


 レオナは透へ視線を向けた。


 透は短く答えた。


「来ればいい」


 エルドの目が細くなる。


 透は続ける。


「ただし、証拠に触るな。救出対象に触るな。リィンの針に触るな。ルカに近づくな」


 ベリオが顔を歪める。


「貴様、神官監督官に条件を――」


 透の視線が向いた。


 それだけで、ベリオの言葉が止まる。


 透は静かに言う。


「条件じゃない。線だ」


 灰が床を薄く覆った。


「越えたら折る」


 ギルドの空気が冷えた。


 エルドはしばらく透を見ていた。


 やがて、穏やかな笑みを戻す。


「承知しました。こちらも無用な衝突は望みません」


 嘘だ。


 透にも、リィンにも、シェラにもわかった。


 だが、今はそれでいい。


 嘘を記録し、動きを見て、必要な時に断つ。


 エルドたちが去ると、レオナは小さく舌打ちした。


「向こうも同行か。やりにくいな」


 セイルが弱々しく言う。


「でも、拒めば修道院側が扉を閉ざす可能性が高いです。立ち会いを認めた方が、表向きは入りやすい」


 バルザが肩を回す。


「中で尻尾を出せば潰すだけだ」


 リィンが静かに言う。


「白い花は、触ると散るかもしれない。根を押さえる」


 ルカが道番の板を開く。


「白花の地下、見る」


 ネイラは外套の奥で黒炎皿に触れた。


「黒炎炉の匂いがあれば、私が見る」


 シェラが記録する。


「白花修道院調査隊、編成確定。神殿監督官エルドおよび武装神官ベリオ、同行予定。衝突可能性、高」


 セイルが呻いた。


「高なんですね……」


「はい」


「中になりませんか」


「なりません」


 シェラは即答した。


 ギルドの準備は昼過ぎまで続いた。


 その間、灰信線は何度か小さく鳴った。


 灰の砦からの報告。


 名簿番、サリカ・ロウを白へ移動。

 ミド・カラン、灰。照合待ち。

 リザ・トール、半白。白花記録待ち。

 狐血不明名、赤。薬師組合へ照会中。


 境目房、ゼグラ安定。

 黒炎炉情報、追加聞き取り中。

 下見張り、廃棄昇降路下部で微弱な商人札反応を検知。調査保留。

 灰骨外壁、二重化進行。

 黒炎番候補二名、ネイラによる初回訓練で一名が眉を焦がす。重傷なし。


 それを読んだネイラが舌打ちした。


「眉程度で済ませたんだ。感謝しろ」


 バルザが笑う。


「優しい先生だな」


「次はお前の髭を焦がす」


「俺に髭はねえよ」


 ルカは灰信線の報告を聞いて、少し嬉しそうだった。


「灰の砦、動いてる」


「ああ」


 透は短く答えた。


 自分たちが外にいても、灰の砦は止まっていない。


 ガルドが守り、イーシャとケイルが名を戻し、ダンが水を守り、ネイラの火を学ぶ者が出ている。

 ゼグラから情報を取り、下の道も見始めている。


 透一人が動いているわけではない。


 それが、今は大きかった。


 夕方前、白花修道院へ向かう隊がギルド前に集まった。


 透たち。

 レオナは同行せず、ギルドで王都側と報告系統を抑える。

 代わりにダグラスとアルマが来る。

 ニーナと薬師組合員二名。

 亜人街自治会から狐耳の老人ロウと、護衛の若者二名。

 相良、真由、美琴、黒瀬、芽衣、久世。

 そして、神殿側からエルド、ベリオ、神官二名、王都騎士四名。


 奇妙な隊だった。


 味方と敵が同じ道を歩く。

 誰も完全には信用していない。

 それでも、表向きは照合依頼。


 透は先頭ではなく、中央やや前に立った。


 前にはダグラスと亜人街の護衛。

 横にリィン。

 少し後ろにルカとシェラ。

 ネイラは灰布を深く被り、さらに後方。

 バルザは左右を自由に動ける位置。


 相良たちは後方寄り。

 久世とアルマは証拠箱と薬師の近くに立つ。


 透は全員の位置を灰域で確認した。


 守るものが多い。


 だから、広くは壊せない。


 今日は、まだ蹂躙の日ではない。


 証拠を残す日だ。

 名前を戻す日だ。

 根を見る日だ。


 レオナが入口で言う。


「白花で何かあれば、灰信線で即時連絡。証拠を見つけたら壊すな。子どもを見つけたら最優先で出せ。神殿側が邪魔をしたら記録しろ」


 シェラが頷く。


「記録します」


 レオナは透を見る。


「無理に抑える必要はない」


「どの程度だ」


「ベルディアを巻き込まない程度」


 バルザが笑った。


「ギルド長もだいぶ染まってきたな」


 レオナは肩をすくめる。


「神殿が白鎖を出した時点で、遠慮の段階は終わった」


 透は頷いた。


 隊が動き出す。


 ベルディア北へ向かう街道。

 聖薬配布日の前日。

 白い修道院の門は、まだ遠い。


 だが、透の灰域には、すでに微かな違和感が引っかかっていた。


 風に混じる甘い花の匂い。

 その下に沈む、消毒薬と古い血の匂い。

 そして、白い封印札の冷たい気配。


 ルカが小さく言った。


「白い花、下に道がある」


 透は前を見たまま答える。


「ああ」


 リィンの青い目が細くなる。


「根が深い」


 ネイラの黒炎皿が、布の下で微かに熱を持つ。


 白花修道院。


 表の門は、まだ見えない。


 けれど、灰はもう、その根に触れ始めていた。


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