第77話 秤の折れる音
捕縛された四人は、ギルド地下の尋問室へ運ばれた。
ベルディア冒険者ギルドの地下には、獣房だけではなく、危険な犯罪者や呪具持ちを一時的に隔離する石造りの部屋がある。
壁は厚く、扉には三重の鉄鍵。
内側には魔力封じの薄い銀線が走っていた。
そこへ、王冠印を持つ刺客たちが一人ずつ座らされる。
腕を砕かれた男。
肩を外された男。
顎を砕かれた男。
鉄格子に脚を挟まれた男。
全員、生きている。
だが、全員、もう逃げられない。
レオナは尋問室の外で腕を組み、冷えた目で彼らを見ていた。
「殺さず四人残したのは大きい。普通なら一人残れば上等だ」
ダグラスが肩を回しながら答える。
「普通なら自壊毒で全滅だな。口の中まで見えねえし、証言封じまである」
透は尋問室の中へ入った。
リィンが隣へ続く。
シェラは記録板を展開し、セイルは震える手で証言書式を用意する。
バルザは扉の横で腕を組み、ルカは地下階段の上で待機した。アルマがその隣に立ち、戻る通路を塞ぐ位置を取っている。
王都側も同席を求めた。
レオナは一度拒んだが、真由と相良が「記録を見たい」と申し出たことで、監視付きの傍聴だけを許可した。
相良、真由、美琴、黒瀬、久世、芽衣。
そして神官監督官エルドと、武装神官ベリオ。
狭い地下廊下に、王都側の緊張が満ちる。
透は最初の刺客の前に立った。
右腕を砕かれた男だ。
額には脂汗。
だが、目にはまだ訓練された意地が残っている。
リィンが首筋の王冠印へ封印針を向ける。
針は刺さらない。
印の上にある証言封じの線だけを、青く浮かせた。
「嘘を言うと、喉が焼ける」
リィンは短く説明する。
「黙っても、奥の印が縮む。時間が経つと死ぬ」
刺客の目が揺れた。
セイルが青ざめる。
「自動消去型です。証言しなくても、一定時間で口封じが起きます」
レオナの目が険しくなる。
「やはり、ただの商会の手駒じゃないな」
透は刺客を見る。
「誰に命じられた」
刺客は歯を食いしばった。
喉の王冠印が赤黒く光る。
リィンの青い線が、焼ける寸前の命令を縫い止める。
透の灰糸が、その根元へ絡みついた。
じり、と焦げたような音がした。
だが、刺客の喉は焼けない。
焼けようとした命令だけが、灰になって落ちる。
真由が息を呑んだ。
「封じを解除しているんじゃない。発火命令だけを削ってる……」
黒瀬の目が細くなる。
「尋問される側からしたら最悪だね。黙って死ぬ逃げ道も塞がれる」
透は刺客へもう一度問う。
「誰に命じられた」
刺客は震える唇で言った。
「……王冠の下」
「名前を言え」
「知らない。俺たちは、印と部屋しか知らない」
「部屋」
「白い部屋。窓のない、白い石の部屋。剣杯でも黒鞭でもない。神殿服の男がいた。顔は見ていない」
エルドが口を挟む。
「神殿服など、偽装も容易です」
透は振り向かない。
「黙ってろ」
その声は静かだった。
だが、エルドの言葉はそこで止まった。
命じられたからではない。
透の声に、これ以上割り込めば場が変わるという冷たい圧があった。
刺客は続ける。
「命令は三つ……水門を崩す。証拠箱を割る。青い封印師を殺す」
リィンの表情は変わらない。
透の灰域だけが、床へ薄く広がった。
刺客の足元に落ちていた微かな血の乾き、王冠印の焦げ跡、毒札の残灰が、透の周囲へ引かれる。
「ルカは」
透の声が低くなる。
刺客の肩が震えた。
「灰印の子どもは……できれば殺せ、と」
空気が沈んだ。
美琴は手首を握りしめる。
相良の顔が強張る。
芽衣は唇を噛む。
久世は、透の横顔を見た。
怒っている。
なのに、表情が動かない。
怒鳴るでも、殴るでもない。
ただ、尋問室の床に広がった灰が、刺客たちの足元へゆっくり絡んでいく。
冷たい怒り。
それが、部屋の温度を下げているようだった。
透は刺客の砕けた腕を見下ろした。
「腕は治さない」
刺客が息を呑む。
「膝も、顎も、肩もだ。喋れば死なせない。喋らなければ、証言封じが焼く前に俺が命令だけを喰う。死ねないまま、痛みだけ残る」
姫野はいなかった。
もしこの場にいれば、回復魔法を使うべきか迷っただろう。
芽衣は薬袋を握ったまま、何も言えなかった。
治療とは何か。
助けるとは何か。
目の前の男は、ルカを殺そうとした。
透は続ける。
「お前たちの痛みに興味はない。必要なのは、名前と道と印だ」
淡々とした声。
それが、叫びよりも怖かった。
刺客の目から意地が消えた。
「……東水路の下に、中継印がある。旧水門から外へ出す荷は、そこへ一度集める。白い部屋から来る命令は、剣杯の支店長を通さない。別の封筒で届く」
「封筒の印」
「王冠。底の欠けた王冠」
シェラが記録する。
「新証言。東水路下、中継印。剣杯支店長を経由しない独立命令系統。王冠印、底部欠損型」
レオナが低く言う。
「十分だ。残り三人にも同じことを聞く」
透は刺客から離れた。
リィンが青い線を細く残し、証言封じの自壊だけを止める。
「死なない。喋れる」
刺客は力なく項垂れた。
エルドはその様子を見て、唇を結んでいる。
神殿側として口を挟みたい。
だが、下手に止めれば、刺客と神殿の繋がりを疑われる。
真由はその沈黙を記録した。
黒瀬は小さく呟く。
「神官様、今日はよく黙るね」
エルドは聞こえないふりをした。
四人分の尋問が終わる頃には、王冠印の輪郭はかなり明確になっていた。
東水路下の中継印。
白い部屋。
底の欠けた王冠。
剣杯支店長を経由しない封筒。
黒鞭南枝を使った搬送。
青い封印師の殺害命令。
灰印の子どもの殺害指示。
レオナは記録を閉じ、深く息を吐いた。
「ベルディアだけで済む話ではなくなった」
セイルが青い顔で頷く。
「神殿内部、少なくとも神殿に出入りできる者が関与しています」
エルドが静かに言う。
「憶測です」
透は初めてエルドを見た。
「まだ言うか」
エルドは表情を整える。
「神殿は大きな組織です。服装、印、白い部屋という曖昧な証言だけで断じることはできません。正式な調査を王都へ委ねるべきです」
「王都に戻せば、消える」
「侮辱です」
「事実だ」
透は一歩近づいた。
エルドの護衛騎士が反応しかける。
だが、バルザが扉の横で首を鳴らしただけで、彼らの足は止まった。
「腕輪も、灰の記録も、帰還儀も、お前たちは隠した」
透の声は低い。
「今度は刺客の証言を王都へ戻せと言う。どこまで信じろと?」
エルドの目が冷える。
「篠宮透。あなたは自分の立場を誤解している。勇者様方の帰還に灰が必要である可能性がある以上、あなたの行動は個人の自由では済まされない」
相良が顔を上げる。
「エルドさん」
「勇者様、これは事実です。彼一人の拒絶で、あなた方全員が元の世界へ帰れなくなるかもしれない。であれば、王国と神殿が管理するのは当然でしょう」
その場にいたクラスメイトたちの表情が揺れる。
帰還。
その言葉は重い。
日本へ帰りたい者にとっては、どうしても無視できない。
エルドはそこを突いている。
美琴の顔が青くなる。
芽衣は俯く。
藤堂はここにはいないが、聞けば必ず迷っただろう。
久世は拳を握りしめた。
帰るために篠宮が必要なら。
なら、どうする。
頼むのか。
命令するのか。
無理やり連れていくのか。
透はエルドを見たまま、ゆっくり言った。
「まだ、わかってないな」
灰が足元から広がった。
尋問室の床だけではない。
廊下の石。
鉄扉の隙間。
獣房の古い血。
地下に積もった魔力の燃えかす。
それらが、透の灰域に沈む。
地下全体の空気が重くなった。
相良の聖剣が、腰で小さく震える。
久世の剣が、鞘の中で微かに鳴る。
ベリオの聖杖に刻まれた封印文字が、薄く灰を帯びる。
透は言った。
「お前たちが帰るために、俺が必要だとしても」
灰が、エルドの足元まで届く。
「それは、俺を縛る理由にならない」
エルドが唇を開く。
だが、言葉は出なかった。
透は続ける。
「俺に頼むなら、頼め。条件を出すなら、出せ。取引なら、考える」
灰がさらに沈む。
「だが、管理、所有、強制。そう言うなら――」
透の目が、神官たちを射抜いた。
「来い」
その一言で、地下廊下の全員が息を止めた。
「灰は、お前たちの秤には乗らない」
灰骸刀は抜いていない。
灰瞬壁も展開していない。
攻撃の構えすらない。
ただ、そこに立っているだけ。
だが、王都の者たちは理解した。
この場で透を縛ることはできない。
神官の命令でも。
騎士の剣でも。
勇者の聖剣でも。
少なくとも、今この地下では。
エルドは黙った。
沈黙せざるを得なかった。
レオナが場を切る。
「尋問記録は三重封印で複製する。中央ギルド、辺境監察、リンド商会経由で送る。王都神殿単独には渡さない」
エルドの目が鋭くなる。
「それは神殿への不信任と受け取ります」
「好きに受け取れ」
レオナは言い切った。
尋問が終わると、一行は地下から訓練場へ移動した。
理由は単純だった。
王都側の護衛騎士隊長が、ベルディア内での共同調査にあたり、戦力把握を求めたからだ。
表向きは連携確認。
実際には、王都側が透の力を測りたいのだろう。
レオナは断ろうとしたが、透が受けた。
「測りたいなら、測ればいい」
その一言で、ギルド訓練場に人が集まり始めた。
冒険者たち。
学院生たち。
王都の騎士。
勇者訓練隊。
レオナは頭を押さえた。
「お前、面倒を増やすな」
「一度見せた方が早い」
「何を」
「秤が折れるところ」
ダグラスが吹き出した。
「いいねえ」
訓練場の中央に立ったのは、王都護衛騎士隊長ガイゼルだった。
四十前後の男。
重い鎧を着ているが、動きは鈍くない。
王都近衛寄りの実力者だ。
「篠宮透殿。これは敵対ではなく、共同任務のための確認だ」
「わかってる」
「こちらは木剣を使う。そちらも殺傷武器は避けていただきたい」
透は腰の灰骸刀から手を離した。
「抜かない」
ガイゼルは頷く。
久世は訓練場の端で腕を組んで見ていた。
木剣とはいえ、ガイゼルは強い。
王都での模擬戦でも、久世は何度か苦戦した相手だ。
篠宮がどれほど強くなったか。
見てやる。
その気持ちは、まだ久世の中に残っていた。
審判役のダグラスが手を上げる。
「始め!」
ガイゼルが踏み込んだ。
速い。
重鎧を着ているとは思えない踏み込み。
木剣が低く唸り、透の肩口へ向かう。
透は避けなかった。
右手を上げる。
木剣が、透の掌の前で止まった。
灰瞬壁。
薄い灰の壁が、木剣の打撃を受けていた。
だが、完全に受け止めてはいない。
木剣の力は斜め下へ逃がされ、ガイゼルの体勢がわずかに崩れる。
透は半歩入った。
指先が、ガイゼルの鎧の喉元へ触れる。
そこで止まる。
「一本」
ダグラスが言った。
訓練場がざわついた。
ガイゼルは目を見開いていた。
自分の初撃が逸らされ、喉を取られたことを理解するまでに、一拍遅れた。
「もう一度」
ガイゼルが言う。
透は頷いた。
二度目。
ガイゼルは正面から打たない。
足を使い、左右へ揺さぶり、盾を構えるような腕運びで距離を詰める。
今度は木剣を囮に、体当たりで押し込むつもりだ。
透は左足を引く。
灰が床へ薄く走る。
ガイゼルの踏み込んだ足元に、灰糸が絡んだ。
転ばせるほど強くない。
ただ、靴底の力の向きを半歩ずらす。
ガイゼルの重心が崩れる。
透は肩を軽く押した。
それだけで、重鎧の騎士隊長が訓練場の床へ膝をついた。
木剣が落ちる。
透の指が、今度はガイゼルの後頭部の寸前に止まっていた。
「二本」
ダグラスの声が少し笑っている。
騎士たちが声を失う。
相良も、久世も、速水も、藤堂も、姫野も、訓練場の端で固まっていた。
ガイゼルは強い。
それは王都組全員が知っている。
その強い騎士が、二度続けて何もさせてもらえなかった。
ガイゼルはゆっくり立ち上がった。
「……実力差は理解した。だが、最後に一度だけ、こちらの全力を受けていただきたい」
レオナが目を細める。
「ガイゼル」
「無茶はしない。騎士として、どこまで届かないか知っておきたい」
透は少しだけ考え、頷いた。
「来い」
ガイゼルは木剣を構え直した。
空気が変わる。
王都騎士の本気。
木剣とはいえ、まともに受ければ骨が折れる。
魔力で強化された踏み込みが床を鳴らし、剣筋が白く輝いた。
久世は思わず息を止める。
これは知っている。
王都騎士式の断城打。
防御ごと相手を叩き潰す重撃。
ガイゼルが叫ぶ。
「はああああっ!」
木剣が振り下ろされる。
透は右手を上げた。
灰が集まる。
灰瞬壁ではない。
掌の前に作られた灰の面が、一瞬だけ厚みを増した。
次の瞬間、木剣がそれに叩きつけられる。
轟音。
訓練場の床に衝撃が走る。
見物していた冒険者たちが思わず後ずさる。
王都騎士たちの鎧が鳴る。
だが、透は動かなかった。
右手一つ。
足元の砂さえ、大きくは散っていない。
ガイゼルの木剣は、灰の面に食い込んだまま止まっている。
透は静かに言った。
「重いな」
その一言。
褒めているのか、確認しているのか。
どちらにせよ、ガイゼルの全力は、透にとって重いで済むものだった。
透の指がわずかに動く。
灰の面が木剣の力を横へ逃がす。
ガイゼルの腕が流れ、体勢が崩れた。
透は踏み込む。
拳ではない。
掌底でもない。
ただ、胸甲へ指を添えた。
次の瞬間、ガイゼルの体が後方へ吹き飛び、訓練場の砂の上を転がった。
鎧は割れていない。
骨も折れていない。
だが、呼吸だけを一瞬奪われ、ガイゼルは仰向けのまま動けなかった。
透は手を下ろす。
「三本」
ダグラスが言った。
訓練場は静まり返っていた。
誰も歓声を上げない。
あまりに一方的すぎて、反応が遅れた。
やがて、ガイゼルが咳き込みながら上体を起こす。
「……完敗だ」
彼は震える手で兜を外し、透へ頭を下げた。
「測るなどと言ったことを詫びる。測れる相手ではなかった」
その言葉が、王都組の胸へ刺さった。
測れる相手ではない。
久世は剣の柄を握ったまま、立ち尽くしていた。
ガイゼルで届かない。
なら、自分は。
剣聖である自分なら。
答えは、まだ認めたくなかった。
だが、目の前の事実は消えない。
透はガイゼルを見下ろすわけでもなく、ただ言った。
「連携確認は済んだ」
それだけ。
勝ち誇らない。
見下さない。
だが、その態度がさらに差を見せつける。
透にとって、これは誇る場面ではない。
必要だから見せた。
それだけなのだ。
リィンが静かに訓練場の端から歩いてくる。
「灰、乱れてない」
「問題ない」
「右手の壁、少し厚かった」
「あれは重かった」
短いやり取り。
それを聞いた王都騎士たちの顔が引きつった。
あの全力の重撃を、少し厚くした壁で処理した。
それが事実なら、彼らの基準は根本からずれている。
相良は聖剣に触れた。
聖剣は光っている。
けれど、今はその光が頼もしいものに思えなかった。
隣で黒瀬が呟く。
「勇者様、どうする?」
「……わからない」
「正直だね」
美琴は透を見ていた。
灰色の外套。
右腕の灰殻。
腰の灰骸刀。
隣に立つリィン。
あの日、奈落へ落とされた少年は、もう誰かが守るだけの存在ではない。
むしろ、近づく者がまず問われる。
何をしに来たのか。
何を奪うつもりなのか。
誰に手を伸ばすのか。
その答えを誤れば、灰が来る。
訓練場の隅で、エルドは無言だった。
その顔には、もはや穏やかな仮面が戻りきっていない。
彼も理解したのだろう。
篠宮透は、連れて帰る相手ではない。
連れて帰るには、まず戦力が足りない。
そして、もっと悪いことに。
彼はもう、王国を恐れていない。
透は訓練場の中央から、王都側へ視線を向けた。
「俺を測りたいなら、次は秤を選べ」
淡々とした声。
「折れて困るものは、持ってくるな」
誰も返せなかった。
その日、王都から来た者たちは、二度知った。
灰の冷たさを。
そして、灰の重さを。




