第7話 武装庫の番兵
武装庫の奥から響く音は、一定の間隔で続いていた。
ごん。
少し間を置いて、また、ごん。
重い拳で鉄の扉を叩いているような音だった。だが、透にはそれが単なる衝撃音には聞こえなかった。
呼ばれている。
そう感じる。
右腕の灰殻の手甲が、音に合わせてかすかに震えていた。まるで、向こう側にいる何かと呼吸を合わせているようだった。
「……気持ち悪いな」
透は手甲の指を開き、また握った。
灰は通る。さっきよりずっと細く、狙った場所へ伸ばせる。だが、手甲そのものは仮修復だ。内側の灰路は骸骨兵の残核で無理やり繋いだだけ。使いすぎれば焼き切れるかもしれないし、リィンの言う通り、最悪の場合は右腕ごと灰になる。
便利なものほど信用できない。
この奈落では、そういうものばかりだった。
リィンは床に浮かび上がった任務記録を読み返していた。青い光に照らされた横顔は静かだが、指先がわずかに強張っている。
「何かわかったか?」
透が尋ねると、リィンは少し間を置いて答えた。
「武装庫の守り手について、少しだけ。名前は《灰殻番兵》。灰喰いの装備を守るための自律兵装」
「自律兵装ってことは、勝手に動く鎧みたいなやつか?」
「近いと思う。ただの鎧じゃない。灰喰いの力を受けても壊れにくいように作られてる」
「俺の能力が効きにくいってことか。最悪だな」
「でも、完全に効かないわけじゃない。番兵にも核がある。そこを止めれば、動かなくなる」
透は壁にもたれ、息を吐いた。
「やっぱり核か」
「奈落の兵装は、ほとんど核で動く。魔物も、死霊も、封印具も。形は違うけど、中心になるものがある」
「つまり、俺がやることは変わらない。余計なものを喰わずに、核だけ狙う」
「そう。だけど、番兵の核は隠されていると思う。外から見える赤い光みたいなものは、たぶんない」
「親切設計じゃないな」
「守り手だから」
「守る気が強すぎる」
透は床に並べた道具を見た。
修復したナイフ。
灰を通せる黒鎖の破片。
水を入れた小瓶。
包帯代わりの布。
錆を落とした金属板を布で繋いだ簡易の胸当て。
そして、仮修復した灰殻の手甲。
装備と呼ぶには心もとない。
けれど、奈落に落とされた直後と比べれば、格段にましだった。あの時は武器も知識もなく、ただ骨の山で死にかけていただけだ。
今は違う。
灰を扱う作法を知った。
喰うものを名付けることを覚えた。
狙った部分だけ削る感覚も、少しずつ掴み始めている。
強くなっている。
その実感はあった。
だが、強くなったからこそ、自分がまだ弱いこともわかるようになった。
「リィン」
「なに?」
「番兵に勝てると思うか?」
リィンはすぐには答えなかった。
慰めでも、無責任な肯定でもない。彼女は透の右腕、床の道具、扉の外へ続く通路を順に見て、それから言った。
「正面からぶつかったら、たぶん負ける」
「だよな」
「でも、勝つ方法はあると思う」
「そっちを先に言ってほしかった」
「先に言うと、トオルは少し安心する」
「安心しちゃ駄目なのか?」
「今は、半分だけにして。残り半分は怖がっていて」
透は苦笑した。
「怖がれって言われるのにも慣れてきたな」
「それはいいこと。奈落に慣れすぎるより、ずっといい」
リィンは床の埃を指で払い、簡単な図を描いた。
武装庫の扉。
その前の通路。
保守室。
通路の途中にあった崩れた柱。
「番兵は、たぶん武装庫から遠く離れられない。装備を守るための存在だから。外へ誘い出せても、このあたりまで」
リィンの指が、通路の途中で止まる。
「この柱の近くまで引き出して、足を止める。そこから灰糸で関節か駆動部を削る」
「核は?」
「動きが止まれば探せるかもしれない。番兵が灰喰いを試すために作られているなら、核を完全には隠していないはず」
「試験ってことか」
「たぶん。殺すためだけなら、もっとひどい仕掛けがある」
「この時点で十分ひどいんだけど」
「奈落基準では、まだ優しい方」
「その基準、地上に持って帰りたくないな」
地上。
その言葉を口にした瞬間、透の胸の奥に重いものが沈んだ。
王国の広間。
神官の冷たい目。
槍を向けた兵士。
止めきれなかった教師。
見て見ぬふりをしたクラスメイトたち。
相良の声。
悪いようにはされない。
透は右手を握った。
あの時の自分は弱かった。抗えなかった。押さえつけられ、殴られ、扉の向こうへ捨てられた。
だが、もし今なら。
少なくとも、あの枷は喰える。兵士の槍も、鎧の継ぎ目も、扉の封印も、何かしら削る方法を探せる。
まだ王国軍に勝てるとは思わない。
だが、何もできずに落とされるだけの自分ではない。
「トオル」
リィンの声で、透は我に返った。
「灰が出てる」
見ると、右手の指先から薄い灰が漏れていた。床の埃を喰おうとしている。
透は息を吐き、灰を戻した。
「悪い」
「怒るのは悪くない。でも、怒ったまま喰べるのは危ない」
「覚えとく」
「今は、番兵のことだけ考えて」
「了解。復讐は後回しだな」
リィンはその言葉に少しだけ目を伏せた。
「復讐したい?」
透はすぐには答えられなかった。
したい。
そう言い切れれば楽だった。
相良を殴りたい。神官に同じ目を向け返したい。王国に、自分が捨てたものの意味を思い知らせたい。そういう感情はある。
だが、それだけではない。
帰りたい。
なぜ自分が召喚されたのか知りたい。
灰喰いが本当は何なのか確かめたい。
そして、もう二度と勝手に捨てられないだけの力が欲しい。
「今は、まだわからない」
透は正直に言った。
「でも、見返したいとは思う」
「見返す?」
「お前らが捨てたやつは、ここで死ぬほど安くなかったって、わからせたい」
リィンは透を見つめた。
それから、静かに頷いた。
「それなら、死ねないね」
「ああ。だから、番兵にも死なずに勝つ」
「欲張りだけど、いいと思う」
「そこはもっと頼もしいこと言ってくれ」
「無茶。でも、嫌いじゃない」
透は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「それで十分だ」
準備は進んだ。
リィンは壁の刻印から剥がれ落ちた古い金属片を見つけ、それを透の胸当てに組み込んだ。完全な防具ではないが、正面からの一撃を少しは逸らせるらしい。
透は黒鎖の破片を三本に分け、それぞれに灰を通した。
一本は右腕の手甲から伸ばす灰糸の芯。
一本は罠に使うための短い鎖。
最後の一本は、リィンに渡した。
リィンはそれを受け取って、戸惑ったように瞬きをした。
「私に?」
「一応。魔物が来た時に、何もないよりはましだろ」
「私は、あまり戦えない」
「知ってる。でも、俺を止める役目がある」
「それ、武器で止めるの?」
「最悪の場合な。優しめで頼む」
「さっきより難しいお願いになってる」
「俺もそう思う」
リィンは少しだけ困った顔をして、それでも黒鎖を握った。
「わかった。なるべく優しく止める」
「なるべくが怖いな」
「奈落では、絶対は言わない方がいいから」
「便利な言葉だな、それ」
透は扉の前に立った。
保守室の青い刻印は、さっきより強く光っている。ここは一時的な安全地帯だ。戻る場所がある。それだけで、足元の感覚が違う。
扉の外には、武装庫へ続く闇がある。
そしてその奥に、番兵がいる。
透は右手を胸に当てた。
心臓が速い。
怖い。
でも、その怖さは今、自分を止めるものではなく、余計なものを喰わせないための重しになっていた。
「行くぞ」
「待って」
リィンが呼び止めた。
透が振り返ると、彼女は手を伸ばした。何をするのかと思えば、透の首元の布を直した。
胸当てを固定していた布が少しずれていたらしい。
「これで少しまし」
「母親みたいだな」
「母親は、こういうことをするの?」
「たぶん。俺も詳しいわけじゃないけど」
リィンは手を離し、小さく言った。
「帰ってきて」
透は冗談で返そうとして、やめた。
その言葉は、軽く扱っていいものではなかった。
「ああ。戻る」
「それならいい」
「それならって、まだ何も解決してないけどな」
「戻ると言ったから。少し信じる」
透は頷き、扉を開けた。
通路の空気は冷たかった。
壁の青い光は弱く、数歩先からは闇が濃くなる。足元には骸骨兵の残骸がまだ残っていたが、赤い光はない。遠くから、武装庫の音が聞こえてくる。
ごん。
ごん。
さっきより近い。
透とリィンは、慎重に通路を進んだ。
崩れた柱の近くで、透は足を止める。
「ここだな」
「そう。この柱の陰なら、一度だけ攻撃を避けられるかもしれない」
「一度だけか」
「二度目は、柱が砕けると思う」
「奈落基準でもあんまり優しくないな」
「番兵は優しくない」
「知ってた」
透は短い黒鎖を柱の根元に巻きつけた。灰を少しだけ通し、鎖を岩の割れ目に食い込ませる。簡単な足止めだ。番兵の足か腕に絡められれば、一瞬は動きを止められるかもしれない。
もちろん、ただの願望でもある。
番兵の大きさも力も、まだ見ていない。
それでも、何もしないよりはいい。
「リィンはここにいてくれ」
「武装庫の文字が見えるところまで行く。番兵の核の手がかりがあるかもしれない」
「危ない」
「ここにいても危ない。だったら、役に立つ方がいい」
透はリィンを見た。
彼女の顔は青白い。だが、目は逸らしていなかった。
「無理するなよ」
「それは、トオルにも返す」
「俺は無理担当だから」
「担当を変えて」
「検討する」
「今して」
「番兵を倒したらな」
リィンは少しだけ不満そうにしたが、それ以上は言わなかった。
二人は武装庫の扉へ近づいた。
巨大な扉は、半ば開いていた。
いや、開いているというより、内側から破壊されかけている。黒い鉄板が外へ膨らみ、太い亀裂が縦に走っていた。その亀裂の向こうから、灰色の光が漏れている。
透の手甲が震える。
胸の奥の灰が、静かに目を覚ました。
武装庫の扉の上には、古い文字が刻まれていた。
リィンがそれを読む。
「灰の番人以外、触れることを禁ず。番兵は番人の器を量り、未熟なる者を退けよ」
「未熟だと退けられるのか」
「退ける、がどの程度かは書いてない」
「奈落だと死ぬまでが退けるに入りそうだな」
「たぶん」
「否定してほしかった」
その時、扉の内側で何かが動いた。
透はリィンを下がらせる。
ごん。
内側からの一撃。
扉の亀裂が広がった。
ごん。
二度目。
鉄片が弾け飛び、通路の壁に突き刺さる。
リィンが息を呑む。透は右腕を上げ、灰糸を伸ばして飛んできた破片の一つを逸らした。手甲に衝撃が走る。
重い。
ただの破片でこれなら、本体の攻撃をまともに受ければ終わる。
三度目の音はなかった。
代わりに、扉が内側から押し開かれた。
現れたのは、人型の鎧だった。
透の身長より頭二つ分は大きい。全身は黒灰色の装甲に覆われ、肩や腕には獣の骨のような突起が並んでいる。顔にあたる部分には目がなく、ただ縦に細い亀裂が一本走っていた。
その亀裂の奥で、灰色の光が燃えている。
骸骨兵の赤い光とは違う。
冷たく、静かで、古い光。
番兵は、右手に巨大な戦斧を持っていた。
透は乾いた喉を鳴らす。
「でかすぎるだろ」
番兵が一歩踏み出した。
床が沈む。
その動きは遅くない。重い鎧からは想像できないほど滑らかだった。
リィンが低い声で言う。
「トオル、正面はだめ。斧だけじゃなくて、肩の装甲にも灰路がある。触れたら削られる」
「相手も灰を使うのか?」
「たぶん、防御用。喰われないための灰」
「灰対策の灰かよ」
番兵が戦斧を振り上げる。
透は考えるより先に横へ飛んだ。
戦斧が床を叩く。
轟音。
石床が砕け、衝撃が通路を走った。飛び散った破片が透の頬を掠め、血が滲む。
透は倒れ込みながら右手を伸ばした。
「斧の柄の錆だけ喰う!」
灰糸が戦斧へ伸びる。
だが、触れる寸前で弾かれた。
斧の表面に灰色の膜が走り、透の灰を拒む。
胸の奥に、鈍い反動が返ってきた。
「効かない!」
「灰殻装備は、外側から喰べにくい!」
「先に言ってほしかった!」
「今わかった!」
「それなら仕方ない!」
番兵が戦斧を引き戻す。
動きが速い。
透は起き上がる前に、二撃目が来るのを感じた。
回避は間に合わない。
透は右腕の手甲に灰を集めた。
「衝撃だけ削る!」
灰糸を何本も重ね、右腕の前に薄い網を作る。
戦斧が触れた瞬間、灰の網が弾けた。
衝撃は削れた。
だが、全部ではない。
透の体は横へ吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「がっ……!」
息が止まる。
視界が揺れる。
右腕が痺れている。手甲の溝の一部が赤く熱を持っていた。仮修復した灰路が悲鳴を上げている。
リィンの声が飛ぶ。
「立って! 次が来る!」
「わかってる……!」
透は床を蹴り、無理やり転がった。
直後、番兵の足がさっきまで透のいた場所を踏み砕く。
もし遅れていたら、胴体が潰れていた。
怖い。
死ぬ。
勝てる気がしない。
だが、透の頭は妙に冷えていた。
斧は喰えない。装甲も喰いにくい。正面からの攻撃は受けられない。速度は見た目より速いが、攻撃前の動きは大きい。
なら、関節。
骸骨兵と同じだ。動くものには、必ず動くための隙間がある。
「リィン! 番兵の関節はどこが弱い!」
「膝裏と首の後ろ! でも、外装に灰返しがある。普通に触ると弾かれる!」
「弾かれない触り方は?」
「内側からなら!」
「内側ってどう入るんだよ!」
リィンが武装庫の扉の文字を見上げる。
必死に読み取っている。
「試験用の隙間があるはず。灰喰いが灰糸を通せるように……胸部の左下、たぶん刻印孔!」
「見えない!」
「番兵が斧を振り下ろした後、一瞬だけ開く!」
「注文が細かいな!」
番兵が再び斧を振り上げた。
透は逃げなかった。
足が震える。
それでも、正面に立つ。
番兵の胸部を見る。左下。刻印孔。どこだ。装甲は重なり合い、光も少ない。見えない。
斧が振り下ろされる。
透は半歩前へ出た。
後ろではない。
前。
斧の刃が頭上を通る。風圧で髪が裂けそうになる。床に叩きつけられる直前、透は番兵の懐へ滑り込んだ。
胸部の装甲が開く。
一瞬。
たしかに、左下に小さな穴があった。
針の穴ほどの隙間。
透は右手を突き出す。
「刻印孔の中だけ喰う!」
灰糸が伸びた。
孔に入る。
その瞬間、透の脳に冷たい情報が流れ込んだ。
番兵の内部。
灰路。
駆動核。
試験刻印。
敵性判定。
未熟。
未熟。
未熟。
排除。
排除。
排除。
「うるさい!」
透は灰糸を引き絞った。
核はまだ遠い。
だが、内部の灰路には届いた。
「左膝の駆動灰だけ削る!」
灰糸が番兵の内部を走る。
左膝へ。
ほんの少し、削る。
番兵の動きが乱れた。
片膝が落ちる。
地面が揺れた。
「効いた!」
透は叫び、すぐに後ろへ跳んだ。
次の瞬間、番兵の左腕が横薙ぎに振るわれた。斧ではない。ただの腕。それでも壁を削りながら迫ってくる。
避けきれない。
透は右腕で受けた。
手甲が軋む。
体が浮く。
また壁に叩きつけられる。
口の中に血が広がった。
「トオル!」
リィンが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
透は叫んだ。
番兵が膝をついたまま、リィンの方へ顔を向けていた。
敵性判定。
その言葉が頭に残っている。
番兵は灰喰いを試す存在だ。だが、リィンは灰喰いではない。近づけば、排除対象になるかもしれない。
透は血を吐き、立ち上がった。
右腕が重い。
手甲の一部にひびが入っている。
だが、灰はまだ通る。
「相手は俺だ」
番兵が透を見る。
目のない顔。
灰色の光。
そこに感情はないはずなのに、透には試されているように感じた。
未熟。
そう言われている気がした。
「わかってるよ」
透は右腕を上げる。
「俺はまだ未熟だ」
灰糸が指先に集まる。
「でも、昨日よりは強い」
番兵が立ち上がる。
左膝の動きが少し鈍い。削った駆動灰が効いている。
なら、次は右肩。
斧を振る腕を止める。
透は床を蹴った。
怖さは消えていない。
むしろ、さっきより怖い。
だが、恐怖の中に道が見える。
斧の振り下ろし。
胸部の刻印孔。
内部灰路。
膝。肩。首の後ろ。
核はたぶん、胸の中央か背中側。
勝てない相手ではない。
今はまだ届かないだけだ。
届かないなら、削って近づく。
番兵が斧を振る。
透は低く潜る。
斧が壁を裂く。
胸部の刻印孔が開く。
「右肩の駆動灰だけ削る!」
灰糸が走る。
番兵の右腕が一瞬止まった。
透はその隙に、黒鎖を番兵の足元へ投げた。
柱に巻きつけておいた鎖が引っ張られ、番兵の左足に絡む。
番兵が体勢を崩した。
今だ。
透は右腕を限界まで伸ばす。
手甲の灰路が熱を持つ。皮膚が焼けるように痛い。リィンの制止する声が聞こえた。
「そこまで! 焼き切れる!」
「あと一回!」
「それが危ない!」
「知ってる!」
透は番兵の背後へ回り込んだ。
首の後ろ。
リィンが弱点だと言った場所。
そこに、小さな灰色の円があった。
核ではない。
だが、内部へ続く蓋だ。
透は右手を叩き込む。
「蓋の封だけ喰う!」
灰が円を削る。
番兵が暴れる。
左腕が透の脇腹を打った。胸当てが砕け、息が詰まる。体が折れそうになる。
それでも、右手は離さなかった。
蓋が開く。
中に、光が見えた。
灰色ではない。
白い、小さな火。
それが番兵の核だった。
透の胸の奥の灰が、激しく飢えた。
喰え。
全部喰え。
奪え。
こいつの力を。
装甲を。
斧を。
核を。
すべて喰えば強くなる。
透の意識が揺れた。
核を喰えば、番兵は止まる。
それだけではない。番兵の力を丸ごと得られるかもしれない。灰喰い用の守り手。自律兵装。その核。これを喰えば、自分は一気に強くなれる。
欲しい。
強くなりたい。
相良よりも。
王国の兵士よりも。
神官たちよりも。
自分を捨てた全員よりも。
灰が右腕から溢れる。
手甲のひびが広がった。
リィンの声が響く。
「トオル!」
その声で、透は息を呑んだ。
右腕の灰が、核だけでなく番兵全体へ広がろうとしていた。装甲を、斧を、通路の壁を、柱を、リィンの方へまで伸びようとしている。
違う。
そうじゃない。
必要な分だけ。
決めろ。
名付けろ。
透は歯を食いしばった。
「試験刻印だけ喰う」
灰が止まる。
暴れようとする灰を、手甲の中へ押し込める。
「核は喰わない。装甲も、斧も、灰路も喰わない」
白い火の周囲に、小さな黒い輪があった。
敵性判定。
未熟。
排除。
番兵を試験として動かしている刻印。
透はそこだけを狙った。
「試験刻印だけ、喰う!」
灰が黒い輪を削った。
白い火が揺れる。
番兵の動きが止まった。
戦斧が床に落ちる。
重い音が、通路に響いた。
透は右手を離し、番兵の背中から転がり落ちた。
床に倒れる。
動けない。
右腕が焼けるように痛い。手甲から煙が上がっている。脇腹も背中も限界だった。
だが、番兵は動かなかった。
膝をつき、頭を垂れたまま沈黙している。
リィンが駆け寄ってきた。
今度は止める余裕もなかった。
「トオル、腕を見せて」
「勝った……のか?」
「先に腕」
「厳しいな」
「今は厳しくする」
リィンは透の右腕を取り、手甲を確認した。
灰路のいくつかが焼け、表面には亀裂が走っている。だが、手は残っていた。指も動く。最悪の事態は避けられたらしい。
リィンは深く息を吐いた。
「灰路が少し焼けた。でも、腕は無事」
「少し?」
「少しよりは多い」
「言い直すなよ」
「嘘はよくない」
透は力なく笑った。
その時、番兵の胸部が開いた。
透とリィンは同時に身構える。
だが、番兵は動かない。
胸の奥から、灰色の金属板が一枚、ゆっくりとせり出してきた。
リィンが文字を読む。
「試験終了。灰喰い適性、未熟。制御適性、可。装備庫第一層の開放を許可する」
透は天井を見上げた。
「未熟はそのままか」
「でも、可だって」
「可か。学生時代の成績みたいで嫌だな」
「可は、だめなの?」
「いや、赤点じゃないだけましか」
番兵の背後で、武装庫の扉が重い音を立てて開いていく。
中から、冷たい灰の匂いが流れ出した。
透は痛む体を起こし、武装庫の奥を見た。
壁一面に、壊れた武器が並んでいた。
剣。槍。鎌。鎖。弓。盾。手甲。外套。名前もわからない奇妙な道具。どれも完全ではない。欠け、錆び、ひび割れ、灰を被っている。
だが、そのすべてが透を呼んでいた。
喰え、ではない。
使え。
そう言われている気がした。
リィンが隣に立つ。
「第一層だけ。たぶん、まだ奥は開いてない」
「十分だ」
透は右腕を押さえながら、武装庫を見つめた。
今の戦いで、自分は番兵に勝ったわけではない。
試験を通っただけだ。
核を喰い尽くすこともできなかった。装甲を奪うこともできなかった。手甲は壊れかけ、自分は立っているのもやっと。
それでも、扉は開いた。
未熟でも、可。
なら、進める。
透は小さく息を吐いた。
「リィン」
「今度はなに?」
「俺、ちゃんと強くなる」
リィンは透を見た。
青い瞳に、武装庫の灰色の光が映っている。
「そうだね。今のままだと、すぐ無茶をして倒れるから」
「そこは、期待してるとか言う流れじゃないのか」
「期待してる。だから、倒れないで」
透は少しだけ笑った。
「それならいい」
武装庫の奥で、灰を被った一本の剣が、かすかに震えた。
奈落の底に捨てられた少年は、ようやく最初の扉を開いた。
強くなるための道は、確かに目の前にあった。




