表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/85

第6話 灰の待機室

 部屋の奥に並んでいた棚は、半分以上が崩れていた。


 木材は乾ききり、触れただけで粉になりそうなものもある。金属の留め具は錆び、収納箱のいくつかは蓋が歪んで開かない。壁際には、かつて机だったらしい残骸があり、その上に割れた石板や黒ずんだ金属片が散らばっていた。


 ここが、灰喰い用の待機室。


 リィンが床の文字を読んで告げた言葉は、透の頭の中に重く残っていた。


 待機室というからには、誰かがここを使っていた。自分と同じ、あるいは似た力を持つ誰かが。奈落へ降りるために装備を整え、戻るための準備をし、ここから暗闇へ向かった。


 つまり、灰喰いは本来、奈落に落として処分されるような存在ではなかった。


 少なくとも、この部屋を作った者たちはそう考えていなかった。


 透は壊れた棚の前にしゃがみ込んだ。


「こっち、箱が三つある。二つは駄目そうだけど、一つは開くかもしれない」


「無理に開けないで。中に刻印具が入っているかもしれない」


 リィンが近づいてくる。


 彼女はまだふらついていたが、昨日よりは歩けるようになっていた。壁に手をつきながらも、自分の足で動いている。棺の中で眠っていた時の人形めいた印象は薄れ、今は少しずつ生き物の輪郭を取り戻しているように見えた。


 透は箱から手を離す。


「刻印具って?」


「魔力で動く道具。壊れていても、急に起動することがある。封印用だと、触った人を縛るかもしれない」


「昨日から縛るものばっかりだな、この場所」


「奈落は、閉じ込めるための場所だから」


 リィンの声は静かだった。


 透は少しだけ黙り、箱を見た。


 表面に細い文字が刻まれている。読めない。だが、胸の奥の灰が淡く反応していた。喰えるものがある。錆。埃。古い魔力の滓。箱の蓋を固めている黒い染み。


 全部喰えば、すぐ開くだろう。


 けれど、それでは駄目だ。


 透はゆっくり息を吸った。


「蓋を固めてる錆と汚れだけ喰う。箱と、中身と、刻印は喰わない」


 声に出してから、指先に灰を集める。


 灰は薄い糸のように伸び、箱の縁をなぞった。赤茶けた錆が粉になって落ちる。黒い汚れが剥がれ、蓋の隙間がわずかに開いた。


 そこで止める。


 胸の奥の灰は、まだ先へ行きたがっていた。蓋の内側。箱の底。中にある何か。全部を味わおうと、指先からさらに滲み出ようとする。


 透は拳を握った。


「止まれ」


 灰が引っ込む。


 リィンが小さく頷いた。


「上手くなってる」


「褒められると逆に怖いな。調子に乗った瞬間、やらかしそうで」


「怖がっていれば大丈夫」


「それ、安心できる言葉なのか?」


「たぶん」


 透は苦笑しながら、箱の蓋を開けた。


 中には、黒い布に包まれたものが入っていた。


 慎重に布を広げる。


 現れたのは、片方だけの手甲だった。


 手首から肘の手前までを覆う、黒灰色の防具。金属とも骨ともつかない材質で作られており、表面には細い溝が何本も走っている。指を通す部分は壊れ、手の甲にあたる場所には大きな亀裂が入っていた。


 透が触れた瞬間、胸の奥が強く鳴った。


 欲しい。


 さっきの刻印核に似た感覚だった。だが、それよりもずっと近い。まるで、この手甲の方が透を待っていたような反応。


 リィンが息を呑む。


「灰殻の手甲……」


「知ってるのか?」


「灰喰いが奈落で使った装具。灰を通しやすくして、喰べる範囲を絞るためのもの」


「範囲を絞る?」


「今のトオルは、手で触れたものや近くにある灰を感覚で喰べてる。でもそれだと、余計なものまで喰べやすい。灰殻の装具は、灰を刃や糸の形にして、狙ったものだけに届かせる」


 透は手甲を見つめた。


 まさに今、自分に必要なものだった。


 灰喰いの力は強い。だが、広がりすぎる。必要なものまで喰おうとする。それを抑える道具があるなら、使わない理由がない。


「直せるか?」


「壊れ方によると思う」


 リィンが手甲を覗き込む。


「外側の亀裂は直せるかもしれない。でも、中の灰路が切れてる」


「灰路?」


「灰を通す道。人間でいう血管みたいなもの。ここが切れていると、灰が途中で暴れる」


「暴れると?」


「手が灰になるかもしれない」


 透は手甲から少し距離を取った。


「危なすぎるだろ」


「でも、直せれば強い」


「それはわかる」


 強くなれる。


 その言葉が、透の中で重く響いた。


 今のままでは弱い。昨日より強くなったと言われても、奈落ではまだ獲物側だ。犬型の魔物にも死にかけ、骸骨兵にも苦戦し、喰屍には足を持っていかれかけた。


 地上へ戻るなど、夢のまた夢。


 相良たちは今ごろ、王国で勇者候補として扱われているのだろう。安全な寝床、温かい食事、訓練用の武器、教師役の騎士や魔導師。きっと、力の使い方を教えられている。


 こちらは奈落の底で、壊れた道具と毒水と魔物の死骸だ。


 それなのに、透は不思議と笑いそうになった。


 たしかに不公平だ。


 だが、この部屋には、地上の王国が隠したものがある。


 灰喰いの本当の使い方。

 奈落を歩くための装具。

 捨てられた力の記録。


 これを手に入れられるのは、たぶん自分だけだ。


「直すには何がいる?」


 透が尋ねると、リィンは手甲の内側を指した。


「灰路の芯になるもの。壊れていない灰導核が必要」


「この部屋には?」


「探さないとわからない。でも、待機室なら予備があったはず」


「よし。探そう」


 透は立ち上がりかけ、脇腹の痛みに顔をしかめた。


 リィンがすぐに手を伸ばす。


「まだ無理しないで」


「無理しないと進まない」


「無理しすぎると止まる」


「正論が痛い」


 透は壁に手をつき、ゆっくり立った。


 部屋の探索を続ける。


 二つ目の箱は完全に腐っていた。蓋に触れただけで崩れ、中に入っていた布や革も灰になった。透は喰わなかった。自然に崩れたものから立った灰が体へ流れ込もうとしたが、リィンに視線で止められ、すぐに引っ込めた。


 三つ目の箱には、小さな石の欠片がいくつも入っていた。


 その中の一つだけが、他と違って黒灰色に光っている。


 透が近づくと、手甲がかすかに震えた。


「これか?」


 リィンが慎重に石を持ち上げる。


「たぶん、灰導核。でも、欠けてる」


「使えない?」


「そのままでは。でも、欠けた部分を別の素材で補えば、仮の芯にはなると思う」


「別の素材って」


 透は周囲を見回した。


 錆びた金属、壊れた棚、骸骨兵の残骸、古い石板。まともな素材などない。


 リィンは扉の方を見た。


「外に、昨日の骸骨兵の核が残ってるかもしれない」


「外か」


 透も扉を見る。


 魔物避けの刻印は強くなった。だが、扉の外が安全になったわけではない。喰屍もいる。下層から響いた咆哮の主もいるかもしれない。


 けれど、いつまでも部屋に籠もってはいられない。


「行く」


 透は修復したナイフを腰に差し、鎖の破片を手に巻いた。


 リィンも立ち上がろうとする。


「私も」


「休んでろ」


「外の文字や刻印は、私の方が読める」


「でも歩くのもきついだろ」


「ここで待ってる方が、もっと怖い」


 その言葉で、透は何も言えなくなった。


 たしかに、リィンはずっと閉じ込められていた。やっと外に出たのに、また部屋の中で待てと言われるのはきついのかもしれない。


 透は短く息を吐いた。


「危なくなったらすぐ戻る」


「うん」


「俺が喰いすぎそうになったら止める」


「うん」


「リィンが倒れそうになったら俺が止める」


「うん」


「じゃあ行くぞ」


 閂を外し、扉を少しだけ開ける。


 外の通路は静かだった。


 青い刻印の光が扉の周囲だけを照らし、その先は闇に沈んでいる。床には、昨日崩れた骸骨兵の残骸があった。骨は灰色に乾き、鎧の破片が散らばっている。


 赤い光はない。


 透は通路に出た。


 すぐに胸の奥が反応する。


 喰える。


 骨。錆びた鎧。黒い粘液の跡。骸骨兵を動かしていた核の残り。全部が、灰として透を呼んでいる。


 透は膝をつき、残骸を見た。


「核だけ探す。骨と鎧は喰わない」


 そう言って、灰を薄く広げる。


 今度は手から直接ではなく、鎖の破片に灰を通してみた。鎖はリィンを縛っていた封印具の一部であり、呪いが残っている。扱いは難しいが、灰を細く伸ばすには向いていた。


 灰が糸のように残骸の間へ入り込む。


 骨の隙間。兜の内側。鎧の胸部。


 そこに、小さな硬いものがあった。


 黒く乾いた豆粒ほどの核。


 透は灰の糸でそれを絡め取り、引き寄せた。


「取れた」


 リィンが近づいて確認する。


「骸骨兵の残核。弱いけど、灰導核の欠けた部分を埋めるには使えるかも」


「一個で足りる?」


「できれば三つ」


「三つか」


 透は通路の奥を見た。


 昨日、骸骨兵は何体か崩れた。扉の近くにある残骸はこれだけだが、もう少し進めば他にもあるかもしれない。


 その時、遠くで骨の鳴る音がした。


 かつ、かつ。


 透はリィンを庇うように前へ出た。


 闇の奥に、赤い光が一つ灯る。


 骸骨兵。


 一体だけ。


 片手に錆びた剣を持ち、こちらへ向かってくる。


 リィンが小声で言った。


「下級。たぶん、刻印の光に引き寄せられた」


「ちょうどいい」


 透はナイフを抜いた。


 リィンが驚いた顔をする。


「戦うの?」


「核がいるんだろ」


「でも」


「大丈夫。今度は、正面から力任せにはやらない」


 骸骨兵が剣を構えた。


 昨日の透なら、恐怖で体が強張っていただろう。実際、今も怖い。赤い光を見ると、背中に冷たいものが走る。


 だが、相手の仕組みは少しわかっている。


 骨を斬る必要はない。鎧を砕く必要もない。動かしている核を喰えば止まる。


 骸骨兵が踏み込む。


 剣が振り下ろされる。


 透は後ろへ下がらず、半歩だけ横へずれた。


 剣が肩先を掠める。


 同時に、左手の鎖を振る。


 鎖に通した灰が細い糸になり、骸骨兵の肘に絡みついた。骨ではなく、骨を繋ぐ黒い粘液だけを狙う。


「関節の粘液だけ喰う」


 声に出す。


 灰が黒い粘液を削った。


 骸骨兵の腕が落ちる。


 剣も一緒に床へ転がった。


 透は前へ出る。


 骸骨兵が残った腕で掴みかかってくるが、動きは遅い。胸部の鎧の隙間に、赤い光が見えた。


 核だ。


 透はナイフを突き込む。


「核だけ喰う」


 灰が流れる。


 赤い光が震え、黒く乾いていく。


 骸骨兵はその場で崩れ落ちた。


 透はしばらく動かなかった。


 自分の手を見る。


 勝った。


 昨日は死に物狂いだった。無我夢中で殴り、斬り、喰い散らかしていた。


 だが今は違う。


 狙って喰った。必要な部分だけを削り、相手を止めた。


 リィンが小さく息を吐いた。


「すごい」


「今のは、ちょっと自分でもそう思った」


 透は膝をつき、崩れた骸骨兵から残核を回収した。


 二つ目。


 それから通路を少し進み、昨日の残骸からもう一つ見つけた。


 三つ。


 目的の数は揃った。


 だが、透はその場で足を止めた。


 通路の奥に、広い空間が見えた。


 完全な暗闇ではない。壁の一部が青く光り、その下に巨大な扉がある。扉は半ば崩れており、隙間から冷たい風が吹き出している。


 そして扉の上には、読めない文字が刻まれていた。


「リィン、あれは?」


 リィンは目を凝らし、顔色を変えた。


「武装庫……」


「武器があるのか?」


「灰喰い用の装備が保管されていた場所だと思う。でも、扉が壊れてる。中に何かいるかもしれない」


「何かって?」


「装備を守るもの。あるいは、装備を喰べたもの」


 透は扉を見つめた。


 行くべきではない。


 今は残核を持ち帰り、手甲を直す。それが先だ。わかっている。


 だが、武装庫という言葉が頭から離れなかった。


 灰喰い用の装備。


 この待機室だけでも、手甲や刻印核が残っていた。武装庫なら、もっと重要なものがあるかもしれない。武器。防具。記録。地上へ戻る手がかり。


 強くなるための何か。


 透は無意識に一歩踏み出しかけた。


 その瞬間、リィンが袖を掴んだ。


「今は、だめ」


 透は止まった。


 胸の奥の灰が、静かに疼いている。


 武装庫の奥から、何かが呼んでいる気がした。


 喰え。

 奪え。

 身につけろ。

 強くなれ。


 透は奥歯を噛み締めた。


「……そうだな。今行ったら死ぬ」


「うん」


「戻ろう」


 言葉にすると、体が少し軽くなった。


 逃げるのではない。


 準備するために戻る。


 透とリィンは保守室へ戻った。


 扉を閉め、閂を下ろす。青い刻印の光に包まれて、ようやく緊張が緩んだ。


 透は三つの残核を机の残骸の上に置いた。


「これで手甲を直せるか?」


「やってみる」


 リィンは灰導核と残核を並べ、壊れた手甲の内側に置いた。


「トオルは、欠けた灰導核と残核の境目だけを喰べて。石そのものじゃなくて、合わない部分。拒んでいる魔力の棘だけ」


「難易度上がってないか?」


「上がってる。でも、これができないと手甲は使えない」


「わかった」


 透は手甲に触れた。


 反応は強い。


 壊れた灰導核。骸骨兵の残核。手甲の亀裂。切れた灰路。それぞれが別々の壊れ方をしている。全部を一度に喰えば楽だ。だが、それでは装具ごと壊れる。


 透は目を閉じた。


 境目。


 合わない部分。


 拒んでいる棘。


 感覚を細くする。


 灰を糸にする。


 鎖を通した時の感覚を思い出す。骸骨兵の関節だけを喰った時の手応え。核だけを喰った時の乾いた音。


 喰うものを名付ける。


「棘だけ喰う」


 灰が伸びた。


 灰導核と残核の間で反発していた魔力が、ぱちぱちと小さく弾ける。その弾ける部分だけを、灰が削っていく。


 痛みが走った。


 手ではない。


 胸の奥。


 灰が、自分の内側から何かを持っていこうとする。集中を乱せば、手甲ではなく自分の魔力まで喰われる。


 リィンの声が聞こえた。


「ゆっくり。急がないで」


 透は息を吐く。


 棘だけ。


 境目だけ。


 必要な分だけ。


 どれほど時間が経ったのか。


 やがて、灰導核と三つの残核が、ひとつの歪な芯として繋がった。


 リィンが手甲の内側にそれをはめ込む。


 黒灰色の溝に、薄い光が走った。


 手甲の亀裂が完全に消えることはなかった。だが、灰が通る道は繋がったらしい。壊れた指当ての部分も、骨と金属片を使って仮に補強できた。


 透は恐る恐る、右腕に手甲を装着した。


 冷たい。


 だが、嫌な冷たさではない。


 手甲の内側が腕に沿って締まり、手首のあたりで灰色の線が浮かび上がる。


 胸の奥の灰が、手甲へ流れた。


 いつもより静かだった。


 暴れない。


 広がりすぎない。


 手の甲に集まり、そこから細い糸として伸ばせる感覚がある。


「これ……すごいな」


 透は右手を前に出した。


 指先から、灰色の糸が一本伸びる。


 机の上にあった錆びた金属片に触れた。


「表面の錆だけ喰う」


 灰糸が錆を撫でる。


 錆だけが、綺麗に剥がれた。


 金属片は残った。


 透は思わず息を呑む。


「できた」


 リィンの表情が明るくなる。


「うん。灰殻が灰を絞ってくれてる」


「これがあれば、かなり戦える」


「でも、使いすぎないで。仮修復だから、灰路が焼き切れるかもしれない」


「手も灰になる?」


「なるかもしれない」


「やっぱり怖いな」


「怖がって」


「ああ。怖がって使う」


 透は手甲を握りしめた。


 右腕に力が宿る。


 単純な腕力が上がったわけではない。けれど、灰を扱う精度がまるで違う。これなら、骸骨兵程度ならさっきよりずっと楽に倒せる。犬型の魔物にも対応できるかもしれない。


 もちろん、まだ最強には遠い。


 喰屍には勝てる気がしない。下層の咆哮の主など、姿を見る前に逃げるべきだろう。


 それでも、透は確かに前へ進んだ。


 その時、床の文字がまた青く光った。


 手甲に灰を通したことで、部屋の古い記録が反応したらしい。


 壁の一部に光が走り、石板のようなものが浮かび上がる。


 リィンが近づき、文字を読んだ。


 その顔が、少しずつ変わっていく。


「何て書いてある?」


 透が尋ねると、リィンは震える声で答えた。


「灰の番人の任務記録」


「任務?」


「迷宮汚染の鎮圧。死霊軍の解体。呪われた戦場の浄化。暴走した神代兵器の停止。魔王軍第七屍団の単独迎撃……」


「単独?」


 透は聞き返した。


 リィンは頷く。


「一人で、軍を止めてる」


 部屋の空気が変わった気がした。


 一人で軍を止める。


 そんなことができるのか。


 透は右腕の手甲を見た。


 今の自分には無理だ。骸骨兵一体を倒して喜んでいる程度の自分には、想像もできない。


 けれど、記録には残っている。


 灰喰いは、そこまで行ける。


 地上の騎士団。冒険者。迷宮。軍勢。そういったものと並ぶどころか、単独で相手にするための力。


 王国が恐れた理由が、少しだけ見えた気がした。


 災厄だから恐れたのではない。


 もしかしたら、制御できないから恐れたのだ。


 勇者は王国の旗印になる。聖女は神殿の象徴になる。剣聖や賢者は、軍の駒として扱える。


 だが灰喰いは、奈落を喰う。


 呪いも、死霊も、封印も、古い嘘も。


 王国にとって都合の悪いものまで、灰にして暴いてしまう。


 透は右手を握った。


「リィン」


「うん」


「俺は、強くなれるんだな」


 リィンは透を見た。


 そして、はっきりと頷いた。


「なれる」


「勇者よりも?」


 自分で言ってから、少しだけ情けないと思った。


 相良を意識している。


 あの広間で、勇者として光に包まれていた相良。周囲から期待され、王女や神官に希望のように見られていた男。


 対して自分は、災厄職として槍を向けられ、奈落に落とされた。


 悔しくないわけがない。


 リィンは少しだけ考えてから言った。


「勇者は、生きているものを導く力。灰喰いは、終わったものを終わらせる力。比べるものじゃない」


「そうか」


「でも」


 リィンは透の右腕の手甲を見た。


「奈落では、勇者より灰喰いの方が強い」


 透は小さく笑った。


「今はそれでいい」


 今は、奈落で強ければいい。


 ここで生き延びる。


 ここで学ぶ。


 ここで力を手に入れる。


 そして、いつか地上へ戻る。


 その時、王国が自分をどう扱うのか、相良たちがどんな顔をするのかはわからない。


 だが少なくとも、もう槍を向けられて黙って引きずられるだけの自分ではない。


 透は壁の任務記録を見上げた。


 灰の番人。


 一人で軍を止め、迷宮を鎮め、呪われた戦場を眠らせた者たち。


 その名は、王国の広間では災厄と呼ばれた。


 ならば、確かめるしかない。


 どちらが本当なのか。


 自分の足で。


 自分の灰で。


 その時、武装庫の方角から、低い音が響いた。


 ごん。


 重いものが、扉を内側から叩いたような音。


 透とリィンは同時に振り返った。


 ごん。


 二度目。


 青い刻印が揺れる。


 透の右腕の手甲が、かすかに震えた。


 武装庫の奥にある何かが、手甲に反応している。


 リィンが青ざめる。


「起きた……」


「何が?」


「武装庫の守り手。灰喰い以外が装備を持ち出さないように作られた番兵」


「俺、灰喰いなんだけど」


「だから起きたのかもしれない。持ち主かどうかを試すために」


 透は右腕を見た。


 仮修復の灰殻手甲。


 修復したナイフ。


 布の包帯。


 水を入れた小瓶。


 これだけで、武装庫の守り手とやらに勝てるのか。


 普通に考えれば無理だ。


 けれど、逃げ続けてもいずれ限界が来る。


 武装庫には装備がある。記録がある。上へ戻る手がかりもあるかもしれない。


 そして何より、灰喰いとして強くなるためには、避けて通れない場所なのだろう。


 透は深く息を吸った。


「リィン」


「うん」


「すぐには行かない。準備する」


 リィンはほっとしたように頷いた。


「うん」


「でも、行く」


「……うん」


 ごん。


 三度目の音が響く。


 武装庫の守り手は、こちらを待っている。


 透は恐怖を感じた。


 同時に、右腕の奥で灰が静かに整っていくのを感じた。


 喰い散らかすためではない。


 狙い、削り、終わらせるために。


 透は手甲の指を握り、壁の任務記録をもう一度見た。


 一人で軍を止めた灰の番人。


 今の自分には遠すぎる姿だ。


 だが、そこへ続く最初の装備は、もうこの腕にある。


「まずは、番兵を倒す」


 透はそう言って、壊れた棚から使えそうな金属片を拾い始めた。


 奈落の待機室に、武装庫の重い音が響き続ける。


 その音は、死の足音ではなくなっていた。


 少なくとも透には、そう聞こえた。


 それは、強くなるための扉を叩く音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ