第57話 冒険者ギルドの洗礼
受付嬢の笑みは、訓練されたものだった。
だが、透の後ろに並ぶ面々を見た時、その笑みはわずかに固まった。
銀髪の封印使い。
大柄な獣人。
片腕の欠けた機兵少女。
灰布を握る子ども。
顔色の悪い術師。
そして、その中心に立つ灰色の少年。
受付嬢は一度だけ息を整え、木札を手に取った。
「仮入市証、確認します。保証人はリンド商会、マルク・リンド会頭ですね」
「ああ」
「登録希望は、全員でよろしいですか?」
「戦う者と、必要な者だけでいい」
受付嬢は羽ペンを止めた。
「必要な者、ですか?」
「街で動くのに身分証がいるなら、ルカとセイルも登録する。リィン、バルザ、シェラは戦力として登録。俺もだ」
ルカは少しだけ背筋を伸ばした。
「僕も?」
「水路や道を見る役だ。身分証があった方がいい」
受付嬢はルカを見て、すぐに表情を和らげた。
「年少者は補助登録になります。危険依頼を受けることはできませんが、同行者として登録証を発行できます」
「それでいい」
「機兵の方は……」
受付嬢の視線がシェラに移る。
シェラは正面から受付嬢を見返した。
「個体名、シェラ。旧式保守補助機兵。現状、損傷中。戦術解析、地形記録、魔道機構判別が可能」
周囲の冒険者たちがざわめいた。
「喋ったぞ」
「古代機兵か?」
「遺跡から掘り出したのかよ」
受付嬢は羽ペンを握り直した。
「登録上、機兵の扱いは特殊です。所有者の記載が必要になる場合があります」
空気が変わった。
透の目が受付嬢へ向く。
怒鳴ったわけではない。
灰を出したわけでもない。
ただ、その一瞬で、受付台の周りだけ温度が下がったように感じられた。
受付嬢もそれを感じ取ったのか、言葉を切った。
透は静かに言った。
「所有者はいない」
シェラが続ける。
「登録主体、シェラ本人。同行先、トオル」
受付嬢は数秒沈黙し、それから書類の束をめくった。
「……古代機兵の独立登録規定があります。滅多に使われませんが、本人意思が確認でき、ギルドが危険性を審査した場合、従属物ではなく個人登録が可能です」
「それで頼む」
「承知しました」
受付嬢の声には、最初より少しだけ緊張が混じっていた。
冒険者たちはそのやり取りを聞いて、また小声で騒ぎ始める。
「機兵を所有物扱いしないのか」
「変わってんな」
「それより、あの坊主の目、見たか」
「ああ。冗談言う空気じゃなかった」
バルザは腕を組んで笑っていた。
リィンは無言で受付横の壁を見ている。
依頼書が並んでいた。
迷宮採取。
薬草護衛。
下層偵察。
魔物討伐。
行方不明者捜索。
その中に、黒鞭商会や剣杯商会の名はない。
だが、壁の端に貼られた古い注意書きに、透は目を止めた。
――近月、街道および迷宮外縁にて、身元不明者の失踪増加。単独行動を避けること。
受付嬢が書類を並べる。
「登録には、名前、職能、主な得物、得意分野を記載します。職能を隠すことも可能ですが、その場合、依頼受注制限があります」
職能。
透は一瞬だけ、召喚の間を思い出した。
水晶の光。
クラスメイトたちの歓声。
神官長の冷たい目。
《灰喰い》。
その名を聞いた瞬間、周囲の空気がどう変わったか、まだ体が覚えている。
受付嬢は待っている。
周囲の冒険者たちも、耳だけはこちらへ向けていた。
透は羽ペンを取った。
名前の欄に、篠宮透と書く。
職能の欄で、少し止まる。
それから、短く記した。
《灰喰い》。
受付嬢がその文字を見た。
反応は薄かった。
知らないのだ。
王国の召喚儀式にいた神官たちのように、即座に災厄と結びつけることはない。
「珍しい職能ですね。灰を扱う系統でしょうか」
「ああ」
「死霊術では?」
「違う」
「呪術師系統でも?」
「違う」
「では、特殊職として登録します。後で能力確認の試験を受けていただきます」
透は頷いた。
隣でバルザが職能欄に何かを書こうとして、止まった。
「俺は何になるんだ?」
受付嬢が尋ねる。
「戦闘職の登録ですね。武器は?」
「拳と爪。あと牙」
「牙は武器欄に入れなくても大丈夫です」
「そうか?」
「通常は」
バルザは少し不満そうだったが、結局「獣人前衛」と書かれた。
リィンは職能欄に迷わず書く。
《封印師》。
受付嬢の目が少し見開かれる。
「封印師は希少職です。迷宮都市では歓迎されます。罠や暴走魔道具、魔物の拘束などで需要がありますので」
リィンは小さく頷くだけだった。
シェラは職能欄に自分で書いた。
《保守機兵》。
受付嬢はその文字をしばらく見て、書類の端に「要審査」と記した。
セイルは《補修術師》。
ルカは職能不明の補助登録。
登録書類が終わる頃には、ギルド内の視線はますます増えていた。
特に透の《灰喰い》という文字を覗き込もうとした冒険者が、近くの仲間に小突かれる。
「なんだ、灰喰いって」
「知らねえ。掃除屋か?」
「でも岩背猿を退けたんだろ?」
「本当ならな」
その時、奥の酒場席から椅子を引く音がした。
大柄な男が立ち上がる。
革鎧の上に鉄板を重ね、背には幅広の剣。
顔には古い傷があり、いかにも長く迷宮で飯を食ってきた冒険者という風貌だった。
「おいおい、岩背猿を退けたって話、もう盛られてんじゃねえだろうな」
男は酒杯を片手に近づいてくる。
受付嬢の顔が曇った。
「ダグラスさん、登録中です。揉め事は――」
「揉めるつもりはねえよ。新人が噂だけで持ち上げられて、迷宮で死ぬのを何度も見てきたからな」
ダグラスと呼ばれた男は、透の前で止まる。
背は高い。
バルザほどではないが、普通の人間としてはかなり大きい。
彼は透を見下ろした。
「坊主。岩背猿を追い払ったってのは本当か」
「本当だ」
「殺したんじゃなく、追い払った?」
「ああ」
「なんで殺さなかった」
「必要なかった」
ギルド内が静かになった。
ダグラスの目が細くなる。
「そいつは大した自信だな。岩背猿はC級上位、群れを率いてりゃB級判定もある。普通の新人が言う台詞じゃねえ」
透は答えない。
ダグラスは灰骸刀へ目を向けた。
「その刀でやったのか」
「少し使った」
「少し、ね」
男は笑った。
馬鹿にした笑いではない。
試す笑いだった。
「受付嬢。どうせ能力確認をするんだろ。俺が見てやる」
受付嬢は困った顔をした。
「ダグラスさんはB級冒険者です。新人試験には過剰です」
「加減くらいできる」
「前回もそう言って訓練場の壁を壊しました」
「あれは相手が避けたからだ」
「避けるものです」
周囲の冒険者たちがどっと笑った。
ダグラスは肩をすくめる。
「なら、壁を壊さない程度にする」
受付嬢は透を見る。
「通常の登録試験は、ギルド職員かC級試験官が行います。希望されるなら通常手順にしますが」
透はダグラスを見た。
B級冒険者。
地上基準の上位。
見るにはちょうどいい。
「構わない」
受付嬢は一瞬だけ眉を上げた。
ダグラスは満足そうに笑う。
「決まりだ。裏の訓練場へ来い」
バルザが透の横に並ぶ。
「俺も混ざるか?」
「登録試験だ。先に俺がやる」
「じゃあ見てる」
リィンは依頼板から視線を戻し、透の後ろへついた。
シェラは右目を光らせる。
「B級冒険者ダグラス。推定戦闘能力、地上基準中上位。観測対象」
セイルが青い顔で呟く。
「いきなりB級と……」
ルカは受付台の横から、心配というより好奇心のある目で透を見ている。
「トオル、試験?」
「ああ」
「ここ、学校みたい」
「たぶん違う」
「でも試験するんだよね」
「そうだな」
訓練場はギルドの裏手にあった。
高い石壁で囲まれ、床は硬い土と砕石で固められている。
壁には木剣、槍、盾、訓練用の弓が並び、端には魔法障壁用の石柱が四本立っていた。
観客が増えた。
ギルド内にいた冒険者たちがぞろぞろと出てきたのだ。
登録中の新人一行がB級冒険者と試験をする。
それだけで、暇な冒険者にとっては十分な見世物らしい。
受付嬢も帳簿を持って訓練場の端に立った。
「試験内容は三段階です。身体能力確認、武器対応、特殊能力確認。殺傷は禁止。重傷を負わせた場合は失格です」
ダグラスが木剣を一本取る。
「最初は木剣でいいか」
透は腰の灰骸刀に触れず、左手を軽く開いた。
「それでいい」
「武器は?」
「今は使わない」
観客がざわつく。
「B級相手に素手?」
「いや、舐めすぎだろ」
「灰色の坊主、本当に大丈夫か」
ダグラスの表情から笑みが少し消えた。
「後悔するなよ」
次の瞬間、彼は踏み込んだ。
速い。
少なくとも、宿場の護衛たちとは違う。
足運びに無駄がなく、木剣の軌道も重い。
岩背猿の腕より小さいが、技としての鋭さがある。
透は半歩引いた。
木剣が鼻先を通る。
二撃目が胴へ来る。
左手を添えるように動かし、灰瞬壁をほんの薄く置く。
止めない。
刃筋だけをずらす。
木剣は透の外套をかすめ、空を切った。
ダグラスの目が変わる。
三撃目。
今度は速さを上げてきた。
透は土を蹴り、横へ滑る。
地上の土は沈む。
奈落の石床とは違う。
だが、沈むなら沈む分だけ力を逃がせばいい。
ダグラスの連撃が続く。
上段。
横薙ぎ。
突き。
足払い。
透は避ける。
逸らす。
時々、木剣の腹へ指先を当てて軌道を変える。
灰瞬壁は最小限。
観客の声が小さくなっていった。
最初は見物だった空気が、少しずつ別のものに変わる。
「当たってねえ」
「いや、今のは当たる間合いだったぞ」
「壁か? 何か出してるのか?」
「見えねえ」
ダグラスが舌打ちした。
「なるほど。岩背猿を追い払ったってのは嘘じゃなさそうだ」
木剣が低く構えられる。
「じゃあ、少し重くする」
踏み込みが変わった。
今度は速さではなく、圧。
地面を割るような一歩。
木剣とは思えない重さが、透の肩口へ落ちる。
正面から受ければ、訓練用でも骨が折れる。
透は左腕を上げた。
灰瞬壁を厚くする。
木剣が灰壁に当たり、鈍い音を立てた。
止まった。
ダグラスの腕がわずかに震える。
透の足元の土も沈んだ。
だが、体は崩れない。
皮膚下の灰層が衝撃を散らし、足裏から地面へ流す。
ダグラスが目を見開く。
「止めたか」
透は灰壁を消した。
左手を伸ばし、木剣の根元を軽く押す。
重心がずれる。
ダグラスの体が半歩流れた。
その喉元へ、透の指先が届く寸前で止まる。
木剣が地面に落ちた。
訓練場が静まり返る。
ダグラスは喉元の指を見て、それから透を見た。
数秒後、彼は低く笑った。
「一本取られたな」
観客が一気にざわめいた。
「おい、ダグラスが取られたぞ」
「新人だろ、あいつ」
「なんだ今の」
「魔法か? いや、詠唱してねえ」
受付嬢は帳簿に何かを書き込んでいる。
手が少し速い。
ダグラスは木剣を拾わず、今度は背中の幅広剣へ手を伸ばした。
受付嬢が声を上げる。
「ダグラスさん、実剣は禁止です!」
「抜くだけだ。斬りはしねえ」
幅広剣が抜かれる。
刃に薄い魔力光が走った。
ただの剣ではない。
魔剣だ。
観客の空気がさらに変わる。
ダグラスは透を見た。
「これにどう対応するかで、B級依頼に近づけるかどうかがわかる。無理なら避けろ」
透は腰の灰骸刀へ手をかけた。
訓練場の端で、バルザが牙を見せた。
「抜くか」
リィンは黙って見ている。
シェラの右目が強く光る。
ダグラスの魔剣が振られた。
木剣とは違う。
刃そのものの重さに、魔力の補強が乗っている。
受ければ、普通の武器なら折れる。
灰骸刀を抜く。
黒灰色の刃が、鞘から滑り出る。
折れた先に灰が伸び、片刃の形を補った。
その瞬間、訓練場の音が遠のいた。
灰の刃が、ダグラスの魔剣と交差する。
金属音は短かった。
折れてはいない。
ダグラスの剣も、透の灰骸刀も。
だが、魔剣に走っていた魔力光が、ふっと消えた。
強化術式の死んだ継ぎ目だけが、灰骸刀に喰われた。
ダグラスの腕が沈む。
「なっ――」
透は一歩入り、灰骸刀の刃をダグラスの首元で止めた。
刃は皮膚に触れていない。
だが、灰の冷たさは届いている。
訓練場の空気が凍った。
ダグラスは動かなかった。
額から汗が一筋落ちる。
透は刃を下ろし、納刀した。
魔剣は折れていない。
ただ、光を失ったまま沈黙している。
受付嬢が帳簿を抱えたまま、呆然と呟いた。
「魔剣の強化だけを……?」
シェラが淡々と記録する。
「灰骸刀、対魔道武器干渉成功。対象物理破壊なし。術式機能停止」
ダグラスはしばらく自分の剣を見ていた。
やがて、大きく息を吐く。
「参った」
その一言で、訓練場が爆発したように騒がしくなった。
「B級が負けを認めたぞ!」
「おいおい、何者だよあいつ!」
「灰色の少年……」
「岩背猿どころじゃねえだろ!」
ダグラスは剣を鞘に戻し、透へ向き直る。
「名前、もう一度聞いていいか」
「篠宮透」
「トオルか。覚えた」
彼は口元を歪めた。
「ベルディアじゃ、今日からお前の噂で酒が飲めるぞ」
透は受付嬢を見た。
「登録は?」
受付嬢ははっとして、帳簿を閉じた。
「登録は可能です。ただし、ランクについてはギルド長の確認が必要になります」
「低ランクからでいい」
その言葉に、周囲の冒険者たちがまたざわついた。
ダグラスが笑う。
「低ランクに置いたら、受付が苦労するぞ」
受付嬢は乾いた笑みを浮かべた。
「すでに苦労しています」
訓練場の入口に、背の高い女性が立っていた。
黒い上着に、ギルドの紋章。
短く切った赤茶の髪。
鋭い目。
周囲の冒険者たちが一斉に姿勢を正す。
「騒がしいと思ったら、面白い新人が来たようだな」
受付嬢が頭を下げる。
「ギルド長」
女性は透を見た。
その視線は、門番や冒険者たちとは違う。
怯えでも、好奇でも、軽い値踏みでもない。
戦力として、危険として、そして利用価値として見る目だった。
「私はベルディア冒険者ギルド長、レオナ・グランツ。灰色の少年、少し話を聞かせてもらおうか」
透は彼女を見返した。
周囲では、もう噂が形になり始めている。
岩背猿を退けた少年。
B級冒険者から一本取った新人。
魔剣を折らずに沈黙させた灰の刀。
誰かが、小さく言った。
「灰の主……」
その呼び名は、訓練場のざわめきの中に紛れた。
けれど、消えなかった。




