表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/85

第18話 壊れた機兵の忠誠

 シェラは、灰の上に座っていた。


 座れ、と言われたから座っている。


 ただ、それだけのようだった。


 背筋はまっすぐ伸び、壊れた右腕は膝の上に置かれている。胸元の装甲は割れ、半分露出した青白い核が弱く明滅していた。左目は閉じたまま動かない。開いている右目だけが、透を見ている。


 その姿は、少女に見えた。


 けれど、呼吸はない。


 瞬きも少ない。


 肌に見えるものは、灰を被った白い合金だった。


 ルカは透の背後から、そっと顔を出した。


「その子、生きてるの?」


 シェラの右目がルカへ向く。


「生命反応、分類外。稼働状態、低下。自己認識、維持」


 ルカは少し固まった。


「えっと……?」


「たぶん、生きてるとは違うけど、起きてるってことだ」


 透が言うと、シェラはこくりと頷いた。


「番人の解釈を優先」


「俺の解釈でいいのかよ」


「現番人、最上位認証」


「それもやめてほしい」


「命令確認。呼称変更を検討」


「検討じゃなくて変更してくれ」


 シェラは数秒黙った。


「トオル、で登録可能」


「ああ。それでいい」


「登録。トオル」


 短い声だった。


 だが、その響きは不思議と硬くない。壊れた金属の奥に、誰かが長い時間抱えていた孤独が残っているようだった。


 リィンはシェラの胸元を見ていた。


「核が欠けてる。灰路もかなり切れてる」


「動けるのか?」


 透が聞くと、シェラは答えた。


「歩行、低速なら可能。戦闘、三十七秒以内。以後、崩壊率上昇」


「三十七秒って、具体的だな」


「現状態での最大安全稼働時間」


 バルザが腕を組んで、シェラを眺めた。


「三十七秒でも、こいつは強いのか」


 シェラの右目がバルザへ向く。


「対象、獣人族。現状態での制圧確率、六十二パーセント」


 バルザの耳がぴくりと動いた。


「ほう」


「封環による出力低下を含む」


「首輪がなければ?」


「制圧確率、二十一パーセント。相打ち確率、四十八パーセント」


 バルザは牙を見せて笑った。


「気に入った」


「敵対判定?」


「違う。腕試しは後だ」


「後、登録」


 ガルドが低く唸る。


「壊れてその計算か。まともに直れば、かなりの戦力になる」


 透も同じことを考えていた。


 今のシェラは、片腕が壊れ、核が欠け、立つことすら危うい。それでも、バルザと渡り合う可能性を持っている。完全に修復できれば、灰置き場の守りは一段変わる。


 ただし、修復には危険がある。


 透の灰は、壊れたものに触れる。


 錆、呪い、切れた灰路、死んだ魔力。


 だが、シェラの核はまだ生きている。


 雑に触れば、直すどころか喰ってしまうかもしれない。


「武装庫の部品がいるんだよな」


 透が言うと、リィンは頷いた。


「灰導核と、細い灰路線。それと、機兵用の記憶留めがあればいいと思う」


「どこにある?」


「武装庫の第一層にはなかった。奥か、保守室の別区画」


 シェラが口を開いた。


「灰殻機兵の補修部品は、武装庫第二層、または機兵眠り庫に保管」


「第二層?」


 ガルドが反応する。


「第一層の奥か」


「認証段階不足。第二層の開放には、番人の灰路安定率、最低三段階が必要」


 透は自分の右腕を見る。


 灰殻の手甲は熱を持っている。脇腹には灰で塞いだ傷。灰域を覚えたばかりで、頭も重い。


「今の俺じゃ無理そうだな」


「無理」


 リィンが即答した。


「そこは少し迷ってくれ」


「迷わない。今行ったら倒れる」


「だよな」


 透は息を吐いた。


 シェラはそのやり取りを見ていた。


「トオル、損傷状態」


「ああ。ちょっと噛まれた」


「ちょっと、ではない」


 リィンが言った。


 シェラの右目がわずかに細くなる。


「灰補修痕を確認。肉体組織の欠損を灰で代替。長期放置、非推奨」


「シェラにもわかるのか」


「機兵は番人の損傷確認機能を持つ」


「便利だな」


「修復権限があれば、処置可能」


 透は少し身を乗り出した。


「俺の傷を?」


「軽度補助のみ。現状態では、完全修復不可」


 リィンが警戒するようにシェラを見る。


「何をするつもり?」


「灰補修部位の過硬化を緩和。肉体への再馴染みを補助。番人の継戦能力を維持」


「危ない?」


「現状態での危険率、二十九パーセント」


「高い」


「低くはない」


 シェラは淡々と答えた。


 透は苦笑する。


「やめとこう。今、二十九パーセントを引く気はない」


「判断、妥当」


「妥当って言われると、なんか変だな」


 リィンがほっとしたように息を吐いた。


「トオルが珍しく無茶しなかった」


「珍しくって」


「珍しい」


「否定できないのが嫌だ」


 バルザが笑い、ガルドもわずかに口元を動かした。


 灰置き場の者たちも、遠巻きにシェラを見ている。


 恐れている者も多い。


 当然だ。炉の奥から突然、古代の機兵が出てきたのだ。しかも、透を番人として認証し、命令を待っている。普通なら、警戒しない方がおかしい。


 だが、同時に違う目もあった。


 期待。


 また一つ、灰置き場を守る力が増えるかもしれないという期待。


 その視線を、透は感じていた。


 灰域を広げていないのに、わかる気がした。


 いや、少し漏れているのかもしれない。


 床の灰が、足音や呼吸の震えを拾っている。恐怖で浅くなる息。興味で近づく足。水瓶のそばに立つ少年の緊張。


 透は額を押さえた。


「また勝手に広がってるな」


 リィンがすぐに気づく。


「灰域?」


「ああ。使おうとしてないのに、周りの気配が入ってくる」


「傷のせいかも。灰補修した場所から、灰が漏れやすくなってる」


「便利なのか、不便なのか」


「両方」


 リィンの答えはいつも通りだった。


 シェラが透の右腕と脇腹を交互に見る。


「灰域の常時漏出は、番人初期訓練で発生する症状」


「訓練で?」


「灰を領域化した直後、境界設定が不安定になる。対処法あり」


「あるのか」


 透は思わず声を強めた。


 リィンも目を上げる。


「どうするの?」


「核を置く」


「核?」


「灰域の中心を肉体のみに置くと、番人の負荷が上昇。周囲に小さな灰標を置き、感知を分散する」


 セイルが近づいてきた。


 まだ顔色は悪いが、術式の話になると少しだけ目が生き返る。


「目印を置くのか。門術式の補助杭に近い」


 シェラが頷く。


「近似。灰標は、番人の領域を固定する外部点」


 透は床を見る。


「つまり、灰域を俺から全部広げるんじゃなくて、何かに預ける?」


「肯定」


「それなら、灰置き場の見張りにも使えるか」


 ガルドが言った。


「入口、水瓶、保存食、炉。そこに灰標を置けば、透が寝ていても異変を拾えるかもしれん」


「寝てても?」


 透が聞くと、シェラは首を傾けた。


「睡眠中の警戒機能は、番人の生存率を上げる」


「俺、寝てる時まで働くのか」


「必要」


 リィンが言った。


「そこは味方してくれないのか」


「不意打ちで死なない方がいい」


「それはそう」


 透は諦めた。


 ただ、灰標を置くという考えは悪くない。


 不意打ちが怖い。


 灰鼠が入り込んだ時、気づくのが遅れた。子どもを守れたのは、たまたま体が間に合ったからだ。次も間に合うとは限らない。


 なら、先に気づけるようにする。


 それは必要だった。


「やってみる」


 透が言うと、リィンがすぐに睨むように見た。


「脇腹」


「動かない。座ったままやる」


「本当に?」


「今回は本当に」


「半分じゃない?」


「全部」


 リィンは少しだけ疑っていたが、頷いた。


 シェラは左手を床についた。


 壊れていない方の手だ。細い指が灰に触れると、青白い線が床に走った。


「灰標候補。炉灰、骨片、欠けた灰導石、灰鼠の歯」


「灰鼠の歯は嫌だな」


「感知性能は高い」


「嫌だけど性能高いのか」


「敵性残滓は警戒用に適する」


 ガルドが灰鼠の死骸から小さな歯を取り出した。


「使えるなら使え」


「抵抗ないのか?」


「奈落で抵抗していたら死ぬ」


「それもそうか」


 透は灰鼠の歯、炉の灰を染み込ませた骨片、小さな灰導石の欠片を受け取った。


 指先に乗せる。


 灰域を広げるのではない。


 小さく畳む。


 自分の中から薄く灰を伸ばし、それぞれの欠片に触れさせる。喰うのではなく、結ぶ。自分の目や耳の代わりではなく、床に置く小さな鈴のようなもの。


 灰が、骨片の表面に染みた。


 次に灰導石。


 最後に灰鼠の歯。


 その瞬間、歯の奥に残っていた小さな飢えが跳ねた。


 透は反射的に喰い潰しそうになり、黒鎖を握る。


 リィンの封印針がすぐ横で光った。


「浅く」


「わかってる」


 歯の中の飢えを全部消すのではなく、鈴の芯として残す。危険なものほど、危険が近づいた時によく震える。


 嫌な理屈だ。


 だが、使える。


 灰鼠の歯が、黒灰色に変わった。


 シェラが告げる。


「灰標、形成確認」


 透はそれらを床に置いた。


 入口に灰鼠の歯。

 水瓶のそばに骨片。

 保存食の箱の近くに灰導石。


 目を閉じる。


 灰域を広げる。


 今度は、自分の周囲から無理に伸ばすのではなく、三つの灰標に意識を触れさせた。


 入口の冷たい風。

 水瓶の周りの静けさ。

 保存食の箱に近づくルカの足音。


 わかる。


 しかも、自分で全部を抱えるより軽い。


「……楽だ」


 透は呟いた。


 リィンが表情を緩める。


「負担は?」


「さっきより少ない。頭痛も軽い」


 シェラが頷く。


「灰域補助、成功」


 ガルドがすぐに判断した。


「灰標を増やせるか」


 リィンが首を横に振る。


「今は三つまで。増やしたらトオルが倒れる」


「三つで十分だ。入口と水と食料を守れる」


「十分って便利な言葉だな」


 透が言うと、ガルドは平然と頷いた。


「便利だから使う」


 バルザが入口の灰標を見下ろす。


「これに何か近づくと、お前にわかるのか」


「たぶん」


「なら寝られるな」


「全員それ言うな」


「寝ない王は早死にする」


「王じゃない」


「候補だったか」


「それも違う」


 シェラの右目がわずかに光った。


「王。意味照合中」


「照合しなくていい」


「番人と王の権限差、確認不能」


「確認しなくていい」


 バルザが笑いを堪えている。


 透は片手で顔を覆った。


 シェラは真面目に続ける。


「ただし、群れの中心個体を守ることは、機兵の優先任務」


「群れの中心個体って、誰のことだ」


 透が聞くと、シェラは迷いなく答えた。


「トオル」


 灰置き場に、妙な沈黙が落ちた。


 ルカが小さく呟く。


「中心……」


 セイルが目を逸らす。


 ガルドは否定しない。


 バルザはにやにやしている。


 リィンだけが、透を見ていた。


 透は深く息を吐いた。


「中心とかじゃない。ただ、今はここを守るために必要なことをしてるだけだ」


「それでいい」


 ガルドが言った。


「中心というものは、だいたい本人が認める前にできる」


「嫌なこと言うな」


「現実だ」


 透は言い返せなかった。


 灰標は三つ。


 入口、水瓶、保存食。


 それだけなのに、灰置き場の形が少しだけ変わったように感じる。守るべき場所に印がつき、見えなかった危険へ手が届き始めた。


 技が一つ増えた。


 それは透個人の力であると同時に、灰置き場の力でもあった。


 リィンが言う。


「名前、つける?」


「灰標でいいんじゃないか」


「そのまま」


「わかりやすいだろ」


「うん。悪くない」


 シェラが記録するように呟いた。


灰標(かいひょう)。灰域補助点。登録」


 透は苦笑した。


 また勝手に技らしくなった。


 だが、悪くはない。


 灰域。

 灰標。

 灰補修。

 灰糸。

 喰い止め。


 少しずつ、自分の力に形ができていく。


 ただ暴れる灰ではなく、名を持った技になっていく。


 その分だけ、透は灰に呑まれずに済むのかもしれない。


 リィンが立ち上がった。


「これで、トオルは寝る」


「今の流れで?」


「今の流れだから。入口も水も食料も見られる」


「寝てる間に何か来たら?」


「灰標が教える。私も見る。ガルドもいる。バルザもいる。シェラも……座ってる」


 シェラがこくりと頷いた。


「座っている」


「そこは守ってるって言ってくれ」


「守っている。座標固定状態で」


「それならいい」


 透は諦めて、壁にもたれた。


 灰標の感覚が、細く残っている。


 入口の風。水瓶の静けさ。保存食の箱のそばで、ルカがそっと座り込む気配。


 完全に安心はできない。


 でも、さっきよりは目を閉じられる。


 リィンが隣に座った。


「寝て」


「見張りは?」


「いる」


「シェラは?」


「座って守ってる」


「バルザは?」


「笑ってる」


「役に立たないな」


「たぶん、戦う時は役に立つ」


 少し離れた場所で、バルザが言った。


「聞こえてるぞ」


「聞こえるように言った」


 リィンが淡々と返す。


 透は笑いかけて、脇腹の痛みに顔をしかめた。


 灰補修の硬さはまだ残っている。


 だが、灰標のおかげか、周囲を全部自分で抱え込む感覚は薄れた。


 少しだけ、眠れそうだった。


 透は目を閉じる。


 暗闇の中で、三つの灰標が小さく灯っている。


 火ではない。


 光でもない。


 灰の中の目印。


 戻る場所を守るための、小さな印。


 その印を感じながら、透の意識はゆっくり沈んでいった。


 炉の灰が静かに揺れる。


 シェラは座ったまま、透を見ていた。


 壊れた機兵の右目に、青白い光が細く宿っている。


「休息命令、継続確認」


 誰にともなく、彼女は呟いた。


「番人保護、優先」


 その声を、透は半分だけ聞いていた。


 反論する気力は、もうなかった。


 灰置き場の夜は深い。


 けれど、入口には灰標がある。


 水のそばにも、食料のそばにも。


 小さな拠点は、初めて眠りながら見張る目を得た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ