51:夜の散歩とふたりの秘密
「アイザック様とルスタールは命約だったんですか?」
驚いた、とベルナデッタが目を丸くさせたのは、日中のやりとりから半日程経ってから。
夜も遅く周囲は暗く、眼前には無数の星が輝いている。何も遮るもののない空気は少しだけひんやりとしていて、その中をゆっくりと漂うように飛ぶ爽快さといったらない。
黒竜ルスタールの背の上。背後にはアイザックが座っており、彼の腕がベルナデッタを支えつつ手綱を握っている。
夜空の散歩。一緒に行かないかと誘われたのが今から二時間ほど前。
彼の誘いにベルナデッタはもちろんだと二つ返事で返し、差し出された手に促されて竜の背に乗って今に至る。
時に夜空の美しさに感動し、時に他愛もない話をし、そして先日の一件について話し……、先程のベルナデッタの言葉である。
「それじゃあ、ビームを放つ命約のおばあちゃんは?」
「おばあちゃんはいないんだ。ごめんな、ビーム放つところ見たかっただろうに。この指輪もそれっぽく見えるように作っただけなんだ」
アイザックの視線が手綱を握る己の手へと向けられ、つられるようにベルナデッタも視線をやった。
彼の右手の中指に嵌められている黒色のシグネットリング。
「それであの時、ルスタールを怒らせるために指輪を踏みつけるなんて出来たんですね」
「契約も何もないただの指輪だ。だからラクスター家が『アイザックから契約の証の指輪を託された』って話した時点で、ルスタールにはそれが嘘だって分かったんだ」
ラクスター家はアイザックから指輪を奪い、それをルスタールに見せつけた。
彼からしたら、否、アイザックとルスタール以外からしたら、それはアイザックの遺言のように思えただろう。ルスタールを頼む、次の契約の騎士になってくれ、そんな意味が込められている。……はずだった。
少なくとも、それが『本物の契約の指輪』ならば、そうなるはずだった。
だが実際には指輪には何の意味もなく、ルスタールからしたらラクスター家は『アイザックから契約の指輪を託された』のではなく『アイザックを害して指輪を奪い、契約の権限を偽った』である。
これに怒りを覚えない竜はいないだろう。ただでさえ竜は気位が高く、尚且つルスタールは竜を統べる始祖竜。きっと己だけではなく同族すべてへの侮辱と考えて激怒したに違いない。
その怒りが他の竜にも伝わり……、そしてあの、まるで世界の終わりかのような絶望の光景に繋がるのだ。
「なるほど、そうだったんですね。でもなんで契約だと偽ってたんですか?」
「そっ、それは……、ほら……、め、命約の方が良いって考える騎士が多くて、それで、俺が契約の騎士ってことにすれば、バランスがよくなるから」
だから契約の騎士として活動している。
そうアイザックは話すが、彼の態度が些かおかしいのは気のせいではないだろう。声は上擦っているし、話し方もたどたどしい。
疑問を抱いてベルナデッタが身を捩って背後の彼の顔を覗けば、露骨に視線をそらされてしまった。なんとも気まずそうな表情ではないか。
「これは……、なにか隠していますね!」
「嘘吐けない性格なんだ。どうにも顔に出るというか、声にも出るというか、動きにもオーラにも出るというか」
「思った以上に全身から出ますね」
「自覚してる……。セルジュにも問い詰められて大変だったよ。偽った理由は個人的なことだから問題にはなり得ない、問題になりかけたらその時は正直に話すって約束させられてようやく納得してくれたけど」
どうやらよっぽど厳しく言及されたらしく、話すアイザックの口調は溜息交じりだ。
だがそれでも事実を打ち明けないとなると、それほどまでに言いたくない理由があるというわけで……。
知りたい。
とベルナデッタの胸の内で好奇心が湧いた。
単純な興味と、それと……。
「私だけが知る、アイザック様の秘密」
ぽつりと呟いた。なんて魅力的な言葉だろうか。
誰からも好かれる彼の、国中から慕われている彼の、国宝とまで呼ばれて国内はおろか国外からも注目されている彼の、
誰も知らない、自分だけが知っている、秘密。
「……私にだけ教えてくれませんか?」
「ベルナデッタに? いや、さすがにこれは……」
「それなら私の誕生日プレゼントの前借りです!」
ベルナデッタが食い下がれば、アイザックが「プレゼント?」と不思議そうに聞き返してきた。
だがすぐさま「あっ」と小さく声を漏らすあたり、言わんとしていることを察したのだろう。
思い出されるのはラクスター家の騒動の少し前、アイザックの誕生日の夜。
今のようにルスタールの背に乗り、二人で星空のひと時を楽しんだ。
そんな中で、アイザックから誕生日プレゼントにと『誰も知らないベルナデッタについて』を教えてほしいと頼まれたのだ。
あの時、ベルナデッタは自分は普通の少女でしかないと教えた。
聖獣に育てられた獣騎士で強くて戦えるけど、実際は至って極平凡な、家族や友人に愛されて育ったどこにでもいる少女なのだ。ただ騎士隊にとっては珍しい方が都合が良いらしいので、変わり種の獣騎士でいるだけにすぎない。
それを話した時のアイザックの嬉しそうな表情を思い出す。
なるほど、彼は今の自分と同じ気持ちで、『自分にだけ』を求めていたのだ。
「もしかして、ベルナデッタの誕生日に今回の事を教えてっていうつもりか? それで今その前借りを?」
「そうです。今話すか、私の誕生日に話すかですよ!」
ベルナデッタの誕生日はまだ先だが、それまでずっと覚えているつもりだ。むしろ誕生日までことあるごとに話題に出すつもりである。
そんなベルナデッタの強い意志を感じ取ったのか、アイザックが溜息を吐いた。
次いで渋々と言いたげに口を開く。「実は……」と話し出す声には諦めの色が濃い。
「俺とルスタールは小さい頃に会ってるんだ。以前に家出をしたって話をしただろ?」
「森の中で帰れなくなっちゃった時の話ですよね」
「そう、その時だ。あの時ずっとルスタールが側にいてくれたんだ。でもあの時はルスタールもまだ幼体で小さくて、猫と同じぐらいかな。ただから大きめの珍しい爬虫類だと思ってた」
竜とは思わず特に怖がることはなく、真っ暗な森の中を抱きしめて過ごしていたという。
時間にすれば数時間だ。夜更けには両親や村の住民総出で探し出されているため、共に過ごした時間は一晩も無い。
それでも身を寄せ合って過ごした時間はアイザックにとってはなにより尊く、それはルスタールも同じだったのだろう。
「保護されてからもルスタールを家に連れて帰って一緒に過ごしてたんだ。まぁ、あの時は『ペットを飼う』っていう気持ちで、親も村のやつらも『珍しい大きな爬虫類』扱いだったけど。今考えるととんでもない話だよな」
田舎村ゆえの大らかさか、こんな田舎村に竜なんているわけがないという考えか、誰もルスタールを疑わずにいたという。
そんな日々が三カ月ほど続き……、
「ある時、夜になって突然ルスタールが家の外に出たがったんだ。普段の様子と違うから心配してついて行ったら森の中に行こうとして……。それで、なんとなくだけど『これでお別れだ』って分かった。でもそれと同時に『また会える』って確信もあったんだよな。多分、あの時もう命約を交わしてたんだと思う」
竜の知識も命約の知識もなく、『不思議な感覚』だけで済ませてルスタールを見送ったという。
それから数年後、互いに立派な竜と騎士になり再会した。
「そうだったんですね……」
この話に、ベルナデッタは感嘆の吐息を漏らしてしまった。
幼少時の出会い、一時の別れを経ての再会、なんて素晴らしい話なのだろうか。命約という名の運命の絆だ。
だがこの話が素晴らしいと思えば思うほど、なぜ再会した際に『契約』だと偽ったのかが疑問に思えてくる。
「みんなこの話を聞いたら感動しますよ。どうして教えてあげないんですか?」
「それは……、別に、子供の頃に会ってたってこと自体は話しても良いんだけど……。その時に名前をだな……、その、ほら、命約を交わす時に名前をつけるだろ。つまり、子供の頃に『ルスタール』じゃない別の名前をつけちまってたんだよ……」
「それって、ルスタールの名前は本当はルスタールじゃなくて、子供の頃につけた本当の名前があるってことですか?」
驚きの事実である。
思わずベルナデッタが手を伸ばしてルスタールの背に触れた。「そうなの?」と問えば、返ってくるのは低い唸り声。
これは同意だろうか? だが同意にしては不服そうに聞こえる。
だけど否定の唸り声とも違う気がする。
そもそも否定するのであれば、もっと前に鳴いて話を中断させていたはず。
「どういうことですか? ルスタールの本当の名前に何か問題が?」
「……ルスタールの本当の名前は……、俺がガキの頃につけた名前は…………」
よっぽど言いたくないのか、アイザックの声は随分と低い。絞り出したような声とはまさにこのこと。
それでも彼はしばらくの間を置いたのち、ポツリと、普段は溌溂と話す彼らしからぬ小さな声で、まるで風に掻き消されてくれと願うかのような細い声で、『とある名前』を口にした。
それは……、
「ハイパー暗黒竜ダークマターナイト?」
美しい星空の中、ベルナデッタの不思議そうな声だけが響いた。
次話で完結です!
本日21時頃に更新予定ですので、最後までお付き合いいただけたら幸いです。




