52:普通なふたりの特別な瞬間
ハイパー暗黒竜ダークマターナイト。
その名前をベルナデッタが口にした瞬間、周囲が静寂に包まれた。耳が痛くなりそうなほどの静けさ、もとより遮るもの一つとしてない夜空にいてなお、なにも聞こえずなにも感じさせないほどの静寂。
だというのに、一瞬の沈黙の後には竜の甲高い鳴き声と成人男性の悶える声がベルナデッタの前後から聞こえてきた。言わずもがな、ルスタールとアイザックである。挙句に蛇行しはじめて大きく揺れ出すのだから堪ったものではない。
「ル、ルスタール、落ち着いて! アイザック様、舵をとってください!」
「その名前を聞くたびにいろいろなものがこみ上げる!! 男の子っていうのはそういうのに憧れる時期があるんだ! だから! だってそれが一生涯の名前になるなんて思っても無かったし!」
「分かりました、分かりましたから落ち着いて!」
「命約時につけた名前は国に登録しなきゃいけないっていうから! でもこんな名前を言えるわけないだろ!」
「分かりました! もう二度と口にしないから落ち着いてください!!」
アイザックの腕を引っ張りながら必死に宥めれば、それでようやく落ち着いたのか、アイザックの悶えも止んだ。
蛇行していたルスタールも落ち着いてくれたようで今は静かに翼を揺らしている。……まだ小さく唸りをあげているので、迂闊にあの名前を口にしたら今度こそ一回転しかねないが。
ひとまず落ち着いてくれた。
ベルナデッタは小さくほっと安堵の息を吐き、再び、それでいて些か慎重に、話を再開させた。
「それで命約相手は別にいるって嘘を吐いたんですね。でもそれなら、再会したときに命約を交わしたことにすればよかったじゃないですか」
「それも考えたんだけど、命約ってことでルスタールを連れて村に帰ったらバレる気がして怖かったんだよ……。あの時、村中にルスタールのことを自慢してまわってたし……。もちろん、あの名前で。それに俺の出身ってことで、竜騎士について調べるやつらが出て勘付かれる可能性もあったし」
それならばいっそ、「命約相手は別にいて、自分は騎士の才能を買われて契約の騎士に選ばれた」という流れで押し通そうと考えたのだという。
『ルスタール』という名前も出会ったとき既に決まっていたことにした。
『ルスタールの命約相手』という架空の人物を挟むことにより、己を三番目の介入者にし、ルスタールとの直接的な繋がりを薄くさせたのだ。
アイザックのこの話に、ベルナデッタはなるほどと頷いた。
……頷いて、次の瞬間には笑い出した。
満点の星空の中、今度はベルナデッタの笑い声がよく響く。
「な、なんだよ……。笑わなくてもいいだろ」
「だって、それで契約の騎士を名乗っていたなんて、そんな、みんなアイザック様が契約の騎士って信じてたのに」
「そりゃあ、騙してたって後ろめたさはあるけどさ、でもあの名前を公表するぐらいなら……」
「あの名前って、ハイパー暗黒……うわっ!」
突如ぐらりと大きく揺らいでベルナデッタが声をあげた。
自分を支えるアイザックの腕に慌ててしがみつけば、彼もまた強めに体を押さえてくれる。
いったい何が……、と考える必要はない。ルスタールだ。静かに飛んでいたはずの竜はベルナデッタの口から『あの名前』が出ると察するや、体全体を使って不満を訴えてきたのだ。
普段はまず唸り声をあげてからなのにこの強引さ、それほど嫌なのだろう。
あの名前、ハイパー暗黒竜ダークマターナイト、が。
「あ、あぶなかった……」
「大丈夫か? ルスタールは俺よりもあの名前を嫌がってるんだ。迂闊に口にすると振り落とされかねないからな」
「禁句というやつですね。それぐらい嫌ということは分かりました。私も絶対に秘密にします」
ルスタールの嫌がり具合を見るに、もしも他人にこの話をしたらあの絶望の光景を再び見る羽目になるかもしれない。
きっと今度こそルスタールの怒りを鎮めるのは不可能だろう。
「誰にも言いません!」と宣言すれば、それが面白かったのか背後からくつくつと笑う声が聞こえてきた。
アイザックが笑っている。振り返れば楽しそうに目を細めて見つめてくる彼の顔が間近にあった。
彼の腕を掴んでしがみついたまま。
彼の腕も同じように強く押さえてきたまま。
傍目には抱きしめられているように見えるだろう。
否、危機が去った今、この接触は抱擁としか思えない。
「あ……」
ベルナデッタの口から躊躇いの声が漏れた。
一瞬どうしたらいいのか分からなくなり、彼から離れようとし……。
だが視界の隅に、見覚えのある紫色のブローチを見つけ、胸が高鳴りを覚えた。
誕生日に彼に贈ったものだ。日中は着けていなかったが、今は着けている。自分と二人きりで過ごすためにと着けてくれたのか。
それを考えると、彼の温もりと抱きしめられる心地良さを手放すのが惜しく思え、ほんの少し、僅かに、自らアイザックの体に擦り寄った。
「え、ベルナデッタ……」
「あの、ちょと……、高すぎて少し、怖いかなって」
だから、と言い訳をする。
だけどこれは嘘だ。
日中ならば何度も訓練で竜に乗ったことがある。ルスタールはもちろん、ほかの竜にも。だから高所の飛行に恐怖心はない。
それでも嘘を吐いたのはもう少しこのままでいたいからだ。
察したのか、アイザックの腕に微かに力が入ったのが伝わってきた。
強く抱きしめるほどではないが、それでも放すまいとしているのが分かる。
「そ、そうか。そうだよな。ちょっと高すぎるもんな。……それなら、し、しばらく支えておくから」
上擦った声色でアイザックが答え、次いで彼の腕がぎゅうと強めにベルナデッタの体を押さえてきた。
……否、抱きしめてきた。
逞しい腕に抱きしめられ、厚い胸板に身を寄せて、ベルナデッタの鼓動が早まっていく。
ドキドキする。
訓練中ならば異性に抱きかかえられることは何度もあったし、密着することだってあった。
以前にフィンと共にロニアに乗った際には、必死な彼に今以上に強くしがみつかれていた。
だけど、あの時はこんなにドキドキしなかった……。
理由なんて考えるまでも無い。
以前にセルジュに問われた、『アイザックをどう思っているか』その答えが今のこの早鐘を打つ鼓動だ。
あの時は『大事なことは簡単に言ったらいけない』と返したが、今ならば……。
「あ、あの、アイザック様……」
緊張を隠せぬ声色でベルナデッタがアイザックを呼ぶ。
彼の腕の中、身を捩るようにして見上げれば、普段とは違う空気を察したのか彼が緊張した面持ちの表情をしている。紫色の瞳は闇夜の中だからかいつも以上に色濃く、じっと真っすぐに見つめてくる。
「わたし、その……、アイザック様のことが」
「お、俺も、ベルナデッタのことが」
しどろもどろになりながら、二人で必死に言葉を紡ぎ、ついにその言葉を口にしようとした。
瞬間……、
ギュルルルルル
と、不自然な音が、夜の星空の張りつめた空気の中に響き渡った。
竜の鳴き声ではない。聖獣の唸り声でもない。
これは……、腹の音だ。空腹を訴える、なんとも間の抜けた音。
「私じゃありません!」
「俺でもないぞ!」
慌てて二人で否定し、次いで揃えたように顔を向けたのは……、自分達を乗せる黒一色の竜ルスタール。
悠然と飛んでいるが再びギュルルルルルと不思議な音をあげた。触れている個所を通じて、ルスタールの体内が微かに震えるのが伝わってくる。
「……ルスタール、お腹空いたの?」
「そういえば結構長く飛んでるな」
「宿に戻りましょうか。グレースさんが何か作ってくれるかもしれません」
ルスタールの体を撫でながら告げれば、同意なのだろう、ゆっくりと翼を揺らして方向を変えた。ベルナデッタ達の家、宿屋のある咆哮だ。
夜風がさぁとベルナデッタの髪を揺らす。少し冷たく感じるのは先程までの緊張からか。
張りつめた空気は気付けば綺麗さっぱり失せており、これは仕切り直しとはいかないだろう。
少し惜しい。
それでもアイザックの腕が強く自分を抱きしめたままなことが嬉しく、ベルナデッタは彼の腕の中に納まったまま、眼前に広がる星空を楽しむことにした。
◆◆◆
そんな一夜が明けて、ベルナデッタとアイザックの関係は大きく変化……、したわけではない。
「アイザック様、今日は午後から聖獣と新人純騎士の合同訓練があるので、ぜひいらしてくださいねぇ」
「わかったぁ、書類流し読みで爆速で承認印押しまくって終わらせて参加するからなぁ」
ベルナデッタが手を振れば、セルジュに引きずられて去っていくアイザックも手を振って返す。
その際のセルジュの「きちんと読み込んでください!」という怒りの声はごもっともだが、それに対してのアイザックの「俺の流し読みは一度も間違えたことがない!」という返答もさすがの一言だ。
そうして二人が去っていくのを見届け、ベルナデッタは気合を新たに傍らに座るロニアに視線をやった。
「アイザック様も来てくれるし、午後の仕事も頑張ろう!」
手を差し伸べれば、ロニアも気合いを入れているのかベロンと大きく舐めあげてきた。
…end…
21時頃更新と告知しておいて遅れてしまい申し訳ありません…!
『獣騎士ちゃんは竜騎士さまに愛されすぎている』これにて完結です!
自画自賛する自分大好きヒロインとヒーローが好き&友達以上恋愛あと一歩な友情が好き、という趣味を詰め込んだ作品、テンション高く楽しく書き上げられました。
いかがでしたでしょうか?
楽しんでいただけたら幸いです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




