46:始祖竜と国宝さまの後夜祭
緊張した面持ちでフィンがルスタールを見上げる。
いまだ始祖竜は空を旋回しており、怒りの度合いの現れか羽の音も普段より重々しい。その周囲を他の竜達が飛び交い、空を覆う雲はより厚みを増し……、と、先程よりもこの世の終わり感が増している。
そんな光景を、ベルナデッタはロニアの背に乗りながら眺めていた。
先程よりも王宮内が騒然としているのは、きっと住民達が駆け付けてきたのだろう。上空を旋回する竜の姿に危機感を覚える者、事態の説明を求める者、恐怖し避難すべきか判断を仰ぐ者……。仕方がないとはいえ、その対応にも騎士達を割かねばならず、より混乱を極める。
いまはまだ深夜ゆえ外に出るのを控えている者もいるはず。時間が経てば経つほど人が増え、混乱は広がり、騒動は国を越えていく。
その前に事態を収拾しないと。そうベルナデッタは考え、ルスタールを見上げるフィンに声をかけた。
「フィン君、私とロニアの準備はできました。いつでも大丈夫です」
ベルナデッタが促せばフィンが頷き……、
そして手にしていた指輪を地面に叩きつけ、踏みつけた。
契約の証の指輪。世界でたった三つだけの指輪。
国の騎士であると同時に、命約者と竜から選ばれた唯一の騎士でもあるという証。そして同時に、竜と命約者がたった一人の騎士に全幅の信頼を寄せているという証でもある。小さな指輪だが、忠誠、信頼、友情、絆、そういった尊い想いが込められている。
ベルナデッタは命約の騎士ゆえに証は無いが、それでも彼等がこれをどれほど大事にしているかは知っているつもりだ。常に肌身離さず持ち、ふとした瞬間に視線を向ける表情は誰もが誇らしげだった。
そんな大事な証の指輪をフィンは奪い、挙げ句にぞんざいに扱った。
これにはルスタールはもちろん他の竜達も怒りを露わにし、先程までの鳴き声とは違う高い声をあげた。
彼等が纏っていた怒りの空気が一瞬にして濃くなる。動くどころか呼吸すら躊躇われるほど張り詰めた空気。背後からフリッツ達の短い悲鳴が上がった。
だがそれに気遣っている場合ではない。
先程まではこちらの様子を窺いつつ旋回していたルスタールが大きく羽を揺らし、ひときわ高く飛び上がった。
もう威嚇では済まされない、次はこちらを害するために攻撃を仕掛けてくる。そう肌で感じる。
「来る……!」
己の神経が研ぎ澄まされるのを感じ取り、ベルナデッタはロニアと己を繋ぐ手綱を握りしめた。
高く飛び上がったルスタールが滑降してくる。その勢いは凄まじく、風圧にベルナデッタの銀糸の髪が波打った。
曇天を背負う、夜の闇よりも濃い黒竜。
それが間近に迫る。
真っ赤な瞳は種族が違えども怒りと敵意を感じさせ、こちらを射抜かんばかりに鋭い。
誰もが身を震わせるほどの恐ろしさ。
だがベルナデッタとロニアは怯えることなく、逆にルスタールへと飛び掛かっていった。
攻撃がくると察したルスタールが瞬時に体を引く。その巨体からは想像できない身の軽さで、大きく扇いだ羽の風圧がより強くベルナデッタ達の体にぶつかる。
それでもとルスタールに迫るも、飛び掛かった勢いが風圧で殺され、あと少しの距離が届かない。
ロニアの牙が、前足の鋭利な爪が、空しく宙を掻く……。
次の瞬間、ベルナデッタはロニアの体を蹴って空へと飛んだ
「ルスタール、ごめんね!!」
謝罪の言葉と共に、眼前に迫ったルスタールの顔、否、頭へと剣を振り上げ……。
ガツン、と柄でルスタールの頭を殴りつけた。
ルスタールが低く鈍い鳴き声をあげてバランスを崩す。大きく体を揺らして、バランスを崩したのか地面へと落ちていく。
それでも地面に衝突する寸前に舞い上がるあたりさすがは竜である。
そんなルスタールに一つの影が迫り、その顔にぶつかるように飛びついた。
「ルスタール! なにしてんだ、この馬鹿! 落ち着け!!」
まるで子供を叱るような怒声をあげるのはアイザックだ。
ルスタールの顔にしがみつき、上昇するのも構わずに瞳を覗き込んで必死に名前を呼ぶ。説得の最中にベチンと一発頬を叩くのは正気に戻すためか、あるいはこの状況への憤りか。
殴られ訴えられたうえに叩かれたルスタールは動揺したのかグンと更に高くに上昇し……、かと思えば、キュルルル、と切なげな鳴き声をあげてゆっくりと地面へと降りてきた。
その鳴き声、羽の動かし方、巨体ながらにトスンと静かに地に降りる様から、ルスタールが落ち着きを取り戻したのが分かる。
それを察したのか、あるいは感情共有で伝わったのか、威嚇し旋回していた他の竜達も威嚇の声をぴたりと辞めて一匹また一匹と地面へと降りてきた。恐る恐るといった様子で。巨体な竜がいまだけは少し小さく見える。
「……アイザック様、大丈夫ですか?」
とは、ルスタールを殴りつけた直後に地面に落下したベルナデッタ。
幸い先に地面に降りたロニアと兄がクッションになってくれたため怪我はなく、様子を窺いつつアイザック達へと近づいた。
剣の柄に手を掛けながらなのは有事の際にフィン達を守るためだ。もっとも、ルスタールはおろか他の竜達もすでに落ち着いており、警戒の必要性は薄そうだが。
「ベルナデッタ、迷惑かけたな。もう大丈夫だ。ルスタールも落ち着いた」
ルスタールと共に地面に降りたアイザックは、今はしがみつくというより抱え込むようにルスタールの頭を腕の中に納めている。
ゆっくりと頬を撫でてやる手の動きは普段以上に優しく、「心配かけて悪かったな」と囁く声は一際優しい。
「そうですか、よかった……。殴っちゃってごめんねルスタール」
そっと手を伸ばしてルスタールの頭に触れれば、怒っていないのだろう自ら顔を寄せてくれた。
その際に聞こえるクルルという鳴き声は普段よりも幾分高い。きっと竜の謝罪の言葉なのだろう。察してベルナデッタもルスタールの頭に抱き着こうとし……、
「うわっ、落ち着け!」
「分かった、分かったから! 怒ってないから!」
「潰れる……。もう大丈夫だから、怒ってないから……、潰すな……」
方々から聞こえてくる声に思わず手を止めて周囲に視線をやった。
いったい何事かと見れば、竜達が騎士を鼻先で突いたり押し倒しているではないか。なかには両翼で騎士を包み込んでいる竜すらいる。
襲われている……、わけではない。詰め寄られているとはいえ騎士は無事どころか怪我一つ無く、それどころか竜を宥めている。対して竜のあげる鳴き声の切なさといったらない。
「みんなどうしたんでしょう?」
「あれも感情共有だ。さっきまではルスタールの怒りが伝わってたが、今度はルスタールの罪悪感が一気に広がっていった。竜自信も自分の騎士の声を無視してたからな、それも上乗せされてるんだろ」
「なるほど、さながらブチギレ祭りのごめんね後夜祭といったところですか。あ、セルジュさんが押し倒されて包み込まれて見えなくなった」
「羽がでかいタイプは感情表現で包んでくるんだ。ベルナデッタはあの中に入ったことあるか? すっごい蒸すんだよ」
暑そう、とアイザックが他人事のように話す。ベルナデッタも初めて聞いた話に感心しながら眺めていると、竜の羽の隙間からセルジュの腕が伸び……、パタリと地面に落ちた。その動きすらも暑そうだ。
他の騎士達も似たり寄ったりで、セルジュ同様に羽に包みこまれている者もいれば、押し倒され腹に顔を押し付けられている者もいる。そこに聖獣と騎士達も加わり、竜を宥めようとしたり事態を収拾させようとしたりと先程までとは違った騒がしさがある。
なんて騒々しいのだろうか。
だが先程までの、竜が威嚇の声をあげて騎士達が困惑していた騒々しさを思い出せば、比べるまでもなくこちらの方が良い。
「大変そうだけど、でも、これで解決したなら良かったですね」
ね、とベルナデッタが同意を求めれば、アイザックも緩んだ表情で「ねぇ~」と同意を示してくれた。
だが何かに気付いたのか、緩んだ表情を次第に切なげなものに変えてそっと手を差し伸べてきた。彼の手がベルナデッタの頬に触れる。
その瞬間にチリと痺れに似た痛みが走るあたり怪我でもしたのだろうか。「血が出てる」というアイザックの声には切なさと心配がこれでもかと込められており、聞いたロニアと兄、ルスタールまで心配しだしてベルナデッタを取り囲んでふんふんと嗅ぎだした。
「落ちた時に擦ったのかも。痛くないし大丈夫ですよ」
「でも、ベルナデッタの可愛い顔に傷が……」
「傷がついても私の可愛さは損なわれないので大丈夫です」
「自己肯定感が強くて助かる。むしろ俺からしたら、解決しようと傷をものともしないところが更に可愛いな」
心配そうだったアイザックの表情が緩む。切れ長の目を細めた彼の柔らかな表情は元々の麗しさを更に魅力的に見せ、ベルナデッタもまたつられるように笑んだ。
頬に触れる彼の手に己の手を添える。大きな彼の手を包むのは無理だが、上から覆うように触れてぎゅっと握った。
騒々しいが解決の余韻が漂う中、しばし二人で手を重ねて見つめ合い、お互いに微笑みあった。
◆◆◆
「あそこまで良い雰囲気出して、あれで止まるんだもんな。このテンションに乗じてキスの一つでもぶちかませば良いのに。なぁセルジュ」
「あつ……、暑い……、誰か引っ張りだしてください……」
とは、ひと段落ついたと言いたげなヴァレールと、パートナーの竜の翼から腕だけ出して訴えるセルジュ。
二人からも解決のムードが漂っている。
だが事態が全て収拾したわけではない……。
「ここから先は俺達の仕事だな」
そうヴァレールが低い声で呟いて訓練場の一角へと視線をやった。
ラクスター家の者達が騎士達に連行されていく。その中にはかつて部下として接していたフィンの姿もあり、彼はベルナデッタとアイザックに視線を向けると、酷く辛そうに顔を歪め、ついには見ていられないと顔を伏せて連行されていった。




