44:始祖竜の怒りの感情
場所を貸してくれた夫妻に礼を告げて外に出れば、変わらず周囲はシンと静まり返っていた。
まるで何も無かったかのような静けさ。
国宝の竜騎士アイザックと獣騎士ベルナデッタの訃報が流れれば、こうも静かではいられるまい。
「まだ騒ぎにはなってないみたいですね」
「あぁ、そうだな。ヴァレール達が話を止めておいてくれてるのかも。今のうちに」
事態を収拾させよう。そう言いかけたのだろうアイザックの言葉に轟音が被さった。
地を這うような低さから始まり、かと思えば耳を傷めかねない程に高く響く。空気が、それどころか周囲の木々が、家屋の窓が、物体の無い音に震える。
ベルナデッタの肌まで痛みに似た痺れを感じ取り、とりわけ耳の良いロニア達は一瞬にして全身の毛を逆立てて警戒の体勢を取った。夜の暗がりの中、模様を光らせる聖獣の体は普段より一回り二回り大きく見える。
「い、今の声は……」
「ルスタールの声だ。まずいぞ、あいつブチ切れてる!」
やばい! とアイザックが焦りの声をあげて走り出した。
その瞬間、再び轟音が響き渡った。先程と同じ、否、先程よりも激しい、地面の揺れさえ感じかねない程の音。
周囲の家屋の明かりが続々と灯りはじめ、恐る恐る窓から外の様子を窺う者も出始めた。困惑の声、幼子の泣き声、呼応するようにあがる犬の遠吠え……。静かだった市街地が一斉にざわつき始める。
「ロニア、お兄ちゃん、私達も行こう!」
「ベルナデッタ、私達は空から行きますので、そのままアイザック様を追ってください」
「はい!」
セルジュの指示を聞き、ベルナデッタはロニアに飛び乗り音の発生源を目指した。
◆◆◆
轟音とさえいえる鳴き声の発生源は王宮の敷地内。
ベルナデッタ達が着くと既にそこは騒然としていた。
深夜だというのに騎士達が鬼気迫る様子で訓練場の方へと駆けていく。「増援」だの「避難」だのといった物騒な単語が聞こえ、鍛えられた王宮の騎士達でさえ混乱しているのが分かる。
だが流石の騎士も混乱するのは仕方あるまい。
なにせ始祖竜ルスタールが威嚇の咆哮をあげて上空を飛び交い、他の竜達もそれに従うかのようにルスタールの周囲を旋回しているのだ。
さながら竜が群れを成して襲いにきたかのような光景。
その迫力に純騎士と獣騎士は怯み、竜騎士達は己のパートナーに必死に呼びかけている。
だが竜達は騎士の呼びかけに応えず、ルスタールが咆哮をあげるたびに呼応し続けている。竜の鳴き声が重なると空気が震えて風圧さえ感かねず、鼓膜が衝撃に耐えかねて痛みを訴える。
「ルスタール、落ち着け! 俺は無事だから!」
アイザックが必死に声をあげる。
だがその声もルスタールには届いていないようで、夜の空を旋回しては威嚇の咆哮をあげていた。
ルスタールの視線の先にいるのは数人の集団。フリッツ達と、それを庇おうとするヴァレールだ。
彼等が逃げようとしてもルスタールを始めとする竜達がそれを阻み、同時に、彼等を助けようと近付く者も拒む。完全に孤立しており、その光景は野生動物の狩りを彷彿とさせる。さながら捕食者と被食者だ。
「他の竜まで、どうして……」
「竜の感情共有だ」
「感情共有?」
「まだ研究段階なんだが、竜は感情を共有できるんじゃないかって言われてるんだ。特に始祖竜であるルスタールの感情は他の竜達に強く伝わっていく。とりわけ喜怒哀楽のうちの怒りは影響が強くて、ルスタールが侮辱されたと怒れば他の竜も自分達が侮辱されたぐらいに怒る。つまり……」
「つまり……?」
思わせぶりに言葉を止めたアイザックに、ベルナデッタは思わずゴクリと生唾を飲んで彼の続く言葉を待った。
ルスタールはいまだ激昂しており、彼の周囲を飛ぶ竜達も同様。怒りの空気が濃く漂い、闇夜が歪んでいるようにさえ見える。鳴き声が響くたびに肌がひりつく。
それほどまでに空気中に怒気が漂っている。
今の状況は、つまり……。
「ブチ切れたルスタール主催の、ブチ切れ祭の開催だ……!」
「ブチギレ祭!」
なんて恐ろしい! と思わずベルナデッタが慄き、祭りの会場もとい上空を見上げた。
偶然か、もしくは竜達の中に天候を操る能力を持つものがいるのか、空には濃灰色の雲が覆い始めている。それも渦巻くような気味の悪い雲で、それを背景にするルスタールの迫力といったらない。
漂う威圧感に気圧されまいとしているのか、ベルナデッタの隣でロニアと兄が唸り続けている。
「どうにかルスタールを落ち着かせないと。でも今の状態だと声も届きそうにないし……。一発ガツンと殴ってやれば少しは冷静になりそうだけど……」
「一発ガツンと……」
まさに荒療治ではないか。
だが冷静さを欠くものに強いショックを与えて落ち着かせるという手法は確かにある。
そしてそんな荒療治が必要なほど今は危機的状況なのだ。
「まぁでも相手は始祖竜だからな、そんな事できるやつ」
「私とロニアなら出来るかもしれません!」
ベルナデッタが答えれば、アイザックが驚いたと言わんばかりに目を丸くさせた。
「でも、あいつ空飛んでるから近付くだけでも難しいだろ」
「わざと攻撃を仕掛けさせて接近させるんです。そこに私とロニアが飛び掛かって一発ガツンとして、アイザック様がルスタールに声を掛けてください」
「い、いや、そんな……。危ないことさせられないだろ。それにもしも失敗したら」
「失敗なんてしません。アイザック様、はじめて会った時のことを覚えてますか? 一緒に私のことを探して、お互いに代表として戦った時のこと」
「そりゃもちろん、忘れるわけがないだろ」
はっきりと断言するアイザックに、ベルナデッタは頷いて返した。
自分も覚えている。忘れるわけがない。
一瞬でも隙を見せれば容赦なく襲ってくる竜と騎士。追うように一撃放っても軽やかに空に逃げてしまう。
数十分前までの優しく温和なアイザックとは別人のような、鬼気迫る威圧感を放つ表情。彼の変化を、あの強さを、ゾクリと背筋を震えさせる敵意を、今までないほどに心臓が鼓動を速めたあの興奮を、どうして忘れることが出来るのか。
「あの日から、私とロニアは上空への攻撃を練習していたんです。もっと早く、もっと高く、もう一度アイザック様と戦う事になったら、今度こそ私達が勝つために。ねぇロニア」
ベルナデッタが同意を求めれば、隣で唸り声をあげていたロニアがふんすと荒い鼻息を吐いた。
同意と、上空で舞うルスタールへの警戒と、そして今こそ練習の成果を見せる時だという気合いも込められている。虎らしい力強さのある瞳が今はより強い輝きを宿し、橙色に走る黒色の模様も輝きを増している。
そんなロニアとベルナデッタを交互に見て、アイザックが深く頷いた。「よし、やろう」とベルナデッタの提案に同意を示してくれる。
「見たところ、ルスタールはフリッツ達を攻撃できずにいる。ブチ切れてはいるが無意識にヴァレールを巻き込むまいとしてるんだろうな。近付いて威嚇するだけだ」
「でも近付くタイミングが分かりませんね……。いっそこっちから挑発してルスタールをもっと怒らせて近付かせるのはどうでしょう。そこを私とロニアが一発ガツンです!」
「荒々しい作戦と血の気の多さが可愛らしい。……じゃなくて、確かにそれならタイミングは掴めるけど危ないだろ」
「大丈夫ですよ。それに、ラクスター家が派手にバーンとやってくれたんだから、こっちだって派手にバーンとやらないと!」
かつてアイザックが言った言葉のままに伝えれば、彼も覚えていたのだろう、緊張した表情ながらにニヤと口角を上げて笑った。
悪戯っぽい彼らしい笑み。「そうだな」という賛同の声は先程よりも少し明るい。
「あそこまでブチ切れてるんだ。いっそ怒髪天を衝く勢いで怒らせた方が良いかもな!」
アイザックの言葉に、ベルナデッタもまた「やりましょう!」と気合を新たにした。




