42:夜の王都にて
今夜は風もなく葉擦れの音もしない。森に来た時に聞こえていた梟の鳴き声も聞こえてこないが、これはベルナデッタの咆哮に恐れをなして逃げていったのだろう。
耳が痛くなりかねないほどの静けさが周囲を包む。
時折アイザックが苦しそうに深く呼吸をし、ベルナデッタがそれに大丈夫かと問うだけだ。
そんな静けさの中、草木を掻き分けて突き進む足音が微かに聞こえてきた。
ベルナデッタが顔を上げる。
来る。
来てくれた。
「ロニア」
ベルナデッタが契りを結んだ聖獣であり姉の名を呼ぶのとほぼ同時に、ドン! と豪快な音が響いて扉が揺れた。
鍵もついていないガタついた扉。見るからに劣化が激しく、もう一撃振動を与えられるとあっさりと吹っ飛んでいった。
現れたのは二頭の虎。
体躯は通常の虎よりも二回り近く大きく、橙色の体に濃い黒色の模様。模様が光り、まるで全身が輝いているかのよう。
普通であれば恐怖する場面だろう。出入り口が一つしかない小屋の中と考えれば、退路が無いと死を覚悟してもおかしくない。
だが二頭の虎を見たベルナデッタは恐怖どころかパッと表情を明るくさせた。
「ロニア、お兄ちゃん!」
弾んだ声で二頭を呼べば、小屋の様子を窺っていたロニア達も駆け寄ってきた。ロニアが鼻先を押し付けて匂いを嗅いで大事無いかを確認してくる。よほど心配していたのだろう普段よりも慎重だ。
対してアイザックはもう一頭の虎に匂いを嗅がれつつ「お兄様……!」と上擦った声で虎の聖獣を呼んだ。
「お久しぶりです、お兄様。以前にご挨拶させて頂いたアイザックです。ベルナデッタさんとは仲良くさせていただいて……、あ、さっきのはただ寄りかかっていただけでやましいことはっ……、ま、また血が……」
ぐぅ……と唸り声をあげてアイザックがその場にしゃがみこんだ。
そんなアイザックを更に兄が嗅いでいる。ふんすふんすと音がしそうなほどだ。
「お兄様、信じてください……、本当にやましいことは………」
「アイザック様、お兄ちゃんはアイザック様から血の匂いがするから気になってるだけですよ」
「そ、そうなのか。よかった。とりあえずお兄様からの信頼は失われてない……! というか、そもそもなんでロニアとお兄様が?」
どうしてこの場所が分かったのか。
どうしてロニアだけでなく兄もいるのか。
何から何まで疑問なのだろう、アイザックが首を傾げる。ふんすふんすと嗅がれながら。
「説明は道中するので、とりあえず出発しましょう。アイザック様の手当てもしないといけないし、フリッツさんを止めて、みんなに無事だって伝えないと」
ベルナデッタが告げれば、不思議そうにしていたアイザックも真剣な表情で頷いた。
◆◆◆
『契りを結ぶ前の聖獣を調べたい』
以前共に実家に行った学者から頼まれたのが十日前。ならばとベルナデッタが家族の内の誰かを連れてこようとしたところ、旅行がてら母が――ちなみにこの母は人間の母である――来ると言ってくれた。
そうして二日前、聖獣の兄弟達から長兄と母が王都に来たのだ。
「なるほど、それでお兄様がいらっしゃったのか。納得はしたけど、なんでベルナデッタの事なのに俺は知らないんだ? 知って当然なのに……」
「セルジュさんが『アイザック様を出し抜けるか試したいので今回の件は内密に』って言ってました。アイザック様に知られずにお母さんとお兄ちゃんを王都に迎えた時のセルジュさんのガッツポーズ凄かったですよ。大人でも本気のガッツポーズをするんだなって思って見てました」
「あいつめ、どうりで最近俺に内勤の仕事を押し付けてくると思った。いやでも今回の件は普通に俺に知らせるべきだろ。なぁロニア」
アイザックがロニアに同意を求めれば、彼を背に乗せて歩いていたロニアが強めに鼻を鳴らした。
同意。……ではない。これは「そんなこと話している場合か」の鼻息である。
だがアイザックは同意を得たと考えたようで「そうだよなぁ」と嬉しそうに話している。
場所は王都の外れ。
ロニア達と合流後、それぞれの背に乗り森を抜け、最寄りの村でアイザックの治療を受けた。
幸い小さな村だったが医者が居り、真夜中に叩き起こされたというのに適切な処置を施してくれた。そのうえ今回の件は口外しないと約束付きで。
そうして再びロニアと兄の背にそれぞれ乗り、急ぎ王都に戻って今に至る。
「静かですね……」
周囲を見回し、ベルナデッタが小さく呟いた。
その声すらも遠くまで響き渡ってしまいそうで、無意識に息を潜めてしまう。
深夜だけあり殆どの建物の明かりが消されており、日中は賑わう王都といえども今は静けさが漂っている。時刻を考えれば酒場も店仕舞いしているだろう。
幸いここまで誰とも遭遇せずに走って来られたが、この先はフリッツや彼の部下達と遭遇する可能性がある。見つかったところで倒せばいいのだが、もしも脱出にフィンが関与していると知られたら彼が危険な目に逢いかねない。
そう考え、出来るだけ自分達の生存をフリッツ達に知られないよう、夜の暗闇に乗じて歩を進めていた。ロニア達の模様の光も今は宥めて落ち着かせている。
そんな中、周囲を警戒しつつ歩いていたロニアがガバと勢いよく上を向いた。
上空を見れば、月が煌々と輝く中、旋回する一羽の鳥。……ではない。一頭の竜だ。
他の竜と比べると身体は細く、尾も細く長い。そのぶん羽が大きく、独特なシルエットをしている。
「あれは……」
「セルジュだ」
アイザックが副官の名を口にするのとほぼ同時に、旋回していた竜がまるで舞い降りるように地に降り立った。
細身の竜は羽をしまうとよりその細さが顕著になる。込み入った街中での着陸をあまり良しとされていない竜だが、彼女だけは別だ。
そんな竜の背に乗っているのは竜騎士隊副隊長のセルジュ。飛び降りるように地に足を着けるとそのままの勢いで駆け寄ってきた。
「アイザック様、ベルナデッタ、無事でしたか……!」
「無事と言えば無事だが、腹を刺されてるから無傷とも言えないな。とりあえず状況の確認がしたい。ラクスター家の目が届かない場所に連れて行ってくれ」
「刺されて……。かしこまりました。近くに懇意にしている店があります。そこなら騒がずに場所を貸してくれるはずです」
アイザックの腹部を見たセルジュが小さく息を呑み、「こちらへ」と声を潜めると歩き出した。




