35:とらばさみの竜騎士さま
アイザックの誕生日の夜、自分は普通だと話したうえで相手を特別な存在だと伝え合った。
だがそれ以上の大きな変化は無く、時折、ふとした瞬間に顔を見合わせてはにかみ合う程度だ。変わらず仲が良く、定期的に食事やお茶に出かけている。
明確な言葉や進展は無く、それでいて、自分が相手にとっての特別な一人だという幸福感が常に満ちる。
二人だけが知る進展。
あの夜から三ヵ月経つが、ベルナデッタとアイザックの微々たる変化に誰も気付いていない。
……と思っているのは当人達だけである。
「あれは何かあったな。まぁ、聞いたら最後、長々と話してくるだろうから絶対に触れないけど。ベルナデッタの奴、ああ見えて意外としつこいんだよ。前に虎と猫の違いを聞いたら四時間語り倒してきたからな」
「よ、四時間……」
「あぁ、四時間だ。どこに行っても平然と語りながら付いてくる。さすがにトイレにまでは追ってこなかったが、出口で待ってるのを見た時は悲鳴をあげた」
とは、ヴァレールの話。
「迂闊に話を振るなよ」と念を押され、フィンが真剣な顔付きで頷いた。
そんな会話に続いたのはセルジュの溜息。
「アイザック様は平時でさえ面倒くさい方ですが、下手な話題に触れた時の面倒くささと言ったら……。フィン君、以前にベルナデッタとの出会いを聞いて二時間語り倒されたでしょう」
「はい。台本でもあったのかと思えるぐらいにきっちり二時間でした。」
「アイザック様は体内時計も完璧ですからね。今回は下手するとあの時の倍、いえ、三倍語り倒される可能性があります。なので今回の件には絶対に触れないでください。仕事が進まなくなる」
念を押すどころかもはや脅迫とさえ言えるセルジュの話に、フィンがより一層激しく首を盾に振った。
アイザックとベルナデッタの変化は誰が見ても分かるものだ。
元より仲の良かった二人だが、最近はそこにほんの僅か、それでいて分かりやすい別の雰囲気が混ざっている。
これは所謂『進展』というものだ。
「だが付き合ってるってわけじゃなさそうだな。もしそうなった場合、ベルナデッタはちゃんと俺に報告してくるはずだし」
「確かにそこまで進んでいる様子はありませんね。そもそも、仮にお付き合いなんて進展があった場合、アイザック様が五日間は使い物にならなくなるはず。ですが現状きちんと仕事は進めていますし」
「となると、付き合う以前……。キスはしたか、いや、あの二人のことだがら手を繋ぐ程度かもしれない」
「もしかしたらそれ以前かもしれませんよ。交換日記でも始めたか」
獣騎士隊の隊長と竜騎士隊の副隊長が真剣な表情で話し合う。
一見すると重苦しい空気さえ感じかねない。同席させられているフィンも、話の内容を知らなければいったい何事かと緊迫感を抱いただろう。
いったいどうして、この真剣な空気から『部下の恋愛事情について』の話し合いだと思えるのか。
「まぁなんにせよ、二人の仲が進展するのは良い事だ。俺達がすべきは『見守る』これだけだな」
「同感です。他人の恋愛事に口を挟むのは野暮というもの」
散々口にしていた『面倒』という言葉を最後だけ華麗にオブラートに包んで、ヴァレールとセルジュが結論付けた。
傍目には若者を見守る優しい大人に映るだろう。……否、それを取り繕うにはいささか面倒臭いオーラが漏れ出てしまっているか。
フィンだけは取り繕う余裕もなく、件の二人に対しても、それを隠しもせず面倒臭がる二人に対しても溜息を吐き、「かしこまりました」と返した。
◆◆◆
割と近い場所で面倒臭がられているとは露知らず、ベルナデッタはアイザックと話しながら王宮の敷地内を歩いていた。
書類の提出に向かっていたところ、彼が声を掛けてきたのだ。
その際、
『奇遇だなぁ、俺も書類を出しに行くところなんだ。一緒に行こう』
と爽やかに笑いながら話しかけてきたのだが、なぜアイザックがベルナデッタの用事や目的地を知っているのかなど今更な話。
もはや疑問を抱く気にもならない。自分の予定がどこかから漏れているのだが、不便は無いので漏れたままで良い。
そうして二人で話しながら歩き、王宮の敷地に入ろうとした瞬間……、
「うっ!!」
突如アイザックが呻き、その場にしゃがみこんだ。
隣を歩いていたベルナデッタは驚いたどころではない。すわ奇襲かと周囲を警戒し、同行していたロニアも唸りをあげて身を低くさせた。橙の体に刻まれた黒い模様が一瞬にして輝き出す。
「アイザック様、どうしました!? 大丈夫ですか!」
「あ、足に……」
「足? 足に何が……、こ、これは……!」
追撃を警戒しつつベルナデッタもしゃがみ込み、アイザックの足元を見て目を見開いた。
質の良い黒色のロングブーツが彼の長くしなやかな足を包んでいる。騎士隊で至急されているものだ。
それを豪快に挟む……、
とらばさみ。
そう、とらばさみだ。
鉄製のとらばさみが、アイザックの右足をばっくりと挟んでいる。
「なんでこんな所に古典的な罠が……!」
「セルジュの仕業だ。くそ、年々俺の捕獲方法が姑息になっていく」
「セルジュさんですか? でも他の人が罠に掛かる可能性もあるのに」
「いや、あいつはそんなヘマはしない。どうせ俺の歩幅をきっちり計って、ベルナデッタと並んで歩いた時の足の起き場所を計算したんだろう。この前からやたらと俺のズボンの股下計ってたからな」
「マメな割には罠は豪快ですね」
「あのマメな一面とそれに反した大胆さは良いギャップだよな。他のところに生かした方が良いんだけど、それを言ったら本物のとらばさみ仕込まれそうだから怖くて言えない」
どうやらとらばさみはレプリカらしく、話すアイザックの口調は普段通りのものだ。痛みを堪えている様子はない。――恨みがまし気ではあるが――
負傷を恐れず棘の部分を掴みぐいぐいととらばさみを開こうとしている。だがかなり硬いようで、しばらく奮闘したのち「無理だ!」と諦めてしまった。
試しにベルナデッタもとらばさみを開こうとするも、なるほど確かにビクともしない。レプリカと言えども作りには手を抜かない、真面目なセルジュらしい話である。
誉めるべきなのかは微妙なところだが。
「あー、もう良いや。このまま行こう」
「このまま? とさばさみに挟まれたままですか?」
「あぁ。食い込んで地味に痛いけど殺傷能力があるほどでもないし。それに俺ならとらばさみもお洒落に履きこなせるからな」
アイザックが立ち上がり、ふぅと軽く息を吐くと髪を掻き上げ流し目でこちらを見てきた。
いわゆる決め顔というものである。
もとよりアイザックの顔は整っており、なおかつスタイルもいい。国内一の知力と才能のある彼だが、美貌という点でも同等に国内一だろう。
そんな彼の足元にとらばさみ。
どう考えても違和感しかない。……のだが。
「そうやって堂々とされると、お洒落なのかなって思えてきますね。片足だけなのも敢えての拘りを感じさせます」
「だろう? きっと次の流行はとらばさみだ。そうしたらお揃いにしような」
「はい。あ、でも同じのを着けるのも良いけど、同じデザインで色を変えても良いかもしれませんね。アイザック様は右足で水色、私は左足でピンクにするとか」
「敢えて違いを見せるのか。ベルナデッタも相当なお洒落さんだな」
とらばさみの衝撃も既に薄れ、二人で話しながら建物内を進む。
ガシャンガシャンととらばさみが豪快な音を立てているが、ベルナデッタもアイザックも気にしない。擦れ違った者達は皆ぎょっとしているが。
そうして書類を提出し――提出先の者もぎょっとしていた。当然である――、詰め所に戻ろうとしたところ、「あの」と声をかけられた。
「騎士隊のアイザック様とベルナデッタ様でしょうか」
おずおずと声を掛けてきたのは一人の少女。
年は十歳かそこいらだろう。質の良いワンピースにリボンのついたボンネットハットを被っており、一目で良い所のお嬢さんだと分かる。
隣に立つ老年の女性は祖母か、もしくは侍女か。一歩後ろに立つあたり侍女の可能性が高い。
ベルナデッタが思わずアイザックと顔を見合わせたのは、少女も老年の女性もこの場に似合わないからだ。
王宮の敷地内。それも道の先にあるのは騎士隊の詰め所。品の良いワンピースに身を包む幼い少女が立ち寄る場所ではない。
「えぇっと……、確かにアイザックとベルナデッタですが。あなたは?」
「名乗らずに申し訳ありません。私、ソラリス・ラクスターと申します」
ソラリスと名乗った少女がスカートの裾を摘まんで頭を下げた。
優雅な仕草だ。幼いながらに身についているようで仕草に迷いはなく、堂々とした美しさがある。
ベルナデッタが思わず「おぉ」と小さく声を漏らしてしまった。慌ててアイザックと顔を見合わせる。
「アイザック様、お嬢様ですよ。本物のカーテシーです。私がドレスを着た時の付け焼き刃のカーテシーじゃない、本場のカーテシーです」
「ベルナデッタのカーテシーも不慣れな感じが出ていて愛らしさ百万点だったけどな。でもラクスターってことはフィンの妹だよな。公爵令嬢……、本物中の本物のお嬢様だ」
「本物中の本物のお嬢様……。こちらも覚悟をして対応しないといけませんね」
よし、と意気込んでベルナデッタがソラリスへと向き直った。
彼女はコテンと首を傾げており、その仕草は幼い子供特有のあどけなさを感じさせる。愛らしく品の良い少女だ。
そんなソラリスを見つめ、ベルナデッタはゆっくりと息を吸った。
「ごきげんよう!!」
と、大きな挨拶。
その瞬間の「元気いっぱい百億点」という賛辞は言わずもがなアイザックからのものである。
「ご、ごきげんよう……」
「フィン君の妹君であらせられますよね。私は獣騎士隊のベルナデッタでございます。本日はどういったご用件で来られましたでしょうか?」
丁寧に、失礼のないように。
精一杯の敬語で対応すれば、ソラリスがきょとんと目を丸くさせた。
「本日は……、フィンお兄様……、いえ、兄に言伝があり参りました。この建物にいるとお伺いしたんですが、すれ違ってしまったようで」
「なるほど、言伝るためにいらっしゃいましたのですね。兄君はきっと騎士隊のお詰め所に向かったのでございましょう。ご案内いたします」
「え、えぇ……、お願いいたします」
ソラリスがコクリと頷く。
ベルナデッタは上手く対応できたと達成感で胸を張り「では参りましょう」と歩き出した。
「なんて完璧な対応……。親切さと丁寧さと愛らしさが詰め込まれて百兆点でも足りない……!」
とは、うっとりとしながらベルナデッタとソラリスの背中を見つめるアイザック。
しばしその場で見惚れ続け……、
「待ってくれ、俺も行く!!」
と置いていかれていることにはたと気付き、ガシャンガシャンと盛大にとらばさみを鳴らしながら追いかけた。




