34:普通な二人の特別なひと
故郷ではどんな風に暮らしていたか、どんな遊びをしたか、どんな誕生日を過ごしてきたか……。
話題は尽きず、時には星空の美しさに話を戻して感嘆の吐息を漏らす。
かと思えばここで話さなくてもいいような雑談を交わし……、
しばらく盛り上がり夜も耽った頃、夜空の語り合いもお開きとなった。
再び宿の裏手に降り立ち、アイザックの手を借りてルスタールから降りる。
「こんな夜遅くまで付き合わせてごめんな」
「大丈夫です。むしろありがとうございました。竜騎士に転職したいぐらい綺麗な星空でした」
「これでベルナデッタが竜騎士隊に移ったら各方面から恨まれそうだな。いつでも乗せるから、ベルナデッタは獣騎士でいてくれよ」
ベルナデッタの冗談にアイザックもまた冗談めいて返す。
そうして改めて別れを告げ、ベルナデッタは宿へと戻るべく歩き出した。……のだが、すぐに呼び止められてしまった。
「どうしました?」
「いや、その……。つ、伝えておきたいことがあって……。今言わないと伝え時を逃しそうで、だから……」
別れ際は穏やかに話していたというのに、今のアイザックは随分としどろもどろだ。
じっと目を凝らして彼を見れば、建物から漏れた光に照らされた彼の顔が赤いのが分かる。
どうして今ここで顔を赤くさせているのか。
いったい何を伝えようとしているのか。
わけが分からずベルナデッタが問おうとするも、先にアイザックが口を開いた。
「ベルナデッタは……! た、たしかに普通の女の子かもしれない。けど、で、でも、俺にとっては……、す、凄く大事な女の子だから……!」
「……アイザック様」
「聖獣に育てられたからとか、強いからとかじゃなくて、いや、それも全部含めてベルナデッタだからその部分を除くわけじゃないんだけど、つまり、その、なにが言いたいかというと、難しい話じゃないんだけど、でも……」
今のアイザックは今日一番、否、今まで見た彼の中で一番しどろもどろだ。顔も真っ赤。
だけど今のベルナデッタにはそれを指摘する余裕も、ましてや話の先を促す余裕もない。
胸がドキドキする。まるで彼の緊張が自分にまで流れ込んだかのように体が強張り、息苦しい。
真っ赤になってしどろもどろなアイザックが、世間的には情けなく映るのかもしれない今の彼が、星空に負けないほど輝いて見える。
聞こえてくる心音は自分のものか。それともアイザックのものか。それすらも分からない。
そんな緊張感の中……、
ガウッ!
ギャウ!
と二匹の鳴き声が割って入ってきた。
思わずベルナデッタが目を丸くさせれば、アイザックも同様、この場の空気に似合わぬ間の抜けた表情を浮かべた。
次いで二人がそれぞれ背後を振り返ったのは、そちらに互いの聖獣と竜がいるからだ。
三階の窓から顔を出しているロニアと、裏庭の一角に行儀よく座るルスタール。
二匹が呆れの表情を浮かべているのは見間違いではないだろう。片や虎型の聖獣、片や竜と種族も違えば顔の造りもまったくもって違っているのに、両者から呆れの感情がこれでもかと伝わってくる。呆れは種族を越えるのか。
「あー、えっと……、ごめんな。なんか変に焦っちまって」
ルスタールに諭されたからかアイザックは落ち着きを取り戻したようで、頭を掻きつつも気恥ずかしそうに苦笑を浮かべている。
だが今度こそ話すと決意したようで、改めるようにコホンと咳払いをすると表情を真剣なものに変えた。
紫色の瞳がベルナデッタを見つめてくる。角度を変えると赤色を覗かせる彼の瞳。だが今は赤色は無く、飲み込まれそうなほどの濃い紫色を見せている。
「確かにベルナデッタは普通の女の子だ。でも、俺にとっては世界で一番の女の子だ」
「私が、一番……」
「生まれとか、強さとか、そういうの全部ひっくるめて。もちろん普通なところも合わせて。特別なんだ」
真っすぐに見つめてくる瞳、真っすぐに告げてくる言葉。
どちらも熱を帯びているようで、ベルナデッタは自分の胸の内にまで熱が伝わってくるのを感じた。
心臓が再び鼓動を早め、苦しさすら覚えかねない。痛いぐらいに熱くて無意識に胸元を掴んだ。
「突然こんなこと言ってごめんな。でも、どうしても伝えたくて……。あ、だけど伝えたからって特に何があるってわけじゃないんだ! ただ伝えたかっただけだから!!」
再びアイザックがしどろもどろになり、今度はそれだけではなく「じゃぁな!」と話を終わりにしてしまった。
慌てた様子でルスタールのところに向かう。普段ならば颯爽と背に乗るのに、今夜に限っては足を引っかけて転びかけてしまった。
「遅くまで付き合ってくれてありがとうな」
アイザックの別れの言葉を合図に、彼を背に乗せたルスタールが両翼を広げる。
静かな宿の裏庭にバサと豪快な羽音が響いた。強い風が起こり、ベルナデッタの銀の髪がそれを受けてふわりと揺れる。
そうしてルスタールがぐんと浮かびあがった瞬間……、
「あ、あの、アイザック様!」
「ん?」
地上から声を掛ければ、既に三階の高さまで飛び上がっていたルスタールの影からアイザックが顔を覗かせた。
「わ、私にとっても、アイザック様は特別な方です。普通の男の人でも、私には特別なんです」
先程までいた星空、そこに浮かぶ一頭の竜。
その背からこちらを見下ろすアイザックに届くように、普段より少しだけ声を張り上げて伝える。
鼓動は先程よりもいっそう増して強くなり、耳の内側で木霊して煩いくらいだ。何も聞こえなくなりそう……。
それでもアイザックの言葉だけは聞き逃さないようにと彼を見つめていれば、唖然としていたアイザックが一瞬息を呑み、何かを言おうと口を開いた。
だが彼の言葉より先に周囲に響いたのは、ギャウッ! というロニアの虎らしい鳴き声。
てっきり次に耳に届くのはアイザックの声だと思っていたベルナデッタは思わずビクリと体を跳ねさせてしまった。
慌てて振り返れば、宿の三階の窓からロニアが顔を覗かせている。
「どうしたの、ロニア」
「ベルナデッタ、そこにいるの?」
なぜ鳴いたのかと問おうとするも、建物の影から女性の声が聞こえてきた。
この声はグレースのものだ。そちらを見れば、酒場のエプロンを着けたままの彼女が窺うように顔を覗かせた。
曰く、酒場に入ってきた客が宿の上空に竜の影を見たと話していたらしい。それを聞き、もしやと思って見に来たのだという。
「あれは……、ルスタール? アイザック様がいらしていたの?」
「う、うん。誕生日だからって会いに来てくれて、それで今帰るところ」
話しながら見上げれば、ルスタールの背に乗るアイザックが軽く片手を上げた。
彼が穏やかに微笑んで口を動かす。声を発したのか、もしくは口パクだけで伝えようとしたのか、どちらにせよベルナデッタの耳に彼の声は届かなかった。
それでも、
『おやすみ』
と、アイザックの声が聞こえた気がする。
普段から優しい声色の彼の、普段以上に優しい少し低い声。
その声に返すようにベルナデッタが手を振れば、夜の暗がりの中、ルスタールがヴンと大きく翼を揺らして上空に舞い上がった。
あっという間に彼等の姿が小さくなり、星空の中に消えてしまう。
最後に頬を撫でるように掠めていった風は、たんなる夜風か、それともルスタールとアイザックが残したものか……。
「アイザック様がいらしていたなら呼んでくれれば良かったのに。今日の舞台のお礼も言いたかったし、もしお食事がまだならお礼にご馳走したのに」
残念そうにグレースが空を見上げるが、既にそこに竜の姿は無く、満点の星が美しく輝いているだけだ。
「私からちゃんとお礼を言っておいたよ。グレースさんも喜んでたって伝えたから大丈夫だと思う」
「そう? それなら良かった。でもやっぱり直接お礼を言いたいから、次にいらした時には声をかけてちょうだい。……ところでベルナデッタ、顔が赤いけどもしかして熱があるんじゃないの?」
案じながらグレースが額に手を当ててくる。寒気は無いか、どこか痛くは無いかと尋ねてくる声は母親の声そのものだ。
もっとも、今のベルナデッタの顔が赤いのは熱ではない。理由は分かっている。……が言えるわけがない。
慌てて問題ない熱ではないと話し、「早く宿に戻ろう」とグレースを促して宿へと戻っていった。




