31:夜空のデート
夜の空気は冷たく、風がひやりと頬を撫でていく。
寒いというよりは清々しい爽快感が強く、ベルナデッタは堪能するように深く息を吸い込んだ。肺の中を冷たい空気が満ちて、それがまた心地良い。これは地上では味わえない何物にも触れていない空気だ。
眼前には無数に広がる星空、眼下には夜の闇のなか灯る人工の明かり。その境目を飛ぶ感覚はなんともいえない。
不思議で、神秘的で、気持ちがいい。、
まるで自分が鳥になったかのようだ。
もっとも、鳥のように飛んでいるとはいえベルナデッタ自身が空を飛んでいるわけではない。
ルスタールの背に乗せてもらっているだけだ。正確に言えば、ルスタールに乗るアイザックに支えて貰って乗っている。相乗りというものか。
「凄いですね。綺麗……」
「訓練で何度か乗せたけど、夜は初めてだったな」
「はい。昼間に乗せて貰った時も綺麗だったけど、夜はこんなに星が近くに見えるんですね。手が届きそう」
今まで見上げていた星空が今は自分の周りに広がっている。
軽く手を伸ばせば輝きが手の中に落ちてきそうだ。
「星に手が……。発想がロマンチックで最高に可愛い。俺の腕の中からこんなロマンチックな発想が飛び出すなんて……、腕の中……、腕の中……」
「アイザック様、どうしました?」
「い、いや! なんでもない! それより……、その……、苦しくないか? 安全のため、他者を同乗させる際の規約にのっとり、まったくもって他意は無く、疚しい気持ちも誓って無く、だ、抱きしめてるわけだけど……」
大丈夫かと問われ、ベルナデッタは満点の星から自分の体を支える腕に視線を落とした。
今の体勢は、ルスタールを操縦するアイザックの前に座り、彼に体を支えられている状態だ。
強く抱きしめられているわけではないが、両者の体格差からベルナデッタの体はアイザックの腕の中にほぼ収まっている状態だ。
これは竜騎士が他者を同乗させる際の体勢である。一番安全に同乗者を運び、かつ竜騎士も操縦がしやすい、なおかつ竜の負担も少ない最善の方法。アイザック本人が話している通り、規約に乗っ取ったものだ。
……だけど、
「あ、改めて言われるとちょっと恥ずかしいですね」
途端にむず痒さを感じ、ベルナデッタは苦笑しつつ背後にいるアイザックを振り返った。
つい先程まで意識していなかったのに、これが最善の体勢だと分かっているのに、なんだか途端に恥ずかしくなってしまう。
そう話せば、彼は一瞬紫色の目を丸くさせ……、次の瞬間、夜の暗がりの中でも分かる程に顔を真っ赤にさせた。
「わ! 悪い! 別に疚しい気持ちがあったわけじゃ……! 今すぐ離すから!」
「離さないでください!」
「そ、そうか、離さない! 絶対に離さない!」
どこまでも続く星空の中、美しさとは不釣り合いにわぁわぁと騒ぐ。
そんな中、ふんっ! と豪快な鼻息が割って入ってきた。
呆れをこれでもかと込めた鼻息はルスタールのものだ。人語を話せていたら「いい加減に落ち着け」とでも言っただろう。……否、人語で言われずともひしひしと伝わってくる。
これには思わずベルナデッタもアイザックと顔を見合わせてしまった。
「……落ち着きましょうか」
「そうだな。あんまり騒ぐとルスタールが一回転しかねない」
妙に冷静な第三者が居ると存外にあっさりと落ち着けるものだ。
先程までの慌てようが嘘のように二人揃えてふぅと息を吐いた。
そうして落ち着けば、今度は自分達の慌てぶりが面白くなってくる。
思わずベルナデッタが声をあげて笑えば、ほぼ同時にアイザックもまた我慢出来ないと言いたげに笑い出した。
美しい星空の中、二人の笑い声が響く。これはこれで不釣り合いだ。
「アイザック様、慌て過ぎですよ」
「ベルナデッタだって慌ててただろ。……っと、今度は笑いすぎだな。ルスタールの飛行が荒くなってきた」
先程までは安定して飛んでいたというのに、今のルスタールはやたらと左右に体を揺らしている。両翼も大きく動かしており翼の音が妙に耳につく。アイザック曰く、これは飛行中の竜がよくやる訴えなのだという。
なるほど、とベルナデッタが頷いた。走行中のロニアが尻尾を揺らして不満を訴えたり、それどころか直接尻尾でひとを叩いてきたりするのと同じなのだろう。
「静かに話さないと、そろそろ一回転ですかね」
「そうだな。……あと、俺に発破をかけてるんだと思う」
「発破?」
煩いと怒るならまだしも、発破をかけるとはどういうことだろうか?
疑問を抱いてベルナデッタがアイザックを見るも、彼はなんとも言い難い表情をしている。むぐむぐと口元を動かしているあたり、話をするかどうか迷っているのだろう。
だがついには決意したようで、「……今日」とポツリと呟くように話し出した。
「今日、せっかく約束してたのに中止にしてごめんな」
「アイザック様が謝る必要はありませんよ。気にしないでください」
「そ、そう言って貰えるとありがたいんだが……、でも、その……、凄く残念だった。自分で断っておいてこんな事を言うのは違うかもしれないけど、すっごく、本当に、残念だった!」
次第に声量を増していくアイザックの訴えに、ベルナデッタはきょとんと目を丸くさせてしまった。
自分の体を支える彼の腕に力が入っているのが分かる。抱きしめてはいけないが、それでも力を抜くことが出来ない、そんなもどかしさと強張りが触れる箇所から伝わってくる。視線を落とせば手綱を掴む彼の手が見えた。普段よりも硬く強く握られている。
それを見て、ベルナデッタの胸が跳ねた。
話をしているのだから、振り返って彼の顔を見た方が良いのかもしれない。
だけど鼓動を速める心臓がそれを邪魔して振り返れない。僅かに顔を俯かせ、自分を支える彼の腕を見つめるしかできない。
今のアイザックがどんな表情をしているのか見たいけれど、今の自分の顔は恥ずかしくて見られたくない。そんなジレンマが、トクリトクリと高鳴る胸の内に湧く。
なんだかすべてがもどかしくて息苦しい。
……だけど、嫌な気持ちではない。
「あの舞台、ベルナデッタも喜ぶと思ったんだ。……それで一緒に見れたら、レストランで感想を話し合って、その後はこうやってルスタールに乗って過ごそうと思ってて」
照れ臭そうなアイザックの話に、ベルナデッタは「そうだったんですね」と上擦った声で返した。
思い出のある喫茶店でお茶をして、その後は舞台。見終わったらお洒落なレストランで楽しく夕食。
そして最後は、星空を優雅に飛びながら二人で静かに語り合う……。
なんて素敵なのだろうか。
そんな素敵な一日をアイザックは予定してくれていたのだ。
そして過ごせなかったことを残念だと言ってくれた。……凄く、本当に凄く残念だったと。
「私も……、です」
「ベルナデッタ?」
小さく呟いたベルナデッタの声が聞き取れなかったのか、アイザックが不思議そうに名前を呼んで尋ねてくる。
その問いかけに、ベルナデッタは覚悟を決め、ぐいと勢いよく振り返った。
「うわっ」とあがる小さな彼の声は、突然ベルナデッタが体勢を変えたからだろう。整った彼の顔に驚きと焦りの色が濃く浮かぶ。それでも咄嗟ながらにバランスを取るためにぎゅっとベルナデッタの体を支えてきた。
……まるで抱きしめるように。
「ベ、ベルナデッタ、急に動くのは……」
「私も残念でした。本当はアイザック様と舞台を見に行きたかったし、お誕生日をお祝いしたかったんです!」
あの場ではあっさりと引いた。その後にセルジュに問われた時も、残念がる素振りは見せなかった。
だけど本当は残念だった。アイザックの誕生日を祝い、共に過ごすために休みを取ったのだ。そのために洋服も買ったし、何日も前から楽しみにしていた。
アイザックに「俺の誕生日、覚えてくれてる?」と問われるたびに勿論だと返し、問われた分だけ期待が増していった。
それが直前で中止になったのだから残念に思わないわけがない。残念に思う権利はあったはずだ。
「アイザック様の判断は立派です。私もきっと、アイザック様の立場だったら同じ判断をしました。でも本当は凄く残念だったんです」
「そ、そうか。ベルナデッタも残念に思っててくれたんだな」
「はい。だけどあの場で言い出したらアイザック様に迷惑を掛けちゃうから……」
いくらベルナデッタが残念がろうとも、決まってしまったことを覆すことは出来ない。会議は行われるし、そこに代理として出席できるのはアイザックだけだ。難産に苦しむ娘のもとへ向かおうとする老騎士を呼び戻すなんてもってのほか。
つまり無理を言っても解決策は無く、駄々をこねたところで子供相手のように宥められるのがオチ。むしろアイザックを責める形になってしまう。そんな迷惑はかけたくない。
だからあの時は大人しく引いたのだ。それが何よりアイザックの為になると思って……。
「そんな風に考えてくれてたんだな。そっか……、そうだよな……。それならさ、次のベルナデッタの誕生日にリベンジさせてくれないか?」
「私の誕生日?」
「あぁ、ベルナデッタの誕生日。その時に今日やるべきだったことをやろう。待ち合わせして、喫茶店に行って、舞台を見て、夕食を摂る。それで、またこうやってルスタールに乗って星空を見るんだ」
話していくうちに期待が高まったのかアイザックの瞳が輝きだす。
紫色の瞳。通常時でさえ宝石のように美しいが、期待を宿すと眩さを感じるほどだ。
満点の星が広がっているというのに今のベルナデッタには星よりも彼の瞳が美しく感じられ、真っすぐに見つめられたまま「はい!」と弾んだ声で返した。




