30:誕生日の夜
幸い、グレースが午後から仕事を抜けられたので彼女と舞台を見に行った。
その後に夕食を摂り共に宿に帰る。実際の母子のように穏やかで楽しい時間だった。
「グレースさん、喜んでくれて良かった。『親孝行の娘』だってさ。次はロニアも一緒に出掛けようね」
自室のベッドにゴロンと転がりながらベルナデッタが話しかければ、ベッドの横に置かれたクッションに寝ころぶロニアがギャウと声をあげた。
これは同意の返事だ。帰宅直後こそ『自分を置いて二人で楽しんで』と言いたげなじっとりとした目で見てきたロニアだが、お土産のフルーツを食べてだいぶ機嫌を直してくれたようだ。
良かった、とベルナデッタは内心で安堵した。ロニアは意外と頑固でへそを曲げるとご機嫌取りに骨が折れる。
「凄く良い席だったし、明日改めてアイザック様にお礼を言いに行こう。舞台のお土産も買ったし、それに……」
ベルナデッタの視線が机の上に向かう。
そこに置かれているのは小さな紙袋。
「せめてプレゼントだけでも今日中に渡せば良かったなぁ……。ねぇロニア。……ロニア?」
同意を求めて声を掛けるも、どういうわけかロニアはじっと窓を見つめている。
「どうしたの? ……あ、もしかして!」
はっと息を呑み、ベルナデッタは慌てて起き上がるとベッドから降りて窓へと向かった。
窓を開けて空を見上げれば、満天の空を旋回する一頭の竜。
星の合間を縫うように飛ぶその姿は優雅の一言に尽きる。
黒竜ルスタール。夜の闇よりも黒く、飛ぶ姿は鳥よりも優雅。
その背にいるのはアイザックだ。
ルスタールが影になっているため姿こそ見えないが、彼以外には考えられない。
「アイザック様、会いに来てくれたのかな」
ベルナデッタの胸に期待が湧く。
その期待に背を押されるように、椅子に掛けてある上着を掴んだ。
思い返せば、以前にもこんな事があった。
夜、ロニアに促されて窓を開け、空を見上げると星空を飛ぶ竜の姿。
あの時のアイザックは別の目的で宿を訪れていたが――自分を閉じ込めて飲みに来たセルジュとヴァレールを酒で潰す、という目的である――、今夜はもしかしたら自分に会うために来てくれたのかもしれない。
そうとなれば待たせるわけにはいかない。はやる気持ちを押さえつつ上着を羽織り部屋の出口へと向かう。
そうして通路へと出ようとした瞬間、ガウ! と大きな鳴き声に呼び止められた。
ロニアだ。慌てるベルナデッタとは違い彼女は随分と落ち着いており、机の上の紙袋を咥えるとゆったりとした足取りでこちらに近付いてきた。歩みが妙に遅いのはきっと紙袋を見せつけるためだろう。
ふんっ、と吐かれる鼻息は「まったく」と言いたげで、ベルナデッタからしたらなんとも居心地悪い。
「べ、別に忘れてたわけじゃ……」
忘れていたわけではない。そう言い張ろうとしたのだが、ロニアが真っすぐに見つめてくる。
宝石のような金色の瞳。普段は凛々しく頼もしさを感じさせるが、今だけは言い得ぬ圧を感じてしまう。「忘れていただろう」「忘れて部屋を出ていくつもりだったろう」「素直に認めろ」……と。
これにはベルナデッタもムグと言い淀んでしまう。
「……そんなに見ないでよ。忘れてたよ。ありがとう!」
グルグルグル
「得意げな嫌な顔。それよりロニアも一緒に……、行かないの?」
てっきり一緒に外に行くのかと思ったが、ロニアは扉の前で座ってしまった。
ベルナデッタが呼んでもゆっくりと目を瞑るだけだ。
どうやら行く気はないようで、それならとベルナデッタは「先に寝てて良いよ」と声を掛けて部屋を出て行った。
◆◆◆
「アイザック様、こんばんは」
ベルナデッタが宿の裏手へと向かえば、そこには既にルスタールとアイザックの姿があった。
声を掛ければアイザックがパッとこちらを向く。揺れる紫色の髪は夜の暗がりのせいか普段よりも色濃く見え、同色の目がベルナデッタを見ると嬉しそうに細められた。
「夜遅くにごめんな。寝てたか?」
「いえ、大丈夫です。それより今日の舞台のチケット、ありがとうございました。グレースさんと一緒に行ったんですけど、グレースさんも喜んでくれて。舞台の内容も」
「あ、ま、待ってくれ!」
ベルナデッタが今日の感想を話そうとするも、アイザックが慌てて制止してきた。
もしや別件で宿に来たのであって、自分と話している時間は無いのだろうか。そうベルナデッタが問う。――「私に会いに来てくれたんじゃないのか」と残念に思う気持ちは隠して――
だがこれに対してもアイザックは慌てて否定してきた。
「違う違う! ベルナデッタに会いに来たんだ! ……ただ、ここでずっと話すのはあれだろう?」
「あれ? どれですか?」
「どれというか……、あれなんだよ。だからもし時間があるなら場所を変えて話そうと思ってさ」
どうだろう、とアイザックに誘われ、ベルナデッタは困惑して自分の姿を見下ろした。
今の自分が着ているのはラフな室内着と咄嗟に羽織った丈の長いカーディガン。誰がどう見ても外出の装いではない。
対してアイザックは日中に見た装いをしている。質の良い上着とベスト、それに合わせた濃い色合いのズボン。彼の見目の良さと合わさってまるで舞台役者のようだ。今日見た舞台の花形役者と並んでも引けを取らないだろう。
ラフも良いところな室内着の自分と、着飾ったアイザック……。
並んで店に入るのはなかなか躊躇われる。
というより、アイザックの服装抜きにしてもさすがにこの格好で店に入るのは恥ずかしい。
「少し待ってもらって良いですか? すぐに着替えてきます」
「い、いや、大丈夫だ。今のベルナデッタの格好も凄く可愛いし、ラフな感じが普段とはまた違った印象を与えて……。じゃなくて、店には行かない。二人きりで話をしたいんだ」
「お店には行かないんですか? それなら公園とか?」
「公園でもなく、もっと二人きりでゆっくりと話せる場所……。空とか、ど、どうかな?」
照れ臭そうな笑みを浮かべ、アイザックが人差指を立てる。
上、と言いたいのだろう。
つられてベルナデッタが「空?」と頭上を見上げれば、無数の星が美しく輝いていた。




